【一場】天地を繋ぐ人形師
エヴァルトの街は、ヴォルフラート王国の中で最も常夜の森に近い位置にある。魔力の高い鉱石や薬草が豊富な森は、魔女に限らず錬金術師にとっても宝の山だ。それゆえか、王都以外で唯一ヴォルフラート王国認定錬金術師が店を構えており、街の社会基盤はその認定錬金術師が中心となって支えている。
錬金術は魔術と機構術を組み合わせた新しい技術であり、行使するには高い魔力適性と優れた知能が必要となる。誰でも名乗れるわけではなく、王都で年に一回開催される認定試験を通過することが必須である。錬金術自体は書物や師事などで学ぶことが出来るが、それだけでは錬金術師を名乗ることは許されていない。
エヴァルトにある錬金術師の店は、中央から少し外れたところにある。煉瓦造りの壁と赤い屋根はエヴァルトの特徴で、この店も同様の作りをしている。甘い茶色の扉の横には呼び鈴代わりのノッカーがついており、手作りらしき木製の郵便受けもある。
この錬金術師は、外灯や中央広場の噴水などの景観に関するものから、汚水処理施設、浄水設備、共用の井戸以外にも常時水を補給出来る場所を設置した他、郊外に粉碾き用の風車小屋を建設した。更に、王都の城門と跳ね橋を人力ではなく絡繰で開閉出来るようにしたのもこの人物であり、彼の功績なくしていまのエヴァルトの街は存在しえないため、住民は敬意を込めて彼を先生と呼び慕っている。
そんな錬金術師の店に、一人の男性が訊ねてきていた。
彼は机などに置いて使うタイプの鉱石ランプを購入したらしく、商品を手に満足そうな表情を浮かべている。
「先生、いつもありがとうございます」
「いやいや、これが僕の仕事だからねえ」
鉱石ランプは、魔力を持たない人間でも炎が扱えるように加工した鉱石をランプの中に入れ、ランプの下部にあるゼンマイを捻ると小さな火花が散って鉱石が光を放つ仕組みとなっている。この街にある外灯も似た作りになっているが、外灯はゼンマイ式ではなく、一定の暗さになると自動で点灯するように作られている。
この鉱石ランプが街に行き渡る前は、住人は火傷の危険を冒しながら炎属性の石同士を擦り合わせて組んだ薪に火を付けたり、或いは、たいまつを掲げて生活していたという。冬の夜はまだ暖炉の火があったが、夏は日が暮れた時点で家の中でもろくに活動出来なくなっていた。
「これで寝室でも本が読めますよ」
「それはなによりだけど、程々にね。君の奥さん、身重だったろう」
作業用の椅子に腰掛け、鉱石を手の中で玩びながら言うと、客の男性は照れくさそうに目尻を下げて頷いた。
「ええ、なので恥ずかしながら今更慌てて勉強してるんですよ。育児に正解なんてないんでしょうけどね、ある程度知識があったほうがいいと思いまして」
「それはそれは。大事にしてあげてね」
「はい、それはもう」
立ち上がり、改めて深く頭を下げながら「ありがとうございました」と言うと、男性は両手で大事そうにランプを抱えて店を出て行った。
客が去ったあと、奥の部屋に通じる扉が開き、線の細い青年が姿を現した。白金の長い髪は背を覆うほどあり、淡い水色の瞳は淡い光を帯びている。更に、左頬から首にかけて古代語の文様が刻まれており、纏っている服も古代語の刺繍が施されていた。
部屋を見渡し、紙束が雑多に詰め込まれた棚に目を付けると、青年は黙って棚の整理をし始めた。
錬金術師の男もまた、机に向かって鉱石を削り始め、室内に紙を纏める音と鉱石を削る音だけが静かに波を作っている。
「―――ご主人、街の噂は聞きましたか?」
棚の前で大量の羊皮紙の束を纏めながら、ふと線の細い青年が机に向かっている男性に声をかけた。視線は交わらないまま、互いの作業音だけが間を繋いでいる。
「噂? 粉碾き小屋の倅が花屋の娘に懸想してるって話かな?」
水色の鉱石をレンズで観察しながら、男性が答える。緩く癖のついた薄灰色の長い髪を背中で一纏めにして、気怠げな鈍い暗緑色の瞳を持ち、若干不健康気味な顔色をしたこの男性こそがエヴァルトに住む唯一の認定錬金術師、テオドールだ。
