アメリア(3)~番外編『モブ令嬢と悪役令嬢』改稿版~
「あなたの婚約破棄は、私が仕組んだの」
その言葉の意味を理解するまでに、十秒ほどかかった。
十秒後、クロエは驚いた。
「そうなんだ?」
まず、誰の婚約破棄なのか把握するのに数秒かかり、そう言えば私婚約していた事があるわ、と思い出した。直後の数秒で、やった覚えのない悪事を列挙されたあの断罪イベントが仕組まれたものなら、納得できる部分も多いなとクロエは考える。
それがこの真面目で誠実そうな公爵令嬢の仕業だと聞くと、怒りよりも驚きの方が大きかった。
「私、貴方の保護先を用意していたのに、間に合わなくて。ルグウィン公爵家にお伺いした時にはもう、貴方は、どこかへ去ってしまった後だったの」
アメリアが、悲壮な表情になっていく。
「そうなんだ……?」
彼女のようなご令嬢が王族を相手にハニートラップを仕掛けるなんて、よほど切羽詰まった事情があったんだろうな、とクロエは思う。
どういう事情だったのかと訊くべきなんだろう。
おそらく彼女も、クロエが怒りながら問い質す前提で告白したのだ。
けれど、コミュ障気味のクロエには難易度が高すぎた。
他人の事情は自分には関係ないと思っているので、訊くのは面倒だという気持ちが先に立つ。
(『私かんけーありませーん』はもうやめようとは思ってるけれど! でも! 何か重そうだし!)
そもそも好きで婚約していた訳ではない上に、追いかけて来た第二王子は今檻の中だ。
マクシミリアンに似ているようで全然似ていないあの第二王子なら、何度か殴ったり蹴ったりしてユージーンと同じ目に遭わせてやりたい気持ちはあるけれど、婚約破棄自体はとっくに終わった事として忘れていたぐらいだから今さらどうでもいい……なんて言うのは、わざわざ謝りにきた彼女に対して冷たすぎるだろうか。
「クラスメートの家や、近郊の森や、女性が働いてそうな夜のお店も、思いつく限り探したのに、どこにもいなくて。大使館はどの国も、取り合ってくれなくて」
アメリアが、涙を零し始めたので、クロエは慌てた。
「探してくれてたの? ゴメンね」
思い返せばあの日は悲劇のヒロインのような気分で、兄ユージーンを含め全てを切り捨てて、さっさと大使館に向かった。周囲全てが自分の敵だと思い、助けてくれる人は一人もいないと、深い怒りを感じていた。
あまりに行動が早すぎたために誰も追いつけなかっただけで、アメリアのように探してくれた人は他にもいたのかも知れない。
「私のせいで、酷い目に遭ったり、死んでしまったのかも知れないと思うと、本当に申し訳なくて」
アメリアの涙は止まらず、小さな手提げ鞄からハンカチを取り出して目元を押さえる。その仕草が洗練されていて、なんとも魅力的に見えた。
「こちらこそ、そこまで心配してくれる人が居るとは想定してなくて、誰にも何も言わずに国を出ちゃった。ほんと、ゴメンね?」
クロエはどうにか外面で自動対応しているが、内心はややパニックである。
(私まだ、泣いている人を慰められるほど、コミュ力磨いてないよ!?)
