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2021/06/07 加筆修正いたしました。大幅に話が変わっておりますので再読の方はお気を付けてください。
「旦那様、お手紙が来ております」
「!」
珍しく家で執務をしていたアーノルドのもとに、ガルーが手紙を持ってやってきた。アーノルドは手紙を受け取ると、封蝋を眺める。アーノルドがよく知る、魔術教団所属の魔術師が好んで使う、宝石の紋様があった。
ミスリル細工のペーパーナイフで封を切り、便箋を取り出す。微かに込められた風の魔力が、アーノルドの髪を少しばかり揺らした。
「……なんと?」
「――アンリエッタだ。ロキとプルトスの件、引き受けてくれるそうだ」
「それはそれは、ようございました。これで旦那様も少しは執務が手につくでしょう」
「むぅ……!」
あまり執務が進んでいないことは、ガルーにはバレていたようだ。執務が下手に長引くだけなのだから、さっさと終わらせた方が良いと何度もガルーは言った。それができるだけの力をアーノルドはちゃんと持っている。なのに手につかないのだから、これから頑張ってもらうしかないのだ。
♢
「ねえさま!」
「いらっしゃい、トール!」
ロキは部屋にやってきたトールを抱きしめる。ブルーバイオレットの髪とサファイアの瞳を持つトールは、ロキのお気に入りと呼んでも差し支えない状態になっている。ロキがトールに構い倒しているので、プルトスと会う機会も減り、喧嘩も減っていた。
ロキは今年で5歳になる。2年前スカジの誕生日には盛大なパーティが開かれたが、今年はちょっと難しそうだとスクルドがものすごく申し訳なさそうにロキに告げてきた。ロキは別に構わなかったのだが、5歳、10歳、15歳がある種の節目の年であるらしく、本当は5歳でちゃんとお披露目パーティをするのが普通だという。
フォンブラウ領の税収がガッツリ減ったらしい。正確には、アーノルド曰く、魔物が大量に発生したことにより、本来収穫できるはずだった農作物が収穫できず、他の領から食料を買い込んだことにより、例年よりも公爵家で使える金額が減っただけの事なのだが。
結果的に、ロキの誕生パーティの規模を縮小することで妥協したのだという。むしろロキ的にはいきなりどんと大きなパーティを開かれてしまうよりも、小さめのパーティで肩慣らしをしたいというのが本音。せっかくマナーを教えてくれたガルーやリウムベルの努力を、ロキが緊張でぶち壊しにするようなことだけは避けたかった。
「ねえさまはお月さまの匂いがします」
「そう?」
「はい!」
トールはやたらロキに懐いている。ロキが自主学習しているときにやってきて、一緒に勉強をするのだ。ロキに付けられた家庭教師のアンリエッタは、魔術が専門の、ある意味ロキの予想通りの魔術師だった。他の科目もある程度教えることができ、加護について理解がある。ロキはアーノルドがプルトスのために呼んだ家庭教師だと思ったくらいである。何せ、プルトスは来年で10歳になる。10歳になると、リガルディアの高位貴族は王立学園に通うようになり、そのまま初等部2年、中等部3年、高等部3年を過ごすことになる。
プルトスはなかなかいい家庭教師が見つからず、フレイからかなり勉強では置いて行かれたらしい。スカジも追いついて来るし、ロキには読書だけで追いつかれた。であるから、ロキの勉強はまだ急ぎではないため、最初はプルトスの方に勉強を教えてもらうことになったのだろう。
ロキはフレイのために購入された本をフレイから借りて読んでいる。ロキにとっては絵本のような自分用の本より、中学生レベルの資料集や便覧のようなフレイの持っている本の方が、興味を刺激するのだ。3歳のトールには全く分からないにしても、5歳の子供が10歳くらいの子供が読む本を読めていたら、それはそれで騒がれてしまうだろう。アーノルドたちが上手く情報を規制しているらしかった。
ロキは別に目立ちたくないとか平穏に暮らせればそれでいいとかいう平和路線的な考えは持ち合わせていない。生まれた時からロキ・フォンブラウだったロキにとっては、前世の記憶を引き継いだ自分という存在は、前世で見た悪役令嬢ロキという人物像を理想として提示した。――とはいえ、性自認が男であるのに男と婚約できるほどロキは人間出来ていない。
アーノルドはロキが現状をしっかり理解できると踏んだうえで、性自認と性的嗜好の確認をしてきた。主には、同性との結婚をどう思うか、はとこ同士での結婚はアリか、王族との婚約をどう思うか、などである。ロキはカルという名の第2王子がリガルディアに生まれていることを知っているので、別に結婚婚約したいならすればいいじゃない、私は嫌ですが。と、全部肯定したうえでばっさり切り捨てた。
カル王子の生母は現王ジークフリートの王妃であるロマーヌであり、王妃の実家はロッティ公爵家という。リガルディアに存在する5つの公爵家の1つであり、土属性を扱うのに長けた家であった。