青年は横目でその後ろ姿を暫し見つめていたが、紙束を棚に収めると机の傍に立った。
「いえ。常夜の森に隠れ住んでいる修復の魔女の噂です」
「ああ、あれかあ。まあね。というか、彼女の恩恵あっての僕の仕事だからね」
森の奥に隠れ住む魔女。その一言だけで、この世界からどういう扱いを受けているかがわかってしまう。魔女と錬金術師との違いは、実際のところ殆どない。
錬金術師も魔女も、己の魔力を鉱石や薬草などに作用させて利用している。そこに差はなく、教会にとって都合がいいか悪いかの違いしかない。過去に悪い魔女が国を脅かしたなどという実例もなければ、いま生きている魔女が国家転覆を目論んでいるということもない。魔女という呼び名自体が、教会の下につかない能力者を蔑むためのものに過ぎないことを、多くの民が知っている。
ただ、錬金術は機構術と組み合わせなければ十分に鉱石の力を引き出せないのに対し、魔法はその手順を必要としない。ゆえに教会では奇跡の力と呼んでおり、魔力の高い者を聖人として祀ることで厳重に確保しているのだ。
「ルカくんはその魔女が気になるのかな」
「……少し」
ルカと呼ばれた青年は、目を伏せて思案げに答えた。服や手袋で体の大半を隠しているためわかりにくいが、彼の関節部は人間のそれではない。よく見れば肌も髪も瞳も生きた人間の質感とは若干異なっている。
彼は、人型の人工生命―――ホムンクルスという創造物で、思考し感情を持つ個体は、優れた能力を持つとされる錬金術師の中でも限られた者にしか作れない一級品である。
「因みに、どういった理由で?」
「存在が噂になっている、ということ自体が気にかかります。それに、魔女の存在を知り訊ねている者がいるということも……」
「なるほどねえ。君は僕に似て賢いね」
テオドールはルカを呼び寄せ、屈んできたところで手を伸ばして頭を撫でた。そのまま後頭部に手を回して引き寄せると、机の上に並べて置いた小さな鉱石を一つ取り、ルカの口元へと持って行った。ルカはひな鳥が餌をもらうときのように唇を開いて鉱石を含むと口内であめ玉のように転がした。
人工生命にとって、人で言うところの食料に当たるものは、魔力に満ちた鉱石である。ルカの味覚は鉱石に様々な加工を施すことで変化を楽しめるよう調整してあり、今し方も新たな加工を試していたところだ。
暫く感触を楽しんでから嚥下したのを見、テオドールは満足げに微笑む。
「どうかな? 水鉱石のカットを変えてみたのだけれど」
「氷に似た感触でした。温度も、氷と同じだと思います」
「ふふ。問題なく作れているようだね。僥倖僥倖」
陶器のようなという言葉が比喩になりきらない滑らかな肌を撫で、テオドールはルカを愛おしげに目を細めて見つめる。
「僕はね、美しいものが好きなんだ。この街の基盤を整えたのも、僕の住む街に相応しい姿にしたかったがためでしかないんだよ」
「存じております。それゆえに、いままで丁寧に種を蒔いてこられたということも。最早芽は出揃いました……先の様々な要因を鑑みるに、この機を逃す手はないかと」
「ふふ。君がそう言うのなら、そうなんだろうねえ」
手袋に覆われたルカの手を取り、指を絡めて握ると、テオドールはそっと唇を寄せた。主人の一挙手一投足を輝石の瞳に焼き付けて、ルカは綺麗に微笑む。
「忙しくなりそうですよ、ご主人」
「うん。でもまあ、整備が終わってからはずっと退屈だったから、丁度いいよ、そろそろ僕も、彼らを放し飼いにしておくのにうんざりしてきたしね」
立ち上がり、扉へ近付く。玄関口近くに立てかけてあるコートハンガーからインバネス型の外套を取ると、ルカは慣れた所作でテオドールに羽織らせた。裾に刻まれた古代語の刺繍と加工した鉱石のついた飾紐が、彼自身の読めない容姿を引き立てて独特の雰囲気を作り出している。
