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焔鬼  作者: はじめアキラ
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<8・親友。>

 父の転勤。聞かされた時、梨華は少しだけ驚いたのだった。


『てっきり会社、やめちゃうのかと思ってた』

『え』


 そう言うと、父は少し目を丸くして、疲れた顔で笑ったのである。


『そういうわけにもいかないよ。父さんは……父さんだからね。それでもお前たちに不便な思いをさせるのは申し訳ないとは思うんだけど』


 父さんは父さん。多分それは、父親として家族を養っていく責任がある、という意味だったのだろう。

 全国に展開する大淀(おおよど)銀行は、焔ヶ町にも存在している。元々は東京の一等地で暮らし、仕事をしていた父がそんな地方の銀行に転勤になった理由は、父がそう望んだからに他ならなかった。

 かつていた板橋支店で人間関係で揉めて、大いに苦しむことになったためである。東京で仕事をしていた時の父は、いつもげっそりと疲弊した顔をしていた。弱音も愚痴もほとんど吐かない父が、当時一言ぽつりと言った言葉が非常に印象に残っている。


『結局、一番のバケモノって、人間なんだろうな……』


 転勤について、母には異動願いを出す前にちゃんと話していたらしい。梨華も、転勤が決まってから事情を説明してもらった。会社に愛想を尽かしているとばかり思っていたので、むしろ異動で済ませたことに少々びっくりしたのである。

 正確には、彼は会社そのものが嫌になったわけではなかったらしい。

 ただ、人間が嫌になった、と。特に、一部の女性が怖くなってしまった、とそう語った。


『元は、女性同士のトラブルだったみたいなんだよね』


 ため息まじりに、父はそう語った。


『今時、女性の正社員なんて珍しくない。銀行ってところは特にね。それでも、働き方の問題で契約社員をしている人もいる。もとより、うちの会社は契約で雇われてから、しばらくして正社員に昇格する人も少なくないし。ただ、契約社員の中には時短勤務とかで、夫の扶養に入って働いている人も少なくないというか』

『えーっと、お母さんがやってるパートみたいな?年に百何十万かを超えると、税金が上がっちゃうとかそんなこと言ってたっけ?』

『まあ、そういうことだな。で、当たり前だが契約社員で、しかも時短で働いている人にそんな負担の大きい仕事はさせられないだろう?本人が正社員に上がることを望んでいるならまだしも、そうじゃないならね。……で、そんな旦那さんの扶養に入って働いてる契約社員の女性……Aさんってことにしようか。そのAさんと、正社員の女性Bさんの仲が悪かったんだ。それはもう、壊滅的に』


 父の話をざっくりまとめるとこうだ。

 Aさんは契約社員で時短で、子育中の主婦だから責任の重たい仕事や残業ができない。Bさんたち正社員がまだ働いている時に、さっさと帰ってしまうことが少なくない。それ自体は、そういう契約になっているのだから仕方ないと言えば仕方ないだろう。ただ、Aさんはそれだけではなく、子供の行事の都合や体調の問題で急に早引きすることや欠勤することも多かったという。そうなると、Aさんが普段やっているファイリングなどの簡単な事務仕事まで、Bさんたち正社員が肩代わりすることになるのだ。

 もちろん、仕事とは助け合いである。誰かが困っている時にはみんなで助け合う、というのが理想。実際、Aさんが子供のために時々休んでしまうのは仕方ないことと言えば仕方ないことだっただろう。が。

 何が問題ってこのAさんの態度が非常に悪かったことである。彼女がもし、時々休んでしまったり早々に帰ってしまうことを申し訳ないと感じて、殊勝な態度を取るような人間だったならこうはならなかったかもしれない。が、実際彼女は、それを当たり前の権利と考えて、横柄に振る舞っていたのだ。仕事を代わりにやってもらってもお礼も言わない、謝罪もしない。それでいて、時折雑談の中で〝育児マウント〟を取ってくる。


『子供を育てるって本当に大変なわけ。学校行事の役員とか本当に面倒くさいし……ああ、子供のいない貴女たちにはわからないでしょうけど?』


『独身っていいわよねー、自分の時間、自分一人のために使えるんでしょ?本当に贅沢だわ』


『貴女たちももう三十歳超えたんでしょう?とっくに行き遅れって言われてもおかしくないんだから、さっさと結婚しないとまずいわよ。男なんか、三十超えた女はババアだって見下してくるやつ少なくないんだから。あたしはちゃんと若いうちに結婚したから、子供を二人も作れたけど、今からじゃあねえ……』


 まあ、こんなかんじ。

 そりゃあ、Bさんがプッツンするのも仕方ないことと言えよう。しかも、「正社員なんだから責任を負うのは当たり前」みたいなことを言って、自分の失敗までなすりつけてくるのである。

 その結果、Aさん対Bさんで、戦争勃発。仕事中に取っ組み合いの大ゲンカになった。大の大人がそうなるくらいなのだ、どれほどBさんが腹に据えかねていたかわかる。

 その時は慌てて課長が間に入って事なきことを得たが、Aさんが「訴えてやる!子育てする権利を侵害する気か!」と騒いだことと、Bさんが「子供のいる主婦がそんなに偉いのか!人にマウント取って迷惑かける権利があると思ってるのか!」と怒鳴ったこと。部署の女性たちが、Aさん派とBさん派で真っ二つになってしまったことで、騒動が大きくなってしまったのである。

 間に立たされた父たち男性陣はもうオロオロするしかない。正直、立場上どっちの味方もしたくないからである。下手なことをここで男性が言うと、それこそセクハラだと逆ギレされかねないのが透けている。大体、ああいったタイプの女性たちは、意にそわない意見を言うと「男は何もわからないくせに」で全部封殺してくる傾向にあるから尚更だ。

 仕事をしながら、時折バチバチやりあうのをどうにか仲裁する日々。Aさん、もしくはBさんを解雇しないとストライキするぞと言い出す者達まで出る始末。会社としては断固として止めなければならず、なんとかしてくれと課長に頭を下げられてしまった父は文字通り胃に穴があく寸前だったという。


『どっちの言い分もわからないことじゃないし、AさんにもBさんにも問題はあったと思う。露骨に態度が悪かったのは確かにAさんだったけれど、先に手を出しちゃったのはBさんだしね……』


 逃げと言われるのは百も承知。それでも、もうこれ以上あの支店にいるのは耐えられない。困り果てて人事課長に相談したところ、人員の問題で異動できるのが現在地方の支店しかないと言われたのだという。それが、焔ヶ町支店だった、というわけだ。

 父は二つ返事でOKした。田舎の支店ならば、女性同士のギスギスした争いもきっとないだろうし、満員の通勤電車に苦しめられることもない。都会の空気そのものに疲れ始めていたこともあり、むしろ田舎への異動は歓迎するところであったという。給料もほとんど下がらなかったから尚更だろう。

 無論、そうなれば父が単身赴任するか、家族で田舎に引っ越すしかなくなる。母は最初から父を一人で単身赴任させるつもりはなかった。あとは、梨華の了承を得るだけだった、というわけだ。


『いいよ、別に』


 梨華はあっさり頷いたのである。


『別に転校しても、いいよ。……私も、今のガッコ、あんま好きじゃないし』


 公立の中学校でも、レベルには差があるというものだ。梨華が通っていた中学校は都内にあることもあり、そこそこハイレベルな生徒が集まる学校だったのである。有名公立、私立への進学率も相当高かったらしい。引っ越しすることになるとわかったのは中一の時点でのことだが――まさか中一の段階で、あんなにも受験勉強をやっている生徒が多いなんて、小学校の時は思ってもみなかったことだ。

 塾に行く生徒も多かったし、そうでない者達は部活に真剣になっていた。何かに一生懸命にならない生徒はお呼びでない――そんな空気が、なんだか重苦しくて苦手だったのである。夏休みの頃にはもう、仲の良かった友達が塾に行き始めてしまい、ろくに遊ぶ時間も取れなくなったから尚更に。


――何かに一生懸命になってるやつらは、そりゃかっこいいと思う。でも……それを、こっちにまで押し付けられるのは、正直キツイ。


 一応ハンドボール部に入ったはいいが、すぐに幽霊部員になってしまった。なんとなく、地味な反復練習に飽きてしまったからである。

 自分が好きなことは何か。素質があることは何か。楽しいことは何か。そういうのが何一つわからないまま、だらだらと日々を過ごしていた。何かを本気で頑張ったことなんてない。多分それは、勉強以外はそこそこ程度にできる、という器用貧乏な性質も影響していたからだろうが。


――だから、焔ヶ町に引っ越してきた時も、期待はしてなかった。きっと退屈だけど平穏な日々が続いていくんだろうなって。……退屈は好きじゃないけど、嫌なことが起きないなら別にいいかって、それくらいの認識で。


 父のように、人様のトラブルに巻き込まれて疲弊するような日々がごめんだ。そういうことさえなければ、後はどうでもいい。

 ただ、新しい住居は(両親は奮発して家まで買ってしまった)駅からも遠いし、学校までも時間がかかる。スーパーも駅前まで行かないとないし、商店街にもコンビニが一つしかないようなところだ。ものすごく不便な思いはすることだろう。そして、田舎町というのは排他的というイメージがある。一人孤立して、いじめに遭ったりしたら流石に嫌だな、なんてことは思っていた。

 そう、思っていたのだが。


『こんにちは!あたし、五十鈴マイ!よろしくだかんね!』

『あ、ああ、うん……よろしく』


 転校して早々、声をかけてくれた人がいた。それがマイである。のっぽのおだんご頭に、「だかんね」とつける口癖。彼女は初めて見る東京からの転入生にもまったく物怖じするということがなかった。


『へえ、サイドテールにしてるんだ。その髪型好き?なんか、ひだまり探偵のマリンちゃんっぽいんだかんね!』

『え?ひだまり探偵、見てるの?』

『見てる見てる!ああいうミステリーって面白いかんね!あたしは毎日リアルタイム放送を見て、パソコンでの動画配信で見返すってことをしてるのだ!梨華ちゃんはどーお?あ、あたしのことは気軽に下の名前で呼んでねー!』


 ぐいぐい来る彼女に少し圧されたものの、同じアニメを見ているということで少しだけ親近感がわいた。この町でも、例のアニメは見ることができるのだ。よくよく考えたら全国ネットの放送なので、当然と言えば当然かもしれないが。

 転校初日から、彼女は学校の中も、それから焔ヶ町商店街のことも案内してくれた。それから、学校の裏の山も。


『小学生みたいって思うかもしれないけど……あたしは昔っから、弟と一緒に川遊びしたりするのが好きだかんね。夏休みなんて、家族連れが集まってきて、川沿いでバーベキューやったりもするし!流れが遅くて浅いから、子供が水遊びしてても大丈夫っていうか。マジ気持ちいんだかんね!』

『へえ、バーベキューかあ。やったことないや。楽しそう』

『楽しい楽しい、超楽しい!夏休み一緒にやろう!あんたんところの家族とうちの家族合同で開催するのはどーよ?賑やかでいいゾ!』

『いいね!うん、すごくいいと思う!』


 友達が多くて、いつも明るくて元気で。そんなマイが真っ先に友達になってくれたから、梨華はクラスに馴染むことができたのである。

 彼女経由で友達が何人もできた。彼女の家族との、家族ぐるみの付き合いも始まった。東京の町にはないものをたくさん教えて貰うこともできた。思っていた以上に、焔ヶ町の暮らしはキラキラとしたものに満ち溢れていたのである。

 まあ、授業が眠たいのはどうしようもないことだが。


――私は、この町が好き。でもって、きっとこれからもどんどん好きになると思う。


 もう少し寝てから戻る、とマイが言うので、彼女を置いて教室に戻ることにした梨華。いつも元気いっぱいのマイが落ち込んでいる姿を見るのは、正直胸が痛い。くだらないふざけ合いも茶化し合いも、彼女がいるからこそできるのだ。


――だから、マイのためにも、この町のためにも。できることを……したい。


 ある意味、梨華にとっては初めてだったのかもしれない。

 誰かのために真剣に、何かに取り組みたいと思えたのは。



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