34_47:僕が死ぬ日の青い空(15)
その後肺水腫の症状が改善したユージーンは、魔導飛行船でカウザン第一拠点に戻り、自宅で療養生活を送る事になった。
移送される直前、ユージーンはどうしても会っておきたくて、ルキルスの病室を訪れた。
クロエにさんざん殴られたルキルスの顔はその頃にはほぼ治っており、少し内出血の痕跡が残る程度で、やや奥まった眼窩の底にある茶色い瞳が驚いたようにユージーンを見る。
「歩けるようになったのか!? 良かった……」
ルキルスはベッドを下りようとして、下半身から延びた管に阻まれた。
「いっ、……忘れてた。俺、ここから動けないんだ」
そう言って、ベッドの上に座る。
管はベッド脇に延びていて、そこには黄色い液体の溜まった袋がぶら下がっていた。
久しぶりに病室の外まで歩いたので、少し気怠さを感じたユージーンは、ベッドサイドに置いてある椅子にそっと座った。
「内臓をやられたのか?」
ユージーンは心配になって訊くが、ルキルスは首を横に振る。
「これは看護師長の嫌がらせだ。もうすぐ抜糸だし、元気なのに、オシッコを量れって煩くてよぅ……」
ベッド脇に下がった袋の中身がなんなのか、ユージーンは理解する。看護師長とは、この間ルキルスを探しに来た竜人の看護師だろう。
「お前は、顔色も良くなって、もう大丈夫そうだな!」
ルキルスは、嬉しそうな顔をした。
「うん。食べて寝るぐらいしか、する事がないので、家に帰る事にした」
ここに居ると医療費も嵩むし、クロエに会えないから、とユージーンは心の中で呟く。
出入り禁止になったクロエは、今日は医療センターの外で待ってくれている。
「その前に、ルキルスにお礼を言っておこうと思って」
「礼だと? 俺がお前を勝手に連れ出したせいで、お前が死ぬような目に遭ったんだから、礼は筋違いだな。俺の方が謝らないと」
と、ルキルスは言う。
「僕も、謝るよ」
ユージーンは俯きそうになる気持ちをこらえて、ルキルスを真っ直ぐに見る。
「学園時代、助けてもらったのにお礼も言えなくて、悪かった。あの時は、ありがとう」
「お……おう」
ルキルスは、照れた顔になる。
あの時から、彼は何年もずっと怒っていたのかと思うとユージーンは、それ以上の言葉を続けられなかった。
(何があったのかクロエに黙っていてもらいたい、というのは勝手な頼み事だし、改めて、君を友人と呼んでいいだろうか、などと僕から言い出すのも、ルキルスにとっては今更な話だ)
あの頃、一切を拒絶していたのはユージーンの方だったのだから。
「それと、妹がゴメンね」
ユージーンは、まだ痕跡の残るルキルスの顔に、そっと手を伸ばした。
「僕には過保護過ぎるぐらいなんだけれど、共和国では狩猟で稼いでいるので、荒っぽくなっちゃって。まだ痛む……?」
「おおっふ」
ルキルスは、手が触れる寸前に後ろに下がって、ベッドの柵にぶつかった。
「……ゴメン」
触れられるのを警戒するほど、まだ痛むようだ。
柵がなかったら落ちていたかも知れない、そうなると管が抜けていろいろな意味で大惨事に……と想像したユージーンは、少しぞっとした。
「いや。もう大丈夫。力を入れて押すと、痛いかなって感じるぐらいだから」
大げさな反応が恥ずかしかったのか、赤面しながら、ルキルスは言った。
そして、急に話題を変える。
「その服、あの日着ていたやつだよな? 取り戻せたのか。良かった……凄く似合ってるよ」
「……ありがとう」
クロエの選んでくれた服を、ユージーンは見下ろす。
どうやって取り返したのか、ザイオンはあの日ユージーンが着ていた服を洗って届けてくれた。
それで今日、借りていた病衣を返した後は、この服を着る事ができたのだった。
すぐ後ろにあるドアが、横滑りに開いたので、ユージーンは反射的に振り返った。
ルキルスのいるベッドは、大部屋に入ってすぐ右側にあったので、ドアを開けた人物からは、丸見えになる。
悪魔の話をすると悪魔が現れる、という言葉をユージーンは再び思い出しながら、ザイオンを見上げた。
ザイオンは、極めて不機嫌な顔でルキルスを見下ろしている。
ザイオンの後ろに居るのは、ルファンジアだ。
彼女は空の車椅子を押していた。
にこやかな笑みをユージーンに向けて、ルファンジアは言う。
「こちらでしたのね。お迎えに行ったら、病室が空だったのでびっくりしました。クロエ様がお待ちですので、車椅子にお乗りください」
「ルファンジアと一緒に、先に行っててくれ、ユージーン」
ザイオンは、医療センターの名前が入った書類を手に持って、ヒラヒラさせながら言った。
「俺はこいつに少し、話があるから」
その、やや苛立ったような口調に、ユージーンは言われるまま外に出て、ルファンジアの用意した車椅子に乗った。
ドアがスライドして、互いを隔てる直前、ユージーンはルキルスに微笑んで見せた。ルキルスは助けを求めるような、切なげな目をしていた。
理性的なザイオンなら、クロエのような暴挙に出る事はないはず、とユージーンは思う。
だが、ルキルスに別れの言葉を言えなかった事が、少し切ない。もう会う機会は二度と無いかも知れないのに。
それにしてもあの書類は、何だったんだろうか。
「あ……」
ユージーンは思い出す。
「あの、ルファンジア。医療費の事なんだけれど」
医療センターを退出する時には、医療費を全額払い込まなくてはならない、と竜人の看護師に念を押されていたのだが、あの書類はもしかしたら請求書だったのかも知れないとユージーンは思い当たったのだ。
「ご心配なく」
と、ルファンジアが答える。
「さっきの書類って、請求書だよね……?」
「違いますよ」
「じゃあ、領収書?」
医療費を、ザイオンに肩代わりしてもらった事になるのか。後で返さないと、と思いながら、ユージーンは尋ねる。
「幾らだったのかな……?」
ユージーンは、腹膜炎で医療センターに居た頃、クロエが支払いに苦労していた事を知っていた。国の補助があるから大丈夫、という言い方をクロエはしていたが、自己負担額が安くはなかったであろう事は、目にする書類からも想像が付いた。
(僕は、クロエやみんなの負担にしか、なっていない)
焼け付くような自己否定が、ユージーンに重くのし掛かり始める。
(だからザイオンは、怒っていたのか……?)
