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5話 成果


角を曲がると、通路の先に机が見えた。

その上に、小さな木箱が一つ置かれている。


あれか。


取っ手も錠前もない。両手で抱えるほどの大きさを想像していたが、あれなら片手でも持てそうだ。

そばには係員が立っていた。こちらに気づくと、手元の時計に目を落とす。


俺たちは走った。

しかし、さっきまでの速さとは程遠い。脚を前に出すたび、膝の上が重くなる。


机へたどり着いた。

手を伸ばす前に、隣をちらりと見てみる。

セラもいる。


俺は箱を持ち上げた。


「回収を確認しました。第八組、試験終了です。」


係員が記録用紙に何かを書き込んだ。


終わった。

俺は、大きく息を吐いた。バカみたいに疲れたが、心は満たされている。


箱は軽かった。

これ、空箱だろ。俺たちは空箱一つのために泥だらけになったのか。

記念に、ぜひとも家に持ち帰りたいくらいだが。いや、置き場に困るな。うん、やっぱりいらない。


「…終わったわね。」

「ああ。」

「箱、持たせてよ。」

「おう、いいぞ。」


俺はセラに箱を手渡す。

この感動をぜひセラと共有しよう。


「…軽いわね。これ中身ある?」

「だよな、軽い。たぶん空箱だろ。」


セラは何とも言えない顔で眺めた後、箱をもとの場所に置いた。

だよな、そんな顔になるよな。


「もし、記念で持ち帰れるなら譲るぞ。」

「いらないわよ、その権利。」


いらないか。まあそれはそうだ。


*


あのあと傷の治療を受け、水を飲んだ。

肩を動かしても、さっきのような痛みはない。体のだるさもだいぶマシになった。

ただこれは、魔力枯渇によるものだから、完全回復にはまだ時間がかかる。


休憩を終え、机に置いていた箱を受け取った。

係員について、来た道を引き返す。

関門では、試験官たちが既に次の組を待っていた。

ボルドーの足元の泥はなくなっている。レイヴンの顔についていた血も、きれいに拭われていた。

あれだけ動いた後だというのに、2人とも普通に立っている。


そういえば、第二関門は派手な爆発を起こしたのに、壁は壊れていないな。やっぱり耐魔レンガか。


出発地点へ戻ると、残りの受験者がこちらを見た。

何人かの視線が、俺の持っている箱へ向く。

聞きたいことはあるだろうが、こっちから話すことはできない。

係員の後ろについて、そのまま待機場所を抜けた。


箱を渡し、防護服を脱ぐ。

下の服まで土で少し汚れている。あんだけ泥まみれになったらそうなるか。


「お二人の試験は、これですべて終了です。結果は明日の午前10時、正門横の掲示板で発表します。特待生に選ばれた方はその後、受付へお越しください。」


係員が案内の紙を差し出した。

俺は受け取り、鞄へしまう。


明日の10時。

忘れるわけはないが、紙をもう一度見て確かめた。


「それでは、お疲れさまでした。」


頭を下げ、セラと一緒に建物を出た。


日が傾いていた。

昼に入った時とは、窓に反射する光の色が違う。

試験そのものは20分でも、待っている時間はずっと長かった。朝から練習もしていたし、本当に学院に一日中いたことになる。


階段を降りたところで、腹が鳴った。


さっきまで蹴られて痛かったはずなのだが。

空腹の勝利らしい。育ち盛りだからな。


「このあと、まっすぐ帰るの?」


セラが聞いた。


「俺は宿だな。その前に飯を食うつもりだけど。」

「そう。どこか決めてる?」

「王都よく知らないし、腹も減ったから昨日入った店にするかな。」

「じゃあ、そこへ行ってもいい?」


俺はセラを見た。

彼女は鞄を持ち直し、返事を待っている。


「もちろん。でも普通の飯屋だぞ。」

「何か困るの?」

「いや。困らないならいい。」


王都の貴族って普段どこで飯食うんだろうな。

どこか行きつけあるか聞いてみるか。いや、でもそこに行くことになったら金が出せないかもな、もう少し様子見しよう。うん、そうしよう。


*


店へ入ると、昨日と同じ肉の焼ける匂いがした。

夕食には少し早いのか、まだ空いている。

俺たちは窓際の席へ向かい合って座った。

ようやく鞄を下ろす。

肩から重さがなくなっただけで、少し楽になった。


「おすすめは?」

「昨日はこの肉の皿を食った。量はあるし、うまかった。」


品書きを指すと、セラも同じものを頼んだ。

店員が奥へ引っ込んでから、彼女は水を一口飲む。


「最後、よく避けたわね。」

「石か?」

「ええ。あのまま走っていれば、当たってたと思う。」


障壁を突き抜けてきた礫弾(ロックショット)を思い出す。

あの瞬間は、新しく術を組むなど考えもしなかった。見えたから伏せた。それだけだ。


「反射的にな。頭つかんで悪かった。」

「別に。助かったわ。」


セラがさらりと言った。

礼を言われると思っていなかった。

ふふ、いい気分だ。


「そっちこそ、最後の風。あれは初めから戻すつもりだったのか?」