「さてと、まずは物語がどこまで進んでいるかを見極めないといけないねえ」
「お供致します」
「よろしく」
扉に『本日休業』と書かれたプレートを下げ、テオドールとルカは工房をあとにした。
ヴォルフラート城はエヴァルトの街から四刻ほど馬車で行ったところにある。城下町はエヴァルトに劣らず賑やかで、テオドールがエヴァルトへ移住する際に作成して提供した噴水が街の名物の一つとなっている。
王城の周囲を囲う、上流階級の暮らす街である王都と、その周囲に発展した城下町は、王家に連なる貴族である枢機院を中心に、権力者の住居が集まっている。更に城下町には教会の総本部があり、敬虔な信者が祈りに訪れる姿が見られる。
「……王子はまた城下ですか」
「は、はい……申し訳ありません……そして王都にはいらっしゃらないと、先ほど伝令が入って参りまして……」
王城の門前で、身分の高そうな男性と門兵らしき青年が向かい合っていた。門兵は体が石になったかのように硬直し、いまにも息が止まりそうな顔をしている。
身形の良い男性は、ロングコートのような丈の長いジャケットを羽織り、腰に細い剣を差している。深い藍色の髪は項で一纏めにされ、切れ長の目は暗い紫色をしている。背が高く鋭い眼差しをしているためか、正面から相手を見据えると威嚇しているように見えてしまうようで、先ほどから門兵は石像のように動かない。
門兵が緊張している理由は、なにも彼の目つきが怖いからというだけではない。男性は王家に仕える枢機院のうち一人で、門兵とは身分の差が天地ほどもある。平時であれば、顔をつきあわせて会話することなど起こりえない相手だ。
いまにも自ら処刑台に上りそうなほど極限まで緊張している様子を見て、男性は小さく息を吐いた。ただそれだけで、門兵の体がビクリと跳ねる。
「いや、いい。……だが念のため、万一に備えておくように」
「はっ!」
伸びきっていた背筋を更に伸ばして敬礼すると、門兵は持ち場に駆けていった。
残された男性は再び溜息を吐くと、視線を城下のほうへと投げ出した。そのとき。
「あれは……」
近付いてくる機構馬車を目に留め、城の裏手へと回った。生きた馬や御者を使わずに、馬車のなにもかもを錬金機構で賄う変わり者の心当たりは一人しかいない。王都で優雅な暮らしが出来るだけの待遇を持ちかけられても構わずに、当時はどこにでもある田舎町でしかなかったエヴァルトに居を構え、あっという間に王都に並ぶ社会基盤を築いた男だ。
その話を、男性はまだ少年だった頃に、先代国王の側近から聞かされた。だというのにその変わり者は人とは思えないほど長く生き、いまもあの街に住み着いている。
裏庭につくと、その心当たりが供を連れて姿を現した。
王家の枢機卿に対する態度にしてはあまりにも気安く、まるで旧知の友人にでも会いに来たかのように手を振りながら近付いてくる。
「やあ、ジルベール」
「テオドール。今度はどんな面倒ごとを持ち込むつもりですか」
「えぇ、ひどいなあ」
肩を竦めて笑う客人に、ジルベールと呼ばれた男性は視線で先を促した。テオドールは「せっかちだねえ」と言いつつも、彼自身あまり時間に余裕がないのか、すぐに大人しく話し始めた。内容はルカの予感とそれに対する見解で、実際になにか事件が起きたという話ではない。だがジルベールは真剣な眼差しでテオドールの話を聞いている。
「――――……とまあ、ちょっと面倒なことが起きそうでね。君たちのほうでも、彼らの現状には手を焼いているだろう? そろそろ片を付けるときが来たんじゃないかな」
テオドールが持ち込んできたのは、エヴァルト付近に住む魔女に関する噂だった。噂は噂でしかないと切り捨てることも出来たが、その魔女にはジルベールも覚えがあった。
「その魔女については、確か王立図書館に文献が残っていたはずです。……禁書の類ではありますがね」
「抑々なんで追放されたのかな? 元は王都周辺の街で暮らしていたんだろう?」
