御礼SS 3. いつか来る未来の話
長めです!少しだけ下世話な会話があります。
鉱国は北部辺境、デュボワ領。
領主家族の住まう邸の廊下を、一人の少女が歩いていた。
足取りは軽く、しかし堂々と。深く鮮やかな緑の瞳は真っ直ぐに前を見据え、歩くたび、燃えるような癖毛が揺れる。
少女は意気揚々と目的の部屋まで辿り着くと、バァン!と勢いよく扉を開け放った。
「うるしゅら!」
「母様と呼ばんか」
部屋の奥の執務机から、呆れた声が上がる。
「今日はどうした?ユッテ」
声の主は、少女───ユッテと同じ、燃えるような赤髪と深く鮮やかな緑眼。ウルスラだ。
てててっ、と駆け寄るユッテ。
「こんしゅーのかだい、ぜんぶおわった!まんてんだった!」
「聞いた。すごいな」
「うん!それでねっ!」
机の端にしがみつき、ご褒美を要求する。
「おじさまのとこ、いく!」
「またか」
娘の頭をわしわしとなで回しながら、ウルスラは眉間に皺を寄せた。
「聞いてみるのは構わんが、あちらの予定が空いているかは分からんぞ? いつも言っているが、他人にもユッテと同じように、予定というものがあってだな」
「わかってる!」
毎回恒例のお説教を聞き流し、ばねのようにその場で何度も跳ねるユッテ。
「だから、きーてみて!おねがーい!」
「分かった、分かった」
苦笑いしたウルスラは、なでるのを中断して机の引き出しに手をかける。
「ではあちらに伺いを……」
するとその時、扉の方でノック音がした。
入室の許可を出すと、ウルスラの夫であるゼノンが書類を片手に現れた。
「失礼します。ウルスラ様、少々お時間よろしいですか?」
「とーさま!」
「おや、ユッテもいたんですか」
ぴゃっと父親に飛びつくユッテ。ゼノンも楽しそうに応じる中、ウルスラは一人、しかめっ面をする。
ウルスラのことはちょいちょい「ウルスラ」呼びなのに、ゼノンは普通に「とうさま」なのだ。何故。
(やはり娘たちの前では「ウルスラ様」呼びをやめさせるべきか……?)
ともあれ、用件を尋ねる。
「それで、どうした?」
「ああ」
ユッテとじゃれていたゼノンが、思い出したようにその手を止めた。懐から、小さな紙片を取り出す。
「今さっき、サイプレス侯爵から先ぶれがありました。二刻後にいらっしゃるそうです」
「相変わらず急だな」
夫の報告を聞いて、ついぼやく。
もっとも、近年はウルスラ一家もそんな感じなのだが。ここにフィフィがいれば、「親戚ん家行き来するみたいな感じ?」と聞いてきただろう。目を輝かせるユッテ。
「おじさま、くる!?」
「来るぞ」
「やたーっ!!」
ぴょこん、とその場で跳ねて快哉を叫ぶ。
「おめかししなくっちゃ!リベラ!リベラー!!」
「まあ、ユッテ様。廊下を走ってはいけません」
そして乳母の名を呼びながら、執務室を飛び出す。侍女長からいつも通りお小言が飛んだものの、聞いていなさそうだ。
愛娘が出て行った扉を見つめながら、ゼノンは微笑ましげに目を細めた。
「ユッテは相変わらず、サイプレス侯爵が大好きですね」
対するウルスラは、渋い顔でゼノンから仕事の書類を受け取る。
「あれに惚れてもロクなことはないと思うが……」
「そうですか? 穏やかな良い方だと思いますが」
「子どもらにはな……」
侍女長やソフィアたちの言う通り、「年上の異性に憧れるお年頃」なのだろうか。自分にはなかった経験真っ最中の娘にため息を吐きつつ、書類を捌くウルスラ。
「よお。来たぜ、デュボワのお二人」
「いらっしゃい」
