57.束の間の休息
「ファゴル大公国に帰るか、グランガルドの正妃となるか」
――――決めるのは、お前だ。
頬に手を添えられ、優しく口付けたクラウスの双眸が、ミランダを捕らえて離さない。
「……私が決めても、宜しいのですか?」
同盟国になったとしても、国力は間違いなくグランガルド優位……ファゴル大公国の立場では、正式に要請があれば断る事は出来ない。
だと言うのに、ミランダに選択権を与えると言う。
「なぜ――――?」
驚くミランダに目を留め、クラウスは少し困ったように眉尻を下げた。
「……何故だろうな。俺にもよく分からん」
呟く言葉は珍しく歯切れが悪く、自嘲するように嘆息する。
「だが傍らに置くのであれば、お前の意志を汲もうと……その身を以て示したお前の気持ちに報いたいと、そう、思っただけだ」
無理矢理にコトを推し進めたところで、意に沿わねば、お前はどんな手を使ってでも逃げ出そうとするだろう?
そしてそれを為し得るだけの才気がある事は、今回の一件で嫌というほど見せてもらった。
物憂げな眼差しが柔らかに形を変え、徐々に甘く歪む。
真っ直ぐに向けられたその双眸を、ミランダは信じられない思いで見つめていた。
……否応無しに命じられるがまま、正妃に担ぎあげられると思っていたのに。
眉間に皺を寄せ、抑揚のない冷ややかな声音で、抜き身の剣尖を喉元へ突き付けられた日が脳裏に蘇る。
出陣前夜、お飾りの正妃や側妃など必要ないと、ミランダの肩に顔を埋めた彼の姿を。
こんな顔をする人だっただろうか。
この男の、どこが狂王だというのか。
……取り巻く状況がそれを許さなかっただけで、これが元来の姿なのかもしれない。
多くを背負ってもなおミランダの意志を尊重し、誠実であろうとするその姿に驚き、――そして、何故だか涙が出そうになった。
「少しだけ、考えさせてください」
即答を避けたミランダを咎めることもなく、クラウスは静かに頷く。
包み込む腕の中で、広い胸板に凭れるようにミランダは身体を寄せた。
規則的な拍動が心地良く耳に響き、ゆっくりと目を閉じる。
祖国に帰るという選択肢が出来た今、幼い妹しか後継がいないファゴル大公国の行く末も、気掛かりである。
布越しにじんわりと伝わる体温が心地良く、いつしかウトウトし出したミランダがお気に召さなかったのか、クラウスはその鼻をきゅっと摘まんだ。
「ミランダ」
「ぷあっ」
「……ミランダ、寝るな」
息苦しさにパチリと目を開け、大きく息を吸って上目遣いにギリリと睨むと、何やら顔を逸らし、笑いを堪える姿が目に映る。
「この俺が一世一代の告白をしたと言うのに寝入るとは……、相変わらず緊張感の無い奴だ」
不敬にも程があるな、と睨み付ける目は暖かく、ミランダはふわりと笑みを零した。
「ふふふ、一世一代の告白だったのですね……」
小さく震えながら笑い出したミランダを咎めるように、抱き込む腕の力が強まっていく。
「く、くるし……」
逃れようと上を向いた拍子に、何度目かの口付けが落ちて来た。
クラウスの腕を外そうと藻掻いていたミランダの耳が、ほんのりと紅く染まる。
「そ、側妃の業務は今を以て、おおおお役御免となった、は、はずですがっ!」
思わず叫んだミランダに、「ん?」と惚けた様子で首を捻るクラウス。
「こんなものが側妃の業務……?」
お子様にも程があるだろうと目を眇めると、抱き込んだままミランダを押し倒し、肩口にゆっくりと唇を寄せた。
「きゃあぁぁっ、なっ、何をしているんですか!?」
「ん? ……まぁある種の触れ合いだな。判断材料が足りないようなので、まずは互いを知ることから始めようと、思い立ったところだ」
「不要ですっ! もう充分存じ上げておりますっ!!」
ミランダはジタバタと本気で暴れているのだが、クラウスからすれば子犬がじゃれる程度でしかない。
腕の中に閉じ込め覆い被さるようにしながら、頬に、額に、矢継ぎ早に唇を落としていく。
ミランダが林檎のように赤い顔をフルフルと振って逃れようとする姿がまた可愛らしく、クラウスはついに声を上げて笑い出してしまった。
「クッ、あはははは!」
「……揶揄っていますね!?」
「いや、くっ、すまない……あはは、揶揄うつもりではなかったんだ」
ギリギリと涙を浮かべ睨みつけてはみたものの、なおも楽しそうに破顔するクラウスに、ミランダは毒気を抜かれてしまう。
「逃れようとする様子があまりに可愛らしくて、つい、な」
「かわっ……!?」
ファゴル大公国、継承権第一位であるこのわたくしに向かって、あろうことか可愛いですって!?
女神もかくやの美貌をまったく活かせないまま十八歳を迎えた、人質兼側妃兼大公女。
何故だろう、いつも手腕を称賛されるばかりで、男性からこのように褒められる事など滅多に無い気がする。
男だらけの軍事会議では揶揄され、護衛騎士には刺され、騎士団長に殺されかけた挙句、最近に至っては、まさかの『魔女』呼ばわり……まったくもって散々である。
「すべては求めないから、お前の結論が出るまで。……それまで、これくらいは許せ」
まったく悪びれない様子で、そうミランダに告げると、何かを思いついたようにクスリと笑みを浮かべた。
「ああ、そういえばお前が腕の中にいると、よく眠れる気がするな。俺の母は別室を賜ったが、実は王と王妃の私室は、続き部屋になっている。……どうだ? 結論を出す前に、良ければ居心地を試してみないか?」
どさくさに紛れてとんでもない事を言い出したクラウスへ、ミランダは呆れ交じりの目を向ける。
「そうやって周りからじわじわと、包囲網を狭める気ではございませんか?」
「いやいやまさか、どうしたミランダ。疑り深いぞ?」
本当かなぁと疑いの眼差しを向けたミランダの頬を、揶揄うようにプニッと摘まみ、その柔らかさを楽しんでいたクラウスは、しばし押し黙り……再びぎゅうっとミランダを抱き締めた。
「……近日中に同盟国の申入れをし、来月にはファゴル大公国と条約を締結するつもりでいる。それまでに、答えを聞かせて欲しい」
――閑散とした室内を紅く染めながら、ゆっくりと陽が落ちる。
考えるように目を伏せ、それからコクリと小さく頷いたミランダを愛おしむように、クラウスは優しく優しく、頭を撫でた。







