34_17:兄妹
最終話ではユージーンがいきなり同居していたので、その経過説明の話となります。
※34_XXの数字は、34話と35話の間を埋める話となります。
※クロエ以外の視点で34_12までのお話は、番外編集にあります。ダーク寄りなのでご注意ください。
※この章より、主人公クロエ以外の視点が混じり始めます。
カプリシオハンターズ共和国の初心者向け拠点として位置づけられているカウザン第一拠点は、ギガテス大河に流れ込むカウザン川沿いにある。
比較的内陸にある拠点としては一番古く、元々は天然の地下洞窟がエルフ達の住居だった。
「大昔、この大陸にはエルフしかいなかったんだって。そこに、東の地から私達のような人族がやってきて、棲み着いたらしいの」
ハブ広場の外周を、ゆっくりと歩きながらクロエは話す。
彼女が腕を絡めている相手は、黒髪に黒い瞳の、クロエの兄だ。
病人食ではあるが、食事を完食できるようになってからユージーンの外見は、ますますクロエに似てきた。
「モスタ王国では、僕達のような人は原初から大陸に住んでいた事になっているけれど、この大陸に渡った人達とルーツは同じかも知れないな」
と言って、ユージーンは立ち止まった。
長い台詞を喋ったので、少し息切れした様子だ。歩きながら話すという行為は、案外酸素を消費するものらしい。
ユージーンの闘病中に夏は過ぎたが、亜熱帯に近い気候の共和国の秋は、まだ残暑が厳しい。太陽が正中する前から気温が上がり始め、ユージーンはうっすらと汗をかいていた。
「言葉が似通っているものね」
クロエは、この大陸に住む人族に、前世で見た事のある、ありとあらゆる人種が含まれている事を知っている。更には前世では有り得ない髪、瞳、肌の色をしている人々もいる。その人々全てが日本語を話している、という現象は、この世界が日本で作られた物語か何かをベースにしている証拠だと思っている。
それは、人族のルーツが同じと言い換える事もできるだろう。
「古代エルフ語っていうものがあるんだって?」
ユージーンは再び歩き出しながら、尋ねる。
「僕がそれを覚えたら、魔法が使える?」
「それはねぇ」
クロエは、悪戯っぽく笑う。
「だれでも考えつく事なのよ、お兄様」
「……だよね」
ユージーンの表情が悲しげになる。
「エルフ族の声、言語、エルフ族の手で書かれた術式、魔法陣である事が、魔法を使うトリガーになるんだって。それはこの世界に刻まれた原初の法則で、誰も干渉する事ができないらしいの」
クロエの言葉は、同居しているエルフであるルファンジアの受け売りだった。
まるで物理法則のようだ、とクロエは思う。
光速や素電荷、素粒子のそれぞれの質量、宇宙定数、万有引力の公式、アインシュタインの方程式などには、どうしてその値なのか、どうしてその式なのかという理由はなく、観測や計算で判明した『事実』だ。住んでいる世界に刻み込まれているものとして、そのまま受け入れなくてはならない。
この世界の魔法に関する法則も、同じと考えていい。
おそらく、この世界を創造した何者かの『設定』なのだ。
「残念だ」
そう言って、ユージーンは視線を足下に落とした。
クロエには、兄の気持ちがなんとなくわかった。
彼のこの健康状態では、退院した後にできる仕事は限られる。狩猟などの力仕事は無理だ。どこに住んで、どんな仕事をするか、できるだけ妹の負担にならないようにするにはどうしたら良いのか。
魔法が使えたら、魔法関連の仕事をする事で、そうした問題を解決できると、ユージーンは考えたのだろう。
(お兄様一人ぐらい、私が養えるわよ、……と言えたらどんなにいいか)
クロエは、魔王城を出て家を借り、兄と二人で住む事を考えた。そのための諸経費を調べてみると、手持ちの金では全く足りない。
