109. 勝てる見込みは、ないのだから
造林地で育てられているオニグルミは、余すことなく使える優良素材であるらしい。
薪だけじゃない。切り出せば加工性が高く、耐久性に優れた木材に。
結実すれば、栄養価とその保存性の高さから、絹織物と同等の高値で取引される。
「剥いだ樹皮は、錆び釘を煮出した鉄触媒と合わせ、黒染めの染料にします」
領主の親族が管理をしているというオニグルミの造林地で、ミランダは先ほどから興味深げに草木染め織物を眺めていた。
「ご歓談中、失礼します。ラゴンからの荷馬車が到着しました」
裏門から続々と入ってくる荷馬車を横目に、ティールの案内役を仰せつかった書記官から声がかかる。
「本日の予定ですが、ラゴンからの物資を確認した後、ジャノバへ発つ馬車の見送り。倉庫街、製鉄所、最後に罪人が過ごす牢の見学……今日中に回れますかね?」
「各所の滞在時間を短くし、駆け足で参りましょう」
好きに見て構わないとセトが言ったものの、素性の分からない者を野放しにするのはさすがにマズイと思ったのだろうか。
領主に命じられ、ミランダの行動履歴は、同行した書記官によりすべて記録されていた。
「荷馬車にあった石碑は、領主館に移動しました」
何かを探す素振りを見せたミランダに、書記官がすかさず言い添える。
廃坑から運び出した石碑の用途が分からず、首をひねっていた。
「思った以上に、兵達が疲弊していますね」
「疫病が収まるまでに時間がかかりましたから、病み上がりの兵もいるのでしょう。士気が低いのは仕方のないことです」
定期的に発生する疫病は、毎度甚大な被害を出しては消えていく。
食料と引き換えに届いた燃料と兵士達が、荷馬車から続々と降りてくる。
間を置かず、入れ替わるようにして荷馬車に乗り込み、避難民達はティールをあとにした。
「セト様は、このまま出立されるのですか?」
「そうだな。帝国兵を、なるべく市街に近付けたくない」
「ラゴンから兵をお借りしたのはいいですが、士気も低く、疲労も濃いようです。やはり少し時間を置いた方が……」
「いや、十分だ」
慌ただしく指示を出す傍ら、セトは意外にも晴れやかな顔でそう告げる。
「もしエリアスが来たら、すべてはわたしが命じたことだと伝えておけ」
淡々としたセトの言葉に、控えていた領主が息を呑んだ。
今さらその言い訳が通用するかは分からないが、それ以外に死罪を免れる方法はない。
それゆえティール封鎖解除の『最終通告』には、領主ではなく、――実はセトの名で書面を返してある。
当然ながら、拒否一択。
さらにセトがいると知り、エリアス自ら兵を率いて帝都を出たと、アルゼンから急使が届いている。
セトは想いを巡らすように、束の間ミランダを見つめ、それからひとつ息を吐いた。
「――ミランダ、ここまでお前はよくやってくれた」
いらぬ混乱をさけるため、出自を明らかにしない方がよいと、決してティールではミランダの名を呼ばなかったのに。
ここにきて突然、穏やかに名を呼ばれた意図が分からず、ミランダは訝しげに眉根を寄せる。
その右手には剣が握られており、セトは静かに腕を引いた。
わずかに身じろいだと思った次の瞬間、ドン、と音を立て、鞘に収まった剣先が勢いよくミランダの腹にめり込んでいく。
「……ぐッ、……」
予想だにしなかった衝撃に体勢を立て直すことができず、ミランダは浅く息を吐きながら、尻もちをつく形で後ろに倒れ込む。
あれほど仲睦まじく過ごしていたというのに、一体何が起きたのか。
周囲がざわめき、領主や書記官は理解が追い付かず、見守ることしかできないでいた。
「だがまさか、あの有名な悪女だとはな。……アルゼンからの報告がなければ、騙されるところだった。次期大公の座を追われそうになり、帝国で起死回生を図ろうとでも思ったか?」
「次期大公!?」
各所から声が上がり、目の前にいるのがファゴル大公国のミランダなのだと、その場にいた皆が理解する。
「楽しませてもらった礼くらいはしてやる。……馬車を出してやれ。金目の物は欲しいだけくれてやる。ジャノバの領主に下げ渡せ」
「は!?」
「――さよならだ」
ミランダだけに聞こえるよう、最後は消え入るような声で告げ、一瞬微笑んだように見えたのは気のせいだろうか。
反論を許すことなく、セトはひらりと馬に乗り、振り返ることなく帝国兵を率いて去っていく。
その場には、戦えない者だけが残された。
『貴賓として不便のないよう取り計らい、安全を期してジャノバへ送れ』
セトは暗に示し、ミランダを危険から遠ざけた。
つまりティールに戻る気はない、……戻ることが、できないということだ。
「すぐに馬車の用意を……」
「いらないわ」
……何を与えられなくても、手を携えると言ったのに。
「ですが大公女殿下ということになりますと、万が一、御身に何かあったら……」
「……必要ない、と言ったはずよ」
もしティールにエリアス率いる帝国兵がなだれ込んだら。
セトの命令で封鎖したと言い訳しても、残った者達が無事に済むはずがない。
だが、アルゼンからの急使によれば、エリアスは偽物を皇后に担ぎ上げたという。
求心力が下がっている今、この身柄には価値がある。
ミランダがここに残れば、何かしらの譲歩が引き出せるだろう。
「――私は、ここに残ります」
ファゴル大公国の次期大公、——使えるものは、何でも使うのだ。
※お知らせ※
コミカライズ第2巻が発売となりました。
『傾国悪女のはかりごと~初夜に自白剤を盛るとは何事か!』
下にスクロールすると、表紙がご覧いただけます。
ミランダが、クラウスが、もうめちゃくちゃ素敵です……。
週末のおともに、ぜひ手に取っていただけたら嬉しいです!
コミカライズのオリジナルシーンもあり、
WEBで読んでくださった方もお楽しみいただけます。
なにとぞよろしくお願いいたします!(*ᴗ͈ˬᴗ͈)ꕤ*







