第1話 夕食後の拝謁
私が国に帰るという知らせは、瞬く間に国王様にも伝わってしまったらしい。
夕食を終え、お茶を飲んで寛いでるところに。
国王様が『今からでも会いたい』とおっしゃっていると、ウォルフさんから報告を受け、私は慌てた。
だって、朝食をご一緒にってだけで、あれだけめんどくさ……もとい、豪華でひらひらで窮屈なドレスを着なくちゃいけなかったのよ?
いきなり夕食後に会いたいって言われても、用意が間に合わないってゆーか……とにかく時間がない!
パニック寸前の私に、ウォルフさんは冷静に告げた。
「どうか落ち着いてください、リナリア様。陛下は、普段のお召し物のままで構わないと仰せでございました。今の装いのまま、陛下にお目通りください」
「へっ? このままでいいの?……ホントに?」
「はい。全く問題ございません」
「……そっか。な~んだ。よかったぁ~」
またアセナさんに、コルセットで腰をギュウギュウ絞られなきゃいけないのかって、ちょっと泣きたい気分になってたのよね。
このままでいいなら、一安心だわ。
「でも、ずいぶん急な申し出だね。……まあ、こっちもかなり唐突に、明日帰ることになっちゃったんだから、仕方ないのかも知れないけど。明日の朝、ちゃんとご挨拶に伺うつもりだったのになぁ。今日じゃなきゃいけない、差し迫った理由でもあるのかな?――ねえ、ギル?」
そう言って正面に目をやると、彼はティーカップを持ったまま、ぼんやりとテーブルを見つめていた。
「……ギル?」
もう一度声を掛けたら、ハッとしたように顔を上げて、薄く笑みを浮かべる。
「あ、ああ……。すまない。少し、ぼうっとしてしまっていたよ」
「……ギル……」
私が帰国すると決まってから、彼はずっとこんな調子。
心ここにあらずで、どこか遠くを見つめてたり。
怖い顔で一点を凝視して、ずっと黙り込んでしまってたり……。
そんな彼を見ていると、とたんに不安が押し寄せて来る。
私が帰った後、この人は大丈夫なんだろうか? ちゃんと職務を果たせるんだろうか?……って。
……なーんて。
その心配は、私にも言えることなんだけどね……。
「リナリア様。そろそろ参りませんと」
ウォルフさんに促され、私はうなずいて席を立つ。
「じゃあ、行って来るね」
ギルに向かって声を掛けると、彼は『ああ。行っておいで』と、曖昧な笑みを浮かべた。
国王様の部屋に入ると。
何故か、国王様の斜め後ろに、マイヤーズ卿が控えていて、思わずビクッとしてしまった。
それに気付き、国王様はニコリと笑う。
「ああ、ごめんね。驚かせてしまったかな? 今日中に、片付けなければいけない仕事があったものだから、彼にも付き合ってもらっていたんだよ。彼は帰ると言ったんだが、私が引き留めたんだ。……迷惑だったかい?」
「えっ!?――いっ、いいえ、そんなこと! 迷惑なんかじゃありませんっ! 全然、ダイジョーブですっ!」
……迷惑だったとしても、『はい。迷惑です』なんて、言えっこないしね……。
私はひたすら愛想笑いを浮かべつつ、国王様の次の言葉を待った。
国王様は、以前朝食を食べた時と同じ席を私に勧め、座るのを見届けてから口を開く。
「こんな遅くに呼び出してしまって、申し訳なかったね。大した用事ではないんだが、君に、昼間のことも謝りたかったし、ちょうどいい機会だと思ったんだ」
「謝りたい……ですか?……えっ……と、なんのことでしょう? 私はべつに、謝っていただかなければいけないようなことは、なにも……」
昼間のこと……って言ったら、あの衝撃の告白のことだろうけど。
でもあれは、直接私に関係がある話でもないし……。
謝らなきゃいけないとするなら、私にじゃなく、ギルとフレディにじゃない?
私の思いに気付いたのか、国王様は寂しげに笑って、
「もちろん、ギルフォードとフレデリックにも、後でまた、きちんと謝るつもりでいるよ。だが、君が明日、帰国するという報告を受けたからね。まずは君にだけでも、謝っておかなければいけないと思ったんだ」
「え……と、ですから、私はべつに、謝っていただくことなんて――」
「いいや、あるよ。……リナリア姫。君は、ギルフォードのことを、愛してくれているんだよね?」
「――えっ!?」
突然『愛してくれてるのか?』なんて訊ねられ、思いっ切りうろたえてしまった。
まさか、国王様から、そんな直球の質問が飛んで来るなんて、思ってもいなかったから……。
「おや? 愛してくれている訳ではないのかい?」
「いっ、いえっ、好きですっ! あっ、ああああ……愛して、ますッ!!」
めちゃめちゃ恥ずかしかったけど、ここで誤解されたら堪らないと思って、勇気を振り絞って断言した。
「そうか。……ありがとう。君のような素敵な娘に愛されて、ギルフォードは幸せ者だ」
どこまでも穏やかで、温かな国王様の笑顔に、心の底から癒される。
「だが、私は親として失格だな。ギルフォードが君のことを……いや。君達二人が、深く愛し合っていたことを、つい最近まで、感じてすらいなかったんだからね。むしろ、君との婚約について、ギルフォードが苦しんでいるように思えていたくらいなんだ」
国王様の笑顔に、すっかり和んでた私は、次に発せられた言葉で、一気に現実に引き戻された。
……いいえ、国王様。あなたの目は確かです。
親として失格だなんて、とんでもないです。
だって……ギルは確かに、私と桜さんが入れ替わる前まで、婚約に苦しんでいたんだから。
「もともと、リナリア姫とギルフォードを婚約させたいと願っていたのは、私の方だったんだよ。……ギルフォードは、他国の姫と結ばれた方が、幸せになれると思ったんだ。この国にいたら、また命を狙われるようなことになるかも知れないと……それが心配だったからね」
「国王様……。そう……だったんですか……」
「……うん。しかし、彼はリナリア姫のことを、妹のようにしか思えないと……そう漏らしていたと、ウォルフから聞いてね。私の目から見ても、そのようにしか感じられなかったから、後悔していたんだ。だから、つい――婚約の話はなかったことに、なんて内容の書状を、君のお父上に届けさせてしまった。……あの時は混乱したろう? 本当にすまなかったね」
申し訳なさそうに私を見つめる国王様に、私はぶんぶんと首を振った。
「いっ、いえ! ダイジョーブですっ!……今はもう、なんの問題もなく……ふ、二人の気持ちは、むっ、むむ……っ、結ばれてますしっ!」
クスッと笑うと、国王様は、ちょっとからかうような顔つきになって、
「そのようだね。見ていると、恥ずかしくなって来てしまうほどの熱愛ぶりだと、ある者から報告は受けているよ」
私の反応を窺うみたいに小首をかしげて、じーっと見つめて来る。
な…っ、なな――っ!
あ……『ある者』って誰ッ!?
ウォルフさんっ!? それともアセナさんっ!?
全身が燃えたぎらんばかりに熱くなり、恥ずかしくて、居た堪れない気持ちでうつむいた。
「ハハハ。ごめんごめん。少々、ふざけすぎたかな。……しかし、そんなに萎縮することはないと思うが。恋人同士、仲が良いのは何よりだろう?」
……うぅ……。
それは、そーかも知れないけど……。
それでも恥ずかしくて、ひたすら縮こまっていると。
国王様は、ふと、辛そうに声を落とした。
「そこまで二人の気持ちが燃え上がっているのなら、すぐにでも婚姻の儀を――と、本来ならば、勧めたいところなんだが……。申し訳ない。君達が結ばれるのは、もう少し先になると思う」
雲行きが怪しい言葉に、私の心は、一瞬のうちに凍り付く。
鼓動が、速く、大きくなって行くのを感じながら……私は呆然と立ち尽くした。