共和国は福利厚生が手厚いので、首都にある無収入者用の施設に入る方法もあった。だが、それでは気軽に会いに行けない。
せっかく、普通の兄妹のように会話できるまでになったのに、また疎遠にはなりたくなかった。
結局、今住んでいるあの魔王城に、ザイオンに頼んで兄も住まわせてもらうしかないのだが、クロエは躊躇していた。
(あの男に頭を下げるなんて……)
マックスに頼めばいいのかも知れないが、実質あの家を回しているのは、ザイオンだ。
口元を歪めて、これ以上食べる口を増やすつもりなのか、などと言ってくるに決まってる。誰が毎食作ってると思ってるんだ、とか。
(手伝おうとすると、拒否するくせに)
綺麗な顔に浮かぶ意地悪な表情を思い出すと、クロエは腹の底からイラッとした。
それでも兄のために、頼み込むしかない。
今日こそは切り出そう、と朝決心しては、あの不機嫌そうな顔を見て挫ける。
頑張れクロエ、今言うんだクロエ、と自分を励ますが、明日でもいいよクロエ、と囁く自分に負けてしまう。
ハブ広場を一周できるほど健康を取り戻しつつある今、ユージーンの退院は近い。治療院の事務担当者にも、それとなく退院後の住居が決まったら知らせるようにと言われていた。
そろそろ限界が近い。
今日帰ったら、ザイオンに頭を下げよう。
そう思いながら、リハビリがてらの散歩を終えて、兄と一緒に医療センターへ帰る。
「あー、帰ってきた! クロエさん! ユージーンさん!」
医療センターのロビーにある椅子から立ち上がり、両手を振りながら、明るく声をかけてきたのは、滑らかな黒い肌と編み込んだ金髪が魅力的な背の高い美人だ。ブルーの瞳がキラキラしている。口紅はもりもりの真っ赤、ズボンは緑でシャツが黄色いので、彼女を見て真っ先に浮かぶ単語が『カラフル』だった。
「エイダさん」
兄と共に、クロエは立ち止まる。
エイダは、通りすがりの医療スタッフにジロリと睨まれて、黄色いシャツの襟に首をすくめた。
病人の多い場所で大声を出すのは禁忌だが、医療センターに勤めながら彼女は時々、うかつにも、はしゃいだり笑ったりして顰蹙をかう。
ほっそりした面立ちに、『あちゃー』とでも言いそうな表情を浮かべて、エイダは自分の口を両手で塞いでいた。
クロエの気重さが増したのは、彼女が退院後の住居を訊いてきた事務担当者だからだった。
直接その話をされたらしいユージーンも、不安げに視線を揺らしながら彼女を見ていた。
追い出される。
そんな考えが兄の頭をよぎっているのは確実だ。
クロエは、ユージーンと組んでいる腕に、心持ち力を入れた。
(大丈夫。私がなんとかするから)
そんな意味合いを込めたつもりだった。
同時に、兄が不安を感じる前に、さっさとザイオンと話を付けて受け入れ先を決めておくべきだったのに、とクロエは自分の残念さを痛感する。
エイダは、ロビーの片隅にある椅子に座って、対面に座っている男と話している途中だったらしい。
その若い男は振り返って、驚いたようにユージーンを見ていた。
ここで会うとは思っていなかったので、クロエは思わず彼の名前を呼んだ。
「ザイオン?」
その声に、ユージーンがまじまじと、彼を見返す。
そう言えば同居人の話はしていたけれど、まだ紹介はしていなかったな、とクロエは思う。マックスと違ってザイオンは一度も病院に来ていないから、紹介できなかった、と言うべきか。
「ちょっと話があるので、こちらへどうぞぉ」
エイダが、両手を回すようなコミカルな動きで、近くにある部屋の扉を示す。
ザイオンが立ち上がって、何も言わずにさっさとそちらの部屋へ移動した。
(相変わらず感じ悪い! でもどうしてザイオンが? 朝食の時には何も言っていなかったのに)