「ユージーン様は、何もご心配する事はありません」
ルファンジアは、廊下の突き当たりまで行くと昇降機のボタンを押して扉を開け、ユージーンの車椅子を押しながら乗り込む。
「ザイオン様に全てお任せすれば良いのです。マイナスも全て、プラスへとねじ曲げてくださいますから」
「マイナスを、プラスへ……?」
意味がわからずに、そう口にしたユージーンは、ふいに自分が車椅子ごと宙に浮かんでいる事に気づいた。
透明なガラスに覆われた昇降機は、高いビル群と、青い空に囲まれている。そして、扉が閉まると同時に、下へと移動し始めた。
「落ちる……!」
ふわりと、一瞬生じた浮揚感に、ユージーンは思わず車椅子の肘かけを握り締める。
そのまま昇降機は、落下し続ける。
「あれはクロエ様でしょうか?」
ルファンジアが示した地上に、手を振る人影が見えた。
「透明な昇降機って、凄いね! 家にも付けるんだよね……?」
ユージーンは少し興奮しながら、地上の小さな人影に手を振り返す。
隣にいるのは、マクシミリアンのようだ。
「ええ。自宅用は、透明ではありませんが」
地上階に到着すると、ルファンジアは自動的に開いた扉を抜けて、昇降機から車椅子を下ろす。
「ところで、靴の回収に失敗しました」
ルファンジアが、車椅子を押して医療センターの玄関脇にあるスペースに向かいながら、悪いニュースを告げる口調で言う。
「ザイオン様が気づいた時には、……落ちない汚れがベッタリと付いていたそうです」
ユージーンは、足下を見た。
車椅子の足台に置いてある両足には、何も履いていない。歩けるようになってから、ずっと借り物の室内履きを履いていたが、今日返却してしまった。
「拠点に戻ったら、新しく買いましょう」
ユージーンは逆らわずに頷いたが、内心、これ以上自分なんかのために金額的な負担を強いるのは心苦しい、と考えていた。
「お届け物です」
ルファンジアの後ろに立った人物が言った。
背が高く、がっしりとした体躯で、肩近くまで伸びた銀の髪は左右に跳ねている。
「マクシミリアン様」
ルファンジアが驚いた顔で見上げる。彼の笑顔を、ユージーンも見上げた。
「あちらのお客様からです」
と言ってマクシミリアンが差し出したのは、真新しい黒のブーツだった。
ユージーンが、『あちら』とおぼしき方向を見ると、医療センターの透明な扉のずっと向こうで、クロエらしい人影が手を振っている。
「……って、言えって言われたんだけれど、どういう意味だろう?」
マクシミリアンが不思議そうな顔をしている。
「それは、お酒を奢られる時によく聞く台詞ですね」
ふふっと笑みを零しながら、ルファンジアがマクシミリアンに説明した。
「そうなんだ! 靴でも言うのかぁ」
「……違うと思いますよ?」
「ありがとう。助かる」
ブーツを受け取ったユージーンが、足を突っ込む。
車椅子を降りて立ち上がった彼は、ゆっくりと、玄関に向かった。
「靴下があれば、完璧でしたのに」
「だよね。忘れてた。首都って店がたくさん有り過ぎ! 靴は、まだ一日しか履いていないから、もったいないってザイオンが洗ってたけれど、血がベッタリついていて……というより、浸かっていて、雨の日のブーツって、そんな感じでしょ? 中にいつの間にか水が入ってるの、あれって嫌だよね? 結局、血はだいたい取れたのにどうしても臭いが取れなくて。やっぱり買おうって話になったんだ」
「マクシミリアン様……あの修羅場、よく平気でしたね?」
後ろで交わされる会話は、もうユージーンの耳に入ってはいない。
南向きの玄関には、日が真っ向から当たっていた。
透明な扉が、自動的に両側へスライドする。
降り注ぐ光の中に、妹の姿があった。
あまりの明るさに一瞬ユージーンは、視界を失う。
「お兄様!」
妹の声は、半分泣いているように聞こえる。
声のする方へ。
扉を出て、光の中へと、ユージーンは足を踏み出した。
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