34_36:僕が死ぬ日の青い空(4)
地下水が地上に出て、短い川となり、カウザン川に合流する地点は、拠点の真北にある『大アナ蛇の川原』から西にしばらく遡った辺りにあった。
一帯には低木が多く茂り、せり出して川の流れを覆っている群生もあって、見通しが悪い。
カウザン川の合流地点に流れてきたのは、無人の小さな舟だった。
マシューはその舟を鉤爪で引っかけて持ち上げ、川岸の草地に落とした。
舟の底で跳ねて音を立てたのは、ユージーンのリセットブレスレットだ。
(こんな事だろうとは思っていたが)
マシューから下りて、ザイオンはブレスレットを回収した。
別れ際に見たクロエの様子を、彼は思い出す。
(ブレスレットだけ持って帰ったら、あの娘はきっと泣くんだろうな)
一見誰もいないように思える周囲を、ザイオンは暫く睨み付ける。
小舟にブレスレットを仕込んだ者が、どこかに隠れてこちらを窺っているかも知れない。
低木と草が無節操に繁茂する、中州も含めた上流から下流までの川岸を、時間をかけて調べるべきか。
いっそマシューに炎を吐かせて、周囲の草地に隠れている奴がいないか炙り出したいと思ったが、一緒にいるかも知れないユージーンを巻き込む訳にはいかない。
もしも誘拐犯が、地下水路のかなり奥まった地点で小舟にブレスレットを置いたきり、地下洞窟に引き返したのであれば、この辺りでの捜索は時間の無駄となる。
崖下の大きな割れ目から走り出ている地下水路は、流れが速く、削られた川底は深くて、簡単には遡れそうになかった。
山肌に手を掛け、地下水路の奥を覗き込んでみたが、両岸はトンネルのようになっていて、水面しか見えない。マシューが入れるほど広くもない。
このままここに留まるべきか、ザイオンはしばらく迷った。
取りあえず、川を下る手段はできるだけ奪っておくべきだろう。
「マシュー」
ザイオンは、ターゲットを指さす。
「燃やせ」
ドラゴンは黒い頭部をもたげ、尖った口を開けて盛大な炎を吹いた。
高温に晒されて、小舟はあっという間に消し炭となる。
マシューに再び乗って、ザイオンは高みから辺りをもう一度確認した。
どう考えても、草木生い茂る川岸を一人で上流から下流まで調べるのは、無理だ。
リセットブレスレットを囮にして足止めし、とっくにここを通り過ぎてギガテス大河に到達している可能性もある、とザイオンは気づく。
迷っている時間はない。
ザイオンは仕方なく、マシューに命じて引き返し始めた。
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「うわぁ、マジ来ちゃったよ!」
夢うつつのうちに、ユージーンはその声を聞いた。
「マジ賢いな、ルキ兄!」
「黙ってろ、クヲン。気づかれる」
後頭部がズキズキと痛んで、どうしてだろうと考えたユージーンは、壁に打ち付けられた事を思い出す。
地面が揺れていた。
ユージーンは、頬を下にうつ伏せの体勢で、身体が動かせない事に気づく。手も足も縛られ、口には布がまきついていた。
そっと目を開けてみると、植物の枝のようなものが視界いっぱいに見えた。
チャプン、ゴボゴボ、チャプンという水の音が、耳元で絶えず響いている。
それとは別に、大量の水が流れ続ける轟音も聞こえた。
長い沈黙の後、また声がした。
「ダミーの小舟を追って行った! 追跡魔法とか、マジであるんだな! でもあのブレスレット、高そうなのにもったいない」
「離れてるからって、油断するんじゃねぇぞ」
「ルキ兄が気がつかなかったら、俺達あの空飛ぶ黒い竜に食われてたな!」
「今からでも、食われてくるか? そんなに騒いでたら、気づかれるぞ。もっと声を落とせ」
「ゴメン、ルキ兄……」
水の流れる音で、会話は聞き取りにくかったが、確かに、空飛ぶ黒い竜という単語が聞こえた。
マシューだ、とユージーンは思った。
(乗っているのは、マクシミリアン? クロエ? それとも……)
探しに来てくれたんだ。
(僕がいなくなった事に、気づいてくれた……)
誰かが気に懸けて、わざわざ探しにきてくれたという、その事実だけでユージーンは満ち足りた。
(たとえこのまま殺される事になってもきっと僕は、幸せな気分で逝ける)
ユージーンの後頭部を、誰かの手がそっと撫でた。
「こぶになってるな……」
「そいつ、ルキ兄のオンナ?」
「は? んなわきゃねーだろ」
