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夢紡ぎの街 ―感情と日常の異世界スローライフ―  作者: たむ


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第2章 第103話:門の向こうの小さな来訪者

新しい存在が現れたとき、人はまず遠くから見る。

近づくべきか、離れるべきか、受け入れていいのか――その答えがすぐに出ることは少ない。

けれど、誰か一人が立ち止まり、もう一歩だけ近づいたなら、そのためらいは少しずつ形を変えていく。

この日、リオナの庭には、朝の光とともにいくつかの小さな足音が集まり始めていた。

朝食の支度を終えるころには、庭の空気はすっかり日中のものになっていた。


焼いたパンの香ばしい匂い。

温かな湯気。

庭に差し込む陽射しの明るさ。

夜の余韻はまだ薄く残っているのに、村の時間はもういつも通りに流れ始めている。


リオナは木の皿を並べながら、ふと門の方を見た。

誰かが来る気配がしたのだ。


ほどなくして、こつ、こつ、と軽い足音が止まる。


最初に現れたのは、やはりノルだった。

その後ろに、年の近い子どもが二人いる。

ひとりは栗色の髪の小柄な少女、もうひとりは少し背の高いそばかすのある少年だ。

二人ともノルの後ろに半分隠れながら、それでも門の向こうをのぞき込んでいる。


「……つれてきたの?」

リナライが目を瞬かせると、ノルはちょっとだけ胸を張った。


「ちゃんと言ったんだよ。こわがらせちゃだめって」

「じゃあ、なんで連れてきたの?」

「だって、ほんとにいたんだもん」


それはとても子どもらしい理由だった。

見たことのないものを、誰かに話したくなる。

そして、その誰かと一緒にもう一度確かめたくなる。


リオナは門の近くまで歩いていく。


「おはよう」

「あ、おはようございます……」

そばかすの少年がぎこちなく頭を下げた。

少女の方は、言葉もなくぺこりと頭だけ下げる。


ノルが二人を手で示した。


「こっちはミーナ。で、こっちはハル」

「……四つ目の影がいるって聞いて」

ハルが少し緊張した声で言う。

「うそじゃないかと思ったけど……」


言葉の先は続かなかった。

門の向こう、庭の奥を見たまま、息を止めるみたいに黙る。


そこには、ナリがいた。

ノアがいた。

レンがいて、そして、その少し後ろにシオンがいる。


ミーナはノルの袖をきゅっと掴む。


「……ほんとに、いる」

「だから言ったじゃん」

ノルは小声で返したが、自分もまだ少し緊張しているらしい。


シオンは新しい気配に反応して、輪郭をわずかに細くした。

胸の灯りが、心細そうに揺れる。


それを見るなり、リナライがすぐそばへ寄る。

けれど、今回は昨夜ほど慌ててはいなかった。

シオンにも、少しずつ“誰かが近づく”ことへの準備ができ始めていると感じたからだ。


「……だいじょうぶ」

リナライは小さく囁く。

「この子たち、見に来ただけ」


シオンは答えない。

ただ、その場に留まり続ける。

それだけで十分に大きな進歩だった。


リオナは門を開ける前に、子どもたちへ向き直った。


「庭に入るなら約束があるよ」

三人が同時に頷く。

「急に走らない。大声を出さない。無理に近づかない」

「うん」

「わかった」

「……うん」


反応はばらばらだが、どの声にも緊張がにじんでいた。


リオナは小さく微笑む。

「じゃあ、ゆっくりね」


門が開く。

三人は順番に、そろそろと庭へ足を踏み入れた。


朝の庭はいつも通りきれいだった。

露の名残を含んだ花びら。

風に揺れるハーブ。

石畳の隙間からのぞく小さな草。

その中に四つの影がいるというだけで、景色はまるで違って見える。


ミーナは花壇のそばで足を止めた。


「……なんか、思ったよりきれい」

「影が?」

ノルが聞くと、ミーナは慌てて首を振る。

「ち、ちがう、庭が」

「どっちもだよ」

リナライがぽつりと言う。


その一言に、ミーナは少し驚いたように目を見開いたあと、恥ずかしそうにうつむいた。


ハルは勇気を出して、一歩だけ前へ出る。


「……あの」

リオナが視線で促す。

「その子、ほんとに名前あるんですか」

