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常夜の森の魔女~ネルケと救済の子守歌  作者: 宵宮祀花
【三幕】救済の子守歌
12/14

【三場】アイシクルリリーの花束

 花嫁の控え室でドレッサーの前に腰掛けながら、ネルケは気恥ずかしそうに頬を染めて母親を見上げた。純白のドレスに透き通ったヴェールを被り、王家の花を髪飾りにして。薄化粧の載った顔を見せるのはどこか面映ゆい。

 社交界で生きる身として最低限の教育を受けている以上、パーティの場に出たり貴族を相手にすることも間々あった。そのときはそれなりの格好をして、それなりの振る舞いもしてきた。けれど、そのどれも比べものにならないくらい、いまの姿はむず痒い。純白のドレスが誰より似合う綺麗な少女を知っているから、余計に。


「……ねえお母様、変じゃないかな……?」

「ふふ、とても綺麗よ、ネルケ。私があの人のところへ嫁いだ日を思い出すわ」


 眩しそうに目を細めて淑やかに答える母の目は、ネルケに嘗ての自分たち夫婦を重ねているようで、ネルケは擽ったい気持ちが増していく心地だった。いつも動きやすさ重視の格好ばかりしていたため、引きずるほど裾の長いドレスも高いヒールの靴も慣れなくて、本当に鏡に映っているのは自分だろうかとすら思えてくる。

 もしこのドレスを着たのがリーリエだったらどんなに綺麗だろうかと想像することで、何とか椅子の上に自分を押し留めていられた。


「リリィ、まだかな……場所を記憶させた導石は渡してあるから大丈夫だと思うんだけど初めての街だろうし、心配だな……」


 身支度を始めてから何度目かの台詞に、母は「大丈夫よ、まだ時間はあるわ」と諭して肩を優しく抱いた。三度目くらいまでは、いまからでも迎えに行ったほうが……と言っていたのが、母に先回りされるようになって渋い顔で頷くしかなくなってしまった。


「うぅ……早く終わってほしいけど始まってほしくない……」

「もう、仕様のない子ね」


 呆れて笑う母の顔は優しい。娘の晴れ舞台に立ち会うことが出来てうれしいのは彼女も同じなのだ。一時は命の危機さえあったのだから、尚更である。

 母子揃って落ち着きなく待っていると、控え室の外からざわめく声が聞こえてきた。


「なにかあったのかしら……見てくるわね」

「うん」


 様子を見に出た母の背を見つめながら、ネルケはそわそわと手先を玩んだ。暫くして、外の騒がしさが落ち着いてきたかと思えば、控え室の扉が再び開かれた。それと同時に、ネルケは何故騒がしかったのかを理解する。

 待ちわびた人の着飾った姿が、そこにあったからだ。


「リリィ!」


 反射的に立ち上がってスカートの裾を踏んでしまい、うっかり転びそうになった。傍に控えていたヴィンデが支えてくれて事なきを得たが、そのまま座らされてしまう。怪我はしなかったけれど、代わりに上から降り注ぐヴィンデの視線がとても痛い。なにも言わず背筋を伸ばして控えているのが、却って恐ろしい。


「ネルケ、落ち着きなさい」

「はぁい。……ねえリリィ、もっとこっちきて、あたしにも良く見せて」


 反省しているのかいないのか、ネルケは紅潮した顔でリーリエを呼んだ。リーリエは、正装を纏ったエルレフリートに手を引かれ、静かにネルケの傍まで歩いて近付いた。その立ち居振る舞いはお転婆が辛うじてドレスを着ている状態のネルケより余程淑女らしい。


「すごく可愛いよ。リリィは何色でも似合うけど、水色もいいね」

「……ぁ、ありがとうございます……」


 頬を紅潮させて褒めちぎるネルケの勢いに、リーリエは久しぶりに気圧された。照れが全身を覆い尽くし、心も体も病にかかったように熱に浮いてしまう。けれど初めて容姿を褒められたときのような抵抗感を示さなかったのは、ネルケの言葉に嘘も媚びるつもりもないとわかっているからだ。


