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激重ヒロインと気づかない男  作者: 緋紅茜


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1話

高校二年の春。

天縫あまぬい 景瑠けいるは、自分が恋愛というものにあまり向いていない人間だと、ぼんやり思っていた。


誰かに優しくされれば、親切な人なんだな、と思う。

距離が近ければ、人懐っこい性格なんだろう、と考える。

自分のために時間を使ってくれても、たまたま気が合うのだろう、と受け取ってしまう。


要するに、致命的なまでに鈍感だった。


景瑠は、目立つ男ではない。背格好も顔立ちも、良くも悪くも整いすぎてはいない。ただ、柔らかな黒髪と穏やかな目元、低く落ち着いた声、誰の話も最後まで聞く辛抱強さがあった。困っている人を見ると、考えるより先に手を差し伸べる。しかもその親切を、特別なことだとは思っていない。


本人に自覚がないことが、何より厄介だった。


そんな天縫景瑠の周囲には、四人の少女がいた。


ひとり目は、同じ二年の学級委員、すめらぎ 冱玻こはく

ふたり目は、同じクラスの綺月きづき 燦那さんな

三人目は、一年の雪祇ゆきぎ 透禍とうか

四人目は、三年の夜嶺やみね 玻宮はぐう


四人とも美しかった。

四人とも、景瑠に惹かれていた。

そして四人とも、自分以外の誰かが景瑠の隣に立つことを、心の底から認めたくなかった。


皇冱玻は、静かな美しさを持つ少女だった。艶のある黒髪は胸元までまっすぐに流れ、白い肌と細い首筋が、彼女の凛とした輪郭をいっそう際立たせている。目元は涼やかで、まつげは長く、伏し目がちになるだけで教室の空気が少し引き締まるようだった。華奢なのに姿勢が良いせいで、制服の着こなしまで完璧に見える。声は澄んでいて静かで、感情を荒立てることがない。教師受けもよく、生徒からも頼られる模範的な学級委員。けれど、その整った表情の奥には、冷たく深い独占欲が沈んでいた。冱玻は欲しいものを大声で求めない。手順を整え、周囲を静かに片づけ、最後に自分の望む場所だけを残す。


綺月燦那は、冱玻とは正反対だった。蜂蜜色の髪は肩先でふわりと遊び、丸みを帯びた大きな瞳は光を受けるたび明るく揺れる。笑うと頬がやわらかく上がり、表情がくるくる変わるから、見ている側までつられて笑ってしまう。小柄で華奢だが、動きは軽やかで、教室の中にいるだけで周囲の視線が集まる華がある。スカートの揺れ方も、袖の引き方も、首をかしげる角度も、無意識を装ってよく計算されていた。燦那は距離を詰めるのが上手かった。人懐っこく甘え、無邪気な笑顔で相手の警戒を奪う。だがその実、執着は四人の中でもかなり強い。欲しいと思ったものには迷わず手を伸ばすし、自分の邪魔になるものは、笑いながら見えないところへ追いやってしまいたいと考えている。


雪祇透禍は、一目見ただけで忘れにくい少女だった。雪を思わせるほど白い肌に、青みを含んだ黒髪。長い睫毛の下の瞳は感情を伏せていて、冷たいというより、深い水底のような静けさをたたえていた。顔立ちは整いすぎていて、手首や指先まで人形のように白く細い。下級生でありながら校内で噂になる美貌の持ち主だが、本人は自分に向けられる視線に興味がない。必要以上に群れず、必要以上に話さず、ただ静かにそこにいる。けれどいったん執着した相手には、誰よりも深く沈んでいく。透禍の想いは言葉が少ないぶん重く、逃げ道をふさぐようにじわじわと相手の生活へ入り込んでいく種類のものだった。


夜嶺玻宮は、年上らしい余裕をまとった先輩だった。長い黒髪はゆるやかに波打ち、歩くたび夜の水面みたいな光を浮かべる。切れ長の目元はどこか夢めいてやわらかく、笑うとわずかに細められた瞳に、相手を安心させる甘さが宿る。背は高めで、しなやかな体の線が制服越しにもわかる。肌は白く、唇は淡く、仕草のひとつひとつにゆったりとした色気が滲んでいた。誰に対しても穏やかで、言葉選びも柔らかい。だがそれは余裕の仮面でもある。玻宮は急がない。慌てない。相手が気づかないうちに一番深い場所へ手を伸ばし、気づいた時にはもう離れられなくしてしまう。


春の朝、二年の教室の扉を開けた景瑠に、真っ先に声をかけたのは冱玻だった。


「おはよう、天縫くん」


教卓の横で出席簿をまとめていた冱玻は、景瑠を見ると静かに微笑んだ。

景瑠は自分の席へ鞄を置きながら応じる。


「おはよう、皇さん」


冱玻はほんのわずかに目を細める。


「冱玻でいい、と前にも言ったはずだけれど」


「うーん、まだ少し緊張するというか。名前で呼ぶの、慣れなくて」


「そう」


冱玻はそれ以上言わなかった。表情は穏やかなままだ。だが胸の内では、小さく冷たい感情が沈んでいく。まだ、ではない。早く慣れてほしい。自分だけを特別な呼び方で呼んでほしい。そうならないのなら、そうなるように周囲から整えていけばいい。


そこへ、教室の後ろから明るい声が響いた。


「景瑠、おはよっ!」


綺月燦那が、朝の光をそのまま連れてきたみたいな顔で駆け寄ってくる。景瑠の机に手をつき、ぐっと顔を寄せた。


「昨日送った写真、見た?」


「見たよ。駅前の猫だろ。ずいぶん懐いてたな」


「でしょ? でもあたし、猫より先に返信くれた景瑠のほうが嬉しかった」


燦那はそう言って笑う。冗談みたいな軽さで、本音を差し込む。

景瑠は少しだけ照れたように視線をそらした。


「たまたま気づいたから返しただけだよ」


「そういうのが優しいんだって」


燦那は当然のように言う。冱玻はそのやりとりを静かに見ていた。燦那のこういう距離の詰め方は、分かりやすくて厄介だ。明るく、無邪気で、相手が嫌がれない。


冱玻が澄んだ声で言う。


「朝からずいぶん楽しそうね、綺月さん」


燦那はにこりと笑ったまま振り向いた。


「だって景瑠、朝いつも眠そうなんだもん。起こしてあげないと」


「親切なのかしら。それとも、自分が一番に話したいだけ?」


「どっちもかな」


燦那はあっさり返す。冱玻も微笑む。二人とも笑っているのに、その間の空気だけが妙に冷たかった。


景瑠はそんな様子を見て、「仲いいな」と思った。

その認識が、いろいろと間違っていることを本人だけが知らない。


昼休み。

景瑠が机で弁当を広げていると、教室の前扉に静かな影が差した。


「天縫先輩」


一年の雪祇透禍が、小さな包みを抱えて立っていた。教室のざわめきが、一瞬だけ薄くなる。透禍はそれほど目立つ少女だった。


「雪祇さん。どうしたの?」


景瑠が声をかけると、透禍はまっすぐ近づいてくる。


「これ。よかったら」


差し出された包みの中には、丁寧に作られた卵焼きと白身魚の揚げ物、それに小さな果物が入っていた。色合いも形も整いすぎていて、市販品みたいだった。


「すごいな。ありがとう」


景瑠が素直に言うと、透禍の瞳がほんの少しだけやわらぐ。


「余りものではありません」


「え?」


「先輩のために作りました」


周囲の空気がまた止まる。

けれど景瑠は少し考えたあと、ずれた方向へ感心した。


「料理、すごく上手なんだな」


透禍はしばらく黙り、それから小さく頷いた。


「……先輩に食べてもらいたかったので」


その一言に込められた重みを、景瑠は十分には受け取れない。


そこへ燦那が横から身を乗り出した。


「わ、手作り? すごーい。後輩ちゃん、気合い入ってるね」


明るい声。けれど、甘い棘がある。

冱玻も席を立ち、景瑠の机のそばへ来る。


「丁寧ね。先輩に可愛がられたい一年生、というところかしら」


透禍は二人を見た。表情はほとんど動かない。


「可愛がられたいのではなく、好かれたいだけです」


燦那の笑顔が一瞬だけ止まる。


「へえ。言うんだ」


「隠しても意味がありません」


冱玻が、穏やかに微笑んだ。


「正直なのは美徳だけれど、節度も必要よ。天縫くんは優しいから、断れないもの」


「断れないなら、受け入れているのと同じです」


透禍の返しは淡々としていた。そこに怒気がないぶん、余計に鋭い。

景瑠は三人を見比べて困ったように笑う。


「みんな、知り合いだったんだな」


違う。そういう問題ではない。

三人は同時に、胸の内でそう思った。


その日の放課後、図書室へ本を返しに行った景瑠は、返却棚の前で柔らかな声に呼び止められた。


「見つけた、天縫くん」


振り返ると、そこに夜嶺玻宮が立っていた。窓から入る午後の光が、彼女のゆるやかな髪に細く差している。


「夜嶺先輩」


「この前、廊下で落としていたノート。渡しそびれていたの」


玻宮はそう言ってノートを差し出した。景瑠が受け取ろうとすると、指先がほんの少しだけ触れる。偶然のようでいて、偶然にしては丁寧すぎる触れ方だった。


「ありがとうございます。助かりました」


「どういたしまして」


玻宮はふわりと微笑んだあと、景瑠の顔を覗き込む。


「天縫くんって、本当に無防備よね」


「そうですか?」


「ええ。あんなふうに誰にでも優しくしていたら、勘違いする子がたくさん出るわ」


「勘違い?」


「自分だけは、特別なんじゃないか、って」


景瑠は少し考え、それからいつものように笑う。


「そんなことはないと思いますけど」


玻宮はくすりと笑った。

この少年は、どこまでも自分が人の心を乱していることに気づかない。だから放っておけないし、だからこそ、誰かに奪われるのが怖い。


図書室を出ると、昇降口の近くで冱玻と燦那、それに透禍が待っていた。示し合わせたわけではないのに、こういう時だけ都合よく顔ぶれがそろう。


「天縫くん、帰るなら一緒にどうかしら」


冱玻が言う。


「景瑠、駅前に新しいクレープ屋できたんだって。寄ってこ?」


燦那がすぐ隣へ並ぶ。


「先輩。今日は風が強いので、駅まで送ります」


透禍が自然に一歩寄る。


玻宮は少し後ろで、それを眺めながらやわらかく笑っていた。

景瑠は少し悩み、それから悪気なく提案する。


「じゃあ、みんなで帰る?」


その瞬間、空気が凍った。


冱玻は微笑みを崩さないまま思う。どうしてそこで全員になるの。

燦那は笑顔のまま思う。違うでしょ、あたしと、でしょ。

透禍は無表情のまま思う。先輩は本当に残酷だ。

玻宮だけが小さく笑い、内心でため息をついた。修羅場の自覚がない人ほど、扱いに困るものはない。


結局その日は、四人と一緒に帰ることになった。道中、燦那は景瑠のすぐ横を取り、冱玻は反対側に静かに並び、透禍は半歩後ろから離れずついていく。玻宮は少し遅れて歩きながら、全体の様子を見ていた。


駅前に着くと、燦那が景瑠の袖を軽く引く。


「景瑠、クレープ。行こ?」


「その前に、明日の提出物を確認してほしいのだけれど」


冱玻が涼しい声で差し込む。


「先輩、甘いものなら今度わたしが作ります」


透禍が言う。


玻宮が楽しそうに笑った。


「まあまあ。今日はずいぶん競争率が高いのね」


景瑠は四人の顔を見回し、本気で困っていた。


「みんな優しいな」


その一言で済ませられるのが、彼女たちにはたまらなくもどかしい。

優しさではない。これは執着で、独占欲で、嫉妬だ。

あなたの隣を誰にも渡したくないという、ひどく利己的で切実な感情だ。

けれど景瑠は、それをまだ知らない。


翌日から、見えない戦いはさらに激しくなった。


冱玻は朝のホームルーム前に必ず景瑠の席へ行き、提出物や委員会の話を口実に会話の時間を作る。学級委員という立場は便利だった。二人きりで話していても不自然じゃない。必要な連絡という顔で、自然に彼の生活へ入り込める。


燦那は休み時間のたびに現れて、購買、移動教室、放課後の寄り道へと景瑠を誘う。拒絶されにくい頼み方を心得ていて、甘えた声も、袖を引く指先も、全部ちょうどいい。周囲から見れば可愛い友達同士の戯れにしか見えない。だからこそ厄介だった。


透禍は派手に動かない。けれど景瑠が好きそうな飲み物をさりげなく差し入れ、図書室で借りたい本を先に調べ、体調が悪そうなら誰より先に気づく。静かで目立たない方法で、景瑠の日常に必要な存在になろうとする。


玻宮は接触の頻度を増やしすぎない。だからこそ、一回一回の印象が深く残る。偶然を装って出会い、少し大人びた言葉で景瑠の意識を揺らす。年上という立場は、それだけで他の三人にはない武器だった。


四人とも、表向きは争わない。

笑顔を絶やさず、言葉遣いも丁寧だ。

けれど内側では、相手の動きを一つ残らず見ている。


誰が何分話したか。

どんな呼び方をしたか。

どこまで近づいたか。

景瑠がどんな顔で笑ったか。


それら全部を、四人とも覚えている。


ある昼休み、燦那が缶ジュースを景瑠の机に置いた。


「はい、景瑠の分。これ好きだったよね?」


「覚えてたのか。ありがとう」


景瑠が受け取った瞬間、冱玻が別の飲み物を差し出す。


「ちょうど私も持ってきたの。天縫くん、喉が痛そうだったから、温かいもののほうがいいかと思って」


景瑠が目を瞬く。

その横から透禍が保温ボトルを静かに置いた。


「先輩。甘いものは飲みすぎると疲れるので、お茶です」


三本並んだ飲み物を前に、景瑠は本気で悩んでいた。


「そんなに気を遣わなくてもいいのに」


燦那がにこりと笑う。


「気を遣いたいからしてるの」


冱玻が続ける。


「遠慮されるほうが困るわ」


透禍は静かに言う。


「先輩が困るなら、残りはわたしが持って帰ります」


景瑠は三人を見て、それから困ったように笑った。


「本当に、みんな優しいな」


その瞬間、少し離れた場所で見ていた玻宮は思わず口元を押さえた。

面白いくらい、誰の気持ちも伝わっていない。


冱玻は胸の内で、静かに決める。

このままではだめだ。もっと確実に、景瑠の中で自分を特別にしなければならない。

燦那は笑顔の裏で考える。

冱玻も透禍も玻宮も、まとめて出し抜く方法が必要だ。

透禍は無表情のまま思う。

先輩の隣に立つのは一人だけでいい。なら、自分以外は静かに消えてくれればいい。

玻宮は窓の外を見ながら微笑む。

下級生たちはずいぶん必死ね。でも、最後に残るのが誰かなんて、まだわからない。


放課後、景瑠は一人で帰り道を歩きながら、今日もらったメッセージを見返していた。

冱玻からは提出物の確認。

燦那からは猫の写真。

透禍からは明日のお弁当の相談。

玻宮からは図書室で借りた本の感想。


みんな、いい人だな。

彼は本気でそう思っている。


自分の返信ひとつ、笑顔ひとつで、誰かが喜び、誰かが傷つき、誰かが夜も眠れなくなるほど乱されていることを、景瑠はまだ知らない。


春の夕暮れはやわらかい。

校舎の窓に差す光も、帰り道の風も、すべて穏やかだった。


けれど、その穏やかさの底では、静かな火花が絶えず散っている。

笑顔の裏の牽制。

さりげない言葉の刺し合い。

一歩でも景瑠に近づこうとする執着。

そして、自分以外の誰かを、できることなら最初からいなかったことにしたいと願うほどの嫉妬。


天縫景瑠は、まだ気づかない。

自分の隣をめぐって、四人の少女がどれほど本気で牙を隠しているのか。

その鈍感さがどれほど甘く、どれほど残酷なのか。


彼の知らないところで、恋はとっくに穏やかなものではなくなっていた。

そしてその戦いは、まだ始まったばかりだった。

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