覚書/ルネッサンス以降の築城法
ルネッサンス期である16世紀初頭、北イタリア併合を目論むフランス王シャルル八世は、新型の攻城砲(ブルゴーニュ砲)をつかって、イタリア諸城市を易々と陥落させ、またたくまに半島南部スペイン領であるナポリまで征服した。旧来の高い城壁は砲撃のターゲットとなって、容易に壊されてしまう。そこで新型城塞が設計されてゆく。それが稜堡式要塞だ。
稜堡とは、敵攻城砲の砲撃をうけても壊れにくく、また大砲を撃つにも適した高さの塁堡で囲った郭だ。要塞の本丸から突出して、敵を制する施設である。函館五稜郭を連想すればいいだろう。
●1400年ごろ/典型的な中世城郭
高い石造の城壁に囲まれた一般的イメージの中世欧州城市は火砲出現前のスタイルだ。攻城砲で高い城壁の基礎付近を狙い撃つと、脆くなった城壁は、それ自体の重さであっけなく崩落してしまう。
●1500年ごろ /攻城砲の出現により変化が始まる
高い城壁は攻城砲の恰好の標的となり壊されやすい。このため、城壁の要所要所にある壁塔の基礎を取り巻くように、稜堡を築き、弱点をカバーするようになった。
●1600年ごろ/高い城壁が消滅し稜堡式の要塞が出現する
大砲を搭載するには不向きだった高い城壁が取り払われ、代わりに低くて厚い塁壁が設けられる。どこから攻撃されても死角にならないように、あらゆる方向に稜堡が突出していた。星形・五角形を連想するといい。
●1700年ごろ/外堡・斜堤により稜堡式プランが発達する
星形五角形の稜堡を本丸として、それを囲んで内堀を挟んで、外堡を巡らす。外堡は、本丸以外の郭だ。内堀の外側に本丸のなりにあわせた帯郭を配置。その外側に外堀を置く。そこに甕城(枡形)的な機能をもった各種堡塁を周囲に規則的に配備することにより、大砲や銃を効率的に運用することができるようになった。フランス・ヴォ―バン式によって完成する。この稜堡を陥落させるには、籠城側の砲撃をかわしやすい、塹壕を掘って突破するしかない。
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引用参考文献/
渡部義之編 『戦略・戦術・兵器 ヨーロッパ近代編』学研 1999年
P20-27
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ノート20130901




