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[Die dritte Nacht]『ファミーリエ』――愛と十字架 4

[4]

 シスター・ラピニール・フェアシュタントは、良く変わり者だと言われる。聖職者でありながら、宗教的に「悪」とされることに偏見がないのもそうだし、出家者でありながら、養子とは言え公然と子を傍に置いていることもそうだ。

 彼女は、とにかく世間や権威に左右されない。いつだって自分の頭で考え、自分の足で行動し、自分の手で触れて、考える。それが正しいのか否か。それが、忌むべきモノであるのか、愛すべきモノであるのか。

 ――ウィーン育ちでありながら、接客にミルク入りの紅茶を好むのも、また、彼女自身が選び取ったことの一つである。

「……前世紀以来、本国ではコーヒー文化が盛んですけれど――この優しい風味が、わたくしは大好きなのです」

 お口に合いますかしら、とラピニールはテーブル越しの来客に笑みを向けた。

「ああ、勿論だとも。私は、ブリテンでの暮らしもそれなりに長かった。ミルク入りの紅茶も馴染み深い味だ」

 言いながら、来客はこくりと一口、カップの中のカラメル色の液体を嚥下した。

 ラピニールはほっと息をつくと、

「……わたくしたち、気が合いそうですわね――アルカードさま?」

 試すように、そう言った。

 ――院長室の隅に設えられた応接用セッティに腰掛ける、神の使徒とアンチ・キリスト。

 本来なら相容れない筈のその組み合わせ。けれど、このささやかなお茶会を望んだのは、他でもない彼ら自身だった。

 あの思いがけない出会いから、一夜が明けて。

 幸いなことに、街には昨夜の事件など語る者もおらず、いつもと変わらぬ日中の平和を享受するアイナ。今頃教室では、ラピニールの愛する一人娘が、難しい授業や窮屈な教えに頭を痛めていることだろう。

「……そう、ブリテンにいらしたの」

 一口紅茶を口に含んでから、ふと思い出したようにラピニールは言った。

「ブリテンと言えば、リリスも生まれはブリテンなのですよ」

 ほう、と興味ありげにファウストは眉尻を上げる。

「確かに、名も顔立ちもブリテン風ではある。しかし、英語訛りは感じないな。精々が――そうだな、ウィーン訛りとアイナ訛りの混交が見られるくらいか」

「あらあら、わたくしが語らずとも、全てを見透かされてしまいそうですわね」

 少しだけ驚いた風を装ってはみるものの、実際ラピニールはさして驚いてはいない。彼の歩んで来た年月を考えれば、それだけの見識を身に着けていても不自然ではない。

 しかし、こうしてわざわざ呼び立てた以上は、語らぬのも失礼に当たる。ラピニールは居住まいを正して続けた。

「……あの子と出会ったのは、あの子がまだ二歳になるかならないかと言う頃。ウィーン近郊の修道院でのことでした。

 両親を失い孤児となったあの子は、始めこそブリテンの教会に預けられました。しかし、生まれ付き類い希な『聖霊力』の輝きを見せていたがゆえに、やがて相応しい導き手を求めるかのように、わたくし――いえ、わたくしの師の元へと辿り着いたのです」

「……一目見て、彼女を養子に?」

 問いに、ラピニールはかぶりを振った。

「当時のわたくしは一修行者に過ぎず、何よりまだ若かった。たとえ養子と言えど、娘を持つなど考えられませんでした。確かにあの子は可愛かったけれど、それはあくまで兄弟弟子として。……年の離れた妹のようなものでしたから。

 ……どれくらい、そんな期間が続いたでしょう。ある時、わたくしはふいに気が付きました。いったい、いつからだったのか――あの子は、師の話に耳を傾けないようになっていました。いいえ、師だけではない。他の何者の声も聞かず、ただ独り内に籠もって、何かと戦っていたのです。

 もちろん心配になって、あれこれと世話を焼こうとしました。けれど……自我の芽生えと言うのでしょうか。頑なであることを、変えようとはしませんでした」

「……馬鹿なくせに頑固なのは、昔から変わっていないと言うことか」

 仮にもヒトの娘に対してあんまりな言い方だとは思ったが、今はその遠慮の無さが嬉しい。くすりと僅かに笑ってから、ラピニールは続けた。

「……そう、あの子は変わっていない。今も昔も、こだわっている。……だから、あの子を救ってあげたいと願いながら、わたくしにはどうすることも出来なかった。――そうして。わたくしは「その日」を迎えました。運命の日……と言うのは大げさかしら」

 少しだけ気恥ずかしそうに笑う。

「ある日わたくしは、さる機関から招聘を受けました――言わずもがな、ベアトリクス女子修道会。今、わたくしが身を置いている組織です。

 格の上ではヴァチカンには敵いませんが、ベアトリクス会から招聘を受けると言うのは、『吸血鬼学』や『聖徒祈祷法理論』セイントコーリング・セオリーを学ぶ子女にとって、これ以上ない名誉です。当然、わたくしも喜びました。

 けれど、心残りが一つだけ。……言わずもがな、ですわね。わたくしは、迷いを抱えながらも、招聘を受けたことをあの子に話しました。アイナを離れなければならない、と。そうしたらあの子……どうしたと思いますか?」

