54.邂逅
(SIDE:クラウス)
狂ったように叫び笑うジョセフの声が、王宮内へと響き渡る。
その声だけを頼りに階段を駆け上がり、第四騎士団がいないであろう裏側の通路を抜けて『王の間』の扉を蹴破ると、ミランダの小さな背中――そして彼女に向かい、憎悪を滲ませ凶刃を振り下ろす、ジョセフの姿が目に飛び込んだ。
一足飛びに二人の間へ身体を割り込ませ、落ちて来る剣を受け止めると、空気を裂くような鋭い金属音が鼓膜に突き刺さる。
必死で駆けてきた身体は既に限界へと近付き、全身の筋肉が軋むように悲鳴を上げた。
電流のように走る痛みは脳を焼き切るように熱を持ち、一瞬でも気を抜けば、腕ごと持っていかれそうなプレッシャーがクラウスを襲う。
――――だが、間に合った。
昼夜手綱を握り続け、握力を失いつつある手に、再度渾身の力を籠めて交差する剣を押し上げると、そのまま力任せに弾き飛ばした。
「……お前如きに、敵う者がいないだと?」
ミランダを背に庇いながら、後に続いて飛び込んだ第一騎士団の精鋭達が、彼女を取り囲むように守るのを目の端で確認し、剣を構える。
双眸を燃え上がらせ、沸き立つ怒りをそのままに、見る者全てを圧し潰すような威圧感を発すると、後退ったジョセフの瞳が揺れた。
「残念だったな。――ここにいる」
剣柄を握るクラウスの指先が、小刻みに震える。
感覚を失いつつあるその指先は、まるで自分の身体かと疑うほどに力が入らない。
重たい腕を持ち上げ、ジョセフに向かって剣先を突き付けると、激憤で目を血走らせたジョセフは横一線、全てを薙ぎ払うかのような勢いで剣を振り抜いた。
剣身で払い、その切っ先を喉元ギリギリで躱したクラウスへとジョセフの剣が翻り、すぐさま抉りこむような角度で打ち下ろされる。
クラウスは下から掬い上げる様に鋭い剣閃を叩きつけ、一撃で弾くと、爆ぜるような金属音が天井を突き抜け離散した。
「弾くだけとは、陛下らしくもない」
激しく肩で息をするクラウスの腕が、微かに震える事に気が付いたのか、歪んだ笑いを頬に浮かべる。
「……その状態で勝てるとでも?」
引攣ったように嗤うジョセフを一瞥すると、クラウスは剣を持ち直した。
最前線で血に塗れながら士気を鼓舞し、どれ程の凶刃に晒されても倒れず剣を振るい続けたクラウスを、『狂王』と呼んだのは誰だったか。
「愚かだなジョセフ。騎士の誇りと共に、分別すら失ったか? 一生足掻いても、お前に俺は倒せない」
口元を嘲笑が掠め、それを忌々し気にジョセフが睨み付けた次の瞬間、クラウスの手元から一閃が走り、防ぐ間もなく赤い飛沫が床を鮮やかに染め上げる。
握力を失い、指からこぼれ落ちそうになる剣を気力だけで把捉すると、クラウスはさらに踏み込み、グラリと傾く自らの体軸を勢いに任せ軌道修正しながら、無防備に晒されたジョセフの脇腹へと切っ先を突き立てた。
「ああ、違うな。お前に、俺達は倒せない。……背負うものの重さが違うからだ」
ずぶずぶと音を立て、めり込む剣身。
一気に柄近くまで呑み込むと、その深さに目を見開くジョセフの耳元で、クラウスは告げた。
「これで、終いだ」
両手で剣柄を握り直し、抉り捻ると、ジョセフの身体を突き放すように足で蹴り付け、勢いよく剣を引き抜く。
身体の中央を深紅に染め上げ、床に伏したジョセフの手を踏みつけると、休む間を与えず垂直にかざした剣でその甲を一気に貫いた。
「ぐあッ……!」
堪らず苦悶に満ちた表情を浮かべ、呻き声を上げる。
地を這うように身体を擡げ、夥しい出血に呼吸も儘ならず、濁った目でクラウスを睨むジョセフ。
その姿を嘲るかのように見下ろしながら、クラウスは刺した剣を引き抜いた。
利き手の甲を血に染め、獰猛な獣を思わせる低い声を喉の奥から発するジョセフを目の端に残し、周囲の状況を確認する。
今のところ数は均衡しているが、第一騎士団が多少優勢、と言ったところか。
ザハドを背に庇い、第四騎士団の副団長を下したダリルは、次の騎士を相手取り交戦中である。
後方を見遣ると、ロンの治療を終え、眉間に皺を寄せながらヴィンセントの身体に手を当てるミランダが目に入った。
後は決着を待つばかりかと息を吐くと、短時間で酷使し過ぎたせいだろうか。
