初依頼
朝靄の森を、馬車が進んでいた。
ガタガタと揺れる荷台の上で、レイラは静かに目を閉じている。
「なぁ、ほんとに聞いてる?」
向かい側から声が飛んだ。
ルークだった。
足を組み、だらしなく壁へ寄りかかっている。
「聞いている」
「絶対聞いてない顔なんだよなぁ」
「聞いている」
レイラは薄く目を開ける。
現在、二人は依頼先へ向かっていた。
最近この辺りで目撃されている大型魔物――“黒甲熊”の討伐依頼。
体長五メートルを超える危険種であり、本来なら複数パーティ向けの案件だ。
だが。
「まあ、レイラだし。俺いるし」
という雑な理由で出発していた。
「で?」
ルークがにやにやしながら聞く。
「お前、本当に何者?」
またそれか。
レイラは小さくため息を吐いた。
「旅人だ」
「森壊す旅人」
「事故だ」
「便利だなその言葉」
会話が同じところを回っている。
ルークは面白そうにレイラを見る。
「でもさ、試験の時の動き」
「……」
「普通じゃないよな」
レイラの視線が僅かに細まる。
ルークは笑みを消さない。
「軍人? 騎士? それとも暗殺者?」
「……ただの旅人だ」
「ふーん」
全く信じていない顔だった。
その時。
ガタンッ!!
馬車が大きく揺れる。
御者の悲鳴が響いた。
「ま、魔物だぁっ!!」
レイラとルークが同時に外を見る。
森の奥。
巨大な影が見えた。
黒い毛並み。
岩のような外殻。
赤い目。
黒甲熊だ。
しかも。
「二体か」
レイラが呟く。
御者が青ざめる。
「き、聞いてねぇぞ!? 一体じゃなかったのか!?」
普通なら逃走案件だった。
だが。
「お、ちょうどいい」
ルークが立ち上がる。
楽しそうだった。
レイラは馬車から降りる。
同時に黒甲熊が咆哮を上げる。
――グォォォォォォッ!!
森が震えた。
馬が暴れ始める。
御者が叫んだ。
「ひっ……!」
その瞬間。
「落ち着け」
レイラが馬の首へ触れる。
驚いていた馬が、ぴたりと静まった。
ルークが目を瞬く。
「……へぇ」
レイラは前へ出る。
自然だった。
考えるより先に身体が動いていた。
「御者は下がれ。馬車を森の外へ」
低く、通る声。
それだけで御者は反射的に頷いていた。
「は、はい!」
「ルーク」
「ん?」
「左を頼む」
「命令?」
「嫌ならいい」
「いや別に? 面白いし」
ルークは笑う。
だがその目は、少しだけ真剣だった。
レイラの指示があまりにも自然だったから。
まるで長年、誰かを守る側にいた人間の動き。
「じゃ、右は任せた」
「うむ」
次の瞬間。
黒甲熊が突進してきた。
地響き。
木々を薙ぎ倒しながら迫る巨体。
普通の冒険者なら恐慌していた。
だがレイラは動じない。
静かに腰を落とす。
(剣がない)
少しだけ違和感。
騎士だった頃、常に腰には愛剣があった。
だが今は素手。
なら。
「……仕方ない」
レイラは拳を握る。
黒甲熊が目前まで迫る。
そして。
踏み込んだ。
――ドンッ!!
地面が陥没する。
次の瞬間。
レイラの拳が黒甲熊の腹へ突き刺さった。
「グガァァッ!?」
巨体が浮く。
そのまま数十メートル吹き飛び、木々をなぎ倒して転がっていった。
沈黙。
御者が口を開けている。
ルークも少し引いていた。
「……うわぁ」
レイラは拳を見る。
「……少しは加減した」
「その結果があれ?」
黒甲熊がぴくぴく痙攣している。
生きてはいる。
多分。
その時だった。
もう一体が背後から襲い掛かる。
巨大な爪。
狙いはレイラ。
だが。
「遅い」
振り向きざま、黒甲熊の腕を掴み……ぶん投げた。
――ゴォォォン!!
黒甲熊が地面へ叩きつけられる。
地震みたいな音が響いた。
森の鳥が一斉に飛び立つ。
ルークが額を押さえた。
「ねぇ……本当に人間?」
二回目だった。
レイラは真剣に考える。
「……多分?」
「自信なくなってるじゃん」
その時。
倒れていた黒甲熊が再び立ち上がる。
怒り狂った咆哮。
だがレイラは、静かに一歩前へ出た。
空気が変わる。
ルークの表情が僅かに止まる。
レイラの立ち方。
重心。
視線。
全てが変わった。
さっきまでの無茶苦茶な戦い方ではない。
洗練された、“誰かを守るための戦い方”。
レイラは御者と馬車を背に立つ。
逃がさない位置取り。
敵を近付けさせない間合い。
それは。
騎士の戦い方だった。
黒甲熊が突撃する。
その瞬間。
レイラは最小限の動きで懐へ潜り込む。
そして。
――ドッ!!
鋭い一撃。
黒甲熊が崩れ落ちた。
急所だけを正確に撃ち抜いていた。
一撃。
本当に一撃だった。
静寂が落ちる。
風が吹く。
ルークはしばらく黙っていた。
そして。
「……あー」
ぽつりと呟く。
「その動き、見覚えあるかも」
レイラの目が僅かに細まった。
嫌な予感がした。




