34_18:家族
※作品要素に「残酷な描写あり」を追加しました。
※番外編置き場【34.10:木製テーブル】で、テーブルを買い戻したため、この回ではテーブルが出てきます。
※具体的な描写はできるだけ避けていますが、冒頭のユージーン過去話に、下記要素が含まれます。
・男×男
・虐待
・強制わいせつ
苦手な方はリターンするか、冒頭38行ほどを飛ばしてください。
免疫のある方のみ進んでください。
※34_XXの数字は、34話と35話の間を埋める話となります。
※クロエ以外の視点で34_12までのお話は、番外編集にあります。ダーク寄りなのでご注意ください。
※この章では、主人公クロエ以外の視点が混じり始めます。
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痛い。
苦しい。
その二つの言葉を、心の中で無限に繰り返す。
悲鳴を抑えるため、ユージーンは寝具に顔を埋めた。
男の声が、嘲笑うように降ってくる。
『お前のような者を、枕噛みと呼ぶらしいな』
痛みの元を作っているお前が、それを言うのか。
一瞬浮かんだ怒りが、行き場を失って潜行する。
諦め、屈辱に耐え、揺さぶられながら、ユージーンはシーツにしがみ付いて、記憶の中に救いを求めた。
差し出した腕に収まり、ニコニコと笑いかけてくれる小さな女の子。
真っ白い肌に、黒髪が映えていた。
頬ずりすると、無邪気な笑い声が上がった。
面白がっている黒い瞳が、ユージーンを見上げる。
兄様、と、まだ喋るはずがないのに、呼ばれた気がした。
すぐに乳母に取り上げられたけれど、その一瞬だけが、今でも彼の全てだった。
(僕の、可愛い妹)
夜になると、男がユージーンの心を殺しにくる。
助けを求める事はできない。
逃げ出す事はできない。
逃げ出したら、男の捻れた色情は妹に向かうだろう。
『何をしているの?!』
詰る言葉が聞こえる。
『貴方達……親子で! 犬畜生と同じね! なんて穢らわしい!』
金切り声で、罵り続ける。
お前が役目を果たさないからだと、男は彼女を嗤う。年を取って、ぶくぶくと太って、美しさを失ったと、あげつらう。
(あれから、母様を見ない。母様は、僕を助けない。でもそれでいい。僕は守る。僕は妹を守る。僕は、大丈夫。まだ大丈夫。僕は……)
「おい、しっかりしろ」
冷たい手が、ユージーンの額に当てられる。
「少し、熱があるな?」
目を開けると、薄暗い中に金色の瞳が見えた。
「大丈夫……僕は、大丈夫」
止めども無く流れる涙を、誰かが拭う。
見知らぬ部屋の中だ。
違う。
昨日、妹と一緒に来た部屋だ。
「ここには、お前が嫌がるような事をする者はいない」
宥めるように、優しい声が言った。
「ここは王国じゃない。俺の家だ。わかるか? この家に住んでいる者は、俺が守る。お前も、お前の妹もだ。誰にもお前達には手を出させない。安心して、ゆっくり休んでろ」
ユージーンは頷く。
呪文のような、心地良い言葉が聞こえ、彼は静かな眠りに落ちていく。
⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈
「腸内で発酵するもの、油の多いもの、植物繊維の多いものは控えましょう」
クロエは、医療センターからもらってきた書類を見ながら、材料を確かめる。
「野菜は柔らかく煮ること、硬い豆、生野菜、キノコ、アルコールは控える。おすすめのレシピは以下の通り。……とにかく細かく刻めばいいのね」
慣れない手つきでクロエはタマネギを刻む。
前世では、料理をした記憶が殆どない。
(スーパーのお惣菜、という便利なものがあったからね!)
この世界では貴族の令嬢として育ち、モラハラモラ男の圧制下ではあったものの、食事は使用人が作ったものを食べていた。
つまりクロエには、前世、今世を通じて料理経験はないに等しい。
それでも、昨日退院して一緒に住み始めたばかりのユージーンのために、愛情の籠もった特別食を作るというミッションを、クロエはやり遂げたかった。
前世の義務教育で受けた家庭科授業の記憶を頼りに、彼女は医療センターから渡されたレシピ通りの作業をこなそうとする。
生まれ変わってからも役に立つ日本の義務教育、凄い!
しかし! タイムリミット!
途中でキッチンナイフを置いて、クロエは台所から脱出する。
タマネギの発するガスが、キッチンに充満していた。
「眼がぁ! 眼があ!」
顔を覆って呻く。
こんな時にも作動するオタク魂。
深呼吸を繰り返してから、キッチンに戻る。
息を止め、ナイフでタマネギを刻む。
だが、生憎なことに、人間は息をしないと活動を続ける事ができない!
