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夢紡ぎの街 ―感情と日常の異世界スローライフ―  作者: たむ


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第2章 第137話:白の前へ持ってくる小さな報せ

人は、苦しい時だけ同じ場所へ戻るわけではない。

少しだけ気持ちが軽くなった日。

昨日よりひとつだけ前へ進めた日。

そんな小さな変化を、まだ大きな声では言えなくても、どこかにそっと持って行きたくなることがある。

二つの白が並ぶ線のそばは、この日、そうした“報せ”もまた受け取れる場所になり始めていた。

重さを置いていく場所が、少しずつ、やわらかな喜びも連れてこられる場所へ変わっていく。

その変化はとても静かで、だからこそ確かなものだった。

朝のここは、昨日より少しだけ明るかった。


空に薄く残っていた雲は高く流れ、二つの白にはまっすぐな朝の光が落ちている。

先に咲いた白は落ち着いていて、後から咲いた白は昨日よりほんのわずかに花弁をひらいていた。

そのあいだの空気も、石の縁も、今日も変わらずそこにある。


リオナは水差しを持って二つの白へ水をやる。

いつもの動作。

いつもの朝。

けれど今日は、どこか軽い気配が庭に混じっているように感じられた。


「……今日は、いい報せが来そうだな」

そう呟くと、リナライが不思議そうに振り向く。

「……しらせ?」

「うん。なんとなく」

「……わかるの?」

「わからない。でも、そういう朝ってある気がする」

リナライは少し考えてから、二つの白を見る。

「……きょうのしろ、なんか、あかるい」

「うん」

「たぶん、そういうことかも」


シオンもまた、二つの白を見ていた。

灯りが静かに揺れ、ぽつりと言う。


「……ここ」

「うん」

「……あかるい」

「うん。今日は明るいここだね」

その一言が、不思議と朝の空気によく馴染んだ。


午前のうち、最初に来たのはサラだった。


昨日、一昨日と迷いを抱えたまま戻ってきた彼女は、今日は門の前に立った時点で、少しだけ表情が違っていた。

迷いが消えたわけではない。

でも、胸の内側にあった重さの持ち方が変わったような、そんな顔だった。


「おはようございます」

「おはよう」

リオナが返すと、サラは小さく笑った。

「……また来ました」

その言い方が、前より少し自然になっている。


「うん」

リオナも笑う。

「また来たね」

サラは今日は迷わず石の縁へ腰を下ろした。

その動作には、もう“座ってもいいだろうか”という遠慮がほとんどない。

ここへ来て、少し座る。

その流れが、少しずつ彼女の中にも馴染み始めているのだろう。


二つの白を見つめながら、サラはしばらく黙っていた。

それから、ぽつりと言う。


「……まだ決めてません」

「うん」

「でも」

少し間があく。

「布屋の人に、“もう少し考えさせてください”って言えました」

リオナは、思わずやわらかく目を見開く。

「それは、大きいね」

サラは少し照れたように笑った。

「たぶん」

「昨日まで、言えなかったんです」

「うん」

「決めてないのに時間だけもらうの、よくない気がして」

二つの白は、変わらずそこにある。

違う形のまま並んでいる。

「でも昨日、ここで……」

サラは白のあいだを見る。

「決まってないままでも、並んでいていいって少し思えたから」

その言葉に、リナライが嬉しそうに頷く。


「……うん」

「それで、言えた」

「うん」

サラは、少しだけ深く息を吐いた。

「まだ何も決まってないけど」

「うん」

「でも、“決まってない”ってちゃんと言えたのは、たぶん初めてです」

それは答えではない。

けれど、答えへ向かうための大切な一歩には違いなかった。


シオンはサラを見る。

次に二つの白を見る。

灯りがやわらかく揺れる。


「……また」

「うん」

サラが答える。

「また来た」

「……まよう」

「うん」

「……いう」

その一言に、庭の空気が静かに明るくなる。


リオナは息をつく。

今の“いう”は、きっと偶然じゃない。

迷いを消すのではなく、迷っていることを言えるようになった。

その小さな変化へ、シオンは触れたのだ。


「うん」

リオナがやさしく言う。

「今日は、言えた日なんだね」

サラは目を潤ませるほどではなかったが、少しだけ口元を押さえて笑った。

「……はい」

「そうかもしれません」


少し遅れて、ユアンもやって来た。

今日は昨日よりさらに肩の力が抜けている。

門の前で白を見ると、サラが座っているのに気づき、少しだけ驚いたように会釈した。


「おはようございます」

「おはようございます」

そのやり取りも、もう気まずくない。


「今日も座っていく?」

リオナが聞くと、ユアンは頷いた。

「はい。少しだけ」

彼もまた、自然に石の縁へ腰を下ろす。

サラとは少し間を空けて。

その距離が、この場所らしい。


しばらく二つの白を見ていたユアンが、ぽつりと言う。


「昨日、ちゃんと話せたって言いましたけど」

「うん」

「今日の朝は、普通に挨拶できました」

それはひどく小さな報せだった。

けれど、だからこそ深かった。

「それだけなんですけど」

「それだけじゃないよ」

リオナが言うと、ユアンは少し困ったように笑う。

「そうですかね」

「うん」

「昨日より、ずっと先だと思う」


サラも、小さく頷いた。


「わかります」

その一言に、ユアンは少し驚いたように彼女を見る。

でも、それ以上何も言わない。

ただ、わかります、と返ってくるだけで十分だったのだろう。


シオンは二人を見る。

二つの白を見る。

そして、小さく言う。


「……また」

少し間があく。

「……ちがう」

リナライが嬉しそうに笑う。

「……うん。また、だけど、ちがう」

「昨日と同じ場所に戻ってきてるのに、ちゃんと少し違うんだね」

リオナのその言葉に、ユアンは静かに頷いた。


昼前、リツカが来た時には、石の縁にサラとユアンがいるのを見て、少しだけ目を丸くした。

けれどすぐに表情をやわらげ、今日は立ったまま二つの白を見た。


「今日は、座る人が多いですね」

「うん」

リオナが笑う。

「戻ってくる人も多い」

リツカはその言葉を聞いて、少しだけ考えてから頷く。

「……いいですね」

「何が?」

「ちゃんと、昨日の続きがあるみたいで」

その言い方が、今のここをとてもよく表していた。

今日は新しい誰かが来た日ではなく、昨日の続きを持ってくる人がいる日なのだ。


ミレナも、昼すぎに立ち寄った時、二つの白の前に座る二人を見て、静かに微笑んだ。


「報告しに来たみたいですね」

「報告?」

リオナが聞くと、彼女は頷く。

「はい。まだ全部終わってないけど、“昨日よりこれができた”って持ってきてる感じ」

その表現に、リオナははっとする。


たしかにそうだった。

ここは、何かを置いていくだけの場所ではなくなり始めている。

少しやわらいだこと。

ひとつ言えたこと。

普通に挨拶できたこと。

そんな小さな進みを、そっと持って来られる場所にもなっているのだ。


シオンはミレナを見る。

「……しらせ」

ぽつりと、そう言った。

皆が顔を上げる。


「いま、“しらせ”って?」

リナライが弾んだ声で聞く。

「……しらせ」

シオンの灯りが明滅する。

「……また」

少し間を置いて、

「……ちがう」

リオナは胸の奥が静かに熱くなるのを感じた。


そうだ。

今日ここへ持ってこられているのは、まさに小さな報せなのだ。

昨日と同じではないという報せ。

少しだけ進んだという報せ。

まだ終わっていなくても、ちゃんと生きて続いているという報せ。


「うん」

リオナはやわらかく頷く。

「今日は、そういう日だね」

サラも、ユアンも、その言葉に静かに目を細めた。


午後、サラが帰る前に言った。


「たぶん、また来ます」

「うん」

「でも次は、もう少し違う報告ができたらいいなって思います」

「うん」

「できなくても、また来ていいですか」

リオナが笑う。

「もちろん」

リナライも頷く。

「……また、でいい」

サラは、その言葉を嬉しそうに受け取ってから去っていった。


ユアンも立ち上がる時に、少し照れたように言う。


「俺も……また来ると思います」

「うん」

「今度は、朝じゃないかもしれないですけど」

「それでもいいよ」

「……はい」

そう返す声は、もう初めて来た日の低さとは少し違っていた。


夕方、二つの白はやわらかな影をまとって並んでいる。

石の縁は空いている。

けれど、そこには今日置かれた小さな報せの温度が、まだ薄く残っているように見えた。


リナライは白の前にしゃがみ込み、ぽつりと言う。


「……ここ、置くだけじゃないね」

「うん」

リオナが答える。

「持ってくる場所にもなってきた」

「……しらせ」

「うん」

「……ちょっとだけ、よくなった、とか」

「うん」

「……それも、持ってきていい」

「そうだね」

その言葉が、この場所をまた少しだけ広げた気がした。


シオンは二つの白と、その前の石の縁を見る。

灯りが静かに揺れる。


「……また」

少し間があく。

「……ちがう」

さらに、

「……しらせ」

そして最後に、

「……ここ」


夕方の風が二つの白のあいだを静かに通り抜ける。

その光景を見ながら、リオナは思う。

この庭は、重いものを少し置いていく場所であると同時に、やわらかくなったものを少し持って帰り、また少し持ってきてもいい場所になり始めているのだと。

今回は、“戻ってくること”が、小さな報せを持ってくることにもなり始める回でした。

サラの「決まってないと言えた」、ユアンの「普通に挨拶できた」。

どちらも小さな変化ですが、それを“ここへ持ってきていい”と感じられることは、とても大きいのだと思います。

答えが出たから来るのではなく、少しだけ昨日と違う自分を確かめるためにまた来る。

その積み重ねが、この場所をより深く日常へ結びつけているように見えました。


また、シオンが「しらせ」という言葉に触れたことも印象的でした。

重さや迷いだけでなく、その先にある小さな変化まで感じ取り始めている。

それはシオン自身が、この庭で起きる人の時間の流れを、より長く、よりやさしく見られるようになってきた証なのかもしれません。


次は、この“報せを持って来られる場所”に、今度は少しはっきりした喜びや、まだ言葉にならない嬉しさが運ばれてくるのかもしれません。

二つの白の前の時間は、まだ静かに育っていきそうです。

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