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夢紡ぎの街 ―感情と日常の異世界スローライフ―  作者: たむ


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第2章 第122話:ひらいた白の朝

花がひらく瞬間を、誰もが同じように見るわけではない。

ある人には始まりに見え、ある人には安心に見え、ある人にはただ静かで美しいものとして映る。

けれど、その違いのすべてを抱えたまま、同じひとつの朝が訪れることがある。

待たれていた白は、この日、ようやくその形をひらく。

それは大きな出来事ではない。

けれど、ここへ立ち寄ってきた人たちの時間の中で、確かにひとつの節目になる朝だった。

その朝、リオナは目を覚ました時から、なぜだか胸が少しだけ騒いでいた。


理由ははっきりしている。

昨日のつぼみ。

やわらいで、ほどけかけて、でもまだ“まだ”の中にあった白。


ただ、それが今日ひらくとは限らない。

こういうものは、期待した朝ほど変わっていないことも多い。

だからこそ、リオナは自分に言い聞かせるように、いつも通りの動きで身支度を整え、いつも通りの手つきで扉へ向かった。


居間には淡い朝の光。

窓辺にノア。

食卓の脚のそばにナリ。

床を短く滑るレン。

そして、すでに門の近い庭の方を見ているシオン。


それだけで、リオナは少し笑ってしまう。


「……気になるよな」

小さく呟くと、シオンの灯りがかすかに揺れた。


扉を開ける。

朝の空気が、ひんやりと頬に触れる。

そして次の瞬間、リオナは足を止めた。


線のそばの白い苗。

その先にあったつぼみは、もう“つぼみ”ではなかった。


完全に大きく開いているわけではない。

けれど、白い花弁はたしかに外へほどけ、朝の光を受けて静かにひらいている。

中心はまだ少しだけ内側を向いているが、それでももう昨日の“まだ”ではない。


「……ひらいた」

声になったのは、それだけだった。


後ろから出てきたリナライも、すぐにその言葉の意味に気づく。

門のそばまで来ると、息を呑み、両手を胸の前でぎゅっと握った。


「……ほんとだ」

小さな声が、朝の空気に落ちる。

「……しろ、ひらいた」

その響きには、驚きより先に、ほっとした気配が混じっていた。


シオンは白い花を見ている。

灯りはいつもより少しだけ明るい。

その輪郭は揺れているのに、不安定ではない。

むしろ、胸の奥で何かを確かめるみたいに、静かに細く明滅している。


「……しろ」

ぽつりとシオンが言う。

「うん」

リナライが頷く。

「……はな」

「うん。花だよ」

少し間があく。

それから、シオンは小さく続けた。

「……ひらいた」


リオナは、その一言に胸が熱くなるのを感じた。

花。

白。

ここ。

今日。

まだ。

先。

そうやって少しずつ触れてきた言葉たちが、ようやく今朝ひとつの形に結びついたのだ。


「うん」

彼はやわらかく答える。

「ひらいたね」


根元には、昨日シオンが添えた白い花びらがまだ残っていた。

その一片が、まるでこの朝までの時間を見守っていたみたいに見える。


リオナはいつもの小さな水差しを手に取り、花の根元へ少しだけ水をやる。

水滴が土へ落ちる。

葉がかすかに震える。

ひらいた白は、その音さえ受け止めるように静かだった。


その時、門の前に足音が止まる。


こつ。

でも、呼ぶ前に、そこにいる人の気配だけで誰かわかるような、やわらかな足音。


「……おはようございます」

ミレナだった。


彼女は門の前で立ち止まり、線のそばの白を見た瞬間、ぱっと表情を明るくする。

それから、思わずというように口元へ手を当てた。


「……ひらいてる」

その一言は、まるで自分のことみたいに嬉しそうだった。


「今朝だったみたい」

リオナが答えると、ミレナは何度も頷く。

「よかった……」

「そんなに?」

「だって、待ってましたから」

その言い方が自然で、リオナは少し笑う。

「ミレナさんも?」

「もちろんです」


彼女は麻紐の向こうにある白を見つめながら、小さく言った。


「今日は、始まりの白じゃないですね」

「じゃあ、何だろう」

リオナが尋ねる。

ミレナは少し考えてから答えた。

「……たどり着いた白、かな」

その言葉が、庭の空気に静かに広がる。


始まりの白。

これからの形。

待ってる白。

そして今朝は、たどり着いた白。


同じ花なのに、ここへ来るまでに重ねられた時間が、そのまま名前になっているみたいだった。


シオンはミレナを見る。

次に白い花を見る。

灯りがやわらかく揺れ、かすれた声が落ちる。


「……みれな」

ミレナが目を潤ませながら笑う。

「うん、ミレナ」

「……しろ」

「うん。白、ひらいたね」

その声は、以前よりずっと落ち着いていた。

喜びが大きすぎて相手を驚かせないようにする、その配慮もまた、彼女がここで覚えてきたことなのだろう。


ミレナが去ったあと、今度はエマが来た。

今日は開店前らしく、髪をまとめる手つきにまだ少し慌ただしさが残っている。

けれど、花を見た瞬間にその忙しさがふっとほどけた。


「……輪郭、出ましたね」

その言い方に、リナライが嬉しそうに笑う。

「……でた」

「ええ。ちゃんと花の形になった」

エマは麻紐の前で足を止めたまま、ひらいた白を見つめる。

「昨日まで、ずっと“これから”だったのに」

「うん」

「でも今日は、もう“いま”ですね」


“いま”。