「ベルトの花も可愛いね。ていうかこれ、うちの街の花じゃない?」

「はい。お洋服を作ってくださったマティルダさんが、わたしもエヴァルトの一員だってドレスに込めたと言ってくださって……」

「うんうん、そうだよ。リリィだってあたしの街の仲間だもん」


 恐縮しきって小さくなりながら言うリーリエに、ネルケは何度も頷いた。

 リーリエのドレスは襟元と袖とスカートの裾がレースで出来ており、ウェストのベルト部分にはエヴァルトを象徴する花、シェーンブルーメがあしらわれている。フリルに似た多層の花びらが大きく広がるように咲く大輪の黄色い花で、純白と寒色だけで構成された冬色のリーリエを鮮やかに引き立てている。裾にレースを縫い付けたフリルのスカートは膝下までの長さで、ネルケはいま初めてリーリエの脚を見ることになった。すらりとした細い足はいまにも折れそうで、全身くまなく華奢な作りをしているのだと知った。

 花の咲いた荊が巻き付いているデザインのタイツに合わせて、靴の甲と踵にも庭薔薇の造花が控えめに咲いている。


「その靴も一緒に仕立ててもらったの?」

「いえ、これは……ドレスを受け取ったあと、デザインに合わせてわたしが……」

「えっ、すごーい! リリィ、靴も作れるんだ! 見せて見せて!」


 ネルケが目を輝かせながら身を乗り出すと、エルレフリートがリーリエを抱え上げて、ネルケの目の高さ付近にリーリエの靴が来るようにしてみせた。両手で小さな足を包むと上のほうでリーリエが「汚れてしまいます」と慌てる声がしたが、構わず見つめる。

 小さく繊細な足に似合った青い靴は艶のある素材で作られており、僅かにヒールが高く出来ている。


「……あれ? なんかキラキラしてると思ったら、これって鉱石の欠片?」

「はい……錬金術は魔法と違って鉱石を手で削って加工しますので、加工の段階で細かい破片や粉が出るのです。それをテオドールさんに譲って頂いたのです」

「なるほどね、こういう使い方もあるんだ。凄いなぁ……」

「あの……」


 興味深そうに靴を見つめるネルケの楽しげな表情を見、リーリエはふと思い立って口を開いた。


「良ければネルケにも靴を作りましょうか……?」

「えっ、いいの?」

「はい。結婚のお祝いに……わたしから差し上げられるものはあまり多くないので、これくらいしか出来ないのですけれど……」

「ううん、すっごくうれしい! 楽しみにしてるね!」


 輝くような笑みで言うネルケに、リーリエは照れくさそうに笑って頷いた。

 暫くして、控え室の扉をノックする音が聞こえ、ヴィンデが応対に出ると婚礼儀の進行作業全般を総括している女性が「失礼致します」と頭を下げた。


「間もなくお時間です。ガルデーニエ様とネルケ様はホール前までお越しくださいませ」

「あ……時間ですね、行ってらっしゃい」

「うん、リリィはヴィンデさんと一緒に参列席にいてね。行けばわかると思うから」

「はい」


 一度下に降ろされ、リーリエは式典へ赴くべく立ち上がったネルケを見上げて頷く。

 純白のヴェールで顔を覆い、ガルデーニエと手を繋いで控え室を出て行った。


「我々も参りましょう。ご案内致しますわ」

「はい、お願いします」


 ヴィンデの先導でネルケが入場する正面とは別の入口からホールに入ると、中は綺麗に飾り付けられた会食の席が整っていて圧倒された。ネルケが向かった入口扉から真っ直ぐ赤い絨毯が敷かれ、最奥の壇上まで続いている。壇上には王家の紋章が掲げられていて、その真下に王家の正装を身に纏ったクラウスが佇んでいる。

 赤い絨毯を挟むようにしてたくさんのテーブルが並ぶ中、中央に近い席でテオドールがリーリエをそっと手招きした。入口付近には招待された使用人や従者の席があり、奥から中央にかけてを王族や貴族が席を埋め尽くしているのを見て、改めてリーリエはもの凄いところに来てしまったのだと実感した。


「リーリエ様とエルレフリート様はあちらへどうぞ。私は使用人席におりますので」

「おや。私もお嬢様と同じ席なのですね」

「ええ、あなたも大切なお客様ですもの。では、失礼致しますわ」


 呼ばれるまま席へ向かうと、控えていた給仕係が慣れた所作で椅子を引いた。


「靴は上手く出来たようだね」

「はい、お陰様で……ありがとうございました」


 リーリエにテオドールが微笑むのと同時に、司会が開宴の言葉を述べた。

 空気が引き締まり、視線が中央に集まる。両開きの扉が同時に開かれ、ガルデーニエにエスコートされる形でネルケが淑やかに入場してくる。行き先は、クラウスが待つ最奥の壇上。王家の紋章が掲げられたその前で、互いの永遠を誓い合うのだ。

 ネルケがリーリエの傍を通るとき、一瞬視線をやってふわりと微笑んだ。その表情は、いままで見たどの笑顔より輝いて見え、胸が歓びで溢れそうになるのを感じた。

 数段の階段があるところまで来ると、ガルデーニエの手がそっと離れる。そして壇上を見上げると、ガルデーニエはクラウスを眩しそうな笑みで見つめた。


「ネルケをよろしくお願いしますね」

「はい」


 確と頷いたクラウスに一礼すると、ガルデーニエはネルケの背をそっと押した。静かに促されるまま、ネルケは一歩一歩壇上へと上がっていく。クラウスの隣に向き合うように立ち、暫し真っ直ぐに見つめ合うと、クラウスがスッと跪いた。そしてネルケを見上げる格好のまま、厳かに口を開いた。


「僕は、王家の紋章に誓って君とお母上をしあわせにする。君となら王家を、そしてこの国を、より良いほうへ導いて行けると確信している。出会ったときから、君は僕にとって一条の光だった。君となら僕はどんなときでも迷わず進める。ネルケ・ジークリンデに、クラウス・ハルトヴィヒ・ヴォルフラートは、ここで永遠を誓おう」


 差し出されたネルケの右手を取り、恭しく指先に口づけをする。そして王家の花と銀の紋章がついたブレスレットをネルケの手に通した。王子の手ずから王家を象徴するもので利き手を飾るという古くから伝わる儀式で、ネルケは名実共に王家の花嫁となる。

 白い花が咲いた右手首を、左手でそっと触れる。そして壇上からリーリエを見下ろし、自分たちをじっと見つめている白の少女に微笑を向けた。

 クラウスに向き直ると小さく息を吸い、泣きそうになるのを堪えつつ応えを紡ぐ。


「……私、ネルケ・ジークリンデは、いまこのときを以てネルケ・ヴォルフラートとして王家に心からの忠誠を誓い、そして、クラウス・ハルトヴィヒ・ヴォルフラートに永遠を誓います」


 宣誓の言葉を紡いだネルケを立ち上がったクラウスが横抱きにして抱え上げた。驚いている隙に壇上から降り、テーブルが囲む中心に降り立つと、ネルケを降ろしてヴェールをかき上げた。


「もう、いきなりなに……」


 抗議しかけたネルケの唇を、クラウスの唇が塞いだ。

 突然のことに息が止まる。目を閉じることも忘れて固まっていると、至近距離で小さく笑う気配がした。


「……そんなに驚くことか?」

「っ、ばか……!」


 真っ赤になって目に涙を溜めながら、精一杯の抗議を受けてクラウスがまた笑う。と、周囲から拍手が起こり、ネルケは目を丸くして辺りを見回した。そこで漸く、衆人環視の中で口づけをされたのだと理解し、改めて顔が熱くなる。

 クラウスはネルケの肩を抱きながら、悠然と皆に笑みを向けた。


「皆さま、ささやかではございますが、宴の席をご用意しております。どうぞごゆっくりお楽しみください」


 会場内に響き渡る声でそう言うと、クラウスはネルケの耳元に顔を寄せる。


「ほら、僕たちも行こう」


 まだ口づけの衝撃から回復しきれていないネルケは赤い顔のまま頷き、クラウスに肩を抱かれたままでテーブルに着く。

 会食が始まり、張り詰めていた空気が和らいだ頃、ネルケは人知れず溜息を吐いた。


「……慣れないなぁ……」

「気持ちはわかるが、王城で暮らすことになるんだ、少しは慣れてもらわないと」

「わかってるわ。服装もそうだけど、エヴァルトを離れたら森も遠くなるのよね」

「リーリエのことか?」


 クラウスに頷き、ネルケは果実酒を一口含んだ。ローズベリーを使ったお酒はほのかに甘酸っぱく、好きなジュースに似た味のお陰で少しだけ緊張が和らいだ。

 視線をリーリエに向けると、カトラリーを巧みに使って食べ進める姿が見える。思えば彼女は、ずっと森の奥で暮らしていたわりに、良家の子女と遜色ないほど、隅々まで躾が行き届いている。傍らの瀟洒な従者が仕込んだのか、それとも別の事情があるのかは謎のままだが、ネルケは疑問を口にする代わりに別のことを呟いた。