キッチンを脱出。
しばらく休憩して、また戻る。
その繰り返しである。
対面キッチンは区切られてはいるものの、ダイニングに内包された形だ。ダイニングにタマネギの匂いが立ちこめ、次第に、休憩しても目の痛みが取れなくなってくる。
「頑張るのよ、クロエ。お兄様のために」
日が昇る前に起きたにも関わらず、外が明るくなってきた。このペースでは、いつまでたってもタマネギのみじん切りが終わらない。
タマネギのみじん切りに大事なのは、スピード感だ!
眼がタマネギガスによって浸潤される前に、全てを終わらせる!
クロエはキッチンに戻って、ナイフを高速で動かした。
血が飛び散った。
「くっ……ここまでか……っ」
一ミリほど先の削れた指を庇いながら、クロエはキッチンから逃げ出す。
「何やってんだ、さっきから」
起きてきたザイオンが、クロエの手から血の滲んだレシピを奪ってキッチンへ向かう。
「馬鹿じゃねぇの?」
(また馬鹿って言った)
あっという間に、レシピ通りの柔らか野菜スープができあがる過程を見ながら、クロエは涙を流し続ける。
(馬鹿って言う方が馬鹿なんだから! ほんっとムカつく男!)
クロエは今回その罵倒を、心の中にとどめた。
「怪我したの? 泣いてるの、クロエ? 大丈夫?」
起きてきたマクシミリアンが、クロエの手を見て驚く。
「大丈夫」
クロエは、リセットブレスレットを操作して、手の怪我をなかった事にする。
短い間に得た、料理に関する経験値はそれで失われたが、微々たるものだ。
「敗因はタマネギだわ! タマネギを使わなければいいのよ。昼は別のレシピに挑戦する!」
「僕も手伝う?」
マクシミリアンがバックハグをして、耳元で尋ねる。
「いいの、これは私の戦いだから」
「面倒臭いからお前は、二度と料理はするな」
ザイオンは木製テーブルの上に、出来上がった病人食を置く。
「そこら中にタマネギの皮や破片を落としやがって。あれはなぁ、ツヤツヤした黒くて素早い奴の餌になりやすいんだぞ」
「ここにもいるの? 対生物の魔法障壁があるのに?」
クロエは、足下や壁に視線を走らせながら言った。
「結構賢い奴だから、人の出入りする瞬間を狙って突っ込んでくるんだ。買った物の梱包や搬入した家具に卵が取り付いている事もある。見つけ次第焼き払っているが、絶対にいないとは言えない」
「ねえ、ツヤツヤした黒くて素早い奴って何?」
マクシミリアンが不思議そうに尋ねる。
「あれだよ」
ザイオンが、一瞬顔を引き攣らせる。
「……ここに入居した最初の日に、お前が素足で踏み潰した奴」
「ひいぃぃ」
想像してしまったクロエの心に、ダメージが入る。
「あれかぁ」
マクシミリアンがニコニコしながら話し始めた。
「そんなに素早くは無かったと思うな。王国の奴とは違って、ここのはすっごく大きいんだ。気候が暖かいからだって。寝ている間に顔に載っかってきたらどうするんだ、逃がすなってザイオンが言うから、足で」
「いいからお前達は、ユージーンの様子を見てこい。医療センターとは部屋の造りも違うから、わからない事が多いはずだ。まだ寝てたら、無理矢理には起こすなよ」
皆の分の朝食を作り始めたザイオンが、対面キッチンの中からナイフで二階の方向を示した。
「ユージーンの様子を見てくる、了解」
マクシミリアンが復唱して、階段を上がり始める。
その後を追い、クロエも二階へ向かう。
ツヤツヤしてて黒いアレがマクシミリアンに踏み潰される状況には悲鳴を禁じ得ないが、それを超綺麗好きなザイオンがどうやって片付けたのかを想像して、クロエはにやついていた。
ユージーンは自分で着替えを終え、部屋に新しく取り付けられたばかりの蛇口を見つめていた。
住人が増えて、一階ユーティリティが混雑するようになったので、最近各部屋に給水の配管が通された。同時に汚水管も通し、今や全ての部屋に、洗面台、シャワー、トイレがある。
魔王城での生活は、クロエの前世世界に迫るクオリティとなった。浄化や汚水処理に魔術が使われているので、前世以上かも知れない。
「……これの、使い方が、わからなくて」
ユージーンはクロエ達の顔を見ると、消え入りそうな声でそう言った。
「これはねぇ、こうするんだよ」
マクシミリアンが少し得意そうに、蛇口を叩く。
「止める時は、もう一回叩いてね」
水が出る様子を、ユージーンは感心した様子で眺めていた。
「すごい、ですね、殿下」
新しいタオルを収納棚から取り出しながら、クロエが言う。
「お兄様。この国では、同じ家に住む家族の間で敬語は要らないのよ」
「僕、王子は辞めたから。マックスでいいよ」
「……うん。ありがとう」