「あるよ」

「昨日ついたんだ」

「……シオン、って」


名を呼ばれた瞬間、シオンの胸の灯りが淡く明滅する。

ハルは思わず息を呑んだ。


「返事、した……?」

「まだ、うまくは言えないけどね」

リオナが穏やかに言う。

「でも、ちゃんと自分の名前はわかってる」


ノルはその言葉を聞いて、昨日の朝のことを思い出したらしい。

嬉しそうに何度も頷く。


「おれ、聞いたよ」

「“しおん”って言った」

「ほんとに?」

ミーナがノルを見る。

「ほんとほんと」


子どもたちの声は小さい。

けれど、その中には昨夜のような“未知そのものへの怖れ”よりも、“知りたい”“確かめたい”という温度が強くなっていた。


それを感じたのか、ナリが一度、ふわりと明るく光る。

ミーナが「わ……」と小さく声を漏らす。

ハルは驚きつつも、目を逸らさなかった。


ノアは窓辺から庭へゆるやかに広がり、レンは石畳の上を細く走る。

その動きはどれも攻撃的ではなく、むしろ“見せている”ように見えた。


「……なんか」

ハルがぽつりと言う。

「こわいっていうより……」

言葉を探して、首をひねる。

「生きてる、みたい」


その表現に、セリスなら興味を持ちそうだとリオナは思った。

影は生き物なのか。現象なのか。名を持つことで何が変わるのか。

まだ答えはない。けれど、目の前の子どもは理屈より先に、その存在感を感じ取っていた。


リナライはシオンへそっと視線を向ける。


「……きいた?」

シオンはふる、と揺れた。

「……いきてる、みたいだって」

その言葉の意味がわかっているのかは不明だった。

それでも胸の灯りは、少しだけ穏やかな光を返している。


するとミーナが、おそるおそる口を開いた。


「……あの」

「シオン、って……花とか、きらい?」


質問があまりにも予想外で、リオナもリナライも少し目を丸くする。

ミーナは慌てて続けた。


「だって、庭にずっといるから。いやじゃなければ……その……」


彼女は花壇の端に咲いていた小さな白い花を指さした。


シオンはその花を見る。

それからゆっくりと、ほんのわずかにそちらへ近づいた。


輪郭が揺れる。

胸の灯りも、花の白さに呼応するみたいに淡く震える。


「……だめ、じゃなさそう」

ノルが囁く。


ミーナは勇気を振り絞るように、花壇から落ちていた小さな花びらを一枚拾った。

摘んだのではなく、自然に落ちていたものを選んだところが彼女らしい。


「これ……」

差し出して、すぐに自分で困った顔になる。

「でも、手、あるのかな……」


確かにその通りだった。

シオンの形は不安定で、物を持てるのかはまだわからない。


しばしの沈黙。

その中で、シオンは花びらを見つめていた。


ナリがそっと隣へ寄る。

ノアが背後に淡く広がる。

レンが一度だけミーナの足元を走って、また戻る。


三つの影の気配に支えられるようにして、シオンはゆっくり輪郭を伸ばした。

細い影の先が、白い花びらへ触れる。


完全につかむことはできない。

けれど、花びらはふわりと持ち上がった。


ミーナが目を輝かせる。


「わ……っ」

大声になりかけて、慌てて口を押さえる。


花びらはほんの少しだけ宙に浮き、それからシオンの胸元へふわりと寄った。

淡い灯りのそばで、白い一片がゆっくり揺れる。


その光景は、思っていた以上に静かで、美しかった。


「すごい……」

ハルが呟く。

「持ったっていうか……呼んだみたい」

「呼んだ」

リナライはその言葉を繰り返し、嬉しそうに笑う。

「……うん。シオンっぽい」


シオンは、自分の胸元に浮かぶ花びらをじっと見ていた。

それが嬉しいのか、不思議なのか、まだ表情は読めない。

でも、さっきよりずっと落ち着いている。


その時、門の外から今度は大人の声が響いた。


「ノル! お前また勝手に――」

聞き覚えのあるしゃがれ声。

ベルドだ。


門のところまで来た老人は、庭の中の様子を見て言葉を止めた。

子どもたち。

四つの影。

そして、白い花びらを胸元に浮かべたシオン。


ベルドは数秒、何も言わなかった。


子どもたちが一斉にそちらを見る。

ノルはまずいことをしたかも、という顔になる。


だが、ベルドは怒鳴らなかった。

代わりに大きく息を吐き、眉を下げる。


「……店の片づけをほったらかしたことは後で聞く」

「うっ」

「だがまあ……」


老人は庭の中をもう一度見回す。

最後にシオンへ視線を留めて、ゆっくり頷いた。


「妙に騒いでねえなら、それでいい」


ノルがほっとした顔になる。

ミーナとハルも肩の力を抜いた。


ベルドは門の外からリオナへ目を向ける。


「噂はもう市場の方まで行ってる」

「やっぱり」

「そりゃそうだ。隠せる話じゃねえ」

老人は髭を撫でる。

「だが、朝いちばんに聞いた連中の顔は、恐怖一色ってわけでもなかったぞ。半分は驚き、半分は……興味かね」


その言葉に、リオナはわずかに安堵した。

最悪の形で広がってはいないらしい。


ベルドは続ける。


「お前さんたちが変に隠れたり、誤魔化したりしねえのは正しいと思う」

「……ありがとうございます」

「ただし、気をつけろ。興味ってのは良い方にも悪い方にも転ぶ」

「ええ」

「特に、“見たいだけのやつ”とな」


その忠告は重かった。

ノルたちのような好奇心ばかりではない。

面白半分、噂半分、あるいはもっと別の意図で近づく者もいるだろう。


リオナは真剣に頷いた。


「気をつけます」

「ならいい」

ベルドは門から少し離れながら、ノルを手招きする。

「ほら、戻るぞ。朝の仕事が終わらん」

「はーい……」

不満そうではあるが、ノルは素直に返事をした。


ミーナもハルも、名残惜しそうに庭を振り返る。

ミーナは最後にシオンを見て、小さな声で言った。


「……また来ても、いい?」

シオンは答えない。

けれど、胸元の花びらがふわりと揺れた。


リナライが笑う。

「……たぶん、いいって」

ミーナの顔がぱっと明るくなる。


三人の子どもたちは門の外へ戻っていった。

ベルドも去り際に一度だけ庭を見て、それから短く言う。


「名を持ったなら、もう“ただの影”とは呼べんな」

「はい」

「なら、扱い方も考えなきゃならん」


その言葉を残し、老人は子どもたちを連れて朝の道を歩いていく。


静けさが戻る。

けれど、それは何も起きなかった朝の静けさではない。

小さな来訪者たちが足跡を残していったあとの、少しだけ温度の変わった静けさだった。


リナライはシオンのそばにしゃがみ込む。


「……すごかったね」

シオンの胸元では、白い花びらがまだ淡く揺れている。

「……はな」

かすかな声が漏れた。


リナライの目が丸くなる。


「いま……」

「“はな”って言った?」

リオナも思わず聞き返す。


シオンは自分の胸元を見つめ、それからもう一度、たどたどしく音を結ぶ。


「……は……な……」


それは決して流暢ではなかった。

けれど、自分の名以外のものを初めて口にした瞬間だった。


リオナは胸の奥に、静かな確信が生まれるのを感じた。

シオンはただ受け入れられるだけの存在ではない。

少しずつ、自分から世界に触れようとしている。


朝の庭。

花。

子どもたちの声。

そうした小さな日常の一つひとつが、シオンの輪郭を育てているのかもしれない。


「……今日は、いい朝だね」

リオナが言うと、リナライが何度も頷く。


ナリが光る。

ノアが揺れる。

レンが石畳を走る。

シオンの胸元では、白い花びらが朝の光を受けて、静かに揺れていた。


それはほんのささやかな出来事だった。

けれど確かに、新しい日常の始まりを告げる一片の光だった。

四つ目の影を見に来た、最初の来訪者たち。

恐れだけではなく、好奇心や戸惑い、そしてほんの少しのやさしさが混ざり合うことで、シオンと村との距離は少しずつ変わり始めました。


受け入れることは、大人の決断だけで進むものではなく、子どもたちのまっすぐな視線や、言葉になる前の感覚から始まることもあります。

今回の小さな出会いは、シオンにとっても、村にとっても、大事な“最初の窓”になったのではないでしょうか。


そして、シオンはついに自分の名以外の言葉――「はな」を口にしました。

それは世界に触れ始めた小さな証です。

次はどんなものに興味を持ち、どんなふうに日常へ近づいていくのか。

その静かな変化を、次回も見守っていただけたら嬉しいです。

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