「いらっしゃいませ、閣下」
二刻後、予告通りに、サイプレスがチャイブたち配下を伴って来訪した。
扉の前で待ち構えていたのか、その腕には、既にユッテがぴったりとくっついている。夫と共に出迎えたウルスラが呆れ返っていると、足元にいた次女・サーシャがよちよちと前に出た。
「おじちゃ」
「ちゃー」
「サーシャとフィアナも、ご機嫌よう」
そう言うと、サイプレスはサーシャの頭をなでる。
「サーシャ、だいぶ角が伸びてきたな。お母様似だ」
「えへへー」
「フィアナも、父君そっくりの綺麗な茶髪だ」
「うー」
ゼノンの抱えた三女・フィアナにも、服の裾にキスをして挨拶する。無邪気に問いかけるサーシャ。
「おじちゃ、ひま?おちごと、ちゃぼってゆ?」
「サボってねェし忙しいわ」
しゃがみ込んで、ふわふわの頰をつんとつつく。
「こーの生意気め。母親に似たのか?それとも同じ名前のあの女か?」
「うにゅー」
「言及されても仕方のない頻度だと思うが……?」
何せ、週に一度は顔を見せている。
名目こそ視察や情報収集のついでだが、ツッコミの一つ入れても許されるはずだ。「あァ?」と鬱陶しそうに見上げるサイプレス。
「うるせえなァ、別に良いだろ。俺ァ、この子らを自分の娘だと思うことにしてんだよ」
「テキトーなことを言うな、父親より貴殿に懐いたらどうする!!」
「んなモン、テメェの立ち回りがヘタクソなせいだろォが。毎日来てるわけじゃあるまいし」
末娘を抱えたまま、いつも通りの言い合いをする二人を、微笑んで見守るゼノン。
そんな調子でお茶会の会場である庭のガゼボまで移動する。到着すると、サイプレスの手を引いていたユッテが、ぱっと笑顔になって飛び出した。
「おじさまのおこうちゃ、ユッテがいれてあげるね!」
「はっ?」
想定外の発言に、サイプレスが一瞬固まる。
しかしすぐにはっとして、ワゴンに駆け寄ろうとするユッテを捕まえた。
「……ッソ、フリーズしちまった。コラァ、ユッテ!ダメに決まってんだろ!!」
「?だっこ?」
きょとんと自分を抱きしめるサイプレスを見上げるユッテ。
「わーい、おじさまのだっこー!」
「よし、気が逸れたな。レーチェ、ユッテが手ェ出せないとこで紅茶を淹れてこい。出す時には冷めていてもいいから。いやむしろ、冷めていた方が安全でいい」
「かしこまりました」
サイプレスの命を受けて、そそくさとワゴンを押して去るレーチェ。それを見たウルスラは思わず苦笑する。
「もう五歳だぞ?侍女に補助してもらえば大丈夫じゃないか?」
しかし、サイプレスはじろりとウルスラを睨んだ。
「おい、ふざけるなよ。このどう見ても苦労知らずの手に火傷なんかできたらどうする? 可哀想だろうが!!」
「?」
「過保護すぎでは……?」
ユッテの小さな手を掲げて見せるサイプレスだが、その手は、剣術教師三人分の自尊心をへし折った手だ。ともあれ、丁寧にユッテを諭すサイプレス。
「……だから、怪我しないようにしっかり準備して、時間のある時にやろう。な?」
「わかった……」
しょんぼりと頷いたユッテだったが、すぐに何かに気がついてパッと笑顔になる。
「じゃあかわりに、おにわのバラ、つんできてあげるね!!」
「俺の話聞いてたか、ユッテェ!!」
宣言共に庭へ駆けていく小さな背中に、叫ぶサイプレス。
「棘が!棘が刺さるだろうが!!選ぶまでで良い、摘むのは庭師に任せろ!!ユッテ!ユッテー!!」
「あれで『過保護ではない』は、だいぶ無理があるな」
「同感です」
