表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢紡ぎの街 ―感情と日常の異世界スローライフ―  作者: たむ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
147/217

第2章 第96話:退く者たち ― 王国の静かな後退

ナリの核が森全体の影を静めた夜、王国の調査隊はついに決定を迫られた。影は危険であると同時に、境界を安定させる力を持っている。力を見た以上、王国はそれを欲するだろう。しかし同時に、無理に手を出せば境界そのものを刺激し、さらに大きな災厄を呼ぶ危険も明らかになった。村を支配するには代償が大きすぎる。王国の者たちは、ここで何を持ち帰り、何を諦めるのか。静かな撤退の夜が始まる。

森の空気はようやく落ち着きを取り戻していた。ナリの覚醒した核の光が消えたあとも、その余韻は森全体に残っている。木々の影は穏やかで、地面の暗がりは揺れない。巨大影の残響も薄くなり、観測装置の針はゆっくりと安定した上下を繰り返していた。


セリスは装置から目を離さずに言った。

「境界圧、正常域まで低下。異常反応はありません。」


隊員がほっと息を吐く。

「助かりました……。」


だがその安堵は、村のものでもあり、王国のものでもあった。

もしさきほどの暴走がもう一段深く進んでいたなら、この村だけでは済まなかった。観測記録だけを持ち帰るつもりだった調査隊も、境界の崩壊に巻き込まれていたかもしれないのだ。


アルヴェンは川辺に立ち、三体の影を見つめていた。

ナリの核は、今は静かに鼓動している。

どくん。

……どくん。


ノアは広がった影をゆっくり引き戻し、輪郭を落ち着けていた。レンは何度か地面を滑ったあと、リナライの近くで静止している。三体とも疲れているように見えたが、明らかに“生きていた”。


リオナがアルヴェンの隣に立つ。

「見たでしょう。」


アルヴェンはしばらく答えなかった。

やがて静かに言う。

「ええ。見ました。」


「それでも連れて行くつもり?」


その問いは短い。だが重かった。


王国の研究院にとって、ナリたちは計り知れない価値を持つ。境界の存在がこちら側で安定し、しかも自分の意思を持って動き、村を守る力まで見せたのだ。連れて帰りたいと思わないはずがない。だが、連れて帰るために何を失うかも、アルヴェンはさきほど目の前で見せつけられていた。


「……今は。」

アルヴェンはそこで言葉を切った。

「今は無理です。」


リオナはわずかに目を細める。

「今は?」


「力ずくで動かせば、境界が再び暴走する。」

アルヴェンは森を見る。

「そしてその時、王国の調査隊が無傷で済む保証はない。」


それは事実だった。

レンは騎士の動きより速く、ノアは影を吸収し、ナリは森全体を安定させた。三体の影が連携すれば、王国の兵で制圧できるかどうかさえわからない。ましてや、境界そのものが彼らに反応している以上、武力で解決できる話ではなくなっていた。


その頃、村の広場では小さなざわめきが広がっていた。

「王国の人たち、どうするんだろう。」

「まだ影を連れて行くって言うのかな。」

「ナリたち、ここにいられるかな。」


ミルは不安そうにリナライを見上げた。

「ねえ……だいじょうぶ?」


リナライはナリを見る。

ナリの核が静かに光る。

ノアが小さく揺れる。

レンは落ち着かないままでも、ここにいる。


「……だいじょうぶ。」

リナライは言った。

その言葉は、自分に言い聞かせるようでもあった。

「みんな……ここにいる。」


ユルクが静かに頷く。

トオマはぎゅっと拳を握った。

「もし連れて行くって言ったら、絶対いやだって言う。」


ミルもすぐに続いた。

「わたしも。」


その小さな言葉が、村の人々のあいだに静かに広がっていく。

影はもう“よそから来た化け物”ではなくなっていた。怖さが完全に消えたわけではない。けれど、ナリたちはこの村で見て、話して、守ってきた存在になっている。村人たちは少しずつ、それを自分たちの言葉で理解し始めていた。


日が傾くころ、王国の調査隊は再び広場に集まった。

騎士たちは鎧を整え、研究員たちは記録板を箱にしまっている。馬車の荷台には観測器具が戻されていた。


村長が前へ出る。

「……帰るのですか。」


アルヴェンは頷いた。

「本日は。」


その一言に、広場の空気がわずかに揺れた。

今すぐ連れて行くわけではない。

それだけで、村人たちの胸の圧迫感は少し和らいだ。


しかしアルヴェンは続ける。

「報告はします。」


セリスがその言葉を補うように言った。

「ここで起きたことは、王都に伝わるわ。」


リオナはそれを聞き、表情を変えないまま言う。

「隠すつもりはないのね。」


「隠せません。」

セリスは真っ直ぐ答える。

「これほどの現象を。」


ナリの核が小さく光る。

どくん。


アルヴェンは三体の影を見た。

「我々は今日、敵を見たわけではない。」

その言葉に研究員たちが驚く。

騎士の一人も顔を上げた。


アルヴェンは続ける。

「だが、理解できない存在を見た。」


それは敵意でも好意でもない。

研究者としての、正直な言葉だった。


リナライは一歩前へ出る。

「……みんな……ここで……いきる。」


アルヴェンはしばらく彼女を見つめた。

二つの名を持つ少女。

影と人のあいだに立つ存在。

そしてその後ろには、ナリ、ノア、レンが立っている。


「……今は、それを認めます。」

アルヴェンは静かに言った。

「ただし、監視は続ける。」


その言葉にトオマが眉をひそめる。

だがリオナは小さく頷いた。

「それでいいわ。」


完全な自由ではない。

だが、奪われることもない。

今この時点では、それが最善の落としどころだった。


王国の馬車が準備を終える。

隊員たちは荷を積み込み、騎士たちは馬の手綱を握る。

セリスは最後にナリの前へ立った。

「……また来るわ。」


ナリは小さく揺れる。

「……ナ……リ……」


セリスは微かに笑った。

「ええ。ナリ。」


ノアは揺れ、レンは影を滑らせる。

三体の影は去っていく馬車を見送った。


日が沈みかけた森の道を、王国の調査隊がゆっくり進んでいく。

村は静けさを取り戻し始める。

だがもう、以前の静けさではない。

外の世界に知られた静けさ。

これから先、いつでも破られうる静けさだった。


リナライは深く息を吐く。

「……いった……。」


ミルが駆け寄る。

「帰ったね……!」

トオマも大きく息を吐いた。

ユルクは小さく笑った。

「まだ終わってないけど……今日はいなくなった。」


リオナは空を見上げた。

「ええ。今日はね。」


ナリの核が穏やかに鼓動する。

ノアが影を整える。

レンが小さく地面を滑る。


王国は退いた。

それは勝利ではない。

だが、村が自分たちの意思で一日を守りきった証ではあった。


そして森の奥では、境界の影が静かに揺れている。

まだ終わっていない。

だが少なくとも今夜は、この村に静かな夜が戻るのだった。

王国の調査隊は、その日ついに村を去った。影を今すぐ奪うことはできないと理解したからだ。だがそれは敗北ではなく、一時的な後退にすぎない。王都には必ず報告が届き、影の存在はさらに大きな力に知られていく。それでも村はこの日、ナリ、ノア、レンと共に“ここで生きる”ことを守り抜いた。静かな撤退の夜は、新しい時代の前触れでもあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