顔を洗った後、ユージーンは渡されたタオルにしばらく顔を埋めていた。
「ザイオンが、お兄様の食事を作ってくれたの。食べに行こう?」
「ザイオンのご飯はねぇ、美味しいんだよ」
「うん」
顔を上げて、タオルを置いたユージーンの目元が、少し潤んでいた。
ユージーンと腕を組んで歩き出したクロエのすぐ後ろに、マクシミリアンが続く。
ダイニングに下りるとエルフ族のルファンジアもいて、各席に飲み物を配っていた。
「コーヒーには皆そろそろ飽きた頃だと思って、今日はリンゴジュースにした」
クロエの視線に気づいて、ザイオンは言い訳のように言う。
コーヒーのような刺激物は、病み上がりのユージーンには良くないと配慮してリンゴジュースを買ってきたが、ユージーンだけに親切だと思われるのが嫌で全員分をリンゴジュースにしたのだろうかいやいやそんな訳がないザイオンがそんな親切な男である訳が、というような思考がクロエを通り過ぎていった。
ユージーンが一生懸命ザイオンに礼を言って、敬語は要らないと返されている。
ザイオンのきつい物言いに凹んではいないだろうかと、クロエは兄を見るが、ユージーンははにかんだ笑みを浮かべただけだった。
「それでね、寝ている間に顔に載っかってきたらどうするんだ、逃がすなってザイオンが言うから、思わず足で踏んだんだ。だって、引っ越したばっかりで何もなくて」
食べながらさっきの続きらしい話を突然始めるマクシミリアンに、テーブルを挟んだ彼の対面から、ザイオンの強めの声が飛ぶ。
「今はその話はやめろ」
マクシミリアンの隣でビクリと肩を揺らしたユージーンの姿が目に入ったのか、ザイオンはいつもより穏やかな話し方に変える。
「食べている時に、相応しい話じゃないだろう?」
「相応しい話ってどんなの?」
「お前が今していた話以外」
「……じゃあその後に登場した、足がたくさんある」
「違う、もっと爽やかで、今日一日頑張ろうっていう気になる話だ」
「……?」
眉間に皺を寄せて考え込んでいるマクシミリアンと、クロエに挟まれた席で、ユージーンは一口食べるごとに美味しいと呟いて、涙ぐんでいる。野菜スープの器には魔法陣が幾つか刻まれていて、作られてしばらく経つのにまだ湯気が立ち、保温は完璧のようだ。
「今日一日。……僕は、朝ご飯を食べた後、マシュの散歩に行って、昼ご飯を食べた後は狩りに行こうかな」
マクシミリアンは考えたあげく、理想的な話題に辿り着いた。
「私も、料理は諦めるから、午後は一緒に行っていい?」
午前中は兄の様子を見て、午後は、二人分の家賃には足りないかも知れないが、せめて二人分の食費分ぐらいは稼ぎたいと、クロエは思う。
「うん、一緒に行っていい」
マクシミリアンは嬉しそうに言った。彼は時々言葉の使い方がおかしいけれど、そこもクロエにとっては可愛いポイントだ。今はユージーンが間にいるので、撫でたりはできないが、午後二人っきりになった時に思いっきり愛でよう……。
「……うっま、何コレ?」
口にしたリンゴジュースが濃くて甘いリンゴそのものの味だったので、クロエは思わずコップを覗き込んだ。
「リンゴジュースだってさっき言ったはずだが?」
そう返してくるザイオンは、相変わらず不機嫌口調だ。
「私が仕入れてきた生のリンゴを、ザイオン様が手ずから摺り下ろして搾ったものです」
と、元八百屋のルファンジアが、クロエの真ん前の席からやや自慢げに補足説明する。
「お兄様のために、手作り?!」
純粋に感謝して、クロエは思わず礼の言葉を口にしようとした。
「いや違うからな? たまたま季節的にリンゴが安くなっていただけだから。特に意味は無い」
とザイオンは言う。
確かに秋は、リンゴの季節だ。
だが、ザイオンの声には微かに照れ臭さが感じられた。
(こっそり捨て猫に餌をやる不良少年かよっ)
クロエが心の中で突っ込む隣で、ユージーンがリンゴジュースを飲み、
「うん……美味しい」
と言って、涙を流していた。
その日から、ザイオンは家で家事と魔道具作りに従事、ユージーンは体調の良い日はザイオンを手伝い、クロエとマクシミリアンは狩猟に出て稼ぐ、というパターン化した日常が続いている。
少しずつ、ユージーンの微笑む回数と会話が増えていく様子を、クロエは見守った。
ユージーンは初め、悪夢にうなされる事も多かったが、季節が秋から冬へと移る頃には、そう頻繁ではなくなっていった。
兄の為にも、今あるこのスローライフをできるだけ長く続けたいと、クロエは思うのだった。
※「枕噛み」はpillow-biterからの造語です。
⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈




