47. 今、ここで、彼女の為に
(SIDE:シヴァラク)
クルッセルの職人達は、ミランダの姿に絶句した。
目映いばかりの輝きを放ち、柔らかく微笑む彼女と、クルッセルで言葉を交わしたのは何時だったか……その髪はパサつき、ボロ布のような服を身に纏っている。
遅れたら置いていくと言われ、先導する騎士ダリルを見失わないよう昼夜馬に跨り、必死で駆けてきたが、まさかここまで酷い状況だとは思わなかった。
あの美貌だから、あえてだろうが、それにしてもあんまりである。
『クルッセルの職人を……しかも土木チームの職人達をわざわざ指名したのには、何か理由があるはずだ。以前お会いした事があるならば尚更、殿下が伝えたい事を汲み取れるよう、一言一句漏らさず、細心の注意を払い耳を傾けて欲しい』
王宮へ向かう途中、ダリルは何度も何度も念押した。
「……私は最高級の宝飾品と言ったはずだけれど?」
クルッセルにいた時には想像も出来ないほど、温度を感じさせない冷たい声に、ジェイコブが驚き眉根を寄せるのが目の端に見える。
「お前達の様な汚い労働者が作っていたなんて、興醒めだわ」
はぁ、と呆れたように溜息を吐くミランダに向かってジェイコブが身動ぎしたため、「余計な事をするな」とシヴァラクが慌てて頭を押さえつけ、小声で告げる。
「ですが殿下……!」
注意されたにも関わらず叫ぶジェイコブに、反乱軍の騎士がスラリと剣を抜き……まずいと思った瞬間、ミランダが手で制止した。
「……なぁに? もしかしてこの私に、不敬にも腹を立てたのかしら?」
シヴァラクは、ミランダがクルッセルに来た時の事を思い出す。
誰にでも分け隔てなく接し、貴族であれば眉を顰めるような不遜な物言いにも気分を害さず、常に笑顔で嬉しそうに話を聞いてくれた。
そしてシヴァラクの、皮膚が固くなり皺だらけの指先にそっと口付けをし、「ありがとう」と礼を述べてくれた。
そんな彼女が、自分達の事を『汚い労働者』などと表現したのは何のためだ?
「お前達如きがいくら腹を立てたところで、何を為せるとも思わないけれど……」
――? なんだ、俺達を怒らせたいのか?
二回も『腹を立てる』と言ったが、何かの暗喩か?
才気煥発な彼女がこの場面で無駄な台詞を吐くとは思えず、シヴァラクが考え込むと、隣でローガンもその意図を汲み取ろうと渋い顔をしている。
ミランダはさらに、身も凍るような冷淡な眼差しを四名の職人達に向けた。
「……私の心が大水の如く広いことに、感謝することね」
大水の如く?
何だ? 心が広い時に、そんな表現を使うか?
待てよ、大水――――?
ハッと気付いたシヴァラクの頬が、ピクリと動く。
「仰せの通り、そのお心は、大水から流れ出ずる水の如く澄み渡ると聞き及んでいます」
どうだ、正解か――――?
他の三人も気付いたのだろう、視線が交差する。
平伏し、上目遣いに確認すると、ミランダが満足そうに微笑むのが見えた。
なるほど、自分たちをここへ呼んだのはそういう事か。
するとミランダは、水晶宮にいる他の側妃の状況を確認し、一瞬燃え上がるような怒りを瞳に宿した後、さりげなくガルージャの到達経路とかかる日数を示唆した。
「ガルージャが国境に到達するのは、一日半後。辺境の砦を攻め落とすのに凡そ半日……」
日が無いな、間に合うか!?
シヴァラクは徒歩で向かった場合の必要日数を、必死で計算する。
だめだ、さすがに間に合わないのでは!?
「それにしても汚いわね……このような者達が王宮に出入りしたと知れたら、私の権威を疑われるわ」
嵌めていた指輪を外し、シヴァラクの前に投げたのは、何の装飾も無い簡素な指輪。
「お前達にはこの程度で充分でしょう。……人目に付かないよう裏門から放り出しなさい」
裏門の衛兵にでも渡せば、クルッセルまでの食料くらいは恵んでくれるかもしれないわね。
また二回、『裏門』を繰り返した?
『裏門の衛兵』に、この指輪を渡せということか?
