「四層・五層、紅蓮の王女と精霊の耳」
四層への降り口は、三層の結晶洞窟とは打って変わって、湿った土と腐葉の匂いが満ちる薄暗い森林地帯だった。天井は高く、巨大な発光苔が青白い光を放っている。
「……魔力の密度が上がってる。三層より層が深い分、魔物の質も変わるわ」
エレインが魔導書に指を走らせながら言う。尖った耳が、洞窟の奥から届く微細な気配に反応して動く。
ミーニャはすでに影の中へ溶けていた。
「……前方に七匹。……木の根の下に巣がある」
「種類は?」
「……甲殻。硬い皮がある」
シュウは頷き、フィオナへ目を向けた。フィオナは王家の法典を胸に抱え、一歩前に出る。
「感謝なさいよね。ここは私が先陣を切るわ」
「怪我をするな」
「するわけないでしょ」
フィオナが深く息を吸い、黄金の魔力が彼女の全身から滲み出した。
圧倒的な王威。それは単なる威圧ではなく、この空間の支配権を宣言するような、根源的な力の発露だった。
【フィオナのスキル:『王威』発動】
木の根の下から、甲殻を持つ魔物が一斉に這い出てきた。逃げるためではなく、その威圧に抗えず姿を晒してしまったのだ。
そこへシュウが踏み込んだ。
音もない。ただ包丁が闇を裂いて、七匹が次々と崩れ落ちた。
「……すごい。……フィオナ、強い」
ミーニャが影から顔を出してぽつりと呟く。フィオナは耳まで赤くなった。
「べ、別に褒められて嬉しいわけじゃないんだから!」
シュウは崩れ落ちた甲殻を素早く解体し、外殻を袋へ収めた。
「いい素材だ。ガストンへの土産にする」
「……やっぱり食べ物か素材の話になるのね、あなたは」
四層を抜けると、五層へ続く裂け目が現れた。
冷たい風が吹き上がってくる。壁面には黒い苔が張り付き、魔力の流れが不安定に揺れているのがわかる。
「……深層の影響が出始めてる」
エレインが声を抑えた。翡翠の瞳が、細く険しくなる。
「アウモデウスの封印が揺らいでいるなら、五層以降は魔力の歪みが強くなる。術式が乱される可能性もある」
「魔法が使えなくなるってこと?」
「使えなくなるんじゃなくて、予測できない暴走が起きやすくなる。……私の制御が、いつも通りには効かないかもしれない」
エレインの声に、珍しく緊張の色があった。翡翠の瞳が伏せられる。
シュウはそちらを一瞥した。
「歪みを感じたら、すぐに言え」
「……わかってる」
「お前の耳は、魔力の流れに正直だろう。信じろ」
エレインは顔を上げた。尖った耳が、小さく揺れた。
「……一回だけ、頼るんだから。特別なんだからね」
ミーニャがシュウの袖を引く。
「……行く?」
「ああ」
五層の黒い裂け目が、ゆっくりと口を開けていた。その奥から漏れる魔力の揺らぎは、明らかに四層までとは質が違った。
シュウは包丁を握り直し、足を踏み出した。
「次の獲物はどいつだ」
背後でフィオナが小さく呟く。
「……絶対に、全員で戻ってくるわよ」
誰にも聞こえないくらいの声だったが、ミーニャだけが、影の中でそっと耳を傾けた。




