第8話 桜の木の前で
『何をしようとしてたのか、思い返してご覧なさいよ』への彼の答えが。
『キスや、それ以上のこと』だったことに、思いっきり動揺し、私は彼を突き飛ばし、
「だっ、ダメッ!!……こ、ここ――っ、ここをどっ、どどどどこだと思ってるのよっ!? か、かかっ、かみっ、神様の前――っ、なんだからねっ!? へ、変なことしたら、しょっ、しょーちしないんだからっ!!」
異常なほど、どもりまくってしまった。
それがまた、無性に恥ずかしくて……全身がカーッと熱くなる。
彼はそんな私を、憎らしいほど落ち着いた様子で眺めながら、
「ひどいなリア、突き飛ばすなんて。まだ、何もしていないだろう?」
そう言って、再び私の腕へと手を伸ばして来た。
私はすんでのところでその手をかわし、数歩後ずさると、
「まだ――ってことは、これから、何かしようとしてたってことじゃないっ! よりにもよってこんなところで、やめてよねっ! バチが当たるんだからっ!」
そう言って木の後ろに回り込み、彼から見えないように姿を隠した。
「リア!……私から見えないところに隠れるなんて、意地が悪いな。また私に大騒ぎさせたいのかい? 君の姿をどこまでも追い求めて、惨めにうろつく姿が見たい?」
怒気を含んだ声に、ヒヤッとする。
私は慌てて木の陰から顔を覗かせると、取りつくろうように声を掛けた。
「そ、そんな大袈裟な言い方しなくても…っ。隠れるって言ったって、木の後ろだよ? 数歩も歩けば、すぐ見えるのに――」
「たとえ一瞬でも、私から見えないところに移動したのは、いただけないよ。今しがた、君の姿が見えなくなってうろたえる私を、目にしたばかりだと言うのに。その後で、こんな行動を取られては――私に対しての嫌がらせとしか、思えないじゃないか」
「そんな! 嫌がらせなんて、そんなことするワケないじゃない!」
「では、何故私から離れて、そんなところへ隠れようとしたんだい? 納得行く答えをくれない限り、許す気にはなれないよ」
「な、何故って、それは……。ギルが、神様の前で……変なこと、しようとするから……」
あ……あれ? おかしいな……?
私、ここまで責められなきゃいけないほど、ひどいことしたかな?
……そりゃあ、彼を不安にさせちゃったんなら、謝らなきゃいけないのかもしれないけど……。
でも、木の陰に隠れたくらいで、『許す気になれない』なんて、やっぱり大袈裟すぎるよね?
……そーよ。
元はと言えば、ギルが、神様の前で迫って来たりしたのがいけないんじゃないっ。
だんだんムカついて来て、何か言ってやろうと口を開いた。
「だいたいギルが――っ」
「『神様の前』『神様の前』って言うけれど、神様は、もうここにはいないんだろう? サクラのいる世界へ行ったと、言っていたじゃないか。それなのに、どうして神様に遠慮しなければいけないんだい?」
「――っ!」
彼の言葉に、ハッと息をのむ。
……そーだ。
神様はもう……ここにはいないんだ……。
ううん、いないだけじゃない。
もう、帰っても来ないんだ。
神様は……神様は永遠に、この世界から消えちゃった……。
「……リア? 急に黙り込んで、どうかしたのかい?……リア?」
木の陰に隠れていても、ギルの声はハッキリ聞こえていたけど……返事するどころじゃなかった。
両目から、とめどなく涙が溢れて来て……止めようにも止められないほどの勢いで頬を伝っては、服や地面にこぼれ落ちていたから。
「リア?……リア? いったいど――」
ふいに彼の言葉が途切れて、どうしたんだろうと顔を上げると、
「リアッ!!」
すぐ目の前に、怖いくらい真剣な、彼の顔があった。
肩を強くつかまれ、驚いた私は、目を見開いて彼を見上げる。
「……ああ、よかった。また、君がいなくなってしまったのではないかと、ヒヤリとしたよ。……しかし……リア? どうして泣いているんだい?」
彼は切なげに目を細め、頬に優しく手を添えると、親指の先で涙を拭ってくれた。
それでも涙を止められず、私は訴えるように彼を見つめて、
「神様、が……。神様、もう……ここには、戻らないって……。ずっと、あっちの世界にいるんだって。だから……だから。もう……会えないの。会いたくても……会えな――」
堪え切れずに、彼の胸に顔を埋めた。
「リア……」
彼は優しく頭を撫で、もう片方の手で、私の体を抱き締める。
「それは……寂しいね。二度と会えないというのは……」
「うん。……うん」
私は彼の腕の中で、何度も何度もうなずいた。
彼の背に手を回し、服にしわが寄るくらい、ギュッと布地をつかんで――。
「だけどね、リア――。神様は、大好きなサクラの元に行ったんだろう? これからは、大好きな人の側にいられるんだろう? ならば……喜んであげなければいけないよ。神様は、自らの力で幸せになれる道を選び取り、それを叶えたのだから、祝福してあげなければ。……ね、そうだろう?」
彼の言葉を心で噛み締めながら、私は無言でうなずく。
――それはわかってる。私だって、よかったと思ってる。
神様が、大好きな桜さんのところに無事に辿り着けて……力も、少し元に戻ったって聞いて、心の底から安心したし。
だって、もしかしたら、力が弱まって……神様、消えちゃってたかも知れないんだもん。
無事に、向こうの世界に着けてたとしても、力を使い果たしちゃってたら……やっぱり、消えちゃってたかも知れないんだもん。
だから、神様が無事で……すごく幸せそうで、ホントにホッとしたし、嬉しかった。
……でも。
それとこれとは、また別なんだよ。
よかったとは思ってるけど……ホッとしてはいるけど。
でも、やっぱり……会えなくなるのは寂しい。
……おかしいよね。
神様が、桜さんのところに行くって教えてくれた時、一回お別れしてるのに。
その時、寂しいって思いはしたけど、ここまで強くは――泣いちゃうほど強くは、別れを惜しんだりしてなかったのに。
なのに、どーして……?
なんで二度目の別れは、こんなに辛いの?
――わかんない。
わかんないけど……。
……やっぱり、寂しいよ。
……寂しいよ、神様……。




