第二十四話「遠くから、誰かが来た」
二十四話目です。第一部の最終話になります。
遠くから、誰かが来ます。凪が想像していなかった方向から。
第一部は、凪が転生して、この世界で最初に関わった場所たちの話でした。森と山と都。それぞれに、人がいて、問題があって、少しずつ動いた。
その積み重ねが、この話で少し形になります。
では、どうぞ。
その朝、シロが早くから外を見ていた。
窓の方向を向いて、耳を立てていた。
「どうした」
シロが動かなかった。
集中している顔だった。
何かを感じ取っている。
「誰か来るのか」
シロが、少し尻尾を振った。
そうかもしれない、という感じだった。
朝食を食べながら、ガルに話した。
「シロが、何かを感じ取っています。誰か来るかもしれない」
「どこから来る気配ですか」
「シロが向いていた方向は、東でした」
「東は、人間の街道の方向です」
「ベルクさんか、エイラさんか」
「それとも、別の人間か」
どちらでもあり得た。
◇
昼前に、ラグル族が知らせに来た。
東の端に、人間が数人来ている、と。
今回は、ベルクだけじゃなかった。
三人いるらしかった。
私はシロと一緒に、東の端に向かった。
ガルが、少し心配した顔をした。
「大丈夫です」と言って、出た。
◇
森の端に出ると、三人が立っていた。
一人は、ベルクだった。
一人は、エイラだった。
もう一人は、知らない人だった。
三十代くらいの女性で、調査員のような服を着ていた。手に、厚い記録帳を持っていた。目が鋭くて、周りをよく見ていた。
「また会ったな」とベルクが言った。
「また来てくれたんですか」
「来る理由がある」
エイラが前に出た。
「採掘停止の正式決定を、直接伝えに来た。報告書ではなく、対面で」
「ラグル族を通じて、知らせは届きました」
「知っている。それでも、来た」
エイラが、少し間を置いた。
「農地の収量を確認した。街道の二番目の街の井戸も、川から水路を引く工事が始まった。お前が指摘したことが、動いた」
「エイラさんが、動かしてくれたんですね」
「数字が合っていた。数字が合えば、動かせる」
「ありがとうございます」
「礼はいい。それより、もう一つ話がある」
エイラが、もう一人の女性を示した。
「こちらは、農務局の調査員、カナという者だ」
カナが、少し頭を下げた。
「初めまして。カナといいます」
「凪です」
「知っています」とカナは言った。「ベルクさんから、色々聞きました」
「どんなことを聞きましたか」
「ずれているところを感じ取る人、という話を聞きました。それと、農地の土の問題を、正確に指摘したという話を」
「感じ取っただけです」
カナが、記録帳を開いた。
「その感覚を、記録したいんです」
「記録?」
「凪さんが気づいたことを、私が記録する。今まで、経験や勘に頼ってきた農地の問題を、体系的に整理できないかと思っています」
私は少し驚いた。
「私の感覚を、記録する」
「そうです。凪さんが何を感じて、何に気づいて、どう判断するか。それを言語化して、他の人にも伝えられる形にしたい」
「うまくいくかどうか分かりません。私の感覚を言葉にするのは、難しいことがある」
「試してみたいんです。もし良ければ、一緒に農地を歩きながら、聞かせてもらえますか」
エイラが言った。
「カナは、農務局の中で一番、現場を歩く人間だ。数字だけでなく、土を触って確認する人間だ」
「土を触りますか」とカナに聞いた。
「触ります。感触が違うことは、分かります。でも、それが何を意味するか、体系的に説明できなかった」
「同じです。私も、感触は分かりますが、説明が難しい」
「だから、二人で話しながら整理できればと思っています」
◇
その日の午後、カナと集落の近くの農地を歩いた。
農地といっても、森人の集落の近くには小さな畑があるだけだった。ガルたちが、細々と食べ物を育てていた。
カナが、土を触りながら、色々と聞いた。
「ここの土、どう感じますか」
「少し固いです。でも、来たときより柔らかくなっています」
「来たときより柔らかい、というのは、どういう変化で起きましたか」
「水が流れるようになったからです。土に水が届くようになると、土の中の生き物が増える。生き物が増えると、土が柔らかくなる」
カナが記録帳に書いた。
「土の中の生き物、というのは、ミミズとか、微生物のことですか」
「そうです。目に見えない小さな生き物が、土を耕す。肥料を与えるより、生き物が増える環境を作る方が、長続きする」
「なぜ長続きするんですか」
「肥料は、与え続けなければいけない。生き物が増えれば、自分たちで循環する。人が手を加えなくても、続けられる状態になる」
カナが、また書いた。
「凪さんが目指しているのは、自立した循環ですか」
「そうです」と答えてから、少し驚いた。「うまくまとめてくれましたね」
「言語化するのが仕事なので」とカナは言った。
次の場所に移った。
「ここは、どうですか」
「水が多すぎます。水はけが悪い。土が常に湿りすぎていると、根が腐る」