剣を握る腕の筋肉が、痙攣を始める。
「殺……し、……てや、る……」
クラウスが最早、剣を握る事すら難しい事に気が付いたのだろう。
満身創痍の筈なのに、この状況でまだ望みを失わないジョセフの眼は、湧き上がる憎悪で醜く歪む。
死を待つだけの身体。
第四騎士団の騎士達が次々と地に伏していくこの状況で、一体何の望みがあるのかと、クラウスがジョセフへ訝し気に視線を送る。
「……こ、の傷、さえ、……無け、れ、ば……」
ブルブルと震える血塗れの手を胸元に差し入れ、ジョセフは何かを取り出した。
赤く染まる彼の手には、見覚えのある、黒い小瓶。
最後の力を振り絞り、口元に寄せた小瓶を傾けると、ミランダを以て「あと一回分」と告げた全ての中身が彼の内へと流れ込んでいく。
――そう。
第四騎士団を率い出立する日。
王宮医モーガスを殺し奪った、その黒い小瓶は。
「あ!」
クラウスが驚き、声を上げる。
それを受け、ザハドがジョセフへと、目を向けた。
「ああっ!?」
思わず間抜けな声が漏れるザハド。
二人の声に気付き、ミランダもクラウスの視線の先……ジョセフの手元へと目を向けた。
「……あぁ」
パチリと目を丸くし、そういえば、と頷くミランダ。
黒い小瓶の中身を知る三人は顔を見合わせ――、そしてミランダが、してやったりと微笑んだ。
***
水晶宮から駆け付けたアシム公爵率いる加勢もあり、ミランダによって死なない程度に応急処置を施されたジョセフを残し、第四騎士団の精鋭達は、ほぼ息絶えた。
危うく一命を取り留めたロンを労い、数日間は静養するよう告げたミランダは、同じく意識を取り戻したヴィンセントの元へと歩み寄る。
「これが終わったら、お前も私の騎士にしようと思っていたのに! こんな所で死んだら許さないわよ!」
腕組をして怒りを顕わにするミランダに、ぐったりと床に横たわるヴィンセントは思わず笑みをこぼした。
「それは……命がいくらあっても足りません。ダリルに譲ります」
「まぁっ! 本当にお前は生意気ね。……さっさと治して私の所に戻ってらっしゃい」
戻るも何も、そもそもミランダの騎士ですらないのだが、鼻息荒く怒るミランダが何やら可笑しかったらしく、笑いを嚙み殺しながらヴィンセントは担架で運ばれて行った。
負傷者と遺体が次々と運び出され、人が疎らになった『王の間』で、やっと人心地が付いたのかミランダは俯き、ゆっくりと目を瞑った。
「ミランダ」
指示を出し終えたクラウスが、少し離れた場所から呼び掛けるが、聞こえていないかのように俯き、動かない。
クラウスは、『王の間』に残っていた者達へ退出するよう命ずると、そのままミランダの元へと歩み寄った。
「ミランダ?」
すべての者が退出し、二人きりになった『王の間』。
すぐ近くで呼びかけたのに、聞こえていない振りをしているらしい。
「……どうした?」
柔らかく声を掛けると、先程まで、あんなに元気だったミランダの肩が、小さく震える。
クラウスはその小さな身体にそっと腕を回し、頬を寄せるようにして抱きしめた。
「……すまなかった」
そう告げると、しゃくり上げるように、ミランダから息が漏れる。
「っ、……ぅう、ッ」
「お前の、おかげだ」
「う、うぅぅ……ッ、ふぇ……」
何かを堪えるように強く拳を握り締め、小さく小さく震える身体。
クラウスは抱きしめた腕を一度解き、ミランダの顔を覗き込むようにして屈みこんだ。
「よく頑張ったな。ありがとう……もう、大丈夫だ」
「……うぅ、う、うわぁああん」
堪え切れなくなったのだろう。
子供のように腕を伸ばし、クラウスの大きな身体に顔を押し付け、嗚咽を漏らす。
いつ切れるかも分からない細い糸を、ピンと張り詰めっぱなしだったに違いない。
クラウスに優しく抱き寄せられ、声を上げて泣きじゃくる。
必死にしがみつくミランダの背をふわりと撫でると、まるでむずかる子供の様に、ぐずぐずとベソをかいた。
「お前がいてくれて、良かった」
伝わる鼓動と、温かな体温。
安堵し、クラウスの声音が僅かに揺れる。
「……無事で、良かった」
泣きじゃくるミランダの嗚咽が、小さな寝息へと変わるまで。
クラウスは震える腕で、優しく優しく、ミランダを抱きしめ続けた。