その言葉に、リオナは静かに頷く。

たしかにそうだ。

先ではなく、途中でもなく、今ここでひらいている白。

それが今朝の姿なのだ。


シオンはその言葉もまた、じっと受け取るように聞いていた。


昼が近づくにつれて、門の前には自然と人が増えた。

誰かが大きな声で呼び集めたわけではない。

それでも、朝の市場で「ひらいたらしい」と短く伝わるだけで、今日のここを見に来る人はちゃんと足を向けた。


ベルドは通りがかりに足を止め、花を見るなり短く言った。


「咲いたか」

それだけなのに、妙にしっくりきた。

余計な言葉はいらない。

それで十分だというように。


ハルは門のところで静かに笑った。


「待ってた白じゃなくなった」

「うん」

リオナが頷く。

「じゃあ今は?」

「……ひらいた白」

ごく当たり前の答えだった。

でも、その当たり前がなんだか愛おしかった。


ノルは、今日は珍しく最初から大声を出さず、ただ目をきらきらさせたまま言う。


「昨日までと全然ちがうな」

「うん」

「でも、ちゃんと同じやつだ」

その感覚は、子どもらしいのに妙に核心を突いていた。

違うのに、同じ。

変わったのに、ちゃんと続いている。

それが、今日のここなのだろう。


リツカもまた、昼前にひとりでやって来た。

今日は前より顔色がいい。

門の前で白い花を見ると、目を細めて、しばらく何も言わなかった。

それから、ようやく小さく息を吐く。


「……ほんとに、ひらいた」

「うん」

リオナが答える。

「ちゃんと、先が来た」

その言葉は、花に向けたものなのか、自分の毎日に向けたものなのか、もうわざわざ分けなくてもいい気がした。


シオンはリツカを見る。

次に、ひらいた白を見る。

それから、花の根元に残る白い花びらを見つめる。


灯りがゆっくり強くなる。

白い花びらがふわりと浮いた。


皆が、自然に息を潜める。


花びらは、今日ひらいた白のそばを一度だけ巡る。

まるで、咲いたことを確かめるみたいに。

それから、今度はまっすぐ麻紐の向こうへ流れていく。


落ちた先は、リツカの足元の少し手前。


前みたいに、届ききらない位置。

けれど今日は、その距離が以前よりずっと短く見えた。


リツカは白い花びらを見て、それからゆっくり頭を下げる。


「……ありがとう」

その声は、前よりも少しだけしっかりしていた。


シオンの灯りが、やわらかく揺れる。


「……りつか」

かすかに名を呼ぶ。

リツカは顔を上げて、目を潤ませながら頷いた。

「うん」

「……しろ」

「うん。白、ひらいたね」

「……ひらいた」

その一言に、リツカはとうとう笑った。

小さく、でもちゃんと明るい笑みだった。


午後、白い花はさらに少しだけ開いた。

朝よりも花弁の間がやわらぎ、中心にやさしい影が見える。

見る時間によって、やはり少しずつ違う。


エマはそれを見て「昼は芯が見える」と言い、

ミレナは「朝よりあたたかい白になった」と言い、

ベルドは「ちゃんと花だな」と短く言った。


リナライはその全部を聞きながら、ぽつりと言う。


「……ひらいても、いろいろあるね」

「うん」

リオナが笑う。

「咲いたら終わりじゃなくて、咲いた今日のここがまたあるんだろうね」

シオンはその言葉を聞き、白い花を見る。


「……きょうの、ここ」

「うん」

「……ひらいた」

「そうだね」

リナライがやさしく頷く。

「今日のここは、ひらいたここ」


その響きが、妙に心地よく庭に残った。


夕方、陽が傾くころには、白い花は朝よりずっと落ち着いた表情でそこにいた。

もう誰も“つぼみ”とは呼ばない。

でも、だからといって終わった感じもしない。

むしろここからまた、違う今日のここが始まっていくのだろうと思える。


リオナは小さな水差しを手に取り、今日最後の水をやる。

花の根元の白い花びらはまだそこにあり、そのそばでシオンの灯りがゆっくり揺れていた。


「待っててよかったな」

そう言うと、リナライが小さく笑う。

「……うん」

「……まだも、だいじだった」

その一言に、リオナは静かに頷いた。


そうだ。

咲いた朝は嬉しい。

でも、その前にあった“まだ”の時間がなければ、この朝はこんなふうには見えなかったのだろう。


白い花は、今日ひらいた。

けれどそれは、今日だけでできた花ではなかった。

待たれた時間。

見に来られた時間。

言葉をもらった時間。

ここへ返された小さなやさしさの積み重なり。

その全部が、この白の中に静かにひらいているように見えた。

今回は、線のそばの白い花がついにひらく回でした。

大きな出来事ではないけれど、ここまで毎日見守られてきたからこそ、その“ひらいた”という事実がとても深く感じられる朝になったように思います。


ミレナの「たどり着いた白」、エマの「いま」、ハルの「ひらいた白」、ノルの「違うのに同じ」、リツカの「ちゃんと先が来た」。

どれも同じ花を見ているのに、その人ごとの時間や気持ちが違うから、言葉もまた違っていました。

それがこの庭の豊かさであり、やさしさなのだと思います。


また、シオンは“ひらいた”という言葉を受け取り、リツカへ小さく白を返しました。

待つこと、咲くこと、返すこと――その流れが少しずつシオンの中でもつながってきているように見えます。

次は、このひらいた白が“終わり”ではなく、“ひらいたあとのここ”としてどんな時間を見せていくのか。

静かな庭の物語は、まだその先へ続いていきそうです。

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