第7話 まずは拠点探し
賑やかな市場を抜けると、空気が少しずつ変わっていくのが分かった。
ついさっきまで、威勢のいい呼び声と金属が打ち合う音が、香辛料の刺激的な匂いとともに渦を巻いていた。
その喧噪の通りからたった一本外れただけで、街は驚くほど静まり返る。
石畳の隙間にこびりついた汚れ、建物の壁に残る黒ずみ、風に混じって運ばれてくる微かな悪臭。
賑わいの裏に、ひっそりと“別の顔”が息を潜めていた。
活気は、ここにはない。
道端には、古びた外套を羽織った老人が座り込み、空の器を前にしてじっと通行人を見つめていた。
その視線は乞うというより、ただ「そこにいる」だけのようにも見える。
少し先では壁にもたれたまま動かない人影があり、近づくと浅い呼吸だけがかすかに聞こえた。
「……ロストンって、大都市なのに……」
思わず、言葉が漏れる。
さっきまで歩いていた市場は、確かに豊かだった。
高価そうな交易品、異国の香辛料、宝石のように輝く魚。
ここがラント帝国最大級の交易都市だという話にも、納得できた。
それなのに、この裏通りに来た途端、景色は一変する。
「……貧しい人、こんなに多いんだ」
交易都市ということは、物と金が集まる場所だ。
経済が回っているなら、街全体が潤っていてもおかしくない。
それなのに、ここには明らかな“落差”があった。
私は歩く速度を落とし、周囲の会話に耳を澄ませた。
「最近、疫病のせいで商売がうまくいかねぇ……」
路地の奥、酒場らしき建物の裏口で男たちが小声で話している。
「黒死の病が広がってるって噂だろ? 旅人も減ったし、宿もガラガラだ」
「客が来なきゃ金も回らねぇ。食い扶持がなくなりゃ、そりゃ病気にもなるわな……」
別の声が、苛立ちを含んで吐き捨てる。
「でもよ、帝国は何もしてくれねぇんだぜ?」
「そりゃそうさ。ロストンは帝国領だが、ルーヴェンみたいな中心都市じゃねぇ。医者も神官も足りねぇし、結局、街を守るのは街の人間だけだ」
「……このままじゃ、いずれロストンは……」
言葉は途中で途切れた。
続きを言わなくても、想像はつく。
私は無意識に唇を噛みしめていた。
疫病が広がる。
商売が止まる。
金が回らない。
貧しい人が増える。
衛生環境が悪化する。
そして、さらに疫病が広がる。
「……完全に、悪循環だ」
現代日本でも、感染症と貧困の関係は散々学んできた。
教科書の中の話だと思っていたそれが、今、目の前で“現実”として展開されている。
私は静かに息を吐いた。
ロストンは、
交易都市としての華やかさと、疫病による貧困が同時に存在する街だった。
金を持つ者はさらに豊かになり、
金を持たない者は医療にも辿り着けず、静かに追い詰められていく。
「……そりゃ、治療を受けられない人も出るよね」
病院に行く金がない。
神官に払う寄進もない。
結果、病気は放置される。
そして——
「……これ、需要めちゃくちゃあるのでは?」
一瞬、思考が現実から逸れた。
いや、でも、合理的に考えて。
疫病が広がっている。
正規の医療が足りない。
貧困層は医者にかかれない。
「……つまり」
私は、思わず口元を押さえた。
「“闇医者”として、めちゃくちゃ稼げる……!」
いや、違う。
違うけど、でも。
困っている人が多いなら、
私の治癒魔法と医学知識は、確実に役に立つ。
正規の医療が届かないなら、
“裏”からでも、救える命がある。
……ついでに、生活費も稼げる。
ここ重要。
「よし……決めた」
私は拳をぎゅっと握りしめた。
「ロストンで、闇医者を始めよう」
この街には、救われるべき命がある。
この街には、治せない病がある。
そして、この街には——
金になる仕事がある!!(大事)
「……まずは拠点探しからだな」
街行く人に聞いてみた。
黒死の病っていうのは、どこから来て、いつから“始まっている”のか。
街の人が言うには、「黒死の病」は 冥界に封印されたカオスの影響 で生まれた病気。
世界樹が「命を育む存在」なら、その根から滲み出るカオスの力は「命を蝕む存在」だと——
世界神話を、この街の図書館で調べてみた。
広辞苑が二冊重なったかのようなどっしりとした書物。
その分厚い表紙を開くと、版画のような白黒の「木」が描かれた次のページに、「世界神話」と題された文章が書かれてあった。
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■ 世界神話:ユグドラシルの伝説 ■
かつて、世界は「形」を持たなかった。
時も空も存在せず、すべてはただひとつの混沌の中に溶け合い、永遠に続いていた。
それは完全なる静寂、無限なる調和。
しかし、そこには 命も、光も、愛もなかった。
その中で、ひとつの意志が目覚めた。
創造神ガイア。
彼女は知った。
「このままでは、世界は生まれない」
そして、彼女は決意した。
「ならば、私はこの世界を分かたねばならない」
彼女は 母なる神カオス を引き裂き、彼女の体を貫いて 世界樹 へと変えた。
その根は 冥界 に伸び、
その幹は 地上 を支え、
その枝葉は 天界 を抱いた。
——こうして、世界に「境界」が生まれた。
天と地、昼と夜、生と死——
全ては世界樹によって 分け隔てられ、世界は形を持つ ことができた。
しかし、カオスは 完全に滅びたわけではなかった。
その力は 世界樹の根の奥深くに封じられ、なおも世界へ囁き続けている。
「統べよう、すべてをひとつに戻そう」と——。
ガイアはその囁きを封じるため、
海の女神ティアマト、夜の女神ニュクス、闇の神エレボス、
そして、愛の神エロースと、奈落の神タルタロスを生み出した。
さらに、ガイアは天を産み、そこにティーターンたちを宿した。
彼らは世界を創り、人々を形作る使命を与えられた。
やがて、天は輝き、大地は命に満ちた。
だが——
世界樹の根から滲み出る「カオスの囁き」は、ゆっくりと世界を蝕んでいた。
それは、黒死の病として姿を変え、命あるものたちに忍び寄る。
「すべての命は、世界樹に還る」
そう語る古き言葉は、やがてこの世界に残された 最後の約束 となった。
終わりの時、世界樹はその枝を閉じ、根へと還るだろう。
その時、生命は消え去り、カオスが再びすべてを包む。
——あるいは、それを止める者が現れるのかもしれない。
命を巡る旅人が、今もなお 世界のどこかで目覚めている のだから。
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…ふむふむ
「……ってことは、黒死の病を治す鍵は、世界樹にある?」
私は新たな仮説を立てた。
もし本当に 世界樹が黒死の病の原因と関係しているなら、
ただの治癒魔法では治せない理由も説明がつく。
「……これは、面白くなってきたじゃん」
私はロストンの街を見渡しながら、小さく微笑んだ。
闇医者に必要なのは、
信頼と、場所と、逃げ道。
世界の真実に触れながら、この街で生き抜く。
そうと決まれば、まずは 自分の居場所を作る ところから始めなきゃね——!
私はロストンの裏通りを見渡しながら、
新しい人生設計 (だいぶグレー)を頭の中で組み立て始めていた。




