第88話「侍女頭の憂鬱」
鬱々と、持て余していた自分の気持ち……
ヴィリヤは我慢出来ずに、とうとう『想い』を告げた。
ダンへの、熱く煮えたぎるような想いを……
性格が不器用だと、ダンから指摘されて、尚更恋心は燃え上がってしまう。
自分を理解してくれて、真摯な意見を言う者を、人は必要とするのだから。
「嫁とやらをさっさと捨てて、私を受け止めて下さいっ」
「おいおいおい」
叫ぶヴィリヤに、宥めるダン。
はっきり言って、男女の痴話喧嘩にしか聞こえない。
特にヴィリヤの声は、隣室にまで響いたようだ。
ベアトリスの私室へ続く、部屋の扉がいきなり開いた。
茶色の髪を、後ろで束ねた年配の女性が現れる。
身なりからすると、王宮に勤める侍女らしい。
それも、相当上の地位にあるようだ。
ヴィリヤを見る目は怒りで吊り上がり、口は「キッ」と結ばれている。
「ヴィリヤ殿! 騒々しいですよ、何を騒いでいらっしゃるのです」
「あ、ああ……パトリシア様」
パトリシアと名乗る侍女から一喝され、いつもの誇り高く強気なヴィリヤはどこへやら……
「がっくり」と、力なく項垂れてしまう。
そんなヴィリヤへ、パトリシアは追い打ちをかける。
「これからベアトリス様に謁見するのに、不作法は許しませんよ、ヴィリヤ殿! そもそも貴女は、名家アスピヴァーラの後継者ではありませんか!」
「も、申し訳ありません」
ひたすら謝るヴィリヤ。
ダンは、黙って見つめている。
ベアトリス付き侍女頭のパトリシアは、王宮に入った時から何かにつけて面倒も見てくれていた。
なので、ヴィリヤは頭が上がらない。
そもそものきっかけは、ヴィリヤがベアトリスの治癒が出来ないかという話から始まった。
……ヴィリヤの前任である王宮魔法使いは、エルフ族でも屈指の魔法使いで特に治癒魔法に優れていた。
エルフの神官でもあったその男は、ヴィリヤへ『引継ぎ』をする時に、自分の力の至らなさを嘆いていたのである。
王女ベアトリス……
すなわち創世神の巫女は、覚醒と同時に目が見えなくなり、身体も不自由になってしまった。
いきなり襲った『不幸』に、本人は悲嘆にくれた。
また、妹を愛している長兄の国王、次兄のフィリップなど……
アイディール王家の人々は、様々な手を尽くしたのだが、一切効果は無かったのだ。
当然、エルフの国イエーラから派遣されている当時の王宮魔法使いにも治癒の依頼が出された。
しかし古来からアールヴに伝わる回復魔法を行使しても全くダメであったのだ。
新たに赴任したヴィリヤも、自分の力の限りを尽くしてみたが……やはり効果は、なかった。
王女の世話をする侍女頭のパトリシアは、この時にヴィリヤと知り合った。
人間の社会に、全くと言っていいほど疎かったヴィリヤ。
見るに見かねて王女の世話をする傍ら、色々面倒を見てやったのである。
王宮でのしきたり、マナー、そして様々な人間との付き合いのイロハなど……
そして淑女としての機微まで……
王宮魔法使いとしてあるべき基礎を、ヴィリヤはパトリシアから学んだ。
今ヴィリヤが、王宮で自由に振る舞えるのは、重く徴用してくれる宰相フィリップとベアトリスの力である。
加えて、普段の至らなさを度々フォローしてくれる、パトリシアとゲルダのお陰なのだ。
しかし、我儘な自分中心の性格は中々直らない。
パトリシアやゲルダに反抗する事も、良くある事であった。
そんなヴィリヤを、唯一正してくれたのがダンだったのだ。
何とお尻を叩いて、お仕置きするという衝撃的なやり方で。
でもダンは、フィリップへ熱くアピールもしてくれた。
ヴィリヤが持つ、魔法使いとしての抜きんでた実力を……
それ以来、ヴィリヤはダン以外の言う事も素直に聞けるようになり、最近は評判も良くなって来たのである。
だが王女の部屋の前で、自分の気持ちを大声に出して騒ぐという、簡単にはリカバリー出来ない失態を演じてしまった。
腕組みをして、目を吊り上げたパトリシアの説教は、まだまだ続くようだ。
「良いですか? ヴィリヤ殿は、いずれエルフの長ソウェルにもおなりになる身、もっとご自分を大切になさりませ」
「はっ、はい!」
……ヴィリヤはパトリシアへ、つい相談した事がある。
故郷から遠く離れたヴィリヤにとって、身近な女性の先輩として一般的な恋愛に関して話してみたのである。
そう、あくまで一般的な話として……
だが、さすがに年の功。
パトリシアは、すぐにヴィリヤの気持ちに気付いた。
当然、パトリシアは遠回しに止めた。
常識的に考えても、全く馬鹿げているからだ。
高貴なエルフの姫と、異世界から呼び出した、どこの馬の骨とも分からない男の恋。
到底、容認出来るものではない。
しかしヴィリヤは、とうとうダンへ『告白』してしまった。
パトリシアは、ヴィリヤを何とか翻意させようと、必死に諫めているのである。
「おい、ばーさん」
唐突に部屋に響いたのは、ダンの声であった。
しかもパトリシアを、とんでもなく侮辱するような物言いだ。
驚いたパトリシアは、大きく目を見開く。
「んまぁ! ばばば、ば~さん!?」
「今のは、全部俺が悪いんだ。だからもう、ヴィリヤを叱るなよ」
先程までと違う、意外ともいえるダンの言葉を聞き、ヴィリヤは驚いてしまう。
「ダン!」
一方、パトリシアは怒りにわなわな震えている。
「んまぁ! ななな、何という! 失礼な! 下賤なドブネズミの癖に!」
パトリシアは、ダンが……嫌いであった。
得体が知れない上に、不作法で態度も横柄だ。
そんなダンを、主君フィリップとベアトリスは、何故だか気に入っている。
その上、娘のように思っているヴィリヤまでダンを好きになってしまった。
それ故、嫌いに拍車がかかって『大嫌い』になっている。
ダンを見る度に、「イラっ」と来る。
今回も例にもれず、酷い言い方をして来た。
だから、思い切り罵倒してしまう。
普段、丁寧な言葉遣いのパトリシアには珍しい事なのだ。
しかしダンは意に介さず、「しれっ」と言う。
「分かった、分かった、悪かったよ。俺は下賤なドブネズミで良いから、もう騒ぐな。あんたがキンキン声を出すと、ベアトリスの体調が更に悪くなる」
「んまぁ! この男! よりによって、王女様を呼び捨てにして! 不敬な! 成敗してくれるっ!」
パトリシアには、信じられない。
何と!
目の前の最低男は、王族である主君を呼び捨てにしたのである。
異世界から来たこの不埒な男は、尊い王族……
否、『偉大なる創世神の巫女』を敬う気持ちなど皆無なのだ。
絶対に、絶対に許せない!
パトリシアがそう思って、王宮を護衛する騎士を呼ぼうとしたその瞬間。
「だから騒ぐなって……と、いうか……あんた腰が相当悪いみたいだな?」
「ななな、何を言ってるの! し、失礼な!」
不意を衝かれ、パトリシアは「どきり」とした。
日々ベアトリスの介護を、パトリシアは自ら行っている。
ベアトリスが幼い頃から、一心に仕えて来たパトリシアには当然の事だ。
そのベアトリスも、もうすっかり大きくなった。
体も、重くなっていた。
『体重』は、本人に告げると怒るから絶対に言わないが……
ベアトリスは、少女から大人の女性になりつつある。
目と身体が不自由なベアトリスが、不憫でならないパトリシア。
だが、美しい女性になって行く成長の過程を、心から楽しみにしているのだ。
反面、パトリシアが今迄は楽にこなしていた、日々の世話も最近はきつい。
年齢による自身の体力の衰えもあってか、慢性の腰痛に悩まされていた。
しかし、誰にも悟られてはいけなかった。
下手をすれば、生きがいである王女の世話という役目を、あっさり外されてしまう恐れもある。
なのでパトリシアは、痛みが酷い事を一切仕草や表情に出していない。
そんなパトリシアの苦労を、ダンはしっかりと見抜いていたのである。
「あんたは日々、頑張っている。目と身体が不自由なベアトリスに誠心誠意尽くしている。痛む自分の身体を投げうってな」
「何を言っているのです! わ、私はベアトリス様専属の侍女頭です。身を捧げて仕えるのは当然です」
「自らベアトリスを起こしたり、抱っこしたり、体力が相当要る……ずっとやっていたら、屈強な男でもすぐ腰にくるさ」
「そ、そ、そ、そんな! 私はだ、大丈夫です」
パトリシアの『抗議』に対し、ダンは言葉を返さず、黙って「ピン」と指を鳴らす。
瞬間!
清々しい魔力が、部屋に満ちた。
「え?」「あ!」
ヴィリヤとパトリシアの、驚いた声が交錯した。
無詠唱で、とてつもない治癒魔法を行使したダンに驚くヴィリヤ。
そして……
当のパトリシアも、呆然としていた。
あんなに悩まされていた腰痛が、綺麗さっぱりと消え去っていたからである。
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