プロローグ
中学二年の夏。全国大会の試合中、俺のアキレス腱は音を立てて千切れた。
――あの瞬間から、俺の世界は停止した。
全国制覇を掲げて振るった竹刀は、二度と振れなかった。病院のベッドで天井を呆然と見ていた日々が、今でもふとした瞬間、蘇る。
懸命なリハビリで日常生活を送るには問題ないまでに回復したが、俺の脚と剣はすっかり錆びついてしまった。
――そんな過去を、俺は誰にも告げないまま高校生になった。
高校入学から数ヶ月が経過した夏休み。蒸し暑い夏の昼下がり。
バイトを終えた俺――湊本芳雅は、高校の先輩兼バイトの指導係である平泉静夏先輩に連れられてファミレスに来ていた。
「――湊本君にお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
「ハイ、なんですか?」
「湊本君、『モノサバ』って知ってる?」
「バトロワ系のVRゲームっスよね?最近のアプデで追加された『六厄災』が無理ゲーとか、そういう話をクラスで聞いた程度ですけど」
「そう!銃のない和風バトロワなんだけど、実はその『モノサバ』の攻略を湊本君に手伝ってもらいたくって!」
「…………俺に、ですか?」
「うん!湊本君って昔剣道やってたんでしょ!?しかも全国レベルだったんだって!?」
胸の奥がグシャリと潰れる。激しく心が動揺する。中学二年の夏、アキレス腱を断裂して引退以来、誰にも話していない過去をなぜか先輩が知っていた。
「よ、よく知ってますね。バイト先じゃ話した事なかったはずなんですけど」
「実はこの前親戚の家で会った子がね、湊本君と同じ剣道道場に通ってた子だったの!武蔵景ちゃん。覚えてないかな?」
平泉先輩はスマホを操作して2ショット写真が表示された画面をこちらに差し出した。そこには太陽みたいに燦然と笑う平泉先輩とは対照的に、精巧な人形のような冷淡な表情の女子が写っていた。おかしい。昔の景は、こんな表情ではなかった。もっと明るくて、それこそ平泉先輩のような朗らかに笑うタイプだったはずだ。
何かがあった、と思った。続け様に心が大きく揺さぶれるが、必死に冷静さを保つ。
「…………湊本君?」
「へ?あ、あーっ!よく覚えてますよ!一緒に練習とかしてました!」
いかん虚勢が剥がれかけた。下から覗き込む平泉先輩の視線をしどろもどろになりながら受け止めつつ、なんとか言葉を紡ぐ。
「うんうん、それでね?ケイちゃん『モノサバ』で遊んでるんだって。聞いたら私よりも結構やり込んでるみたいでもうビックリ!上位ランカー武器も持ってるみたいなんだよね!」
「……やり込んでる?剣道は?」
「ああ、辞めちゃったんだって。剣道」
「…………………は!?」
衝撃的な事実に思わず席から立ち上がり、俺は周囲の客から奇異の視線を向けられる。だがそんな事など些細な事だった。テーブルを両手で抑え込みながら、俺は平泉先輩を問い詰める。
「なんでッ!?」
「それは、私の口からは言えないかなぁ」
景が剣道を辞めたという事実に心が揺らぐ。なぜ景が辞めたのを直接言えない理由は……ああ、そういうことか。
「……、だから『モノサバ』ですか?」
「お?話が早いねそういうこと!面と向かって話しづらいことも、ゲームの中なら、気兼ねなく話せるんじゃないかなって!ま、とりあえず座って座って。」
「……ハイ」
「まあこの提案は私の個人的な事情も含まれてるけどね」
「……と、言うと?」
「この間の大型アプデで追加された『六厄災』の朱天童子と荊棘黄童子がバチバチのイケメンでね?至近距離で鬼スクショしたいんだけど、強すぎてまともに接近することすら出来ないの!」
困惑している俺とは対照的にハイテンションの平泉先輩は、怒涛のノーブレーキで捲し立てた勢いそのまま、スマホの画面をこちらに向ける。そこには額から角が2本生えた赤髪の少年と、同じように角が1本生えた金髪の少年が映っていた。
「それを俺に、いや俺達に手伝って欲しいと」
「そのとーり!!どうも『六厄災』戦はスキルどうこうじゃなくて純粋に立ち回りが要求されるみたいでさ。相手との距離感とか限界ギリギリで攻撃に反応出来る反射速度がないとお話にならないみたいなんだよね。実際このゲーム、ランカー上位の全部が全部ってわけじゃないけど武道関連で何かしら齧ってる人多いし」
「景が上位ランカーに入れるって事は、そうみたいですね」
「まあそういうわけで、キミが手伝ってくれると私はめちゃくちゃハッピー!ケイちゃんもハッピー!だと思う次第なんですけどどうかな!?」
備え付けの割り箸をマイクに見立てて俺の口元へと突き立ててくる平泉先輩。俺の答えは決まっていた。
「俺でよければ」
「よしじゃあ決まり!早速ログインしよっか!このあとゲーム内で待ち合わせね!ケイちゃんにも連絡しとくから!」
「えっ、ちょっ、は!?今からですか!?」
「善は急げって言うでしょ?それに今日の21時から朱天童子と荊棘黄童子のレイド戦予定なんだよね!『六厄災』は遭遇するだけでも経験値がめちゃくちゃ美味いの!それに高レベルプレイヤーやランカーがやられて武器をロストするから、金策や装備集めするのにもってこい! 」
「…………すいません平泉先輩、情報量多すぎてもっと簡単にお願いします」
何が何で何の何?寝耳に水どころか決壊したダムから溢れ出た情報の洪水で、脳味噌が窒息しかけている。
「要約すると『いまから友達と仲直りして裏ボスとパワーレベリング!出来れば武器もパクったれ!!』って事!じゃあハイこれ『モノサバ』のDLコード!バイト勤続1ヶ月記念のご褒美で拒否権はないので受け取るように!」
有無を言わせる暇もなく、『モノサバ』のダウンロードカードを手渡される。
「じゃあ今日の18時くらいまでにゲーム内の『団子屋』に集合ね!着いたらカルムって名前のプレイヤー探してね!!」
放たれた矢のようにあっという間に先輩は姿を消し、残された俺は溶けた氷水を飲み干してその後を追う。
怪我で手放した剣を、もう一度握る日が来るなんて思いもしなかった。
――――電脳の乱世で、俺は再び「夢」を見れるのかもしれない。
胸の奥から湧き上がる熱が、身体に纏わりついた錆を溶かしていくような錯覚。逸る気持ちを抑えながら、俺は帰路に着くのだった。
【登場人物紹介】
湊本芳雅
・高校1年生。かつて神童と呼ばれた元剣道少年。中学2年の時にアキレス腱断裂という大怪我を負い剣道を引退。現在はハンバーガーショップでアルバイトをしている。
平泉静夏
・高校3年生。重度の2次元オタク。湊本と同じ学校に通う高校3年生。湊本の顔が推しキャラと色々似ているという理由でかわいがっている。湊本のバイト先の指導係でもある。
武蔵景
・高校1年生。湊本と同じ剣道道場出身。女子中学剣道で三連覇を達成した後、剣道界から姿を消す。『モノサバ』を始めて日は浅いが、類まれなるセンスと集中力を発揮して先月上位ランカーとなる。