「……気軽に会いに行けなくなるのは寂しいなって」

「そうだな。君のお母上も、きっとそんな思いから君に故郷の歌を託したんだろう」

「そっか……お母様も遠くから嫁いできたんだっけ」


 エヴァルトほど大きな街を治める領主の下に嫁いできて、夫を亡くしてからはネルケを女手一つで育ててきた。母の姿を思い出すとき、まず浮かぶのは優しく微笑む顔だった。体が弱く、もどかしい思いをしたこともあっただろうに、彼女は常にしなやかだった。


「あたしも、お母様から教わった子守歌を自分の子供に伝えようかな」

「っ!? げほげほっ!」


 ネルケの言葉に、クラウスは突然噎せて俯いた。近くの席にいた数名が何事かと二人を見るが、ネルケが呆れて背をさすっているのを見て大事ではなさそうだと目を逸らす。

 暫く咳き込んでから水を飲み、クラウスは深く抉るように息を吐いた。


「……はぁ……」

「なによ、別に変なこと言ってないでしょ」

「そうだけど……」


 気が早いんだ、というクラウスの呟きは、会食の賑わいにかき消されて届かなかった。


 穏やかに、緩やかに、祝福の時間は過ぎていく。

 食後のアルコールも尽きた頃、宴はお開きとなった。一人一人新たな夫婦に挨拶をし、会場を去って行く。

 やがて会場内が閑散としてきたところで、ネルケの友人カンナが小走りに寄ってきた。彼女もまた、宿屋で仕事をしているときの衣装と似つかぬ若草色のドレスを纏っている。それなのにお構いなしで走ってくる辺り、彼女はネルケの親友なのだと実感する。


「ネルケ、まさかあんたの王子様がほんとの王子様だったなんてね」

「隠してたわけじゃないのよ。ただ、何となく貴族とか王族とか、面倒くさかった時期があって、気付いたらズルズルと……」


 横目でクラウスを見ながら徐々に小さくなっていく言い訳を聞いて、カンナはからりと笑った。


「知ってる。あんた隠し事が出来る性格してないもん」

「む……その通りだけど、カンナに言われるとなんか釈然としない」

「あはは、褒め言葉として受け取っておいてあげる」


 クラウスのほうを向き、真剣な顔を作ると、カンナは深々とお辞儀をする。


「あたしの親友を、よろしくお願いします!」

「ああ」

「それじゃ、街でまたお祝いするからそのときにね」


 迷いなく答えたクラウスの真っ直ぐな瞳を見て、カンナは満足そうに微笑むと、二人に手を振って会場をあとにした。


「良い友達を持ったな」

「うん。凄くいい子なの。……あれ?」


 ふと、会場の出口で見覚えのある髪色が見えた気がして、ネルケは後ろ姿を見つめた。カンナを迎えに来た男性は、ツヴィングリ兄弟のうちどちらかに見える。ただ、大嫌いなアレクセイの身内だからと積極的に記憶していなかったため、兄のどちらかは遠目で見ただけではわからなかった。


「まさか、カンナがアイツのお兄さんのどっちかと会ってたなんて……ていうかあの人、どっちなんだろ?」

「ん? ああ、アルブレヒト卿じゃないか? 最近カンナが気になっているらしくてな。仲介を頼まれた」

「あんた知ってたの? ていうかいつの間にそんなことに……」


 驚いて訊ねるネルケに、クラウスは頷いて答えた。


「先代ツヴィングリ卿が亡くなって長兄が跡を継いだとの報せを受けたとき、軽くな」

「へえ、あの似たもの親子の親まで死んでたなんて知らなかったわ……ずっとそれどころじゃなかったし、正直興味もなかったから」

「一応、報せは入っていたんだが」


 ネルケの処刑が決まった翌日の夜、つまりは処刑日の前日。ネルケは檻の中にいたため世間でなにが起きていたのか全く知らなかったが、ネルケ曰くの腐れ坊ちゃんの親であるツヴィングリ卿が『不幸な事故』で亡くなった。彼は所謂二世貴族で、親から継いだ名を振りかざす類の貴族だった。その気質を色濃く受け継いだアレクセイはともかく兄二人はまともな感性を持っていたため、市井のあいだではどちらかが画策して殺したのではとも言われている。

 更にその翌日のうちに教会への支援を一切経つと宣言、しかしそのとき教会の司祭長はエヴァルトに出ており、ツヴィングリ家の異端審問に割く人員も時間もなかった。

 そしてそのまま、教会は解体。教会派であった貴族も、それまでの行いによって臣民の反感を受けて半ば失墜してしまっている。


 ―――という話を、聞いていたはずだが、ネルケは上の空で覚えていなかった。


「あたしだって、自分のことで精一杯になるときくらいあるのよ」

「……公務のときは、形だけでも悼んでやれよ」

「わかってるわよ。……あっ、良かった。まだいてくれた」


 ふと、ネルケは席に座ったままで皆の様子を眺めていたリーリエに気付いて近寄った。会場内にはもうネルケとクラウス、そしてリーリエとエルレフリートしか残っていない。ヴィンデはガルデーニエを伴って控え室に下がっており、恐らく緊張から解放されて肩の力が抜けたガルデーニエを休ませているところだろう。


「リリィ、改めて来てくれてありがとう」

「わたしのほうこそ、呼んでくださってありがとうございます。こういう場所に来るのは初めてで……つい見入ってしまいました」


 リーリエは改めてネルケの顔を見上げる。花嫁衣装に身を包み純白に染まっていても、ネルケは色鮮やかな陽光の下に咲く大輪の花に見える。


「綺麗で、しあわせそうで……見ているわたしまで暖かい気持ちになりました」

「えへへ、そのままでも綺麗で可愛いリリィにそう言われると照れるなあ」


 式が終わって気が緩んだのか、いつもの調子で照れ笑いを浮かべるネルケを見て、隣のクラウスが「戻るのが早いな」と愛おしげに嘆息した。


「リリィはさ……これからもあの森で暮らすんだよね」

「はい。あの工房がわたしたちの居場所ですので」


 迷いなく答えるリーリエの笑みを見て、ネルケは重ねて言うつもりだった言葉をぐっと胸の奥底に飲み込んだ。代わりに、ネルケも負けじと鮮やかな笑みを見せる。


「あたし、前みたいに行きたいと思ったとき、すぐに行けなくなっちゃったけど、でも、絶対また会いに行くから」

「はい、お待ちしています」


 傍で話を聞いていたエルレフリートが、屈んでリーリエに声をかける。リーリエは彼を振り仰ぎながら「わかったわ」と答えるとネルケに向き直った。


「わたしも、お暇しますね」

「うん」


 エルレフリートにエスコートされながら去って行く後ろ姿を見送っていたネルケだが、ハッとして声を上げた。


「リリィだって、会いに来ていいんだからね! もう、外は敵じゃないんだから! もう誰も、リリィを森に追い返したりしないんだからっ!」


 一瞬、外へ向かうふたりの足が止まった。けれど、結局振り返ることなく、森の魔女とその従者は王都を去って行った。教会や民衆に追い立てられて森へ逃げたときとは違い、静かな足取りで。


「大丈夫、きっと伝わったはずだ」

「うん……」


 ネルケの肩を抱き、クラウスが優しく囁く。

 もう二度と、教会が作った虚像に惑わされることはない。ネルケ自身もどこかで彼女に対して抱いていた『森に追われた可哀想な魔女』という憐憫の意識を、教会の崩壊と共に打ち消すことが出来た。

 これから変わっていけると確信出来るのは、隣にクラウスがいてくれるからだ。


(……なんて、恥ずかしくて言えないけど、でも……)


 並んで会場をあとにしながら、ネルケはしあわせそうに笑って言う。


「あたしをあんたのお姫様にしてくれて、ありがと」


 クラウスは一瞬目を瞠って、それから柔和な笑みを浮かべてネルケを抱き寄せる。


「言っただろ。僕はずっと、君のことだけが好きだったんだ」


 あのときの約束。

 記憶が霞んで思い出せなかった、自分の答えが、やっと思い出せた。


 ――――おとなになっても、あたしのことがいちばんすきだったら、いいよ。

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