「だよねぇ。ルキ兄、ちっとも遊ばねぇもん。やっぱ貴族として育ったから?」
「るせぇな。俺は理想が高いんだよ。誰にでも股を開くような尻軽は、男でも女でも気に食わねぇ」
「ルキ兄のオンナじゃないなら、こいつ、みんなの自由にさせていいか? 喜ぶぜ、きっと。俺が捕まったせいで陸に上がれなくて、本物の女を抱けずに持て余してんじゃねぇかな。俺からの詫びの品って事でさぁ。オンナ役をやれる奴は少ないから、島に連れて帰ってからも、欲しがる奴いそう」
その言葉に込められた下劣さを、ユージーンは激しく嫌悪する。
(絶対に、この連中の思い通りにはならない。これまでのように、ひたすら相手に従って、許しを請い、どうにか生き延びるような、そんな生き方はもうしない。僕は、自分の意思で逃げて、生きて、死ぬんだ)
「何言ってやがる? 島に連れて帰るつもりなんてねぇよ。船の上で話を付けたら、家に帰す。お前、今回の事の重大さをわかってんのか?」
「ルキ兄こそ、何言ってやがる、だぜ。俺達今、誘拐犯になってんのよ? 共和国の連中、その辺厳しいからな。こいつ、殺すか島に連れ帰るかしないと、俺達が犯人ってばれて、死刑だよ」
「……嘘だろ?」
心底驚いたらしいルキルスの声に、ユージーンは呆れる。無理矢理連れてきて、拘束までしているのに、誘拐の自覚がなかったのか。
「あ、戻ってきた」
「しっ」
また沈黙が続く。
地面が揺れているのは、目眩でもなんでもなくて、本当に揺れているのだとユージーンは気づいた。誰かが身動きするたびに擦れる音から、頬の下にあるのは木製の板らしいとわかる。水が押し寄せる音と共に、足下の板が浮き上がるので、おそらくは舟だ。
舟が上下すると、ガサガサと葉の擦れ合う音が聞こえた。カモフラージュ用の枝葉が舟全体に被せられているらしい。
「帰っていく。諦めるまで、長かったな」
二人の男が、安堵の息を吐いた。
マシューは行ってしまったらしい。いつもならこの時間、フィールドで散歩のはずなのに。お腹を空かしているんじゃないかと、ユージーンは気になってしまう。
「クヲン、お前、下りて後ろから押せ。石に気を付けろ。傷つけるなよ」
ユージーンの身体の上から、枝葉が取り除かれる。
何枚もの葉が、ユージーンの顔のそばに落ちてきた。
舟が大きく揺らいだので、一人が下りたのだとわかる。
おそらく、舳先の半分が水の上で、後ろ半分は陸にあげて、舟が漂い出ないようにしていたのだろう。それを押し出して、川に漕ぎ出すつもりなのだ。
「はいはい、最新鋭の動力付船舶だもんね。高かった?」
「本体より、動力用魔導具が高かった。それよりも、動力源の赤い石がとんでもなく高かった。だが、将来的な事を考えれば、安い投資だ」
ザリザリと擦れる音がして、舟が動く。船底が完全に水に浮かんだらしく、ゆらゆらとユージーンの世界全体が揺れ始める。
「お前が嵌められなきゃ、こんな密輸みたいな真似はせずに堂々と何台も輸入できたのにな。拠点内に進入するために地下水路を遡る時、赤い石の一つをほぼ使い切った。大損だよ」
「俺が悪いんじゃないもん。ルキ兄のオンナが、これは僕の! って言い張って、保安官達もそっちを信じちゃってさぁ」
これほどまでに、自然体で嘘を吐く人間がいるのかと、ユージーンは驚いた。嘘を吐き過ぎて、自分の嘘を真実だと信じ始めているのかも知れない。
舟が、ぐいっと傾いだ。舟を押すために下りた嘘吐きの男が、もう一度乗ってきたようだ。
「俺のオンナじゃねぇ」
溜め息が聞こえた。
「なんでそんな事をしたのかこいつに聞いて、訴えを取り下げてもらいたかっただけなのに、お前が気絶させるから。誘拐して連れて帰る羽目になるなんて、思ってもみなかった」
「えーっ仕方ないじゃん。こいつが逃げようとするのが悪い」
「ブランドロゴの入ったバッグを運ぶ保安官の後を付けて、家を突き止めるところまでは賢かったのにな。詰めが甘いっていうか。……まあ、やっちまった事は仕方がない。さっさと乗れ。親父さんが沖合でずっと待ってる」
推進力が働いて舟が水面を滑り出した後、絶え間なく揺さぶられて、ユージーンは気持ちの悪さを感じ始める。
それが船酔いだとは気づかないまま、しばらくその感覚と戦ったユージーンは、敗北を認め、再びあっさりと意識を手放した。
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