覚書/ドイツ傭兵(ランツクネヒト)とスイス傭兵
15世紀末から16世紀にかけての戦術上の変化で目をみはるのが、スイス傭兵の活躍とそれを模倣したドイツ傭兵ランツクネヒトの存在だ。1位がスイス傭兵で2位がランツクネヒトとされているのが下馬評だ。スイス傭兵は欧州中が欲した最強部隊だが、ランツクネヒトは神聖ローマ帝国・ハプスブルク家のマクシミリアン1世が創設した。
彼のローマ王・神聖ローマ皇帝の治世において、1499年、スイス傭兵が叛乱を起こし、鎮圧をしようとした。だが皇帝が現地に到着したとき大勢は決しており、天才戦術家である彼がきたことで、かえってスイス戦は泥沼と化し、けっきょく、スイスは飢えて引き分け・和睦することになる。このエピソードをもって2位とするのだろう。
ただ、マクシミリアン帝没後、16世紀前半、対フランス・ローマ教皇戦で、ランツクネヒトはスイス傭兵を壊滅させている。2位とする根拠が判然としなくなる。
ランツクネヒトとスイス傭兵は犬猿の仲とされるが、1493年に、マクシミリアン帝が愛娘マルグリットフランシュコンテ回復
●ドイツ傭兵
★基本装備は、長槍の長さ5~6mある。主に槍及び矛を、それ以外にも両手剣や白兵戦用の剣をつかう。剣は接近戦で槍が使えなくなったとき敵の槍を叩き斬るのに用いる。また鉄砲・大砲も扱う。
★神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が、オーストリア大公兼ブルゴーニュ公時代に、ブルゴーニュ(ブルグント)公国代官が南ドイツで募集したことに始まるとされる
★スイス傭兵(歩兵)を模倣
★ドイツ南部の農家次男坊以下の喰い詰め者、ごろつき
★月給4グルデン。一般人の4倍に相当する。
★趣味の悪いファッション
*上半身のみを鎧で覆う者が主体。腕・脚を覆うタイプの鎧はハウプトロイッチであるが少数だ。
*ショスと呼ばれるパンツ(タイツ・ストッキング・ズボン)をはく。無地であったり縦縞だったり。しかも左右が違うガラだ。上着には縦に切れ目を入れて下地の色が見えるようにした。その恰好で戦いに赴いた。ど派手であり、服装にうるさい当時の世相を無視しヒンシュクを買う。帝国議会において槍玉にあがるのだが、マクシミリアン帝は、死と隣り合わせの職務であり、ささやかな楽しみくらい許してやれという言葉で決着する。バサラ衣装は死装束でもあった。
*15世紀メアリス編みが彼らの間で流行する
*日本でいうところのバサラ者・傾き者に通ずるところがあり、各作家が描く傭兵物語の基本イメージになっている。
★基本隊形を方陣に組む。ゆえに傭兵隊指揮官はクオーターマスターと呼ばれる。傭兵隊中隊400名、そのうち100名は斬り込み隊と呼ばれる精鋭だ。彼らが両手剣を装備し、長槍戦から白兵戦に移行するとき、真っ先に斬り込みをかけるのだ。
★軍紀違反者は、兵士たちに尊敬される士官によって斬首された。当時は処刑は賤民たる刑吏によって行われてきたのだが、ルネッサンス期にさしかかり思考が変化した。
●スイス傭兵
長槍の長さ3~7m
スイス各州の自由農民
モラルは厳格で服装は(ランツクネヒトよりは)質素である
戦術や隊伍の構成はランツクネヒトとほぼ同じだ
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引用参考文献
市川定春 『幻の戦士たち』 新紀元社 1988年 P106-107
ダイヤグラム・グループ編 田島優・北村孝一訳 『武器』 マール社 1982年
渡部義之編 『戦略・戦術・兵器 ヨーロッパ近代編』学研 1999年
江村洋著 『中世最後の騎士皇帝マクシミリアン伝』中央公論社1987年
Wiki
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ノート20140209




