第2話 好奇心
「い――っ!」
頰を引っ張られ、痛みに顔をゆがめるギルを、私はまっすぐ見つめて。
「『嫌いになっていたかも知れない』ってゆーのは、あくまで『もしかしたら』の話でしょ!? ギルのこと、ホントに嫌いになるワケないじゃない!……もうっ、ホントにおバカさんなんだからっ! あれだけ泣かされても、無理矢理ひどいことされそうになっても……それでも、嫌いになれなかったんだよ? もうどんなことがあったって、されたって……嫌いになんかなれるワケないんだって、どーしてわかってくれないのよ! もう……っ、もうっ、ギルのバカバカっ!!」
私は彼の頬から手を離し、胸元に顔を埋めながら、握った拳で彼の体をポカポカ叩いた。
「……リア……」
彼は私の頭に手を置いて、何度か優しく撫でてから、
「そうだね。すまなかった。君の気持ちを疑って、また暴走しそうになるなんて……。ダメだな。君の前だと、私はただの愚かな男になってしまう。……恥ずかしいよ」
しみじみとつぶやいて、私の額にキスを落とす。
そしてもう一度頭を撫でると、彼は柔らかく微笑んで。
「出発前に、困らせてしまってすまなかった。――そろそろ行こうか。向こうに着くのが、遅くなってしまう」
「……うん。そうだね。もう行こう」
私が笑ってうなずくと、彼も応えるようにうなずいてから、ウォルフさんに視線を移した。
「では、ウォルフ――行って来る。父上とマイヤーズ卿にも、リアと私は、仔細なく出立したとお伝えしておいてくれ。それから……フレディとアセナにも」
「はい。かしこまりました、我が君。道中お気を付けて――。リナリア様も……お国に戻られましても、どうかご健勝であらせられますように」
「うん、ありがとう! ウォルフさんもね」
「はい。お心遣い感謝いたします」
ギルは手綱を両手でしっかりつかむと、私を見下ろして。
「リア、もう言い残すことはないね? ないなら、すぐに出発するよ」
「言い残すこと……」
しばらく考えた後、パッとが頭に浮かんだことが、ひとつだけあった。
「そーだ! ウォルフさん!」
「――はい? いかがなさいましたか、リナリア様?」
ウォルフさんに見上げられ、一瞬、ためらってしまったけど。
どうしても好奇心が抑えられず、ずっと気になっていたことを、思い切ってお願いしてみることにした。
「いつか、満月の夜のウォルフさんを、私にも見せてもらえないかな?」
「な――っ!」
ギルは驚いて声を上げ、ウォルフさんも、やっぱり驚いたように、幾度かまぶたを瞬かせる。
「何を言い出すんだ、リア! 満月の夜のウォルフとアセナは危険なんだと、何度も言っただろう!? 君だって、アセナにあんなことをされて……嫌というほど思い知ったはずではなかったのかい?」
「それは……そう、なんだけど……」
「だったら何故!?」
……だって、アセナさん……すっごく綺麗だったから……。
ウォルフさんも、めちゃめちゃ綺麗なんだろうなぁ……見てみたいなぁ……って、思っちゃったんだもん。
「どーしても……ダメ?」
上目遣いで訊ねる私に、ギルはすかさず、
「絶対に、ダメっ!!」
ものすごく怖い顔で断言した。
結局、『満月の夜のウォルフさんが見てみたい』という私の願いは。
ギルには大反対され、ウォルフさんにも、丁重にお断りされてしまったため、叶う可能性は、限りなくゼロに近くなった。
ウォルフさんは、意気消沈して肩を落とす私に、
『誠に申し訳ございません、リナリア様。こればかりは、あなた様のお願いであらせられましても、叶えて差し上げることは出来ません』
背筋を伸ばし、毅然とした態度で断って来た。
それでも未練たらしく、
『じゃあじゃあっ、隠れてこっそり見る――とかは? それならいーでしょ? ねっ、ねっ?』
更に頼み込んでみたんだけど、
『申し訳ございません……。いずこにお隠れになられましても、即座に感知出来てしまいますので。そうなりましたら、もう……己の力のみでは、制御することは不可能なのです。私は、リナリア様に襲い掛かってしまうやも知れず……。それだけは、絶対にあってはならぬことです。ですので、どうか――どうかこのことばかりは、お諦めください』
……なんて、辛そうにうつむかれてしまい……。
ウォルフさんにそこまで言われてしまったら、大人しく引き下がるしかない。
〝満月の夜のウォルフさんが見てみたい〟という私の願望は、呆気なく夢と散った。