第三十三話 「紅色の傘」
翌朝、リーは朝早くに起床した。
隣では兄が寝ている。輪廻転生環には何日居たのか分からないが、リーにも、彼にもかなり堪える物があった。寧ろ、今でもなんで自分達が生きてるのか、よく分かっていない。
「……ふぁ」
小さなあくびを漏らしながら部屋を出る。
外に出て、井戸水を組み上げて顔を洗う。冷たい水が眠っていたものを一気に覚ましてくれる。
リーはこの気持ち良さが好きだ。好きだった。
長らく忘れていたようだ。
「ん、んん…よし」
部屋に戻り、髪を整えていつもの一つ結びにして、いつもとは違う若干お洒落な服に着替えて、昨日貰った金札を二、三枚ほど懐に入れて外に出た。そして、玄関の門を開けようとした時に。
「李僭王。何処に行く?」
横から、低い声が聞こえてきた。
リーは目線だけそちらの方向に向けて、見つかったのが残念だったのか少し嫌そうな声でその声の正体に話しかけた。
「狼さん。早いですね」
「素振りは欠かさない様にしているからな。お前こそ、そんなお洒落して、何処に行くんだ?」
「おしゃれ。ちょっと買いたい物があるのでそれを買いに」
「へぇ。なら少し頼みがあるんだが」
「なんでしょう?」
今度はちゃんと身体ごとそちらに向けて聞く姿勢を取る。狼はじろりとリーの方を見て少しだけ言いにくそうにこう言った。
「なんか食いもんを買ってきてくれないか?」
「食べ物…。少し待てばシュウ様かルイ様が朝ご飯を作ってくれると思いますけど」
「いや、こう…気分が悪くなるぐらいには腹が減ってな…出来ればで良いから」
「分かりました、行ってきます」
狼の頼みをのんで頷き、門を開けてリーは街に繰り出していった。
青く澄んだ空を見ながら砂が捲き上る事が少なくなったな、と思いつつ、人が行き交う道を歩む。前までは容姿が容姿だったので道行く人たちにジロジロと怪訝そうな目で見られたものだが、容姿が変わるとこうも違うんだとリーは感心した。
街の中には忙しなく駆け回る人、道の隅でたむろする人、色んな人が居る。
その中には、前に彼女が行っていた事を知っている人も居るから、
『最近、見なくなったと思ったらなんか見違えたよな…』
『いつもからかって遊んでたのに、あれじゃからかうどころか近付けもしねえよ』
『なんか、よくは分からないけどガラリと印象が変わった』
そんな言葉が聞こえてくる。
リーは表情には出さずとも、心の奥で確かに喜びを感じていた。あんなに苛めてきた人達がこう言ってくれているのがとても嬉しかった。
実際、街の人達を少し見返したかったから、お洒落してみたのだ。
効果は覿面。ノルマ達成だ。
だが、リーにはまだやる事がある。そうして、ある店の前に立った。傘や、雑貨などが売られている露店だ。そう、ずっと欲しかった物を、買いに来たのだ。
リーは正面に座るお爺さんに呼び掛ける。
「お爺様、宜しいですか?」
「ん…?おぉ、君かぁ。随分見違えたじゃないか!」
「え?」
まるで知っている様な口ぶりだ。
無論リーは話した事も無い、初めましての人だ。
戸惑っている彼女に対して、お爺さんは微笑をこぼしながら付け加える。
「え、ってずっとあの赤い倭傘を物欲しげに見てただろう?でも貧しくて、とても手が届かなかった」
「バレてたんですか」
「あぁ。しかし、砂の所為で分からなかったが美人だなぁ…ははは。遠くから見てるだけじゃなく此処に来たってことは、買いに来たんだね?」
「はい、その赤い倭傘を、一つ」
「うん。1800尋だ」
リーは懐から金札を一枚取り出し、それを渡す。金札は一枚で10000尋の価値がある。お爺さんはそれを平然と出した事に驚きを隠せなかった様で。
「はー!本当に救われたんだねえ」
と感慨深げに言った。
そして、紅色の倭傘をリーに渡して加えて釣札を渡す。
リーは少し微笑んで、それをありがたく受け取った。
「あの方には良くさせてもらいました」
「あの方?…あぁ、管轄者か。店の前で踏みつけてた時はヒヤヒヤしたけどね。顔に傷も無さそうだし…彼なりの慈悲かな」
「確かに…そうかもしれませんね」
店先で話していると、外が少しずつ騒々しくなっていくのが分かった。
リーはそれに気付いたのかハッ、としてそそくさと一礼してその場を足早に立ち去ろうとした。
「どうしたんだい!?」
「えっ、あっ…知人に頼まれごとをされていて…早くしないと」
「あぁ。なんだ、そういう事なら止めないよ。じゃあね」
「えっと…ありがとうございました!」
リーはそう言ってそのまま店を出た。
本当は倭傘をさしながら街道を歩きたかったのだが、話が過ぎたのでそうもいかない。早く食べ物を買って帰らないと。という思いしか今は無かった。
急ぎ足で街を見回り、何か食べ物が売っていないかを探していると、丁度いい果物屋があったのでそこに立ち寄り、取り敢えず適当な林檎を二つ買ってリーは屋敷へと戻った。
「ただいま帰りまし…た…よ?」
「あー…よく帰った……食いもんは?」
門を開けると真正面であぐらをかいて今にも倒れそうなぐらい真っ青な顔をしている狼の姿があった。
明らかにただの空腹のそれじゃない気もする。
リーはそんな腹を空かせた狼に林檎を一つ投げつける。
彼目掛けて飛んでくる林檎を逃す訳もなくパシッと容易に掴み取り、大きな一口で噛り付いた。
「一緒に食べましょうか。兄様達も疲れでまだ起きないでしょうし」
「ん」
とても軽装な狼の隣に座ってリーも林檎を少し齧る。
暫く、林檎を齧る音だけが鳴り続けた。
そんな時に、最初に口を出したのは狼だ。
「お前は俺をどう見る?」
「え?」
「強さの為に剣を振るう俺を見て、何を思う」
「……そうですね」
虚空を見ながら考える仕草を見せるリー。
狼は彼女に対してもあまり期待していない。他人と言うものはいつもいつも空回りな事を言うのだから。
彼の言葉を否定して言う事は空回り。なんの意味も無い。
しかし、リーは困った様に少し苦笑いを浮かべながら、
「良いんじゃないですかね…?剣の振るい方なんて人それぞれだと思います」
「…」
「莫耶は己の命を守る為、私は最低限、戦う為に剣を振るいます。だから強さを求めて剣を振るうのも一つの道だと思いますよ」
「お前は否定しないんだな」
「当然です。でも、人を殺し過ぎるのはどうかと思います。殺しはとても酷い事ですから…」
「ならどうすれば強さを知らしめる事が出来ると言うんだ?」
「………うーん」
気付けば狼の林檎は齧りきられていた。
リーはそれを見て、一口、自分の林檎を齧ってから狼の問いに答える。
「私に見せて下さい。そしていつか仲間を作って、その人達にも見せてあげて下さい。そうすればきっと、皆分かってくれます」
「……なるほどな」
すくっと狼は立ち上がり、剣を拾って、中へと入っていった。
納得してくれたのか、否かは分からないが取り敢えず良しとしよう。リーはそう考えた。
リーも立ち上がり、倭傘を壁に立て掛けて家の中へと入っていった。
自室へと戻り、まだ眠っている兄の顔をじっと見つめて、笑顔を漏らす。そして、耳元でそっと
「…ふふっ。兄様より一足先に、夢を叶えました。」
と小声で呟いた。