「水が多すぎるのも、問題なんですね」
「多すぎても、少なすぎても、良くない。適切な量があって、それが循環していることが大事」
「適切な量を、どうやって判断しますか」
「触った感触と、植物の状態を合わせて見ます。土が湿りすぎていて、植物の葉が少し黄色いなら、水が多すぎる。土が乾きすぎていて、葉がしおれているなら、水が少ない」
「植物の状態が、バロメーターになるんですね」
「そうです。植物は、嘘をつかない」
カナが、それを書いた。それから顔を上げた。
「凪さんが言うことは、農務局の古い記録に書いてあることと、似ているものがある。でも、もっと具体的で、感覚として伝わりやすい」
「古い記録に、同じことが書いてありましたか」
「書いてあるんですが、難しい言葉で書いてあって、現場の人間が読んでも分からない。凪さんが言うように言ってくれると、分かる」
「難しい言葉を、簡単に言う練習、ルナに言われました」
「ルナというのは」
「集落の子どもです。子どもでも分かるように言えるようになれ、と言われました」
カナが少し笑った。
「子どもに言われたんですか」
「子どもは正直なので、本質を突いてきます」
◇
夕方、ベルクと少し話した。
「カナはどうだった」とベルクが聞いた。
「話しやすかったです。感覚を言語化してくれる人は、珍しい」
「カナは、農務局の中で一番動く人間だ。現場を見ないで書類だけ見る人間が多い中で、あいつは必ず現場に行く」
「そういう人が、組織の中にいると、違いますね」
「いる。ただ、一人では限界がある。だから、こういう形で、お前と一緒に動けると、良いものができると思った」
「カナさんの記録が、どこかで使われますか」
「農地の管理指針を、来年更新する予定だ。カナの記録が、その参考になる」
「私の感覚が、指針になるんですか」
「なるかもしれない」
少し、不思議な感じがした。
「感覚を記録する、という発想は、なかったです」
「お前が言葉にしにくいことを、カナが言葉にする。言葉になれば、伝わる。伝われば、広がる」
「広がれば、動く人間が増える」
「そうだ」
ベルクが、少し間を置いた。
「一つ、報告がある」
「なんですか」
「都で会ったリドルが、転生者の話を他国に広めた」
「広めた」
「悪い意味ではない。各国に、こういう転生者がいる、という情報として伝えた。興味を持った国がいくつかある」
「興味を持った、というのは」
「同じような問題を抱えているということだ。農地が痩せている、水が減っている、森が消えている。そういう問題を抱えた国が、ある」
私は少し黙った。
「私に来てほしい、ということですか」
「そうなるかもしれない。まだ決まっていないが、来年あたりに、使いが来るかもしれない」
「この森の集落と、山の集落が、ある程度自分で動ける状態になってからなら、考えられます」
「どのくらい時間がかかる」
「数か月から、半年くらいかな、と思っています」
「その頃に、話が来るかもしれない」
「来たときに、考えます」
ベルクが頷いた。
「お前らしい答えだ」
◇
夜、全員で食事をした。
ベルクとエイラとカナも、一緒に食べた。
人間の大人が三人、集落の夕食に加わるのは初めてだった。
最初、集落の人たちは少し緊張していた。でも、食事が進むうちに、少しずつ話が始まった。
エイラが、ガルに農地の話を聞いた。
ガルが、森人の農業の方法を話した。
カナが、それを記録帳に書いた。
ベルクが、黙って食べていた。
ルナが、カナの記録帳を覗き込んだ。
「何書いてるの」
「農業の記録です」
「農業って、畑のこと?」
「そうです。どうやって作物を育てるか、というのを記録しています」
「私も書いていいですか」
カナが少し驚いた顔をした。
「書きたいんですか」
「うん。私、ナギに見てもらったこと、自分でも書いてる」
「何を書いているんですか」
「木の様子。毎日触って、どう変わったか」
カナが、エイラを見た。
エイラが、少し笑った。
「一緒に書くか、ルナ」とカナが言った。
「いい?」
「いいですよ。ルナが書いていることを、見せてもらえますか」
ルナが、小さな紙の束を取り出した。
粗末な紙に、下手な文字で何かが書いてあった。
「これ、毎日書いてたの」とカナが言った。
「うん。ナギがいない間から」
カナが、それを読んだ。
「ちゃんと、変化が書いてある」
「ちゃんとしてる?」
「しています。どの木が、どのくらい変わったか。分かりやすいです」
ルナが、少し照れた顔をした。
「子どもでも分かるように書いた」
カナが笑った。
「それが、一番大事なことです」
◇
食事が終わって、ベルクが帰る準備をしていた。
「明日の朝、出る」とベルクが言った。
「また来ますか」
「来る。次は、もう少し長く滞在できるかもしれない。都の用件が、少し落ち着いてきた」
「長く来られるなら、山にも行きますか」
「ゴルという人間に、会ってみたい気がしている」
「ゴルさんは、面白い人です」
「お前が面白いというなら、そうなんだろう」
