26:襲撃再び
狩猟生活六日目(4)
(それよりも、天使ちゃんの事だわ)
『お前が今朝、うちの店先から連れ去ったんだろうが! 見た人がいるんだぞ!』
と、八百屋のエルフは言った。
つまり、彼女自身は見ていないという事だ。悪意を持って私の名前が使われたのか、それとも『黒髪で頬に傷のある女を見た』という程度なのかは、判断がつかない。八百屋エルフの方から、『黒髪で頬に傷のある女だったか?』と訊いた可能性だってある。
いずれにしろ、すぐにばれる嘘をついたという事は、緻密な計画に基づいて実行した犯行ではなさそうだ。たまたま、誰も天使ちゃんを見ていない瞬間に居合わせたので拉致し、後で犯人をでっち上げたと考えた方がいい。
つまり、八百屋の店先にいても、全く違和感のない人物、という事になる。
常連として通っていた犯人なら、猫科に大人気のおやつでも見せて、こっちにもっとあるよ、と抱き上げたとしても、騒がれないだろう。
(殺すために連れていったんじゃない。他国に、愛玩用として売るつもりなら、まだこの付近で生きたまま囚われて、きっと大事に扱われているはずだ。あんなに可愛いんだから)
火竜襲撃の混乱の最中に行方不明になった他の使役魔獣達とは違って、今回は具体的な手がかりがある。ヨアン保安官は必ず、嘘の証言をした人物から辿って、天使ちゃんを探し出してくれると信じたい。
清浄な空気を深く吸い込み、周囲の森の様子を眺めているうちに、気分が落ち着いてきた。
そこは自然な森に見えるが、道は草に埋もれる事無く、歩きやすいように整備されていた。低木の茂みの向こうに時々、管理に携わっている猩猩や、トカゲ型使役魔獣達の通り過ぎる気配がする。
土の地面に何層にも積もった落ち葉は、半ば腐葉土になりかけており、整備された道から外れると滑りやすい。
そろそろ戻った方がいいかな、と思ってから、現在地がわからない事に気づいた。
(マクシミリアンを置き去りにしてきちゃった……)
あの後どうなったのか、急に心配になる。
太陽の位置を確認しながら、どの方角に進もうかと考えていると、ふいに、地面を蹴る音が聞こえた。
咄嗟に身体が反応して、突進して来た刃を避けられたのは、幼い日から続けてきた鍛錬のおかげだ。
「やーるじゃん」
薄笑いを浮かべながら長い刃を構え直したのは、深緑色の革鎧を着たレナだった。
昨日気を付けるように言われたばかりなのに、存在をすっかり忘れていた。
「赤い甲羅を背負うのはやめたの? 目立つもんね?」
思わず挑発してしまう。
レナがいきなり踏み込んで、刀を突き出した。
身を引いて避け、私は走り出す。
どっちへ行くか決めている暇はなかった。
歴史漫画で得た知識だが、刃物を持った者が本気でかかってきた場合、どんなに剣術の達人でも、正面から打ち合うより逃げる方が、生存率は高いという。
私には反撃するほどの実力がないので、ひたすら走った。
レナの振り回す刃が、私の後ろで空を切る。
(追われていた彼女が、私をずっと見張っていたとは思えない。南門近くに隠れて待ち構えていたのか、それともフィールドで、知らないうちに遭遇していたか)
それなら、私がクエストを受注した帰りではない事は多分、わかっているだろう。
リセットリングをしていないと思って、攻撃してきたに違いない。
しばらく走るうちに、レナとの距離が開いたので、振り返った。
レナは立ち止まって、涙目でこちらを睨み付けていた。
「人の努力を台無しにしやがって」
そう言ったのは、多分、マクシミリアンの事だろう。
「会うたびに話しかけて、やっと会話してくれるようになったのが一年前だ。それなのに、お前のようなドブスのせいで、怒らせちゃったじゃん」
「自業自得でしょ?」
この女なら、正面から何を言われても、全く傷つかないな。
「黙れブスが!」
怒りの表情を浮かべたレナは、ほんの一瞬、誰もいない方向へ視線を投げた。
彼女が急に立ち止まって打ち明け話を始めたのは、時間稼ぎか、何かを待っているのではないか、という気がしてくる。
「この拠点は女が少ないから、男達は私と寝ようとして、気を引くのに必死だった。私の顔を見るたびに逃げて行くのは、マックスだけだ。なのに、フィールドでクンシマッチカン相手に苦戦していた私を、彼は見返り無く助けてくれたんだ。あんなに邪気のない男は、私の周りにはいない。黒髪のいけ好かない男がいなければ、今頃とっくに私のものだったのに」