クロエは案内されるまま、その部屋に入った。部屋には長机と椅子しかなく、殺風景で、最奥に大きな窓があるきりだ。病人やその家族に、治療の方法を説明する部屋だと思われる。
長机の片側に、エイダとザイオンが並んで座った。
クロエはエイダの対面にある、背もたれ付きの椅子を引いて兄を座らせた。
ユージーンがほっとしたように、後ろにもたれる。
まだ普通の人ほどのスタミナはないので、散歩の後、立っているのがつらかったのだろう。
クロエは、ユージーンの右隣に座る。
ザイオンの対面だった。
「ユージーンさん、先日、ご相談くださったお仕事応募の件ですが」
と、エイダが、クロエの知らない話をし始めた。
思わず、え、と声を上げそうになるのを、クロエはこらえる。ザイオンが同席するのも、その話に関係がありそうだ。
ユージーンは、彼女の視線を浴びて俯いた。
「体調がまだ万全ではない上に、教育基準の異なる他国の高等学校を卒業、経験は領地経営の手伝いのみ、肉体労働をした事がない元貴族、二十二歳の男性、狩猟民の仮ライセンスは取ったものの失効寸前、という事で、正直需要があるのかどうか危ぶんでおりました」
そうエイダは続けた。
事実だけれど、もう少しオブラートに包めないものかと、クロエは思う。
ユージーンの伏せられた長い睫の下が、少し潤んでいた。
「しかしながら」
とエイダが続けたので、ユージーンはそっと顔を上げて彼女を見た。
「リハビリの時に作っていただいた紙細工が、とても丁寧で美しかったため、ダメ元で紹介しましたところ!」
彼女のテンションは、突然爆上がりした。
「魔道具制作の助手を求めていた! こちらの!」
「やめろ」
とザイオンが唸った。
やめろ、と言われてもエイダは止まらなかった。
「あらゆる聖霊の祖にしてエルフの始祖、アレシャトに繋がる! 王の血筋の方である!」
「うるっさいんだよ!」
ザイオンが立ち上がって怒鳴った。
ユージーンが微かにビクッと身体を揺らしたので、クロエはそっと、彼の背中に手を掛ける。父親に怯えながら暮らしてきたユージーンは、自分に向けられた大声でなくても反応してしまうらしい。
ちらっとその様子を見ながら、ザイオンが声のトーンを落とす。
「後は俺が話すから黙ってろ」
「……最後まで言わせてください」
エイダは涙目で懇願した。
見える。
ザイオンの体中から立ち上る、怒りオーラがクロエには見える。
この真っ黒い空気の揺らぎが、漫画みたいに大げさな身振りをするエイダには見えないらしい。
──クロエの脳内で作成された幻影だから、見える訳がないのだが。
表情を一瞥すればザイオンがいかに苛ついているかわかりそうなものなのに、このエイダという女性は、所謂『空気の読めない人』だった。
「エリクシャナ様のご令孫、ザイオン様の求める条件にピッタリ当てはまったので! 今回この場を唐突に設けさせていただきました!」
ジャジャーン、という音を伴いそうな身振りで、エイダは両手を広げた。
(なるほど、ザイオンがさっきから恐ろしく感じが悪いのは、この人のせいで怒り心頭に発す状態なのね)
と、クロエは納得した。
とにかく、そのエイダの説明のおかげで、ユージーンが彼女に働きたいと相談して、エイダがザイオンに話を持っていった、という事はわかった。
ザイオンが、このところ部屋に籠もって長時間仕事をしているらしい事もクロエは知っている。
「さっきから、ふざけてんのか?」
ザイオンは押し殺した声で言った。
「これ以上喋ったら、蹴り出すぞ。お前は黙って立ち会いだけしてろ」
エイダが大げさに二度三度頷くのを待って、ザイオンは溜め息を吐くと座り直した。
それから、声のトーンを落として、あらためてユージーンに言う。
「俺はザイオンだ。魔道具を作ってる」
(これはもしかしなくても、就職の面接……?)
