34_22:冬が来る前に(3)
「どろぼうだって言ってるだろう、ガーディアン!」
赤い鶏冠男が、獣人に怒鳴った。入れ墨だらけの腕を振り回すので、鶏冠のように逆立った赤い髪がぐらぐらと派手に揺れる。
「何やってんだよ! 捕まえろよ!」
「僕のせいで……みんな、捕まる」
立ち上がる事もできないまま、俯いているユージーンの瞳が、絶望に染まっていく。
「……捕まってしまう」
「捕まるのはあの男よ、お兄様」
クロエは、ユージーンを安心させるために、知ったかぶりをした。
「この国では、証拠もないのに捕まえたりしないもの」
詳しくはないが少なくとも、公爵令嬢を冤罪で断罪して国外追放、が罷り通ってしまう王国なんかより、共和国の法整備は進んでいるはず。
ユージーンはかすかに頷いたが、恐怖で身が竦んでいる様子だ。
クロエは成り行きを見守っている野次馬達の中に、浅葱色の上下服を着たエルフが数人いる事に気づく。ルファンジアの仲間だ。人々が男の言葉を鵜呑みにしてクロエ達へ向かって来ないのは、彼らのおかげなのかも知れない。
「どろぼうは、お前!」
黒狼型獣人に前進を阻まれながら、マクシミリアンが言い返している。
「ユージーンのバッグ、返せよ!」
「俺はどろぼうじゃねぇ! どろぼうはそっち! これは俺が買った、俺の荷物なの!」
じりじりと後ろへ下がりながら、赤い鶏冠頭の男が怒鳴った。
「そもそもなんで裸なんだ! まともじゃねぇって! 誰か、早くそいつらを取り押さえろよ!?」
マクシミリアンとの言い合いを続けながら、赤い鶏冠頭の男は少しずつ距離を取って、野次馬達の輪の中に入ろうとしている。
ガーディアンや野次馬達が欺され、正義感に突き動かされて『どろぼう』を捕まえようとしている間に男は、バッグを持って逃げるつもりなのだと、クロエは気づいた。
けれど彼は、逃げ延びる事はできないだろう。
後ろに待機しているエルフ達が、殺気を含んだ目付きで男の背中を睨んでいる。
(これはあれだ、ザイオン様家族を虐める悪い人、みたいな……)
マクシミリアンと、彼を押し止めている黒狼型獣人の横を、すっとザイオンが通り過ぎていったので、クロエは驚いて見送った。
ザイオンは、魔王風ロングコートを着たままだ。映画ならどこからともなく風が吹いて、コートの裾が翻っているところだが、そういう事は全くない。
「確かにお前は、泥棒じゃないな」
ザイオンが男に近づきながら、言う。怒りのせいか、声がくぐもって聞こえた。
「人を蹴り飛ばして奪ったんだから、泥棒じゃなくて、強盗だ」
「はあ? だからこれは、俺の……」
ザイオンに目をやった赤い鶏冠頭の男は、ひゅっと息を飲み、怯えた表情を浮かべた。
魔王風ロングコートを纏った姿で怒っているザイオンが、彼の目にはよほど恐ろしく映ったらしい。
その隙を突いて、ザイオンは男の顔に見事なハイキックを決めた。
予想外の出来事に、見ていた全員が一瞬呆気に取られる。
鼻血を吹いてのけぞる男を眺めながら、クロエは無意識に心の中で『ひでぶっ』とアテレコしていた。
そう言えばザイオンは王国時代『マクシミリアン第一王子の側近』を勤めていたから、側近が護衛も兼任するのだとしたら、一応武術の心得はあるのか、とクロエは思い当たる。
「うわぁ」
黒狼型獣人のガーディアンが、呻くような声を上げた。
「……格好いい」
そう呟く声が聞こえた。
クロエが振り返ると、ユージーンがキラキラした目で、ザイオンを見ていた。
「お兄様……?」
「僕も、あんな風になりたい」
ザイオンは、気絶した男が起き上がって来ないか、ブーツの先でつついている。
(あのザイオンが、格好いい……?)
そんなはずがない、とクロエは思う。
(コートの背中には、値札が付いたままだし?)