慌てて後を追う背中に向けて、ゼノンと二人、冷めた紅茶を飲みながらぼやく。
武門である。ウルスラとゼノンの感覚がやや平民寄りなのは認めるが、多少の擦り傷・切り傷くらいなんなのか。お気に入りのお菓子を頬張るサーシャ。
フィアナは眠くなってきたらしく、ぐずり始めたので、乳母に任せて部屋に戻らせた。サーシャの口元の食べかすを拭ってやるゼノン。
「サイプレス様は、御子がお生まれになったらきっと溺愛されるのでしょうね」
「違いない」
肩を揺らして笑ったウルスラだったが、ふ、と真顔に戻る。
「……まあ、未婚なんだが」
ゼノンが紅茶を飲もうとした体勢のまま止まる。構わず続けるウルスラ。
「婚約者どころか、女の影すらないんだが。血縁ほぼゼロの他所の子を、『自分の子だと思うことにした』とか世迷言吐かしてるんだが」
「ン、ンン」
むせかけたのか、咳払いで喉を整える。
レーチェがそっとサーシャの耳に手で蓋をした。それを確認して、ゼノンは影のように静かにしていたチャイブに、小声で確認を入れた。
「分家の方は大勢いても、サイプレスの直系はあの方一人ですよね? ……跡目争いまっしぐらでは?」
「左様でございますね、ゼノン殿」
「というか、奴の母方の家にも後継が必要なはずなんだが!? そちらもどうするんだ!?」
サイプレスの母方は、デュボワ一族の家。彼一人結婚しないだけで、かなりの範囲に影響が出ている。どさりと背もたれに寄りかかるウルスラ。
「迷惑なくらいモテるのに、何をやってるんだ」
───己の見目が武器になることを知っているサイプレスは、学園時代と変わらず美しい。
むしろ歳を重ねるごとに、魅力が増している気さえする。社交に出れば、社交界デビューしたばかりのうら若き令嬢から妙齢のご婦人まで、ダンスを求める女性が毎回後を絶たない。
「領地の状況や家の財政も、だいぶ改善されたと聞く。となれば、縁談がないわけでもないのでは?」
「そうですね」
チャイブは胸に手を当てると、微笑んで答える。
「先日も、執務机の上で釣り書きが雪崩を起こしていました」
「雪崩……」
思わず復唱するゼノン。ウルスラは舌打ちでもしそうな顔で、テーブルに頬杖をついた。
「なんなんだ? 奴は種無しなのか? それとも女では勃たんとか?」
「ウルスラ様」
「そういうわけではなさそうなのですが」
「チャイブ殿」
かなり際どい会話に、ゼノンが牽制する。サーシャに移動を促すレーチェ。
「では何故結婚しない?」
花壇のところで遊び始めたサーシャに手を振りながらそう問いかけると、チャイブは小さく肩をすくめた。
「有識者曰く、『人間不信と人嫌いを拗らせているだけ』とのことでございます」
「スパッと割り切らないか、そこは」
呆れ声をあげるウルスラ。
「政治的に良さそうな縁談から、生理的に許容範囲の顔と性格の女を選べばいいだけだろう」
「まさにそのように選ばれましたからね、私は」
そう言って微笑むゼノンは、普段は王城に仕える騎士をしている。
実力は十分、しかし身分が足りず、辞めようかと思っていたところをウルスラの夫としてスカウトされた。過ぎた野心のない控えめで穏やかな性格も、分家をして「狂犬」と恐れられる戦闘狂っぷりも、ウルスラと実に相性が良い。
親が親なので、結婚には微塵も期待を持っていなかったウルスラだが、今は三人の娘にも恵まれ、結婚生活はなかなかに愉快だ。
ちらと正面のゼノンを盗み見る。
(……あちらにも、そう思ってもらえていたら良いんだが)