「いいえ。あの形で使うことまでは考えてなかったわ。まだ曲げてなかったから、使えると思ったの。」

「よく見えてたな。」

「あなたが頭を下げてくれたから、間に合ったのよ。」


向こうも、何もかも先に読んでいたわけではないらしい。

少し安心した。

安心したからといって、あれが俺にもできるようになるわけではないが。

あの場で俺が出せる魔術は、もうなかった。

セラが『偏向』を使っていなければ、線を越える前につかまっていたと思う。


「最後は本当に助かった」


そう言うと、彼女は少し眉を上げた。


「二回目のときも、助けたけれど。」

「それも、助かった。」

「ええ、いいわよ。」


セラは笑ってそう答えた。

絵になるね。


料理が運ばれてきた。

皿の真ん中に焼いた肉、その横に芋と野菜。昨日と変わらず、十分な量だ。

俺はさっそく肉を切った。

ナイフを引くと、腕の奥が少しだるい。

体がまだ試験を引きずっている。

それでも一口食べれば、うまかった。

朝買ったパンも悪くなかったが、今日はこっちのほうがありがたい。

しばらく、二人とも食事に集中した。

セラも手を止めずに食べている。

王国を代表する名家の食卓は知らないが、この店へ連れてきたことに関しては、心配しなくてよさそうだ。

皿の肉が半分ほどになったところで、ようやく俺は口を開いた。


「二回目は悪かったな。」

「さっきも聞いたわ。」

「いや、助けてもらったことじゃなくて。先に飛び出したほう。」


空いた場所を見て、勝手に進んだ。

相手の対応を見るための攻撃だったはずなのに、抜けられると思ったら、それを忘れていた。

そのせいで、セラを慌てて走らせることになった。


「一人で抜けても、終わりにならないのにな。」

「ええ。」


セラは野菜を口へ運び、飲み込んでから続けた。


「でも、最後はちゃんと言ったでしょ。左って。」

「ああ。」

「わかったから、ついていけた。それでいいわ。次もお願いね。」


次。

そうだな、試験がゴールじゃない。セラと組むときもあるだろうし、逆に相手として相対することもあるかもしれない。


そういえば、セラってなんで特待生受けたんだろうな。金には困ってなさそうだし、わざわざ受ける理由がなさそうだが。


「セラは、どうして特待生を狙ったんだ?」


聞くと、彼女は当然のように答えた。


「せっかく入るなら、一番を目指したいじゃない。」


なるほど。

はっきり言うな。

どっかのエドガーも似たようなことを言っていた。


「あとは今まで身につけたものがどのくらい通じるのか、知りたかったし。」

「手ごたえはどうだった?」

「通じなかったところもあったわね。」


その返事は早かった。

俺は最後の肉を口へ入れる。

確かに、二回追い返されている。

試験官の動きを止めるために、あれだけの魔力も使った。

抜けたことは嬉しい。だからといって、全部うまくできたわけではない。


「ダンは?」

「学費が浮く。」

「それはそうでしょうね。」


セラがこちらを見る。

そのまま待っているので、俺はフォークを置いた。


「……名前が載るから、かな。」

「正門のところ?」

「ああ。最初に来たとき、去年の特待生の名前を見た。あそこに、自分の名前があったらいいと思って。」


言ってから、少し後悔した。

学費を免除されたいとか、良い環境で学びたいとか。もう少し立派な理由もあっただろう

に。

まあ、全部本当ではある。

ただ、試験を受ける間に何度も思い出したのは、あの壁だった。


「そう。じゃあ明日、ちゃんと確かめないとね。」


セラはそれだけ言って、皿に残った芋を切った。

特に笑われもしなかった。


俺も水を飲む。

明日、あそこへ行けば結果はわかる。

なんか、緊張してきたな。


「それで、箱を取れたら特待生ってわけじゃないのよね。」


セラが言った。


「そうだな。箱をとれたのはプラスにはなりそうだが。」

「そうね。」

「なんか結果を待つよりも、試験してた方が楽な気がしてきたな。」

「あんなに殴られていたのに?」

「あれは御免だ。」


彼女が、口元を押さえて笑った。

俺も少し笑った。

皿には、肉汁だけが残っていた。

腹は落ち着いた。腕も、さっきより動かしやすい。

とりあえず今日は、この店へ来て正解だった。

会計は、それぞれ自分の分を払った。

店を出ると、通りの灯りが点き始めていた。


「明日、発表を見に来る?」

「もちろん。」

「じゃあ、掲示板の前で。」


セラが貴族街へ続く道を示した。

俺は宿のほうへ手を上げる。


「ああ、また明日」

別れて、俺も宿へ向かった。


*


宿へ戻り、服の土を払い、風呂で煤を落とした。

布団へ入った瞬間は、すぐに眠れそうだった。

目を閉じる。

明日の発表が浮かぶ。


その前に、レイヴンが落ちてきたときの蹴りを思い出した。

あれ、もう少し腹へ強化を寄せるのが遅かったら、どうなっていただろうか。


いや、今から続きを考えても仕方ない。