でも、少年のような憧憬の表情を浮かべているユージーンに、クロエは何も言う事ができなかった。
「手は出しちゃいけなくて、足なら出しても良かったんだ?!」
クロエ達の傍らで、マクシミリアンが言った。
「ちがーうぅ! 『手』の意味がちがーうぅ!」
と、黒狼型獣人が突っ込んでいた。
「手そのものじゃなくて、手出しって事だよ、だから『足』も駄目なんだよぅどうすんだこれ」
応援のガーディアン達がようやく到着して、野次馬達を遠ざけ始めていた。
その後、ガーディアン達によって強盗は連行された。
対応に当たった黒狼型獣人の説明によると、置き引きされた被害者自身が、なぜか犯人扱いされて取り押さえられている間に本物の犯人が逃げる、という事件が首都を中心に多発していたようだ。
この拠点でも三件起きており、ガーディアン達が警戒パトロールをしていたところだったらしい。
「頻度や地域的なばらつきから考えて、犯人は一人ではなく、広域の犯罪組織である可能性がありますからね、報復については充分に気を付けてください」
黒狼型獣人のガーディアンが、心配そうに念を押した。
「一人にはならない、人気の無い場所にはいかない、家の戸締まりは厳重に、何か異変があったら必ず、ガーディアン事務所まで連絡をお願いします。……もしも、組織の構成員だと思われる輩と遭遇した場合はとにかく逃げて、制圧は我々に任せてください。そうすれば、ヘイトがこちらに向くかと思いますので」
それは、犯人を蹴り倒したザイオンだけではなく、クロエを含む全員に対しての警告のようだった。報復が無いと確信できるまで、ユージーンとの外出は延期ね、とクロエは思う。
ユージーンのバッグは一旦証拠品として押収されたが、記録を取った後、家に届けてもらえる事になった。
「あのコート、どうして買わなかったの?」
帰り道、西向きの緩やかな坂を上りながら、クロエはザイオンを振り返って尋ねる。
「俺には似合い過ぎていたからな」
と、ザイオンは嘯いた。
うわぁ(ウゼぇ)、と声を出しそうになるクロエだったが、ザイオンの隣でユージーンが静かに頷いていたため、辛うじて自制した。
坂を上っている途中なので話す余裕は無いようだが、ザイオンに向けられるユージーンの視線には憧れが透けて見えた。あんな目に遭った後なのに恐怖心を引き摺らずに済んでいるのはきっと、その気持ちがユージーンを支えているからだろう。
(ザイオンみたいになりたいって。身体を鍛えて、武術でも習うつもりかな……?)
まだ食事にも気を付けないといけない段階なのに、無理をしないだろうか、とクロエは心配になる。
「確かに!」
マクシミリアンは、クロエと絡めている左手にほんの少し力をこめた。魔王風コートを着ていたザイオンの、怒った姿を思い出したのだろう。
「あのコートは、着ない方がいいと思うな、僕」
マクシミリアンは、店員が探し出してくれた元々の白シャツを着ている。
なぜか、選ばなかったオーバーオールの横に、商品として展示されていたらしい。
「クロエはね、毎日スカートを着ればいいと思うよ。とっても可愛いから」
「ありがとう」
クロエは笑みを浮かべる。
目論見通り、マクシミリアンはお洒落する事の意義に目覚めたようだ。
「毎日は無理だけれど、マックスと出かける時には着るようにするね」
「じゃあ僕は、今日買った服を着ていく」
クロエは、買った服の入った服飾店ロゴ入りバッグを右手に持って、嬉しそうにしているマクシミリアンを眺める。試着室でオーバーオールを着た彼は、大きな子どもみたいでとても可愛かった。
(普通の子ども時代を過ごせなかった彼が、ここでもう一度、子ども時代を取り戻す事ができればいいのに……)
幼いマクシミリアンが、オーバーオールを着て無邪気に笑いながら遊ぶ姿を、クロエは思い浮かべていた。
後ろの二人が遅れた事に気づいて、クロエは足を止める。手を繋いでいるマクシミリアンも止まる。
遅れたのはユージーンで、坂道の途中で息が切れたらしい。のろのろと歩くユージーンに、ザイオンは急かす様子もなく、歩調を合わせている。
程なく追い付いてきたユージーンは、満足そうな笑みを浮かべて呟いた。
「上れた」
帰るために上らなくてはならない坂は、そこまでだった。
あとは、北方向に延びるほぼ真っ直ぐな道を辿るだけだ。
「ここを右だった?」
「そうよ」
クロエは頷いた。
家族で外出という生まれて初めてのイベントの終わりに、揃って家に帰る。
兄のユージーンと、マクシミリアンと、その兄のザイオン──クロエは、彼らを眺めながら、なぜか感傷的な気持ちになる。
何気ない日常の、この一瞬の光景は、いつまでも覚えているだろうと思った。
クロエ達は角を曲がり、北へ──魔王城の方向へと、ゆっくり歩き始めた。
34.23:冬が来る前に(ユージーン視点)
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