ミランダの言葉を受け慎重に指輪を拾うと、内側にヴァレンス公爵家の紋が入っている。
「ああ、先程反抗的な態度を取った、その若い職人は駄目よ? 見せしめに、地下牢にでも放り込んでおきなさい」
そういえばダリルが言っていた。
『非戦闘員や投降兵が投獄されるとしたら、恐らく王宮内の地下監獄だろう。何かしら、現在の状況を伝える術があれば良いのだが』、と。
シヴァラク同様、その台詞を思い出したのだろう。
腕を捻り上げられ地下監獄へと連行される直前、ジェイコブが心得たように目を瞬き、シヴァラクは彼に向かって小さく頷いた。
そして残った三名の職人達もまた王の間を後にし、裏門へと連行される。
裏門の衛兵に引き渡され、連行した兵士がいなくなった事を確認し、シヴァラクはヴァレンス公爵家の紋が入った指輪をその衛兵に手渡した。
二人の衛兵は顔を見合わせた後、二頭の馬を引いてくる。
滅多にお目に掛かれない程の、飛び切りの軍馬。
これならば一番遠い場所であっても間に合いそうだ。
……だが、一頭足りない。
これからの工程と移動時間を必死に頭の中で計算していると、急に最年長のローガンが、しくしくと泣き始めた。
不愛想でいつも眉間に皺をよせ、冗談の一つすら滅多に言わない気難し屋のローガン。
突然泣き出して一体どうしたんだと、シヴァラクとサモアは仰天した。
「なんだ、どうしたローガン。何故泣いている?」
「……どうせ二人は俺に歩けと言うんだろう」
サモアの問い掛けに、うっ、うっ、と悲し気に泣くローガン。
馬は二頭、おじさんは三名……そう、悩ましいかな、一頭足りないのだ。
普段の様子を知らない人間が見たら、シヴァラクとサモアがクルッセルまでの帰路を自分達だけ騎馬し、最年長のローガンに徒歩を強要しているようにも見える。
二人が何も言わず……と、いうよりはどうしたら良いか分からず黙っていた事に勘違いをしたのか、見兼ねた衛兵が処分待ちの馬で良ければと、少し痩せ細った老馬をくれた。
衛兵に見えないよう、ミランダに褒められた時と同様に、小さく親指を立ててサムズアップするローガン。
ミランダが絡むと急に茶目っ気を出す、土木チーム最年長、強面の腕利き職人である。
……馬は揃った。
工程と移動時間も計算した。
連日の土砂降りで足場が悪いが、これほどの軍馬であれば問題ない。
速度が出ない老馬は、一番距離が近い場所へと向かえば良いのだ。
三人は衛兵に礼を言い、門の外で互いに目的地と想定時刻を確認した後、騎馬で三方向へ散ると、あっという間にその姿を消した。
***
周りの景色が歪むほどの勢いで走る駿馬に跨りながら、ミランダの姿を思い出す。
クルッセルに来た、あの日。
「この辺りの土堤防が決壊したら、大規模な浸水被害があるのでは?」
「危ないのはここです。大きく外に曲がっている為、流速だけでなく水位も高くなり、堤防が決壊しやすくなります。上流に堰堤がありますので、水門を閉めることである程度は調節可能です」
「なるほど……よく考えられていますね」
「はっはっは、まぁ三十年前はその仕組みがなくて、度々決壊してたんですがね」
ローガンは冗談めかして笑う。
俺を怒らせたら最後、水門を開いて辺り一面沼地にしてやりますよ! と。
そして王の間で、ミランダはこう宣った。
『お前達如きがいくら腹を立てたところで、何を為せるとも思わないけれど』
『私の心が大水の如く広いことに、感謝することね』
……大水には、二つの意味がある。
一つは、大きな河川。
そしてもう一つは、洪水――――。
「仰せの通り、そのお心は、大水から流れ出ずる水の如く澄み渡ると聞き及んでいます」
先程から伝えたい事を二回ずつ繰り返していたミランダに向かい、同様の意味にとれる言葉を、敢えて違う表現で二回述べ暗に示すと、ミランダはまるで正解だとでも言うように微笑んだ。
ガルージャの進攻に合わせ、叶う限り……出来ればガルージャ国境一帯に影響を及ぼす全ての水門を、一番効果的な順序で開いていく。
連日の土砂降りで最高水位を記録しているニルス大河川。
その水門が、全て開いたら――――?
決壊した堤防から溢れ出た水は、激流となってガルージャの大軍へと襲い掛かり、木っ端の如く押し流すだろう。
生き残ったガルージャの兵士達がどれ程いたとしても、沼地になった大地を前に、最早戦意を保てまい。
綿密に練られた計画は、技巧の限りを尽くし創り上げられた芸術品のように、精緻を極める。
この状況下で、よくもここまで。
腹の内から込み上げる、得も言われぬ高揚感に、身体が大きくぶるりと震える。
シヴァラクは前屈みになると、拳が白くなるほど力を込めて手綱を握りしめた。
ミランダが命を吹き込んだシヴァラクの手。
沸き立つように熱い血で滾る、その指先は。
――――今、ここで、彼女の為に。







