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夢紡ぎの街 ―感情と日常の異世界スローライフ―  作者: たむ


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第2章 第145話:白の前で、最後まで聞いている

言葉を急がないことと、最後まで聞いていることは、少し似ていて、少し違う。

急がないだけなら、ただ黙っていることもできる。

けれど、最後まで聞くには、その人の中でまだ形になりきっていないものへ、途中で背を向けずにいる必要がある。

答えを出さなくてもいい。

きれいにまとめなくてもいい。

ただ、途切れそうな言葉のそばに残り、その終わりまで一緒にいてくれること。

この日、二つの白の前には、そんな静かな聞き方が育ちはじめていた。

朝のここは、薄い雲をかぶっていた。


明るさはある。

けれど、昨日より少しだけ光がやわらかく、二つの白の輪郭も穏やかに見える。

先に咲いた白は落ち着き、後から咲いた白もその隣でずいぶん馴染んできた。

その前には石の縁と木の腰掛け。

どちらも、誰かが少し腰を下ろし、少し言葉を置いていく場所として、静かにそこにある。


リオナは小さな水差しを持って二つの白へ順に水をやる。

落ちる水音を聞きながら、今日は何かを“最後まで”聞く日になるような気がしていた。


「……今日は、途中で切れない日かも」

そう呟くと、リナライが首をかしげる。

「……きれない?」

「うん。言葉が」

「……ことば」

「昨日は、急がない日だったでしょ」

「……うん」

「今日は、その先で“最後までいてくれる”感じがする」

リナライは少し考えてから、二つの白のあいだを見る。

「……さいご、まで」

「うん。たぶんね」

シオンもまた、二つの白と、その前の二つの座る場所を見ていた。


「……ここ」

ぽつりと言う。

「うん」

「……まつ」

「うん」

少し間があいて、

「……きく」

リオナとリナライは、静かに顔を見合わせる。


「いま、“きく”って?」

リナライがそっと聞く。

シオンの灯りが明滅する。

「……きく」

もう一度、たしかにそう言った。


リオナは胸の奥に、静かな熱がひろがるのを感じた。

待つ。

言う。

まだ。

どうぞ。

そして、聞く。

この場所で育ってきたものが、またひとつつながった気がした。


「うん」

「今日は、そういう日かもしれないね」


午前の少し早い時間、門の前に見慣れた足音が止まる。


ユアンだった。


ここ数日で、彼はこの場所へ来る時の肩の力をずいぶん抜けるようになっていた。

今日も門の前で二つの白を見て、小さく会釈する。


「おはようございます」

「おはよう」

リオナが返す。

けれど今日は、石の縁へすぐ座る前に、ユアンは少しだけ迷った。

座るかどうかではない。

何かを言うかどうかで、立ち止まっているようだった。


「どうしたの?」

リオナがやわらかく聞くと、ユアンは少し困ったように笑った。

「……話すほどのことか、わからなくて」

「うん」

「でも、たぶん、ひとりで持ってるとまた重くなる気がして」

その言葉に、リオナは頷く。

「じゃあ、ここに置いてみたらいい」

ユアンは小さく頷いて、石の縁へ腰を下ろした。


しばらく二つの白を見る。

それから、ゆっくり口を開いた。


「昨日、ベルドに店の話、相談しに行ったじゃないですか」

雑貨屋の主人のことだろうと一瞬思ったが、違った。

ユアン自身の話らしい。

「うん」

「そしたら……ついでに、家のことも少し聞かれて」

「うん」

「それで、“お前、言いたいこと言う前に黙る癖あるだろ”って言われたんです」

そこでユアンは、少しだけ苦く笑う。


リツカが、少し遅れてやって来た。

今日も門の前でその空気を見て取り、すぐには座らず、少し離れて立ったまま二つの白を見る。

リオナも、リナライも、誰もユアンの言葉を急がせない。


「言い返したかったんです」

ユアンが続ける。

「そんなことないって」

「うん」

「でも、言い返せなくて」

彼は二つの白を見たまま、少しだけ肩を落とす。

「たぶん、本当だったから」

そこまで言って、言葉が止まる。


以前なら、ここで誰かが“でも少しずつ話せるようになってるよ”とか、“そんなことないよ”とか言っていたかもしれない。

けれど今日は、誰も挟まない。

ただ、その止まったところに一緒にいる。


サラもやって来た。

門の前で立ち止まり、ユアンが話しているのを見て、今日は木の腰掛けにも座らず、静かにその場に残る。

それだけで十分だった。


ユアンは沈黙のあと、もう一度口を開く。


「昨日の夜も、家で少し言い合いになりかけて」

「うん」

リオナが答える。

「その時、また黙ってしまって」

「うん」

「黙ったあとで、“今のは違った”って思うんです」

彼の声は低いが、前より少しだけ奥まで届く感じがした。

「ちゃんと話せた方がいいのに」

「うん」

「でも、うまく言えない」

そこまで言って、また止まる。


リツカは白を見る。

サラは少しだけ視線を落とす。

誰も“こう言えばいい”を差し出さない。

それは冷たさではなく、その続きをユアン自身が見つけるまで待っている静けさだった。


シオンは、二つの白と、石の縁に座るユアンを見ていた。

灯りが静かに揺れる。

そして、ぽつりと口を開く。


「……まだ」

ユアンが顔を上げる。

「……いう」

少し間があく。

「……きく」

その三つの言葉が、白の前の空気へやわらかく置かれた。


ユアンは目を瞬かせたあと、ふっと息を吐いた。

苦いだけではない、少しほどけた息だった。


「……そうか」

彼は小さく笑う。