あまり親しくない相手に、『おはよう』とか『今日はいい天気ね?』などという一言を気軽にかける事が、クロエには未だにできない。
ましてや泣いている彼女に気の利いた言葉をかけて慰めたり、『どうしてそんな事をしたのか、話を聞かせてくれるかしら?』なんて、小説のヒロインみたいな台詞が吐ける訳がない。
(やだ……逃げたい。全力で逃げたい)
この重い感情が、相変わらず苦手だ。
「ドミリオお兄様から、ルグウィン家嫡男のユージーン様がこの国に亡命したと聞き、こちらにいらっしゃるに違いないと思って、謝罪しに参りました」
アメリアは涙を止める事ができずに、とうとう顔を覆った。
「……無事で良かった。本当に、ごめんなさい」
そのまま、アメリアは声を殺しながら泣き始める。
困り果てたクロエは、椅子を横並びにすると彼女を抱き寄せて、落ち着くまで背中をさすってやっていた。
四年近く前、王太子だったマクシミリアン第一王子の貴族学園卒業を控えて、モスタ王国の上位貴族議会では王太子妃候補の選定を行うことになった。
候補に挙がったのは、カラドカス公爵家の長女、ノーマだ。
ノーマはマクシミリアン第一王子と同じ学年で、優秀な成績を収め、何よりも本人が、王太子妃に選ばれる事を熱望していた。
「貴族学園での三年間、姉はマクシミリアン第一王子殿下と日々同じ教室で過ごし、機会をとらえては殿下に話しかけ、殿下も姉を拒まなかったため、お互いに恋心を抱き合っていると思い込んでいました。ザイオンがカラドカス公爵家の養子に入ったので、私も姉も続柄としてはザイオンの義妹に当たります。それで、マクシミリアン第一王子殿下は姉をザイオンの『いもうと』と認識し、ぞんざいに扱うことができなかったのでしょう」
アメリアは、涙は止まっていたが、ハンカチを握りしめたままだ。
「生徒達も、いつも一緒に居るように見える二人を仲が良いと捉えており、上位貴族達は息子や娘の話を聞いて、女性を忌避しがちなマクシミリアン第一王子が唯一心を開いた女性だと思った節があります」
経緯を説明するにはまず、姉ノーマの引き起こした婚約事件について話さなくてはならないと、アメリア・カラドカスは言った。
当初クロエは、もう終わった話だから説明しなくてもいいと固辞した。だがアメリアは、それならせめて私を殴るか罵るかしてください、と譲らなかったので、穏便に済ませたい一心でクロエは、説明してもらう方を選んだのだった。
(駄目よ、クロエ。面倒臭いなんて、思ってはいけないわ。アメリアはとても真剣なんだもの。国境を越えて、わざわざ会いに来てくれたんだし)
クロエは、そんな気持ちが表に漏れ出さないように、顔の神経を引き締めた。
(もうすぐお昼よね……)
今頃会議室の外ではマクシミリアンが、僕はお腹が空きました、などとヨアン保安官に要求して、ザイオンに小言を食らっているに違いない。
……集中力が途切れるので、とりあえず現在進行形の彼らについては思考の外へ追い出す。
「卒業を控えたある日の夜、議会から王太子妃候補の内定をもらって有頂天になった姉は、極秘だと言われたにも関わらず、本人としては良いニュースを『恋人』にもたらすつもりで、公爵家の名前と賄賂を使って女性の使用人に扮し、マクシミリアン第一王子殿下の私室に侵入しました」
「あらま。夜這いかぁ。それはマズい」
クロエは人ごとのように言った。
ロマンス小説的には、恋人の過去に女が!? と思わないといけないところだろうけれど、ちっともそんな気になれない。
「王子の私室には、ザイオンと、上半身裸で彼の前に跪いたマクシミリアン第一王子殿下がいました」
アメリアは、やや気遣わしげにそう言う。
変な誤解を招かないかと心配したのだろう。
「あひゃひゃひゃ。……それはマズい」
思わず気の抜けた笑い方をしてしまった後で、クロエはキリッと顔を引き締めた。
ちゃんと服を着て人間らしくしろ裸でウロウロするんじゃないこれで何度目だと叱りつけるザイオンと、気がついたら服が無くなっていましたと言い訳して兄に許しを請うマクシミリアンの様子が、目に見えるようだ。
事情を知らない人間がいきなりそのシーンだけを目撃したら、何を考えるだろうか。
笑い事じゃない。
「クロエ、バンカラになりましたね」
アメリアはようやく、それまでの悲壮な表情を引っ込めて、笑顔を見せた。
「毎日モンスターを狩っておりますから」
クロエは力こぶを作って見せたが、バンカラって? この世界でも通じる言葉だっただろうか?
「……姉は、まるで浮気現場を見つけたかのように、ザイオンをそれはそれは口汚く罵り、王子妃は自分に決まったのだから男妾は出ていけと、部屋の外に聞こえるほどの発狂ぶりだったそうです」
「マクシミリアンは裸がデフォだし、重度のブラコンだから、他人から見れば誤解されやすいかもね」
「まあ。まさか今でもそうなんですか?」
アメリアが、眉を顰めた。
「……最近は、かなりましになったかな」
クロエが『他の人に裸を見せないでね』とお願いしているせいか、マクシミリアンは部屋の外ではしっかりと服を着るようになった。
重度のブラコンは、おそらく一生治らない。
マクシミリアンにとってザイオンは、たった一人の『親』なのだ。ザイオンが子どものマクシミリアンに服を着せ、清潔に保ち、本を読み聞かせて言葉を教え、夜は一緒に寝た。
唯一愛情を持って接してくれた兄を、マクシミリアンは今後も慕い続けるだろう。
クロエの言葉に、アメリアは上品な笑みを浮かべた。
「良かった。もう大人ですものね。身体だけではなく、心もちゃんと成長したんですね」
「……うん、多分」
クロエは明言を避けた。
⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈




