第16話 その時が訪れて
呆れるくらいの勢いで立ち直ったギルは、何度も私にキスを要求して来た。
極端な気持ちの浮き沈みに、どーしてもついて行けなくて、思いっ切り拒否し続けてたんだけど、
「どうして? 君はさっき、こう言おうとしていたんだろう? 『苦しい時や悲しい時は、我慢せず、真っ先にしたいと思ったことをすればいい。それで少しでも気が晴れるなら、いくらでも協力するから、遠慮なく言って欲しい』。……違う?」
なんて言われてしまい、思わず絶句した。
……だって、ギルの言ったことは、ほぼ正解だったから。
それと似たようなことを、私は言おうとしてたから……。
でも、彼が私の『あらゆるところにキスしたい』とか、『リアの体に触れたい』とか、そんなことばっかり言って来るもんだから。
『私に出来ることなら、何でも協力する』なんて、言えなくなっちゃって……。
なのに彼は、そんな私の心を見透かしてでもいるかのように、
「今私は、とても傷付いている。こういう時、私の場合は――君にキスしたり、抱き締めたり、触れたりすることが出来れば、かなり救われるんだ。……ね、協力してくれるだろう?」
なんて言って迫って来て……。
結局私は、彼の罠に、まんまとはめられてしまうのだった。
彼は自分の欲求を満たすと、
「やはり私は、君さえ側にいてくれるのなら、どんなことだって耐えられるんだ。――それが今、身にしみてわかったよ」
なんて、ぬけぬけと言ってのけ、満足げに微笑んだりして……。
冗談じゃない!
これじゃあ、彼が落ち込んだりするたびに、私は、自分自身を差し出さなきゃいけないことになるじゃない。
毎回毎回、いちいち彼の要求を受け入れてたら、とてもじゃないけど、身が持たないわ!
「当然、私には拒否権があるんだよね?」
むうっとして訊ねたら、彼はきょとんとして、
「拒否権?……まあ、苦しんだり悲しんだりしている私を、君が放っておけると言うのなら、その拒否権とやらを主張しても構わないよ。……放っておけるなら……ね」
まるで試すようなことを言って来て、私をぐぐっと詰まらせるのだった。
……まったく。
なんなのよもうっ!
『そんなこと出来るはずないよね?』とでも言ってるかのような、余裕シャクシャクの顔しちゃってぇえ~~~っ!
私だって、そこまでお人好しじゃないんだからっ。
どんなにギルが落ち込んでたって、毎回毎回、要求に付き合ってあげられるワケじゃないんだからねっ?
……と、思ってはみるものの。
実は、まるっきり自信なんかなかった。
また、彼がすごく傷付いている場面に遭遇したら。
『助けてくれ』って哀願されて、手を差し出されでもしたら。
私はその手を、払いのけることなんて出来るんだろうか?
……やっぱり、結局は拒否出来ず、受け入れちゃう気がする……。
もう!
ホント、やんなっちゃうなぁ……。
これがよく聞く、『惚れた弱み』ってヤツなのかしら?
私はこれからも、彼に翻弄され続けるの?
思わず、ハァ~っとため息をついたら、
「どうしたんだい、リア? 君も落ち込んでいるのかな? ならば私も、この身の全てを差し出して、君に奉仕する用意は出来ているが……どうする?」
からかい口調で、薄笑いなんか浮かべちゃったりして……。
思わずムカっとして、彼の頬を両手でつまみ、横にムニュッと引っ張ってやった。
「痛――っ!……ひどいなリア。いきなり、何をするんだい?」
頬をさすりつつ、彼は恨めしげに抗議する。
「……だって、ムカついたんだもん」
「む、ムカついたって、そんな――」
何か言って来そうな彼から目をそらし、私はプイッと横を向く。
すると、ノックの音が響いて。
「ギルフォード様、リナリア様。入室してもよろしいですか?」
――ウォルフさんだった。
ギルが許可すると、彼は『失礼いたします』と言って入って来て、何故かギルではなく、私に向かって歩いて来た。
そして私の前で立ち止まり、懐から長方形にたたまれた紙を取り出し、そっと差し出す。
「リナリア様。セバスティアン様からの書状でございます」
「えっ? セバスチャンから?」
「はい。私宛の他に、リナリア様宛の書状も届けられましたので、お渡ししに参りました」
「そっか。ありがとう。でも……なんだろ? わざわざ、私宛なんて……」
渡された紙を、まじまじと見つめる。
続けて、紙を開こうとしたんだけど、あることに思い至り、ピタリと手を止めた。
この手紙、ギルとウォルフさんにも、見せていい内容なんだろうか?
見せていい内容だったとしても、彼らの前で読むのは、なんだか恥ずかしい気がした。
私は『ちょっとごめんね』と断って、少し離れた場所に移動し、改めて紙面に目を落とした。
素早く文面を確認し、全て読み終えると……ハァ、と自然にため息がこぼれる。
「リア? セバスはなんだって? ため息をつかなければいけないような、憂鬱な内容だったのかい?」
ギルの心配そうな問い掛けに、私はゆるゆると首を振った。
「ううん。憂鬱ってゆーか……ゲンナリ、って感じかな」
「――ゲンナリ?」
「うん。……あのね。私に勉強とか教えてくれてる、オルブライト先生って人がいるんだけど……その人とイサークがね、毎日言い争って、険悪な感じなんだって。それで、セバスチャンも困っちゃってるみたいで……」
「……みたいで?」
ギルもきっと、私がこの先言うだろう言葉を、予想出来ているんだろう。
とたんに悲しげな表情になり、私をじっと見つめている。
「うん……。セバスチャン、困ってて……。だから、あの……」
……言いたくない。
この先を言っちゃったら、そうするしかなくなっちゃうだろうから。
ギルだって、止めることは出来ないだろうから。
だから……言いたくない。
言いたくない。言いたくない。言いたくない――!
……言いたくない、けど……。
「……リア。セバスは、なんて言って来たんだい?」
全てわかってるみたいな、ギルの表情、そして声。
私は泣きたくなる気持ちを懸命に堪えながら、
「アハハッ。セバスチャンね、すっごく困っちゃってるみたい。それで、私に泣きついて来たの。……えっとね。『一刻も早く、こちらにお戻りください』――だって」
わざと明るく言い切って、私はまた、アハハと声を上げて笑った。
ギルはつられて笑うことはなく、小さく『そうか』とだけつぶやくと。
暗い顔で押し黙り、うつむいてしまった。
ウォルフさんは、私達に気を利かせてくれたのか、
「申し訳ございません。私は、まだ仕事が残っておりますので……。夕食の時間になりましたら、お伺いいたします」
一礼し、足早に退出して行って――。
部屋には、私とギルの二人だけになった。
「……ギル」
うつむいたままの彼に、ためらいながら声を掛ける。
瞬間、彼はハッとしたように顔を上げ、私と目が合うと、辛そうに眉根を寄せた。
「ギルっ!」
堪らず駆け寄り、彼の胸に飛び込む。
「帰りたくない! 帰りたくないよ! ずっと……ずっとこのまま、ギルの側にいたい!」
「――リア!!」
彼は強く抱き締め返してくれ、耳元で切なくささやいた。
「私だって同じ気持ちだ。君を返したくない……! このまま永遠に、私の側にいて欲しい」
「ギル!……ギル! ギルぅ……!」
固く抱き締め合ってから、どちらからともなく体を離し――見つめ合った後、吸い寄せられるように唇を重ねる。
何度も、何度も。顔の角度を変え、軽いキス、深いキス……。
それこそ、気が遠くなるくらいまで、私達はお互いを求め合った。
――そして。
数え切れないくらいのキスを交わし合った後。
再び強く抱き合って――お互いが、ようやく落ち着きを取り戻した頃、彼はポツリつぶやいた。
「明日、私が……アルフレドと、君を城まで送って行くよ」
その言葉を黙って受け止め、私は小さくうなずいた。