「俺、自分でちゃんと聞いてないのかもしれない」

リオナは静かに目を細める。

「自分の言いたいこと?」

「うん」

ユアンは頷く。

「言う前に消してる」

それは、きっと彼の中でようやく形になった言葉だった。


サラが、そこで初めて小さく言う。


「わかる」

ユアンがそちらを見る。

サラは二つの白を見たまま続ける。

「私も、決める前に気持ちの方を消そうとしてた」

ユアンは少し驚いたように目を開く。

リツカもやわらかく頷く。

「私は、怖い方を早くどけたくなってた」

言葉は短い。

でも、どれも自分の実感から出ているのがわかった。


ユアンはしばらく黙ったあと、二つの白を見る。


「……じゃあ」

「うん?」

リオナが聞くと、彼は少し迷いながら言った。

「今すぐうまく言えなくても、消す前に、自分で聞いた方がいいのかも」

その言葉に、リオナは静かに頷く。

「うん」

「たぶん、それが最初かも」

ユアンは少し肩の力を抜いたように笑う。

「なんか」

「うん」

「ここに来ると、すぐにちゃんとしなくてもいい話し方になるんですね」

「うん」

リツカがやわらかく答える。

「最後まで言えなくても、途中までで聞いてもらえるから」

その言い方が、今日のここにいちばん似合っていた。


シオンは二つの白と、そこにいる人たちを見ていた。

灯りがやわらかく揺れる。


「……いう」

ぽつりと。

「……まだ」

少し間があいて、

「……きく」

「うん」

リナライが嬉しそうに頷く。

「……さいご、まで」

その言葉に、リオナは静かに息をつく。

「そうだね」

「今日は、最後まで聞く日なんだね」


昼前、ミレナが立ち寄った時には、石の縁に座るユアン、少し離れて立つリツカとサラ、その前の二つの白という景色があった。

彼女はすぐにその静けさを感じ取り、今日はすぐに言葉を置かず、門のところで少しだけ立ち止まる。


それから、小さく言った。


「今日は、話してるというより……聞いてる日ですね」

「うん」

リオナが答える。

「たぶん、そう」

ミレナは頷く。

「いいですね」

「何が?」

「最後まで聞いてもらえる場所って、思ってるより少ないから」

その言葉に、ユアンの表情が少しだけやわらいだ。


昼すぎ、ユアンは立ち上がる前に、二つの白を見て言った。


「今日、帰ったら」

「うん」

「すぐにちゃんと話すのは無理でも」

「うん」

「黙る前に、一回だけ“ちょっと待って”って言ってみます」

それは小さな決意だった。

でも、これまでここに置かれてきた“少し前”の報せと同じくらい、たしかな前進でもあった。


「うん」

リオナがやわらかく言う。

「それ、いいと思う」

サラも頷く。

「うん」

「それ、消さないで残る言い方」

ユアンは少し照れたように笑った。

「……そうかもしれない」

そして、静かに会釈して去っていった。


その背中を見送りながら、リツカがぽつりと言う。


「今日は、答えじゃなくて、途中までの話がちゃんとここにいられた日だったね」

「うん」

リオナが頷く。

「最後まで話しきらなくても」

「……最後まで聞いてもらえた」

「そうだね」

サラも小さく笑う。

「それ、すごく助かる」

その声は、ユアンだけに向けたものではなく、自分にも向いているようだった。


夕方、二つの白はやわらかな影をまとい、その前の石の縁と木の腰掛けは今日も静かにそこにある。

誰がどこにいたかよりも、どんな聞き方がそこにあったかが、空気の中に残っているように見えた。


リナライは二つの白の前にしゃがみ込み、ぽつりと言う。


「……きく、って、やさしいね」

「うん」

リオナが答える。

「話すより目立たないけどね」

「……うん」

「……でも、だいじ」

「そうだね」

「最後まで、ちゃんといなくちゃできないもんね」

「……うん」

「それも、席をあけるのと似てるのかも」

リナライが嬉しそうに頷く。

「……ことばの、せき」

その言い方に、リオナは少し笑った。

「うん」

「今日は、ことばの席をあける日だったね」


シオンは二つの白と、その前の小さな居場所たちを見る。

灯りが穏やかに明滅する。


「……きく」

少し間があく。

「……まだ」

さらに、

「……さいご」

そして最後に、

「……やさしい」


夕方の風が、二つの白と、そのあいだと、その前の静かな空気を撫でていく。

その光景を見ながら、リオナは胸の中でそっと思った。

ここで育っているやさしさは、何かを言ってあげる力だけではない。

誰かが、自分の中の言葉を最後まで置いていけるように、静かにそこに残る力でもあるのだと。

今回は、“言葉を急がないやさしさ”が、さらに一歩進んで“最後まで聞いているやさしさ”として見える回でした。

ユアンの、うまく言えないことを途中で消してしまう癖。

それを誰も急いで埋めず、でも途中で切らずに一緒にいてくれたからこそ、「消す前に自分で聞く」という小さな気づきまでたどり着けたのだと思います。


また、リナライの「ことばの、せき」という言葉も印象的でした。

席を譲る“どうぞ”が、今日は言葉のためにもあけられていた。

その見えにくいやさしさを、もうこの庭ではちゃんと受け取れるようになってきているのだと感じます。


そしてシオンは、「きく」「まだ」「さいご」という流れに触れました。

それは、ただ言葉そのものではなく、“言葉がそこへたどり着くまで一緒にいる”という時間の形にまで、感覚が届いている証なのかもしれません。

次は、この“最後まで聞いてもらえた”ことが、誰かの中でまた別の勇気へ変わっていくのかもしれません。

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