クロエは、突然始まったイベントに戸惑う。
「……僕は、ユージーンです」
緊張しているのか、それともさっきの怒鳴り声のせいで怯えているのか、ユージーンの声は、少し震えていた。
頑張れお兄様!
クロエは彼の背に手を掛けたまま、心の中で声援を送る。
ザイオンは、いつも着ているポケットの多い上着から、正方形の白紙を取り出した。
「これ、半分に折ってみてくれないか」
ザイオンが、怯えている子猫を宥めるような、優しい口調でそう言って、その紙をユージーンの前に置いた。
ユージーンは、その紙を手に取って、丁寧に角を合わせて半分に折る。
それから、机の上に置いて、折った部分を指の背でなぞった。
「更に半分に折ってみて」
ザイオンの声音が一層優しくなる。
こいつ、こんな声も出せるんだ、とクロエは腹立たしい気分になる。
(マックスにも、そんな風に声をかけてあげればいいのに。ザイオンに褒められたくていつも一生懸命なのが、わからないのかしら)
ユージーンは、紙を元の四分の一の大きさに折った。端と端をきっちりと合わせ、折った部分を指の背で潰して、折り目を確定させる。ザイオンが手を伸ばしたので、ユージーンはそれを彼に渡した。
これ以上ないぐらいにきっちりと合わさった紙の端を確認し、ザイオンは満足そうな表情になる。
「俺が探しているのは、地金を均等に切り分ける作業をしてくれる奴だ。恐ろしく単純な作業だ。地金は大量にある。今後も無限に仕事が来る可能性がある。いつかは自動化する予定だが、今はその余裕がない。魔道具を利用するから、金属でも切るのは簡単だ。ただ、丁寧にやらないと真っ直ぐに切れない。今見せてくれたような丁寧さが必要だ。住み込みで、給料は相場より多めに出す。やれそうか?」
ザイオンの言葉に、クロエとユージーンの二人は、良く似た目をそっくり同じに見開いた。
「やれます」
と、ユージーンが珍しく声を張って答える。
「じゃあ、ここを出たら来てくれ」
それだけ言うとザイオンは、さっと立ち上がって、部屋を出て行った。
あまりにもあっけない退場だったので、クロエは思わずそのまま見送ってしまった。
結局ザイオンは、クロエに対しては一言も無かったが、話したい訳ではなかったのでそれはいい。
(でも、もう少しこう……ユージーンと何か話して、人となりを確認するとか、ないの?)
「あれ? 終わり? わあ、待って待って」
轟音を立てて椅子を後ろに跳ね飛ばし、エイダがザイオンを追って部屋を出る。
「良かった」
と、ユージーンが静かに涙を落とし始めた。
「……クロエとこれからも、一緒だ」
「うん」
クロエは兄の身体をそっと抱き締める。
何もしてないのに、問題が一気に片付いてしまった。
(ザイオンは、知っていたのだろうか? 私が何度もお兄様の事を切り出そうとして、切り出せなかった事を?)
知っていて、さりげなく救いの手を差し伸べた?
普段、嫌味と皮肉ばかり言うけれど実は、心優しい人間だった──?
いやそれは絶対無い無い、とクロエは心の中で強く打ち消す。
『私かんけーありませーんっていう、その感じ』
ザイオンと再会した時に、言われた台詞が蘇る。
『相変わらず他人には関心無いってか』
確かにそうなんだけれど、とクロエは思う。
(何度も思い出しては、傷つくのよね。もう少し、言い方を考えて欲しいものだわ)
窮地を救ってくれた恩人ではあるけれど、やっぱり、どうしてもザイオンを好きにはなれないクロエだった。
⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈




