掌編小説/中世物語 『橋』
「アンジェロ、ひとっ風呂浴びてくるよ」
赤毛の坊ちゃん・神聖ローマ帝国騎士ボルハイムは、主君ローマ王から書簡を預かって、旅の途中にあった。旅館には風呂がない。だから公共浴場にゆくことになる。十六世紀に梅毒病が流行る前は、帝国各地の風呂屋は繁盛していた。火事にならないように、公共浴場っていうのは、川っぺりにつくられる。
板張りの大きな風呂場の内部には風呂桶が十数個並び、それぞれの風呂桶は二人がむかいあって、入浴できるようになっている。村落の風呂は混浴だが、町場の風呂は男女別になっている。俺は散髪屋が陣取った椅子の横で坊ちゃんが風呂からあがってくるのを待つことにした。
坊ちゃんのむかいに入ったのは痩せた老人だった。
「ほお、珍しい、猫か。しかも豹柄で、耳が大きく、尻尾が太い。欧州の猫はもともと十字軍遠征のとき、東方から持ち帰ったエジプト猫だときいています。昨今の欧州猫は黒かったり、白かったり、はたまたブチだったりするのだが、あの猫はアフリカの香りが残っている」
「はい、アンジェロっていいます。博学ですね、御老人は?」
「しがない旅の技師ですよ。橋の設計なんかをやってます」
「おお、橋を!」坊ちゃんが身を乗りだした。
橋はどのようにして造られるのか?
坊ちゃんの問いに、老技師は遠い目をして答えた。
橋をつくるにはまず目的が必要だ。
たとえば、ある都市の対岸に町があるのだが、川で寸断されている。橋を築けば川向うと地続きになって、商売がしやすくなる。そればかりか街道の難所が取り払われ、多くの交易商が立ち寄れば、それだけ都市に金が落ちてくるってわけだ。キリストの教えでは商業は悪だ。だから、そのあたりの本音は伏せておく。
さしあたり、巡礼者の旅を助けるため、とかいった大義名分をつくっておく。都市を牛耳る貴族商人たち参事センセイがたが、司教・大司教を動かして、贖宥符を発行させる。橋づくりに協力したものは四十日分の罪を神がお許しになる、という触れ込みでやるのだ。これでけっこう資金が貯まる。なかには土地や水車小屋といった物件を寄進する資産家もいる。
さて着工だ。そこで問題になるのは木橋か石橋かということになる。木橋はコストが安いが川が増水すると流されやすいというリスクがある。石橋はコストが高いが頑丈だというメリットがある。
木橋の場合は小舟に乗って川底に杭を打ち込むことから始める。
石橋の場合は木杭で四角い基礎をつくって、その中に石を埋めてゆき橋脚をつくるところから始まる。
そんな具合で老技師は、橋の造り方を、坊ちゃんに説明していた。
風呂から上がった坊ちゃんは、老技師と駒を並べて一緒に橋見物にむかった。俺も坊ちゃんの馬の鞍に、ちょこん、と乗っかった。
レーゲンスブルク城市は、大司教座聖堂があり、商人が幅をきかせ、皇帝から種々の特権を与えられた、帝国自由都市だ。ドナウ川とレーゲン川の合流近くにあって、昔から水運で栄えてはいたんだが。劇的な変化が起きたのは、十二世紀半ばに架けられた橋にあった。
かつて北フランスからドナウ川沿岸諸国にむかう交易路は、ヴュルツブルク‐ニュールンベルク‐ゲンスブルク街道をつかっていた。ところが、橋の完成によって、ヴォルムス‐ヴィムプラヘン‐パッサウ街道に変った。古い街道沿いにあった都市は廃れ、新しい街道沿いの集落が都市に成長してゆく。
橋一つの建設が、小さな国家の興亡すら左右することになるのだ。
ドナウ川にかかるアーチをなす橋脚をつらねた長い石橋だった。尖塔がついた門をいくつか付設してある。おのずと人が集まってくるものだから、両サイドには屋台が並び、宝石・貴金属や毛皮を扱うユダヤ人商店街もあった。他方で片隅をみやると、小聖堂やら十字架が設けられていたりすることにも気づく。橋の建設はまず、戦争捕虜を人柱にして、水の精をなだめることから始める。そしてまた裁判や処刑場でもあった。重婚罪、嬰児殺しの女なんかを川に放り込む。小聖堂や十字架は、そういう霊を慰める施設だった。
夕暮れ時というのは、人の心を不安定にさせる。「訪魔が刻」って奴だ。
橋の欄干にもたれかかっていた若い女が、川に、飛び込もうとしたんで、坊ちゃんが上手から跳び降りて助けようとした。しかし女は、ふっ、と消えた。
「亡霊だったのか……」
そのとき、わいわい人だかりが起きて、禿げたおっさんが、す巻きにされ、橋の上から投げ込まれた。どぼん、という音と水しぶきがあがる。
坊ちゃんが振りむく。今度は、老技師が駆け寄って、す巻きのゆくえを追った。そいつは下流にある水門のあたりに流れ着いた。するとそこに組合の親方衆が罪人の身体を引き上げた。
「あれ、生きてるみたいだ」
老技師の後ろに立った坊ちゃんが素っ頓狂な声をあげた。
「あの親爺、重婚したんだな。運がいい」
城市の衆の刑は罪人の生命を奪うのが目的ではない。悪事に対して、刑という儀式を執行することこそが重要なのだ。
了
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引用参考文献
阿部謹也 著 『中世を旅する人々』 平凡社 1978年
ほか
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ノート20130907




