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第8話 切ないお別れ

「ここまで来れば、あとはまっすぐ行くだけです。……もう、迷うことはありませんね?」


 フレディの部屋の前まで来ると、彼はクスリと笑って、私の顔を覗き込んだ。


「う――っ。……うん。もう大丈夫。連れて来てくれてありがとう」


 バカにされてる感じがして、一瞬、ムカっとしちゃったけど。

 いい年して、すぐ迷子になっちゃうのは、確かに恥ずかしいことだし……笑われても仕方ないかと、グッと堪える。


「じゃあね、フレディ。明日は、いつ発つことになるかわからないけど……たぶん、これでお別れなんだよね?」


 だったら、ここでちゃんと、最後の挨拶をしなきゃ。

 そう思って訊ねると、彼は寂しげに薄く笑い、


「……そうですね。お二人が発つ時間を、前もって知っていたとしても、私は見送りませんから」


 キッパリと告げられ、私は少しだけ動揺した。


「えっ?……あ……そっか。……うん、わかった。それじゃあ、ここで――」


 〝時間がわかってても、見送りはしない〟

 そんな風に宣言されるとは思ってなかったから、微かに胸が痛んだ。


 それでも、なんとか笑って手を離そうとしたのに、彼は私の手を握ったまま、なかなか離そうとしない。


「フレディ?……あの……手を離――」


 『離して』と言おうとしたとたん、思い切り手を引かれた。

 ハッとした時には、すでにフレディの腕の中で――。


 焦った私は、彼の体を両手で押しながら、どうにかして逃れようともがいた。


「フ、フレディっ? な……何してるの? ふざけてないで、離し――っ」

「少しだけ!……あと少しだけでいい。このまま……。どうかこのままで――!」


 彼の手に力がこもり、体が強く締め付けられる。


「い――っ!……痛い。痛いよ、フレディ……」


 小声で訴えると、彼は何も言わないまま、少しだけ力を緩めてくれて……。

 私は彼の腕の中で、ほぅ、と小さく息をついた。


「リナリア……! 今、この瞬間――ほんのひとときだけでいい。僕におまえの時間をくれ。……決して、ひどいことはしない。もう二度と、あんな真似はしないと誓う。だから――っ!」


 彼が言葉を発するたび、耳元に息が掛かって、くすぐったさに目をつむる。

 私の沈黙を、了承の意味に捉えたのか、彼は淡々と語り続けた。


「僕は……おまえに出会ったことを、後悔などしていない。好きになったことも。初めてのキスが、おまえだったことも。絶対に、後悔なんかしない。……いや。おまえでよかったと思っている。……叶わない恋だったけれど。ほんの僅かな時間しか、幸福な気持ちに浸れなかった、(はかな)い初恋だったけれど……。それでも、その僅かな時、僕は幸せだった。今まで味わったことがないほどの幸福を、おまえは僕に与えてくれた。……だから、もう充分だ。おまえに出会えていなければ、僕はきっと、この先も孤独で、(みじ)めで……何者にも心動かすこともなく、空虚(くうきょ)な日々を過ごしていただろうから……」


「そんな……。そんなことない! そんなはずないよ! 私と出会ってなくたって、きっといつかは、素敵な人に出会えてたよ! 絶対だよ! だからそんな――その歳で、もう人生を諦めてるような言い方しないで!」


 夢中で彼の背に手を回し、強く抱き締め返しながら、私は必死に訴えた。



 ……以前、フレディに言われたことが、再び脳裏をよぎる。



『僕は、おまえや兄上とは違う。相思相愛で結ばれ、一生添い遂げられるような――幸せで恵まれた者達とは違うんだ!』


『いつか、好きでもない相手と引き合わされ、世継ぎを残すためだけの望まない契りを結び……そうやってずっと、儘ならぬ生涯を送るのが僕だ!』



 ……フレディはまだ、そんな風に考えてるの?

 これから先は、何ひとつ、自分の思い通りにならない人生を歩むんだって……そう思ってるの?


 ダメだよ!

 そんな風に考えちゃダメっ!!



「……僕だって、諦めたくはないさ。諦めたくなんかない。だが……おまえ以上に、好きになれる人が現れるとも――おまえ以上の人と結ばれるとも、どうしても思えないんだ」


 彼の声が、微かに震えている。

 私は必死に頭を振って、彼の意見を否定した。


「そんなことない! 諦めさえしなければ、きっと!……きっといつか、心の底から好きになれる人に出会えるよ! 私なんかより、ずっとずっと、フレディを幸せにしてくれる人が現れるはずだよ!……お願い、信じて!? 最後まで、望みを捨てたりしないで!……お願い。お願いよフレディ……!」


「リナリア……」


 私からそっと体を離すと、彼は泣き笑いみたいな顔をして――。

 ふいに、片手を顔の前に出し、上方へと移動させた。


「リナリア。これを見て――?」


 言われるままに視線を移すと、突然視界がさえぎられ、


「――っ!」


 あっと思った時には、フレディの唇が、私の唇に重なっていた。

 目を見開き、硬直してしまった私から、彼はすぐに唇を離し、


「さよなら、リナリア。次にお会いする時までに、自然に〝姉上〟とお呼び出来るよう努めます。……さようなら。僕の初恋の姫君……」


 そんなセリフを残して、彼は私の視界から消えた。



 ――数秒後。

 我に返って振り向くと、彼の姿は、もう廊下のどこにもなかった。


 ゆるゆると手を上げ、指先を唇に当てる。

 彼の熱が、まだそこに残っている気がして……しばらくの間、私はその場から動けなかった。

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