いけ好かない男、という意見には同意だ。
ザイオンはこの女を、マクシミリアンから遠ざけようとしていたのだろう。
「あの子は、邪気がないというより、精神がまだ子どもなだけよ。多分、男女間での『好き』という感情がどういうものかも、まだちゃんとわかってはいない。全裸で私の前にいても、全然平気そうだったもの」
「全裸……?」
そう呟いた、レナの間抜けな顔が、面白かった。
「訂正しておくわ」
初めて会った時の会話を思い出して、私は言った。
「マックスと知り合いかどうかきいてきたでしょ? 私達、故郷で幼馴染みだったの。ザイオンに会うまで、すっかり忘れていたわ」
「へーえ」
レナの口元に、歪んだ笑みが広がる。
「今更どうでもいい。お前はこれから死んじゃうんだし」
私は、彼女との距離を慎重に見極める。この間合いなら、いきなり斬り付けられても逃げられるはずなのに、不安が拭えない。
「黒猫の子どもはどこ?」
「何の話かわっかんないなぁ」
レナは、太刀を腰の鞘に収めた。
その視線が再び、別の方角を向く。
そちらには、岩山に偽装した休憩所が見えた。
もしかしたら、初めから私をこの場所に連れてくるつもりで、追い立てたのかもしれない。
(拉致犯の誰かと待ち合わせている? 逃げるにしても、それが誰かは確認したいところだけれど)
その時、天地に響きわたるサイレンの音が聞こえ始めた。
警報だ。
何のための警報かは推測するしかないが、拠点の方角はわかった。
ここから右側、太陽の位置から考えると西の方向だ。
「何か仕掛けたのね?」
私のその問いには答えず、レナはねじれた笑みを浮かべたままだった。
今の時間太陽は、天頂からかなり西の方向へ移動している。
私は頭の中で位置関係を確認して、太陽のある方向へ西よりに逃げれば、リムの南門にたどり着けるはずだと結論づけた。
目の前のレナをやり過ごすために、大回りしなくてはならないが。
走り出すタイミングを見計らっている時、ふいに、東の方向から、木の揺れるガサガサという音が、猛スピードで近づいてきた。
目の前に現れたのは、小学生ぐらいの大きさの、猿に似た動物だ。
猩猩だった。
犬のような口を大きく開けて、激しい呼吸を繰り返している。眼球が飛び出てしまいそうなほどに目を見開き、恐怖に震えが止まらない様子だ。薄汚れてもつれた茶色い体毛には、泥や葉っぱや枝や、トゲのある木の実がたくさんついていた。
「おっそい!」
レナが怒鳴ってから、私に指を突きつけた。
「あの女にぴったりくっついて、逃さないようにしなさい!」
レナは身を翻し、走り去る。
「せいぜい足掻きな!」
きゃはは、という癇にさわる笑い声が後に残った。
猩猩は、大きな灰色の卵を抱えている。
首に巻き付いているのは、見覚えのある、赤い石に螺旋状の輪がついたものだ。
東の空高くに、急速に近づいてくる鳥のような影が見えた。
「あの紅ガニクソ女!」
私は、怒りの余り歯を剥いて、罵倒した。
あれが隷属の首輪だとすれば、レナは、無理矢理に従わせた猩猩に命じ、上位モンスターの生息地から卵を盗って来させたのだ。
私は猩猩に近づいて、卵を奪おうとしたが、手放そうとはしない。
小さいモンスターの群れや、使役魔獣達が次々と茂みから走り出て、西へ、南へと逃げ始めた。強いモンスターの接近を感じて、本能的に避難を始めているようだ。
このままではまずい。
「そのうち必ず、拠点の誰かが助けにくるわ。私達がここにいる事は知らなくても、上位モンスターの接近をこのままにしているはずがない」
猩猩の震えている身体に、そっと手を置く。
「それまではとにかく、頑張って走ろう」
猩猩は私の言葉を理解できなかったのか、反応を返さなかった。
私は、次第に大きく見えてくる、三匹の空飛ぶ巨竜を見ながら、ポーチから黄色いポーションを出す。
前回は、夜、遠目に見ただけなので、それが火竜なのかどうか、判断がつかない。
まだ少し距離があるが、先頭を飛ぶ一匹の全身を覆う鱗が、光沢のある緑と深緑の斑であることが見て取れる。棘の多い頭部は、前部に鼻の穴が二つあり、後方にある目は小さい。
前肢は大きな翼と一体化し、後肢はティラノサウルスのように太く、鉤爪がついていた。
彼らを引き連れたままでは、拠点方向には逃げられない。
「行くわよ」
充分に引きつけてから、私はポーションを一気飲みし、太陽に背を向けて走り出した。




