34_46:僕が死ぬ日の青い空(14)
ずっと、薄暗い世界を走っていた。
息切れがして、時折立ち止まる。
そのたびに声をかけてくれるのは、妹だ。
「お兄様。こっち」
小さな妹が、舌足らずな声でユージーンを呼ぶ。
可愛い、僕の妹。
話しかけたいと、ずっと思っていた。
でも、息ができない。
苦しい。
苦しすぎて、声を出せない。
「お兄様」
妹が手を振って、駆け出す。
行ってしまう。
置いて行かれる。
置いていかないで、と声にならない声を上げながら、ユージーンは必死で後を追う。
夜明けを迎えて、空はうっすらと青くなり始める。
何もかもが青に染まっていく世界を、駆けた。
静かな空気が、冷たく、肺に刺さる。
痛くて、足を止め、身体を折り曲げた。
激しく息を吸い込むほど、肺は冷たくなり、重みを増す。
「お兄様!」
遠くに佇む影が呼ぶ。
青しかない世界で、ユージーンは妹に近づこうと藻掻く。
ここは、海の中だろうか?
空を泳いでいるのか?
「お兄様、見て、あそこ」
そう言って、クロエが振り返る。
地平がほんのりと、赤く陰っていた。
「もう少しよ!」
そう言って妹はまた駆け出そうとする。
追いつけない。
僕の妹は、とても足が速い。
手を伸ばして、引き留めようとする。
誰かがその手を握った。
「ユージーン!」
呼ばれて、目を開ける。
ずっと、息を切らしながら走っている夢を見ていた事に、ユージーンは気づく。
実際には走ってなどおらず、ベッドに寝ていて、息苦しさだけが本物だった。
口から鼻を覆うように透明なマスクが被せられ、壁から伸びている管がそのマスクに繋がっている。
他にも、体中から管が伸びているのを見て、ここが医療センターである事をユージーンは理解する。以前腹膜炎を起こした時に入っていた部屋に、造りがそっくりだ。
ユージーンは息苦しさに、マスクの中の冷たい空気を、肺いっぱいに何度も吸い込んだ。
「大丈夫」
と、聞き覚えのある声が言った。
「お前は、生き延びたんだ。生きようと、必死で呼吸をしていた。本当は、死にたくなんかなかったはずだ。そうだよな?」
手を握っているその男を、ユージーンは見上げる。
巨大なカエルが、そこにいた。
「誰?!」
と、ユージーンの思わず上げた声が、マスクの中で響く。
カエルのように見えたのは、両目の上部分がドス黒く膨れ上がっていたからだ。左目の下も黒く、口の端に痛々しい傷がある。目は細い割れ目のようになっていて、茶色い瞳がその間から覗いていた。
「俺だ」
と、カエルは言った。
「ルキルス……?」
ユージーンは思い出した。
確か、彼が舟に運んでくれた。だがその直後、倒れ込んできて、血の臭いがした。
あの嘘吐き男に刺されたのだと、わかった。
「顔を、刺された……?」
「いや。刺されたのは背中」
ルキルスは、言いにくそうに言った。
「顔は……お前の妹に、やられた」
「クロエに……?」
「そう。ちょっと誤解があったようで」
ルキルスは、握り締めていたユージーンの手を、そっと放した。
「俺が、お前を連れ出してこんな目に遭わせたのは事実だし、この程度の報復は仕方ないんだけれど。彼女、病院内で暴れたから、出禁になっちゃって」
「え……」
「俺と同じ病室は駄目、お兄様に触るなって、すげえ怒って。それでお前は個室に、俺は大部屋って事になった。とにかく、俺のせいで、すまん……」
突然部屋のドアが開いて、竜人族の女性が顔を覗かせた。
「やっぱりここでしたのね!」
縦長の黒い瞳が、ルキルスを睨み付ける。
青光りする鱗の上に着たクリーム色の簡素な上下服は、医療関係者の制服のようだ。短いマズルを最大限に開いて、彼女はきつい物言いをした。
「重傷の人が歩き回るなんて! トイレの場合、ベッドから出ずに、尿瓶にしてくださいと、言ったはずですよね? オムツの刑に処します!」
「え……」
同じくクリーム色の制服を着た竜人族の男性スタッフが、車椅子を押しながら入って来る。
「ベッドにくくりつけて、あそこに管を通したっていいんですよ?」
「それは……いや、ちょっと待って……俺は、ユージーンと話を……」
弱々しい抵抗を見せながら、ルキルスは車椅子に乗せられ、運ばれていった。
「気がつかれたのですね、ユージーンさん。巡回の時に、先生から説明があると思いますので、少しお待ちくださいね」
竜人族の女性は、繋がっている管の点検をした後、ニッコリと笑って、部屋を出ていく。
「出禁……?」
ルキルスの痛々しい顔を、思い出す。
どれだけ殴りつけたら、あんな風になるんだろう?
刺されたはずの身体よりも、重傷に見えた。
ユージーンは横向きになって、身体を曲げると、クスクスと笑い出す。
(僕の妹は、とても凶暴だ……)
胸が痛くて、息がしにくい上に、笑いが止まらなくなる。
ユージーンはその後呼吸困難で、再び意識を失った。
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