なお、フォンブラウが娘を出さなければ、他に娘が居るのはロッティ公爵家であるため、ロッティ公爵家出身の王妃が2代続くことになる。スカジは戦女神であるため、王妃というよりは側妃に収まるのが最も良い。よって、最有力候補がロキだったのだ。しかし今回ロキはその座を辞すことになった。次に王妃候補となるのは、ロッティ公爵家の娘ロゼとなる。
ロキが悪役令嬢として扱われていたことくらいはロキは知っている。つまり、この婚約で第2王子との婚約をするに至り、後にヒロインがやってきて、王子の心を奪い去って、悪役令嬢は嫉妬に駆られての行動を断罪され、国外追放とか何とかの罰を受けるのだろう。
ロキは抱き着いてくるトールを撫でながら本を読み進める。それはロキたちの住む大陸にかつてあった大国と今ある国の成り立ちの神話だ。
ロキたちの住むリガルディア王国には、前身となった帝国が存在する。その国の名前は、ガルガーテ帝国。この国家は、人間たちの国だった。
人間の国、というのは、他に竜やら吸血鬼やらの勢力に対する人間の勢力図を表した言葉である。国の体裁を取っていたのは、他にエルフやドワーフの国があったからだという。人間、というよりもヒトと呼ばれる種族は、他の種族に比べて力は弱く、しかし絶対数は多かった。
ガルガーテ帝国は、倒れる前に死徒列強第3席『蟲の女王』ロルディアと戦っている。ロルディアは蟲というくらいだ、自身を頂点とした巣を持ち、国家を形成するほどの軍勢を引き連れた不死身の女王の事である。ガルガーテ帝国と彼女の間に何があったのか詳しいことは文献には残っていないのだが、ロルディアが人前に現れるのは、自身の娘たちが危険に晒されたときである――人間が、ロルディアのいた森に火でも放ったのだろう。
とにかく、ロルディアとガルガーテ帝国は戦争し、ガルガーテ帝国の敗戦で戦争は幕を閉じた。終戦に際して、ロルディアだけではなく、全ての列強を相手に「帝国の人間に手を出さないでくれ」と約束をすることになり、その際助力を願ったのが、竜族だったのだ。
普通に考えれば、どうして敗戦側に都合の良い条件を揃えられたのか、疑問に思うだろう。単純な話だ。ロルディアたちは別に何が欲しかったわけでもなく、ただ目障りで耳障りな人間を自分たちの勢力範囲から退けたかっただけ。その為に、帝国に居る邪魔な皇子を排除した。
竜族の助力を得た際、ガルガーテ帝国は最も尊い犠牲を払った。竜族と心を通わす御子、『竜帝の愛し子』がロルディアの元へ人質に出されたのである。結果、帝国は助かったものの、兄皇子を人質に出された弟皇子が皇位を継ぐこととなり、ガルガーテはその後、最後の皇帝となった弟皇子によって、3つの国へと分けられた。
それが現在の、ガントルヴァ、リガルディア、センチネルの3国である。
地図上には3国とも残っているものの、センチネルは1500年ほど前に、ガントルヴァと戦争し、その勢力の95%ほどをガントルヴァに奪われていた。3国に分かれてから500年後の事である。
「……」
絵本から少しばかり小説に近い形になったそれを閉じて、ロキは小さく息を吐いた。自分の知るゲームの世界とどれくらいの乖離があるのかを知りたかった。自分が見知ったゲームの世界との乖離が大きければ大きいほど、自分にとってこの世界が現実になることを知っているかのような行動だ。
ロキはソファに座って本を読んでいたのだが、トールはいつの間にかロキの膝の上で眠っていて、迂闊に動けなくなった。仕方がない。このままトールを抱っこして眠っても問題ないくらいにはロキの勉強の進度は早いので、メイドが起こしに来るまで眠ってもいいかもしれない。閉じた本をローテーブルに置いて、トールの頭を撫でながらソファに沈み込む。
さらさらのトールの髪は間違いなくスクルドから受け継いだものだろう。ロキの髪も素晴らしく柔らかいし、アリアが手入れを頑張ってくれている。アーノルドがトールの属性を危惧しているのは知っているが、加護持ちなのだから、そこまで心配しなくてもいいとは思うのだ。
『イミドラ』では混色髪と呼ばれる者たちが存在していた。紫やオレンジといった一部の色の事なのだが、通常紫の髪は雷属性を表すが、雷属性を使えるようになるのはほんの一部である。オレンジは光と火を扱うことができるとされている。しかし実際は、その素質があるというだけで、必ず使えるというわけではない。そして、色通りの属性が出ることが当たり前となっている所で、その属性が使えない子供が生まれた場合、その子供の扱いがどうなるか、である。
アーノルドの反応を見ている限り、家の中は大丈夫そうだが、貴族は学校通いが義務付けられているため、そこで虐められやしないかと、随分未来のことで頭を悩ませているようだった。ロキの銀髪とは違う意味で警戒が必要らしい。
面倒ごとは親に丸投げすることにする。ロキは眠たくなってきたので、ソファに沈み込んだまま目を閉じた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。