(4)ファストトラベル
コルディナの里でザイオンの休憩用に用意された部屋は、本来は農作業員が使う宿舎の一室だ。
アメリアが覗いてみると、床に人が一人立てる大きさの魔法陣が光っていた。
陣を巡り続ける赤い光は、魔力を含んでいて作動可能であることを意味しているらしい。
これが何か、アメリアには予想がついた。
おそらく昨日畑からの帰りにザイオンが言っていた、ファストトラベル用の魔法陣だ。
魔法陣の隣に、もう一つ魔法陣が刻まれていた。
そちらは光ってはいない。
刻まれている古代エルフ語はアメリアには読めないが、ファストトラベルの標的にするために、この里の名前が書いてあるに違いない。
(これ、原状復帰できるのかしら?)
借りた部屋なのに、もし戻せなかったら家主のヴァンに申し訳ない。
(ザイオンのことだから、そんな細かいところも抜かりなく考えていると信じたいけれど……)
「いた?」
クロエが、引き戸から顔を覗かせた。
「二人ともいないわ」
アメリアは、首を横に振った。
二人とは、ザイオンとマクシミリアンのことだ。
朝食の時には確かにいたのに、アメリアが集落の様子を見に行ってから帰ってくると、どこにもいなかった。
彼女は魔法陣を指さした。
「ファストトラベルのゲートを作って、転移しちゃったみたい」
「そんな……」
クロエは悔しそうな表情になる。
「そんな面白そうなことを、二人で先に試すなんて! 羨まし過ぎる!」
「黙って行ったということは、何かやらかしてるのよ」
アメリアは溜め息をついた。
「ちょっと見てくるわ。クロエはユージーンについていてあげて」
ユージーンは昨日の夜から熱を出して、寝込んでいた。
従軍医師に診てもらったところ、ただの過労だというが、一人にしない方がいい。
クロエが頷くのを確認してから、アメリアは赤く光る魔法陣の上に立った。
一瞬後には、彼女はザイオン邸の食堂にいた。
足元の床にはエルフ語の刻まれた魔法陣がある。
昨日ザイオンは『俺の家』と言ったが、それだと範囲が大きすぎたのだろう。
一度転移した後でそのことに気づいて、『俺の家の魔法陣その1』などと出現位置を定めたに違いなかった。
食堂内には、ザイオンの不機嫌な声が響いていた。
「見ろよ、これ」
ザイオンは、緑色の短い髪を乱暴に掴んで、無理矢理その人物の頭を下げさせていた。
「食べこぼしが散乱しているだろう。ここは公共の食堂でも民間の飲食店でもない。俺の家だ。わかるか? 俺が一生懸命稼いで買った家で、このテーブルも特注品だ。なのになんだよ、このザマは? 他人の家でお前やそのお友達は、こんなことをして平気なのか。有り得ないな」
「申し訳ありません……」
這いつくばって、小声で謝ったのは傍系のセレディオスだ。
アメリアが二人の後ろから覗いてみると、石タイルを敷き詰めた床の上に、リンゴの皮らしきものや豆の皮、食べかすが落ちているのが見えた。
(そりゃ怒るわよね……)
家族との居場所を大切にしていたザイオンにしてみれば、こんな風に汚すなんて許しがたい行為だ。
それにしても言い方がくどいわ、とアメリアは思った。
無口で、氷のように冷たい態度で、ヒロイン以外とは殆ど会話をしない『主人公』ザイオンのキャラクターからはほど遠い。
アメリアに気づいて、ザイオンはチラリと彼女の方を見た。
だが何も言わずにセレディオスへ向き直ると、小言を再開した。
「テーブルの上も見てみろ。パン屑が落ちたままだし、液体の染みがこびり付いているだろう。どうしてだ? お前は零したジュースを拭かない運動でも推奨しているのか? 繰り返すが、ここは俺の家でこれは俺が特注した俺のテーブルだ。勝手に上がり込んだ奴がこんなことをして許されると思っているのか?」
セレディオスは、言われた通りの惨状を見て項垂れた。
「思いません……今すぐ、掃除係を手配します」
「生ぬるいことを言うな。こんなことをするお前の仲間をもう一度俺の家に入れるつもりはねぇ」
ザイオンはセレディオスの襟首を掴んで揺らした。
「おまえが自分で掃除するんだよ。こんな行儀の悪いエルフどもを呼び込んだおまえの責任だ!」
「私は……掃除など、したことは……」
「へえ。俺は毎日してたよ。子どもの頃からな」
ザイオンはセレディオスから手を放すと、居間の収納棚に歩み寄り、乾いた雑巾を数枚取り出した。
「それから、あの女たちが勝手に使っていた部屋だが、生ゴミは放置してるし、水回りは黴びてる! 二日や三日でどうやってあそこまで汚せるんだ? そっちも完璧に綺麗にしろ。できないなんて言うなよ? 医療院にいたユージーンを無理矢理連れ出して働かせたんだ、お前も同じだけ働け!」
「……はい」
セレディオスは、目を潤ませた。
「やはり、あの王国人への仕打ちをお怒りなんですね」
「当たり前だろう!」
ザイオンは雑巾の束を彼に投げ付けた。
「二度と俺の家族に理不尽な真似をしたら、もう一度クソを漏らすような目に遭わせるからな!」
アメリアは眉を顰めた。
(喩えよね?)
「……申し訳ありませんでした」
しおらしく謝ると、セレディオスは自分にぶつかって床に散らばった雑巾を拾い集めた。
「バケツはあっちだ」
ザイオンが廊下を指さした。
「案内板に『道具入れ』とあるからわかるはずだ。ホウキも持って来い」
セレディオスは頷いて、そちらに向かいかける。
途中彼はアメリアに気づいて、一礼した。
「先日は大変失礼なことを申し上げました。願わくば、我らが主の良き縁となりますよう。今となっては、あなた様だけが希望です」
どういう意味なのかとアメリアが問い質す前に、ザイオンに睨まれたセレディオスは慌てた様子で廊下へと急いだ。
先日会った時とはセレディオスの様子が違い過ぎる、とアメリアは思った。
怯え方が異常だし、服も紫色のローブではなく、動きやすそうな白シャツに無地のズボン姿だ。
何か『クソを漏らすような』恐ろしい目に遭って、心境の変化があったに違いなかった。
「考えたんだが」
ザイオンが急に振り返って、アメリアに尋ねた。
「『一言多いところが嫌い』って限定しているってことは、他は好きってことか?」
「え」
不意打ちだった。
セレディオスがどんな目に遭ったのかと考えを巡らせていたアメリアは、取り繕う余裕がなかった。
「そ……そうかもしれないわね?」
「良かった」
ザイオンはほっとした表情になる。
(ちょっと待って。嫌いか好きかの二択はおかしくない?)
アメリアは、どうやって訂正しようかと急いで考えた。
(他は『好きでも嫌いでもない』を忘れてるわよ?)
けれど訂正の機会はなかった。
ザイオンは雑巾を取り出して、詠唱で水を生成して濡らすと、食卓の天板を拭き始めてしまった。
⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈




