六章 なんてことはない日々 上
六章 なんてことはない日々
「あー、おなかすいた! アオイさん、ご飯まだー?」
「あー、おなかすいた! お母さん、ご飯まだー?」
食堂に入りながら双子はそう大声を上げる。
「もうちょっとまちな、今作ってるから」
それにアカネも大声で返す。その隣で“主に私がですけどね…”とアオイが呟いたのはだれにも聞こえなかっただろう。
「ただいま帰りました」
「ただいまだよ~」
そこにカークスや、クフェアも加わる。今日の仕事は早く終わったようだ。
カークスはともかく、クフェアは話好きだから、こうなるともう止まらない。双子とクフェアの間でこれでもかというほどに話が交わされている。まさに、女三人寄れば姦しい。
「…みなさん、こんばんは」
そこに静かにサーシャが入ってくる。ややうるさげな視線をクフェアと双子に向けるが、その視線はすぐに戻して何事もなかったかのようにふるまう。
「クフェア、サクラ、ミウメ。ちょっと声が大きいから、ちょっとだけ小さくしてもらっていいかな?」
しかし、それにカークスは気づいていたらしい。やんわりと三人に注意する。
「あ、はーい。ごめんなさい」
それにぺろりと舌を出しながら答えるサクラ。しかし、その後はちゃんと声を小さめにして、注意に従っていた。
「ただいまっすよー!」
「ただいま帰りましたわ」
そして、ロベリア、ビスカリアも帰宅する。そのころには夕飯の準備も終わり、アカネによる夕飯の配膳が始まっていた。
「むむ、そこの三人は何を話しているんすかね? 自分も混ぜてほしいっすー!」
そういって三人の近くの席に座るビスカリア。女三人寄れば姦しい、と言うが、四人寄れば何になるのだろうか。何はともあれ、カークスの注意が生きていてそれほど大きな声での話にはならなかったのだが。
この様子だけを見ていれば、戦争が始まるかもしれない、などという不穏な空気が流れていることはだれにも想像できないことだろう。だが、戦争とはいつもそういうものなのかもしれない。最初のころは、一般市民では気づくことすらできず、気づくことができる時にはすでに止めることができないほど火種が大きくなってしまっているものなのかもしれない。
「お、みんなずいぶん騒がしいな。何かあったのか?」
「楽しそうね、今日の話題は何だったの?」
そして、そこにゼクディウスとアオイが加わる。戦争が始まるかもしれないという、まだ比較的小さな火種を知る二人が。アカネもそれを知るものではあったものの、やはり強い母ゆえか、それを表に出すことはなかった。
しかし、二人はそうではない。弱いとまでは言わないものの、いたって普通の感覚を持つ二人だ。顔を合わせたことで戦争の事実を少し思い出してしまったのだろう。二人の間に若干気まずい空気が流れる。
「あれ? あれあれ? この空気は…サクラ!」
「了解! 先生、アオイさん、どっちが告白してどっちがふったんですか!?」
しかし、その空気は双子のそんな発言で晴らされる。それを表に出すことこそなかったものの、二人は内心双子に感謝したい気持ちすらあっただろう。
「何言ってるの、二人とも。私とゼクさんはそんな関係じゃありません」
「そうだぞ。ただ、ちょっと重たい話をしていたから、それを思い出してしまっただけだ」
そういって笑う二人。
「ふぅん、つまらないの」
「重い話なんて聞いてもつまらないや…」
そういって途端に二人への興味を失う双子。まったく、現金なものだ。ゼクディウスはそう思うが、詳しく聞いてこなかったことに安堵を覚えていた。
「ゼク先生、ゼク先生…」
しかし、ロベリアはそれを気にすることなくゼクディウスにそっと歩み寄る。
「な、なんだ?」
「いいっすか、自分だけに教えてください…まさかとは思うっすけど、アオイさんとやっちゃったんすか?」
ゴン! お盆で頭を小突く音が食堂に響き渡った。
「あなたは何を言っているの。ゼクディウス先生が出会って数日の女と枕を交わすような軽い男だとでも思っているの?」
「ローベーリーアー! …ふ、ふふっ…枕を交わす、ってなんすか? 自分はアオイさんとやっちゃったんすか、としか言ってないっすよ? ロベリアはその言葉でえっちぃことを考えちゃうようないけない女の子だったんすか?」
「なっ…! あなたは、人の揚げ足を取って…!」
みんなが騒がしく話をするのを見て、ゼクディウスとアオイは戦争のことを考えるのをやめることができた。
「まったく、お前らは…放っておいたら根も葉もないことすら事実になりそうな気がするぞ」
「まったくですね。男の人が来てうれしいのはわかるけど、皆ちょっとはしゃぎすぎよ!」
「そういわれると一応男の俺は反応に困りますね…」
苦笑いをしながらそういうカークス。
「ただいま帰りやしたー! 男が反応に困る話とは何ぞや? もしや、おしべとめしべ…」
「あなたもですか」
ガン、先ほどより若干優しいお盆の音が食堂に響く。
「いてぇですぜ、ロベリアの姉御。あっしはただ植物の質問をですね…」
「…まったく、ビスカといい、ガレイといい、今日はよく返される日ね。私が深読みしすぎているだけなのか、と疑わしくなってくるほどだわ。まあ、実際はそんなことないんでしょうけどね」
キッ、と半ば睨むようにしてそういうロベリア。その視線を受けてビスカリアとガレイは互いの顔を見ないようにそっぽを向いて口笛を吹きだす。
「まったく、楽しそうで何よりだよ」
本当に楽しそうに笑うゼクディウス。その表情からは、戦争の色は完全に失せていた。
それはアオイも同じこと。微笑みを浮かべているところからして、常日頃の態度をとれる余裕ができた、ということなのだろう。
「ほら、騒いでばかりいないで配膳の手伝いだ。みんなうごけー」
ゼクディウスのその言葉に真面目な面々が動き出す。そのあと少し間を開けて、ビスカリアが、二人きりになったのが気まずいらしい双子も配膳の手伝いをしだした。
「さすがにこの人数が手伝ってくれるとあっという間だねぇ。さて、夕飯としようじゃないか」
アカネがそう閉めようとした直後、扉が開く。
「おはよう…ございます…ふわぁ、眠い…」
「カンパニュラか。どうだ? 小説はうまく書き進められているか?」
「ええ…ただ気分ノリノリで書いてたら徹夜してた…眠いです」
「おいおい、無理はするんじゃないぞ? 今日は夕飯を食べたら寝るんだ。いいな?」
「はい、了解です…ふわぁ…」
寝ぼけた様子でカンパニュラは席に着く。
「さて、改めて、と…夕食にしようか」
そういうと各自が自分の気に入っている席に座りだす。そして、両手を組み、目を閉じた。
「「「ア・クアリアを総べる神々に感謝を。日々の糧に感謝を。失われし命に感謝を」」」
その後、静寂が数秒続く。双子ですら黙って、目を閉じている。
「ご飯前のお祈り終わり。さ、みんな食べていいよ!」
「いただきまーす! やっと食べれるよ…」
「いただきます。うん、おいしいですね」
思い思いの感想を述べながら食事をすすめていく面々。そのなかで、カンパニュラだけがいまいち食を進めていない。徹夜をしたということもあり、やはり眠いのだろう。趣味の割には、ずいぶんと入れ込んでいることだ。
「おーい、カンパニュラ。大丈夫かー? 寝落ちてスープに顔を突っ込んだりするなよー?」
「むぅ…それはなかなか面白そうな光景ですね。今度の小説のコメディーシーンで使ってみようか…ふわぁ…」
そういいながら大あくびをするカンパニュラ。それを見てゼクディウスは苦笑を浮かべる。
「やれやれ…いくら楽しいからって、そんなになるほど入れ込むのはどうかと思うぞ。今日から気を付けるように」
「わかりました…睡眠はちゃんととるように心がけます…ぐぅ…」
「食事中に寝るなー」
うつらうつらとしだしたカンパニュラにそう呼びかけるゼクディウス。それに気が付いてカンパニュラは左右に首を振り、自分の頬を両手でたたいた。
「…ダメですね。台所で顔でも洗ってきます」
「おう、行ってこい」
カンパニュラはそういって席を立った。その後ろ姿をゼクディウスとアオイが笑みを浮かべながら見送った。
そのさなか、視線が交差し、互いに笑いあう。なんだかんだと言いつつも、日常に戻れるものだな、と。
「ムムム…今のは何やら怪しげな…」
「ミウメもそう思った?」
その笑いを別の方向に受け取った者たちもいたようだが。まあ、彼女たちは戦争が始まるかもしれないという事実自体を知らないのだ。想像できないのも無理はないといったところだろう。
こうして、夕食は続いていく。戦争という影などないかのように。
● ●
そして、夕食を終え面々は思い思いの行動を取り出す。カンパニュラは眠るために自室に戻り、双子やビスカリア、クフェアなどは残って雑談をしている。
「さて…俺はどうしたものかな」
そして、影を知る数少ない人間である彼は何をすべきか迷っていた。
「先生、特にやることがないなら自分たちと雑談しましょうっす! 互いのことをよりよく知ることは教師と生徒という関係でも必要なことっすよ!」
笑顔でそう呼びかけてくるビスカリア。その隣にはロベリアも座り、ちらちらとゼクディウスのほうをうかがっていた。
「…いや、気持ちは嬉しいが、遠慮しておく。ちょっとやらなきゃいけないことを思い出した」
しかし、その誘いをゼクディウスは断る。戦争のことを知って、雑談などする気分ではないということもあった。しかし、彼は自分にできることが一つだけあるかもしれない、ということを考え付いていたのだ。
「アカネさん、少し両親と話をしたいのですが…通信機はありますか?」
「ああ、あるよ。案内するから、ついておいで」
「はい、ありがとうございます」
彼が思いついた自分にできるかもしれない、ただ一つのこと。それは、両親に頼るというものだった。彼が本来ならば嫌うはずの手段。それでも、戦争が始まるよりははるかにましだ。そう考えてのことだった。
「これだよ。好事家様のおかげでク・マキナ製の高級品なんて、うちには似つかわしくないものが手に入ってね」
「そうなのですか…アカネさん、先ほど聞いたことに関することを両親と話したいので、サクラとかがこっそり聞きに来たりしないように見張っていてもらってもいいですか?」
「…ああ、わかったよ。誰かが来たら合図をするから、適当にごまかしておくれ」
「はい、ありがとうございます」
そしてゼクディウスは通信機に手を伸ばす。彼にできるかもしれない、たった一つのことをするために。
通信機につけられたボタンを操作し、彼の実家へと通信をする。
「…はい、カルーレンでございます」
「あ、マイルディアさん? 俺だ、ゼクディウスだ」
「坊ちゃまでしたか。こちらに連絡をなさるとは、珍しい。して、何のご用でしょうか?」
「坊ちゃまはやめてくれよ、まあ、親父かお袋にちょっと急ぎの用があってさ。かわってもらえないか?」
ゼクディウスがそういうと、マイルディアは何か考えるような声を出した。
「…もしや、戦争のことでしょうか?」
「…!? 驚いたな…マイルディアさんは読心術でも使えるのか?」
「ゼクディウス様に仕えるものとして、この程度のことは当然でございます」
マイルディアのその言葉に若干気味悪さすら覚えながらも、ゼクディウスは通話をやめることはしない。
「まあ、それだけわかっているなら俺が何のために通信機まで使ってるのかもわかるだろ? 早いところ、親父かお袋に代わってくれよ」
「…申し訳ありませんが、それはできかねます」
「…え?」
「ご両親からの命なのです。わたくしにはどうしようもございません」
その言葉に困惑を覚えるゼクディウス。なぜだ? 戦争になったところでうちはなんの得もしないはずだ。そんな思いに至る。
「申し訳ございません、ゼクディウス様。ご両親に見つかる前に、この通信を切らせていただきます」
「え、あ、ちょっと!」
思わず叫ぶようにそういうものの、返ってくるのはツー、ツーという通話の不通音ばかりだった。
「どういうことなんだ…?」
思わずそうつぶやくゼクディウス。先ほどの叫びに気付いてか、アカネが歩み寄る。
「どうも…いい結果ではなかったようだね」
「アカネさん…はい。話すらできませんでしたよ」
「そうかい。まあ、いくらカルーレン家とは言え戦争を食い止めるってのはちょっとばかし無理があるだろうからね。気にするこたないよ」
そういってゼクディウスの肩に手を置くアカネ。それでも、ゼクディウスの顔色は晴れない。
「やれやれ…家に頼れないとなると、俺は一家庭教師でしかありませんね。自分の非力さに嫌気がさしますよ」
「まあ、普通そういうものさね。そう深く考えるこたないよ」
「…そうですね」
浮かない表情でそう答えるゼクディウス。
「ほら、気にしない気にしない! あんたはうちの家庭教師でしかないんだ。戦争のことなんざ考えないで、明日の授業内容でも考えとくれ!」
励ますかのように肩をたたくアカネ。それでゼクディウスの気分が変わったかどうかは定かではないが、明日の授業内容を考えてくれ、という言葉に反応する程度の余裕はあるようだ。彼の意識は徐々に明日の授業へとむき出していた。
「…とりあえず、そうします」
「そうしておくれ。とりあえずでも、動いてさえいりゃ気分も変わるはずさ」
そういってほほ笑むアカネに、ゼクディウスも無理やりではあるものの笑顔を浮かべて返す。
「笑う余裕があるならたいしたもんだ。それじゃ、私は片づけをしてくるから、あんたは授業の準備をしておくれ」
「わかりました。それでは、これで失礼します」
そういってゼクディウスはその場を後にする。その背を見送ることをせず、アカネは皆の場所まで戻っていった。
一人になったとたん、ゼクディウスはため息をついた。戦争という秘密を知ってしまった重さ、そしてそれに対して少しでも影響を及ぼすことができるかもしれなかった両親への働きかけに失敗した空虚感。それらが彼にため息をつかせていた。
「いっそ誰かに話してしまいたくなるな…やれやれ」
そこにクフェアなどが“何をです?”とでもいってきていたら、ゼクディウスは本当に話してしまっていたかもしれない。それほどに、彼は秘密の重さを感じていた。
「…いかんいかん。無用な心配をしないといけないやつを増やしてどうする。アカネさんの言っていた通り、とりあえず体を動かそう…」
呟きながら部屋の扉を開けるゼクディウス。真っ暗な部屋に明かりをつけ、片隅に置かれた机の前の椅子に座る。大量に積まれた白紙の山から数枚の紙を引き抜き、明日の授業内容を書き連ねていく。
しかし、その程度では彼の心配はごまかせなかったらしい。授業内容の下に、戦争に関する様々なことをぼんやりとした様子で書いていくゼクディウス。
それはもはや無自覚らしい。その手を止めようとすることもなく、戦争のことを書いていく。
気が付いたときには、紙一枚を完全に埋めていた。
「はぁ…やれやれだな」
そうつぶやいて、戦争に関する部分を破り、可能な限り細かくちぎってゴミ箱に突っ込む。
「さて、これから全員分の分を書かないとな…複製機でもありゃ便利なんだが、さすがにそこまではないしな…」
先ほどまとめて引き抜いた残りの紙に生徒たちそれぞれに合わせた内容で文章を丁寧な美しい文字で書いていく。
さらさらと書いていき、あっという間に一枚を完成させた。
「うーん、まあ、こんなもんか。さて、次はだれのを書くか…」
ぶつぶつとつぶやきながら共通部分を書いていくゼクディウス。その様子は家庭教師生活を始めて数日とは思えないほど手際のいいものだった。
そして、アカネの言っていたことは正解だったらしい。そうしているうちに、彼の内から戦争に関する考えが消えていった。もっとも、それを彼が自覚することはなかったが。
そして、数時間が経過した。
「くぁ…もうこんな時間か。そりゃ、疲れもするし、眠くもなるよな」
授業と言ってもそれほど長いわけではない。そのため、一人分は十分もあれば書き終わる。まあ、人数が多いから、当然のように数時間はかかってしまうのだが。
すでに深夜と呼べる時間だが、彼の仕事はまだ終わらない。文字の間違いがないかを一枚一枚確認していく。それでさらに一時間はかかることだろう。
「誰か手伝ってくれないものかね、しかし」
一人、愚痴をこぼすゼクディウス。まあ、もしも本当に手伝ってくれるものがいたとしても、彼のことだ。こんな時間まで付きあわせることはないのだろうが。
そして、それも終わるとますます深夜、彼の疲れと眠気もピークに達した。
「ふぅ…あとは明日にしておくか…」
そういってベッドに飛び込むゼクディウス。
「…あ、でもその前に歯を磨かないとな…」
面倒くさげにベッドから起き上がるゼクディウス。そして、洗面所へと向かう。
時間が時間だ。ほかの誰かと会うこともなく、洗面所までたどり着いた。大あくびをひとつしてから持参した歯ブラシに手を伸ばす。
「やれやれ…カンパニュラにはちゃんと寝ろと言っておきながらこれか。とんだブーメランだ」
ぶつぶつとつぶやきながら練り歯磨き粉を歯ブラシにつけ、口の中に入れる。
あとはひたすらガシュガシュと磨いていく。歯ぐきから血が出ない程度に強く磨いていくのが彼のやり方だ。
しばらく磨いた後、口をすすぎ、再び自室へと戻る。
「ね、眠い…」
そうつぶやいてベッドに横たわると、ゼクディウスは泥のように眠った。