「ええ。彼女は類い稀なる強い魔力の持ち主でした。普段はそれを隠していたのですが、孤児で生活環境が良くなかったため、陰で魔法に頼っていたのではと言われています」
右目にかけたモノクルを軽く指先で直しながら、ジルベールは静かに続ける。
「あるとき、彼女が大切にしていた鋏が壊れ、感情の向くままに詩を紡いだのです。その結果、鋏は膨大な魔力を受けて魔法生物と化し、その様子を目撃した市民によって教会に通報されました」
「ふむ……でも教会が駆けつけたなら、その場で処刑されているか聖女として捕えられているはずだよね」
ジルベールは黙って首を横に振り、眉を寄せた。
頭の中にある記録の記憶には、事の顛末が詳細に焼き付いている。まるで子供に向けた教養本のような物言いで、魔女が悪行を働いたと言わんばかりに書かれていたことも。
「駆けつける前に、彼女はその魔法生物を伴い森へ逃げ、森に魔法をかけました。常夜の森は元々鬱蒼とした森ではありましたが、最初から常夜だったわけではないのです。人を遠ざけ、世を呪い続けるためと教会の禁書には書かれていますが、前者はともかく後者は脚色でしょうね」
「なるほどねえ」
何度か森の中程まで進んだことがあるテオドールには、人を遠ざける魔法というものに覚えがあった。あの森は真っ直ぐ進むことを許さず、曲がりくねった獣道を進み、洞窟や泉の傍を通り抜けなければ奥へいけないようになっている。そして、それらの地点には、外から来た存在を感知する魔法がかけられていることにも気付いていた。
「あの森で鉱石が山ほど採れるのも、彼女がいてこそですよ。以前は暗い森らしく薬草もろくに生えず、苔やら淀んだ沼やらそんなものしかなかったはずです」
「そうらしいね。僕がこちらへ来たのは森に彼女が住むようになってからだから、以前の姿を知らないけど……ただ、その恩恵を受けている身としてはやっぱりこのまま見過ごすことは出来ないねえ」
ジルベールは難しい顔のまま、深く長い溜息を吐いた。
これまでもテオドールは、様々な情報を持ってジルベールを訪ねてきた。そのどれもが未来予知でもしたかと思うようなものばかりで、彼の情報があって回避出来た問題が多数ある。城内で随一の智略家などと言われているが、それは先んじてテオドールから情報を得ていることが大きい。
今回このタイミングで彼が森の魔女の話を持ち込んだということは、これまで枢機院や王家が先延ばしにしてきた王都に蔓延る教会の問題を片付けるときが来たということだ。そして恐らく、この期を逃せば次はないのだろうということも、ジルベールは否応なしに理解した。
「わかりました。こちらでも出来る限りの手配をしておきます」
「頼んだよ。あと、王子様はたぶんエヴァルトにいるんじゃないかな」
「……そんな気はしていました」
呆れて呟くジルベールの肩を、テオドールは笑って叩いた。
主人が話しているあいだじっと影のように佇んでいた供のルカが、小さくテオドールを呼んだ。
「戻りましょう」
「そうだね。ジルくんもお仕事があるだろうしねえ」
「その呼び方はやめてください。もう子供ではないんですから」
眉間に影が出来るほどの深い皺を刻みながら、ジルベールが低く呟く。その反応すらも面白がって笑うテオドールを、ジルベールは元より悪い目つきを更に悪化させて睨んだ。
「僕からすれば、この国も君も、皆子供みたいなものだよ」
後ろ手にひらひらと手を振りながら、テオドールはルカを伴って去って行った。
彼と話していると全てが彼の手のひらにあるような気さえしてくる。国も、街も、この世界の理さえもが。ただ、教会のやり口と違いそれに逆らおうと思えないのは、己に利があるからというだけではなさそうだった。
「本当に、面倒な人だ……」
機構馬車が遠ざかっていく音を聞きながら、ジルベールは人知れず呟く。認定錬金術師全てに偏見を抱いてしまいそうなほど、理解の範疇外にある存在だと改めて認識した。