すると、ウルスラの心中を読み取ったようにゼノンが微笑んだ。
「私も、ウルスラ様に選んでいただけて幸せです」
「!そうか!それは良かった!」
パッと笑顔になったウルスラに、ゼノンも笑みを深める。
そんな仲睦まじい夫妻の隣で、チャイブは遠い目をしてぼやいた。
「正直、政略よりも御子を確実に成せる方が重要なので……。臣下としては、もういっそ、お気に入りの娼婦でも作ってくれないかという気持ちです………」
「それもそれでどうなんだ……」
本格的な御家存続の危機に、戦慄するウルスラだった。
「おじさまー」
何度も振り返り、はしゃぎながら庭を走っていくユッテ。
「きて!きてー!!」
「はいはい、ついて来てるよ」
対するサイプレスは、途中から追いかけるのを諦めて、歩いてついて来ている。うさぎのように軽やかに駆けていく背に、ぽり、と頰を掻いた。
(お転婆)
子どもは健やかで幸福であれよ、と接していたら、ちょっと健やかになりすぎた気がする。
まあ、ウルスラとゼノンの娘と考えればかなり可愛い。最悪、侍女長やその薫陶を受けた者が軌道修正するだろう。
やがてユッテがしゃがみ込んだのは、燃えるように真っ赤な薔薇の花壇の前。
かつて、ゼノンから贈られ、ウルスラが気に入り、庭師に植えてもらった品種だ。
ただでさえ美しい中からいっとう美しいものを選んだユッテは、庭師に摘んでもらったそれを、サイプレスへと差し出した。
「おじさま。おっきくなったら、ユッテとけっこんして?」
ユッテは、この年上のお兄さんが大好きだった。
カッコよくて、優しくて、少し影があって。両親や使用人たちとは違う立場から、自分を慈しんでくれる。
何かと騒々しい母や領地の人たちと違い、いつも落ち着いていて、静かなのもカッコいい。「おじさま」と呼ぶよう言われたのでそうしているが、実際は二十代の母と同い年だ。整えられた見目もあって、ちっとも「おじさま」には見えない。
だから、今日こそはと一歩、踏み出した。
父から「我が国において求婚の定番は、真っ赤なバラである」と聞いた故に。
母から「望みを叶えるためには自ら行動すべし」と言い聞かせられたが故に。
めいっぱい愛らしく見えるよう、何度も練習した顔と角度で、愛の告白を。
ユッテ渾身の求婚を受けたサイプレスは、一瞬目を瞠り……ふっと微笑んだ。
「お?うーん、ありがとな」
そして、ユッテの差し出した手ごと、バラをそっと手のひらで押し返す。
「だがな、そういうことは俺みたいなオッサンの事故物件じゃあなくて、もっと歳の近い素敵な野郎にするもんだぜ」
……そう言って軽く、しかしあくまで優しく拒絶したサイプレスは、知らない。
──この直後、目の前の幼子に「狂ったような本気のギャン泣きをされる」とは。
ハンガーストライキまで起こした彼女を納得させるために、仮とはいえ、正式な婚約を結ぶことになるとは。
まして十年後、成長したユッテがその婚約を盾に、サイプレス侯爵邸まで押しかけて来ることになろうとは。
今は、まだ。
ユッテちゃん(五歳)は、癇癪なんて一度も起こしたことのない、とっても素直で朗らかな良い子でした……この瞬間までは。
ユッテ「びゃえああああぁぁぁぁああうぇえええん!!!!」
ウルスラ「どうしたユッテ!!……サイプレスー!!貴様、私の娘に何をした!?」
サイプレス「ウッッッソだろ、こんなに泣く?」(心からの困惑)
なお、叔父とはまだ話せていない。
これにて、御礼SSは終了です!お読みいただき、ありがとうございました!




