107. ミランダの答え合わせ
様子を窺っていた男達から、不意にぽつりと声が上がった。
「もし逃げた領民分だけ食料を節約できるなら、それをラゴンに送っては……? 恩も売れますし、何かと交換なら……」
声の主は、さほど身分も高くなさそうな運搬員の青年だった。
皇太子であるセトの前。
それも領主同伴ということもあり、意見などとても口にできる状況ではなかったが、目の前の少女が盛大に失敗してくれた。
場の空気も緩んでいる。
背中を押されるようにして運搬員が口にしたのは、誰にでも思いつきそうな至って素朴な案だった。
「一考の余地はあるが、ラゴンも燃料不足だ。融通できたとしても、食料と引き換えにできるほどの量は見込めない」
「ですが、少しでも手に入るなら有難いです」
領主に否定されるが、今度は思いがけず、別の方向から擁護の声が上がる。
年嵩の帳合責任者だ。
「現在は化石燃料の代わりに、オニグルミの造林地から切り出した薪を使っています。伐採許可があっても、この勢いでは長く持ちません」
「それに、結実まで時間がかかります。極力、濫伐は避けたいです」
帳合責任者の説明に被せるように、倉庫の端に控えていた書記係も口を開く。
ならばどうすれば……。
それまで見守るだけだった者達から、少しずつ意見が出始めた。
声を上げても罰せられない。
否定はされるが、頭ごなしに切り捨てられるわけでもない。
思っていたよりも寛容に受け止めてもらえると分かり、居合わせた者達が必死に思考を巡らせ始める。
「セト様は、どう思われますか?」
「ん? そうだな……」
活発な意見交換は良い傾向だが、答え合わせには少し時間がかかりそうだ。
それなら、――セトであればどうだろう。
わずかに顔を横向け、ミランダが期待に満ちた眼差しを向けると、セトは一瞬、面食らったように言葉を詰まらせた。
「疫病が収まったことを、ラゴンはまだ伏せている。封鎖を解除しない限り、誰も近寄らないだろうし……兵などいても邪魔なだけ。せっかくだ。食料と引き換えに、兵を借りるか」
「まあ! それは良い考えです」
迷いなく肯定するミランダ。
——こいつめ、とでも言いたげに、セトから軽く睨まれる。
正面から提案しても通らないので、ササッと引き、意見を引き出す方向へ舵を切ったのはバレバレ。
期待通りの答えをもらえて、思惑通り……ミランダは満足げに微笑んだ。
「兵と交換すれば、食い扶持も減る。ラゴンの食料事情も改善し、封鎖も維持できる。ティールも兵力を補えるから、互いにメリットしかない」
セトはなおも続ける。
封鎖を解いたら最後、ラゴンもまたエリアスに都合よく使われるだけ。
ラゴンにとっても、ティールにとっても、この提案は願ったりなのだ。
「収入が途絶え、商人達もお困りでしょう。余っている荷馬車も使いたいですね」
「……領地の予算で荷馬車をすべて借り上げ、ラゴンへの輸送に使おう」
馬車を借り上げることで、わずかながらも商人達に利益が生まれる。
食料を積む作業員や御者など、雇用も確保できる。
行きはラゴンへ食料を。
帰りは兵士をティールに運ぶ。
これからより一層、寒さが厳しくなる。……燃料も、もちろん受け取るつもりだ。
セトは案を重ねた後、「意見のある者はいるか?」と倉庫にいた者達に問いかけた。
皇帝が絶対的権力を握るインヴェルノ帝国。
にもかかわらず皇太子であるセトが、身分問わず意見交換の場を設けてくれる。
初めてのことに、おお、と倉庫内がどよめいた。
意見は出るが特筆すべきものはなく、セトは「お前はどうだ」と今度はミランダに促してみる。
探り探りではあるが、ミランダの立場や言いたいことを汲み取り、セトが手を差し伸べてくれる。
……誰もが考え、意見する。
別に有用なものでなくても構わないのだ。
声を上げることを恐れず、身分の低い者であっても、政治的な話から遠ざけられる女性であっても、それが許される場が整っていく。
倉庫内で作業していた女性達もまた、いつの間にか手を止め、成り行きを見守っていた。
「もし荷馬車が余るようなら、ティールからの避難民……長旅が難しい女性や子供、老人を乗せて一足先にジャノバへ送るのはいかがですか」
どうせ稼働していない荷馬車が大量にあるのだ。
ラゴンへ行き来させても、まだまだ余る。
ならば戦えない者はすべて直行便で、ジャノバへ送還すればいい。
「領主様、ジャノバへ入る許可証の発行数に、限度はありますか?」
「……ありません。商取引を円滑にするため、三大都市の領主はいずれも、制限なく往来を認める権限を持っています」
それなら問題ありませんね、と領主に告げ、ミランダはご機嫌でセトを見る。
「領主不在で判断は仰げないが、緊急時だ。仕方ない。急ぎ、馬車を手配してくれ」
どこか楽しそうなセトに命じられ、帳合責任者が早くも指示を出す。
ティール市街が戦地となった場合の、非戦闘員の安全確保。
避難先を持たない者も一律ジャノバ入りできるため、幼い子を抱える者や、年老いた親を持つ者たちから、安堵の息が漏れる。
「でも……そうすると、ジャノバの人口が増えすぎてしまうわ」
困ったように呟き、ミランダはゆっくりと視線を巡らせた。
「ジャノバも食料不足になるかしら? 帝都へ送っている場合ではないかもしれません」
正式な許可証を持つティールからの、大量の避難民。
ひとりひとりに与えるのはキリがないため、荷馬車そのものに通行許可を与えればいいだろう。
何が乗っていようと荷馬車はノーチェックで、検問を素通りできるのだ。
それがティールの民ではなく、――近隣住民だとしても。
「荷馬車に許可を与えているから、際限なく避難民が流入してしまうわ。受け入れを防ぐには、正当な理由が必要ですね」
余剰在庫はあるだろうが、ジャノバになだれ込む避難民は、雪だるま式に増えていく。
流入を即座に止めるには、理由を付けてジャノバを封鎖するほかないのだ。
新皇帝エリアスの支持を表明した、唯一の三大都市の領主……国内屈指の有力者アルゼン。
こうなれば、帝都でのんびりしてはいられない。
「心置きなくジャノバへお帰りいただきましょう!」
入国早々、ドナテラへの熱烈支持を表明したアルゼンのことだ。
ついでにドナテラを、帝都から連れ出してくれるはず。
ミランダに恩を売る絶好の機会を、あの男が逃すはずがないのだ。
「すべてを国内で賄う閉鎖的な経済体制。三大都市がすべて封鎖され、帝都への物流が完全に止まったら――?」
「……新皇帝、即位直後の失策だな」
帝国建国以来、類を見ない大失態。
そのシワ寄せは、帝国全土の国民へ――。
ミランダの意図を完全に理解し、セトが笑いを嚙み殺した。