寝よう。

横を向く。

明日の掲示板が、もう一度浮かんだ。

…早く朝にならんかな。


*


翌朝、学院へ着いたのは、十時よりずっと前だった。

遅れるよりはいい。

そう思って門をくぐったのだが、掲示板には、まだ昨日までと同じ案内しか出ていなかっ

た。


早すぎたな。

俺は鞄を肩にかけ直し、壁に沿って立った。

その横には、去年の特待生の名前がある。

初日にここへ来たときと、変わっていない。

あのときの俺は、どんな実技をやるかも知らなかった。まして、二日目に騎士へ体当たりすることになるなど、思ってもいなかった。


掌を開いてみる。

昨日より、ずっと軽く動いた。


「おはよう。」


顔を上げると、セラが歩いてきたところだった。


「おはよう。早いな。」

「あなたもね。」


同じようなことを、昨日の朝も言った気がする。

ただ今日は、練習する的も、使い道の決まった時間もない。

時計を確かめても、そんなに進んではくれなかった。


少しずつ受験者が集まってくる。

見覚えのある顔も、ない顔もいた。

誰が箱を取ったのか、聞けばわかるかもしれない。

聞いたところで今から俺の点が増えるわけでもないので、やめておいた。


やがて職員が、紙を持って出てきた。

集まった人たちの視線が、一斉にそちらへ向く。

掲示板の前が空けられ、紙が取り付けられる。

端が風でめくれた。職員が押さえ、最後の留め具を打つ。


いよいよだ。

俺は逸る気持ちをおさえる。


「お待たせしました。特待生選抜の結果を発表します。選ばれた方は、受験票を持って受付へお越しください。」


人が動く。

俺とセラも前へ進んだ。

目当ての紙は、すぐに見つかった。

上のほうに『特待生選抜 総合成績上位者』とある。


名前は、三つ。

まず、自分の番号を探した。


二一七番。あった。


第三位 ダニエル・ラトリー。


俺は目を離さず、もう一度読んだ。

番号も、名前も合っている。


俺だ。

息を吐く。

すぐに、もう一度吸った。


特待生。

三年間の学費免除。寮費の補助。

入学式で名前を呼ばれて、その一年間、名前が壁に載る。

欲しかったものが、一度に思い出された。

それからようやく、上の二人を見た。


第一位 チャールズ・ゼイヴィア・バーン。

第二位 セリーナ・ヴィヴィアン・リーヴェルト。


一位は知らないが、二位は知ってる。セラだ。

俺だけ少し短い。シンプル・イズ・ベストってやつだ。


「あったわね。」


セラの声がした。

俺は、彼女のほうを向いた。


「ああ。お互いにな。」


普通に返せたと思う。

少なくとも、声は裏返っていない。

内心は全然普通ではなかった。


「二位か。」


セラがもう一度、紙を見る。


「嬉しくないのか?」

「嬉しいわよ。でも、一位じゃなかったから。」


そうだった。

こいつは昨日、最初から一番を狙うと言っていた。

俺も、一番がよかった。

ただ、今は三行目の自分の名前から、なかなか目を離せない。


「二人とも、おめでとう。」


振り向くと、エドガーがいた。

あの書店で話したときと変わらず、背筋が伸びている。

俺も少し、姿勢を正した。


「ああ、ありがとう。」


エドガーは選ばれなかったようだ。

エドガーに勝った。

たかが試験の結果だが、めちゃくちゃ嬉しい。


「二人は、入学式で名前を呼ばれるんだね。」

「まあ名前呼ばれて返事するだけだけどな。」

「いい返事を期待してるよ。じゃあ学院で会おう。」

「ああ、またな。」


エドガーが笑って去っていく。

人が来るので、二人で掲示板の横へよけた。


「じゃあ、手続き行くか。」


セラが受験票を取り出した。

俺も鞄から、丸めずに入れておいた受験票を引き出すと、その下に魔力測定の用紙が見えた。


魔力量:『標準』。


そうだったな。

ここに着いて最初に渡されたのは、その紙だった。

それから筆記を解いて、障壁を張って、走って、二人で関門を抜けた。

全部合わせて、三位。

俺は受験票を持ち、鞄を閉じた。


「ダン、行かないの?」


セラがこちらを見ている。


「行く。その前に、一つ頼んでいいか。」

「何?」

「入学したら、また練習に付き合ってくれ。混合障壁も、使えるようになりたい。」


セラが、俺の鞄へ目を落とす。


「いいわよ。私も、あなたと合わせたい術があるし。」

「今度は、何を打ち込めばいい?」

「それは考えておくわ。あと、先に行くときは言ってね。」


まだ言うか。

いや、言われなくなるくらいには、ちゃんとしよう。


「わかった。次は、ちゃんと合わせる。」


セラが歩き出す。

俺も続こうとして、もう一度だけ掲示板を見た。

家に帰ったら、まず父に知らせよう。

学費は使わずに済みそうだと。

それと、名前が載ったと。


第三位 ダニエル・ラトリー。

もう一度読んでも、やはり俺の名前だった。



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