「……さてな。どうしたのだ?」

 ラピニールの気持ちを知ってか、ファウストはさらりと言って続きを促す。

 彼の厚意をありがたく受け止めて、逸る気持ちを抑えながら、ラピニールは笑み混じりに告げた。

「……泣いたんです、あの子。涙をぼろぼろ零して、可愛い顔をぐしゃぐしゃにして。あの頑なだったあの子が、「いなくなっちゃいやだ」って、わたくしに縋り付いて」

 その時の光景を思い出して、無意識に頬が緩んだ。

「……よほど、嬉しかったのだな」

 そんな言葉に、ますますラピニールは破顔した。

「ええ、ええそれはもう。あっ、いえ、その……あの子の気持ちになれば、かわいそうなのですけれど――でも、本当に愛らしくて、嬉しくて。

 ……その時、気が付いたのです。日々大きくなっていたわたくしの中の気持ち。あの子への想い。……これは、母性なんだ、って。わたくしは、あの子の母親になりたいと思っていたのです。両親の顔を覚える間もなく、独りになってしまった、あの子の。

 ……だから、言ってみたのです。わたくしの娘になって欲しい……って。それで、一緒にアイナに行こうって」

「……なるほど。それで、晴れて二人は親子になったと言うわけか」

 納得したようにファウストは言ったが、ラピニールはかぶりを振った。

「ところが、そうすんなりとは行きません。

 あの子は言いました――「なまえをかえなくちゃダメなの?」……って。

 あの子が何を言ってるのか分からなかった。……でも、話を聞いて、すぐに合点がゆきました。

 あの子は、『フェアシュタント』になるのが怖かった。両親と同じ『セインティア』と言う名を、捨てたくなかったのです。それが唯一の絆であり、証であり……生きる、意味だったから。

 ……色々と思うところはあったけれど、それでもわたくしは、「名前を変える必要なんてない、そのままでいいのよ」って、そう言ってあげた。

 あの子は少しの間俯いて……でも、次に顔を上げた時には、はにかんだような笑みを浮かべていた。そうして――『おかあさん』……って、言ってくれたのです。……嬉しかった。世界にこれほど嬉しいことがあるものかと思った。本当に……嬉しかった――」

 眼尻に浮かんだ涙を、そっと拭うラピニール。

 ファウストはしばし黙してから、言った。

「……貴女は、それで良かったのか」

 予期していなかった質問に少しだけ驚いたが、元より迷う理由などはない。

「ええ、もちろん。だって、名前や、血の繋がりが家族の全てではないでしょう? ――大切なのは、お互いがお互いを想っている、その事実なのですから」

「……ああ、違いない」

 満足げに微笑んで、ファウストも頷く。

 ラピニールは、改めるように少しだけ間を取って続けた。

「……貴方様には、感謝しております。あの子は今でも『闇の狩人』であることが第一で、そればかりで――だから、必要以上に自分を追い詰めてしまう。けれど、ここ数日は表情が明るい気がします。……貴方様のおかげ、なのですよね? ――……アルカードさま」

 そう控えめに名を呼んだラピニールに、ふとファウストは苦笑した。

「そのように畏まらずとも良い。『貴方様』などと、貴女のような立場ある女性に呼ばれるのは正直耳がこそばゆいな。楽に、ファウストで良い。私も、二人の時はラピニールと呼ばせて頂こう」

 そんな言葉に、ラピニールは少しだけ悪戯っ子じみた気持ちになる。

「あら。ですが、わたくしの娘は貴方様を家名で呼んでいたように記憶しておりますけれど? ……その「冗談のような」家名で」

「……意外と意地悪なヒトだな、貴女は。全て承知した上でそう言っているのだろう?」

 やれやれと言うように首を竦めるファウスト。

 その仕草が何だかおかしくて、ラピニールはくすりと笑った。

「さあ、どうでしょう? 貴方が真にその深淵を見せて下さるのならば――わたくしも、全てをお見せ出来るのですけれど。……『母』ではない、一人の『女』のわたくしを」

 ――何故、そんなことを口走ってしまったのか。……それは、彼女自身にも分からなかった。こんな感情を抱くのは誰に対しても初めてだったし、勿論、あんな憚らぬ欲望を口に出してしまったのも、初めてだったから。

 ……けれど思い返してみれば、一目出会ったその時から、彼女は既に魅了されていたのかも知れない。その、力強くも深い慈愛を宿した灰色の瞳に。

 そんな彼女の困惑を知ってか知らずか、

「……良かろう。そこまで言うのならば――我が深淵。我が身、我が心、我がさが。細部に至るまで、その身、その心、その性へ。心ゆくまで……感じさせてやろう。――覚悟は良いのだな?」

 言って、ファウストはゆるりと席を立った。

 黒い長身が、絶対者のような超然とした瞳でラピニールを見下ろす。女の芯を射貫く黒き視線に見据えられ、瞬間、支配されたような感覚が聖女の全身をぞくりと貫いた。

 ……最早、逃げられはしないだろう。おそらくは数多の浮き名を馳せて来たであろう百戦錬磨のケモノを、あれほどあからさまに挑発してしまったのだ。今の彼女は、クリスマス前のガチョウと同じ。ファウストと言う麗しき料理人に美味しく調理されるのを、大人しく待つしかない。そんなこと、経験のない聖女にだって分かる。

 背徳の聖女は、最後に一つ大きく息を吸って、

「……はい。わたくしの全て。『アイナの聖女』の全て。苦しみも、狂おしさも。……どうぞお受け止め下さいませ――ファウストゥス・ドラクレア、さま……」

 陶然とした瞳で、そう言った。




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