病の箍、十八夜目。内緒でプチ反抗期
2014/09/17加筆修正
思考回路が完全に無理なオーバードライブでオーバーヒートしてしまったパサ。
一瞬ボフッという熱量過多の燃焼音が幻聴として聞こえた気がした。
それからイヲンに何と切り返したのか、どういう行動で以って彼に応えたのか全く覚えていない。というか、いくらかしない内に僅かな変化ではあったが何かを思い出したような表情になったかと思ったら……彼は「帰る」と一言言い置きそそくさとパサのウチを出て行ってしまった。
「本当に、なんなのよ……」
ポツン、と今はもう居ないイヲンに向けて愚痴ってみた。今日という日は出だし以外彼にやり込められ倒された気しかしない。
パサの情緒不安定の最近の主な元凶であるイヲンが不在の為、今回のパサの復旧は思いの外早かった。
そしてひとつ溜息を吐くと、今も躰に残る変な感覚のせいで重たい腰を、テーブルの片付けのために持ち上げようとした。
――――その時。
「イヲンは居るのか!?」
勢いをつけて地面を駆る音、続けてこれまた豪快な音を立てて入り口の扉が開かれた。
「ルンス?」
「パサ!!」
本当に、ウチの扉ってば丈夫だな、なんて呑気に思いながらパサは、肩で息をしている男に顔を向けた。
ルンスは来訪の挨拶をする暇も惜しいとばかりに駆け寄ってくると、ガッシと彼女の肩を掴む。
びくっとパサの肩が揺れ、見開いた瞳がルンスを映す。
「おいパサっ、イヲンはここに来たか!?」
「え……、イヲ、」
『ン』とパサが最後まで言い終えるより早くテーブルに視線を遣ったルンスは盛大な舌打ちをしてみせる。
ルンスってイヲンの事知ってるの、なんて思う間も無かった。というより昔から、何故その事を、というような事までいつの間にか把握されている事がほとんどだったので、パサは別段ルンスの挙動に突っ込むことも、するツモリも起きなかった。
テーブルの上にはふたり分の茶器と、半分以上食べられた後のパサ手作りの菓子が入っている菓子鉢。呑気に食後のティータイムか。寄っていたルンスの眉間にますます皺が寄る。
頭に血が上っているルンスにはここでパサのお茶の相手をしていたのが誰なのか? という疑問の答えに『イヲン以外の誰か』という選択肢は皆無のようだった。パサも嘘を吐く必要も無いので素直に答える事にした。
「……うん。イヲンなら少し前に出て行ったよ。ルンス、何か知ってるの?」
首を傾げてみせるパサ。荒らむ心持ちを正そうとするようにルンスはひと呼吸つく。
「いや、それよりもお前、あいつに何かされなかったか」
「何か……?」
パサは一瞬ホケッとしたカオをしていたがすぐに先程のイヲンとのやり取りを思い出してしまいポッと顔が熱くなってしまうのを感じた。
彼が指で頬をなぞった時の感触も思い出してしまい、そんな自分の顔を見られてしまうのが恥ずかしくてパサは取り繕おうとするが、ルンスはそんな彼女の反応や変化には幸運にも気付いてはいないようだった。
でもこれ以上何か気付かれて、詮索されて問い詰められても困るので別の方向へ話題を振ることにする。
「ルンス、今日はお店は? もう閉めたの?」
「ああ、お前の事が心配でな。パサ、お前最近町の方で物騒な事件があったのは知ってるだろう。無闇に何処の畜生の骨かも分からねえヤツをウチに上げんじゃねえ」
「畜生の骨って……。もしかしなくてもイヲンの事?」
あぁ、自分で答えておいて何ダケド話が元に戻っていく……。
イヲンとの遣り取りの時にしろ、今にしろ、パサは自分の不器用さを呪いたくなった。
ウェルカムトゥドツボアゲン。
「まだハッキリした証拠は無えし、公になってはいないが……。アイツは例の殺人事件の事で警安隊に目を付けられてる」
ルンスはパサから目線をずらしてバツが悪そうなカオをしながら言う。すぐに視線をパサに戻すと、彼女の表情は明らかに動揺を表わしていて、瞳を左右に揺らしながら必死に今聞いた情報を咀嚼しているようだった。
「そんな。証拠も無いのに人を疑うのは良くないって、ルンスが教えてくれたじゃない……」
当たり前だが警安隊については一商店の若旦那であるルンスが思うように動かせるものではない。
ただ小さい頃からパサにとって兄と慕うルンスの行動基準は、彼女の道徳観念の礎のひとつだった。
その彼が直情径行な思考のままにイヲンを悪し様に(少なくともパサはそう感じた)言うのは我慢できなかった。
混乱の余りそこらがあべこべになって今の発言になったのかも知れない。
「あのな……。ハァ、言葉が足らなかったな。証拠が無いっつってもコレも『公で、』という意味だ。警安に目を付けられ云々は組合で流れて来た情報だからほぼ間違いは無えしな――――」
ルンスは鼻でひとつ溜息を吐くと、諭すようにパサに話し始める。
組合とは、この町の商店主達が主に情報を共有し合うために設立された昔からの組織だ。虚偽の情報が流れた場合、その発信元となった者にはそれなりの罰が下される決まりがあり、それ故安易な情報は流れにくく、情報の精度もそれなりに高い。
「――――そんなヤツと頻繁に会ってるなんて知られて、お前が悪く言われるのが俺は我慢ならねえんだよ」
言い終わりの彼の眉尻は心底困ったように下げられていた。
組合仲間に見られたら二ヶ月半は話の種にされそうなその表情は、パサの前ではいつも惜しげもなく披露してくれるものだ。
「う……」
パサは俯き、それ以上言い返すことが出来なかった。
自分の脚の事で今でも散々心配を掛けているのに、意識して出来る部分では絶対に迷惑を掛ける事なんて出来ないと思う。
ルンスはそんなパサの頭を、昔からのやさしい仕種で撫でた。
雰囲気が落ち着いてルンスの掌がパサから離れた頃、パサは落としていた視線をルンスへ向けた。
「……ルンス、今日は泊まってく?」
「おう、久しぶりにそのツモリで来た」
ニカッと人好きのする、でも接客の類とは違う笑顔をくれるルンス。それに釣られてパサもはにかんでみせる。
それでもパサは結局イヲンの事で「うん」とは最後まで返さなかった。
それが生まれて初めての、兄に対するささやかな反抗だった。
ルンスにはティータイムとかそういう横文字は似合わないなぁ、と心から思えました。