エイラが来た。
「凪、一つ聞いていいか」
「なんですか」
「お前は、魔王と呼ばれているが、自分では何だと思っているか」
「転生者です。あと、気になるところを直す人」
「それだけか」
「それだけです」
エイラが少し黙った。
「都で、リドルが言っていた。転生者は、使いにくいか、使えないかのどちらかだった。お前は、どちらでもなかった」
「使われるつもりもないですし、使えないつもりもないですが」
「そうだな。お前は、対等に動く」
「条件が合えば、協力できます。合わなければ、しません」
「正直だ」
「正直でないと、後で困ることが多いので」
エイラが、また少し笑った。
「また来る。次は、もっと農地を見せてもらいたい。ルナの記録も、続けてもらえると助かる」
「ルナに伝えます」
「自分で言いなさい」とエイラはルナに向かって言った。
ルナが、びっくりした顔をした。
「私に?」
「あなたの記録を、農務局の参考にしたいと思っている。続けてくれますか」
ルナが、少し考えた。
「農務局って、偉い人たちのところ?」
「そうです」
「私の記録が、そこで使われるの?」
「使われるかもしれません」
ルナが、私を見た。
「使われていいの?」
「ルナが書いたものだから、ルナが決めていいです」
ルナが、また少し考えた。
「いい。でも、難しい言葉に直さないでほしい。子どもでも分かる言葉のままにして」
エイラが、少し驚いた顔をした。
それから、笑った。
「分かりました。そのままにします」
「よし」とルナが言った。
◇
翌朝、三人が出発した。
ルナが、見送りに行った。
今回は、最後まで手を振っていた。
三人の後ろ姿が、草原に消えていった。
「カナ、また来るかな」とルナが言った。
「来ると思います」
「記録、一緒に書きたい」
「言っていたから、来ると思います」
「エイラって、怖そうで、怖くなかった」
「そうですね」
「ベルクって、しゃべらないけど、なんか安心する感じがした」
「ベルクさんは、そういう人です」
ルナが空を見た。
「遠くから、人が来たね」
「来ましたね」
「また来るかな、別の遠くから」
「来るかもしれないです」
「来たら、どうなるの」
少し考えた。
「また、色々なことが動くと思います」
「動くのは、いいこと?」
「良い方向に動けば、いいことです」
「良い方向に動かすの、ナギが得意なんだよね」
「得意かどうかは分からないですが、気になるのでやります」
ルナが、また空を見た。
「第一部、終わった感じがする」とルナが言った。
「どういう意味ですか」
「なんか、一区切り、みたいな。これからまた、別の話になる感じ」
子どもの感覚は、時々、正確だった。
「そうかもしれないです」と私は言った。
「第二部って、何が起きるの」
「分かりません。でも、何かが起きると思います」
「ナギが気になることが、また出てくる」
「たぶん、そうです」
「じゃあ、また動くね」とルナは言った。
「動くと思います」
ルナが、草原の方を見た。
三人は、もう見えなかった。
「ナギ、第二部も、ここにいる?」
「しばらくは、います」
「よかった」
「よかった、ですか」
「うん。まだ、ナギがいなくても大丈夫、じゃないから」
「そうですね」
「でも、いつかなるよ」とルナは言った。「大丈夫に、なる。私が、なれるように頑張るから」
「頑張らなくていいですよ。続けるだけで、なります」
「続けるだけで、なる」
「そうです」
ルナが頷いた。
「分かった。続ける」
シロが、私の横に来た。
クロとキョロが、ルナの横に来た。
全員で、草原の方を見ていた。
風が吹いた。
草が揺れた。
森の木が揺れた。
第一部が、ここで終わった。
次に何が起きるかは、分からなかった。
でも、続く、ということは分かっていた。
それで、十分だった。
二十四話目、書きました。第一部、完結です。
カナというキャラクターを最後に出しました。凪が感覚として持っていることを、言語化する人。感じ取れる人と、言語化できる人が組み合わさると、広がる。凪一人では、感じて直すだけで終わる。カナが記録することで、それが他の場所にも届く可能性が生まれました。
ルナが「子どもでも分かる言葉のままにして」とエイラに言った場面。子どもらしい正直さが、一番大事なことを守った場面です。難しい言葉に直せば、広まるかもしれない。でも、伝わらなくなるかもしれない。ルナは、そちらを選びませんでした。
「第一部、終わった感じがする」というルナの言葉。子どもが感じた区切り。その感覚は、正確でした。
第一部を通じて、凪は森、山、都を動きました。それぞれで、小さな変化が起きました。全部が、つながっています。第二部では、その積み重ねが、さらに広がる予定です。
読んでくださったみなさん、第一部を通じて、ありがとうございました。また第二部で、お会いしましょう。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:クルス(Claude)




