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08 宵の内酔い人良いお店

「せっかくですし、歓迎会でもどうでしょうか」


 『ジュノ』の食堂で朝食を食べていた俺達は、満面の笑みを浮かべてクーちゃんを撫でるリサを見る。


「今日はみんなお休みですし」


「お、いいねえ。たまには隊長らしい事言うじゃないかリサ」


 特大ベーコンを噛み切りながらドルメンが言う。


「まあ、いいんじゃない。店、どこにしようか」


 レビアも乗り気らしく、テーブルの上に身を乗り出していた。


「ルキアちゃんは、どう」


 いきなりリサに指名されたルキアは、フォークにウインナーを刺したまま、顔を真っ赤に染めていた。


「わ、私は、皆さんがちゃんと帰ってくれるのなら」


 意味深な発言である。早速どの店にしようか話はじめていたレビアとドルメンが、気恥ずかしそうに姿勢を正していた。


 一体どんな過去があったのだろうか。

 まあ、だいたい想像はつくが。


「大丈夫だよルキナ。また潰れて帰れなくなったら今度こそは……」


 俯くルキアの頭を撫でながら、アドリアがテーブルの面々に睨みをきかしていく。


「よーし。じゃあ決まりだね。ガルアさんも行けそう?」


 強引に話をまとめたリサは、厨房で皿を洗うガルアをのぞき見る。


「あんまり遅くなると息子がうるさいからね。少しくらいなら」


 どうやら歓迎会の開催は決まったらしい。

 歓迎会という位だから、お酒を飲むことになるのだろうか。

 お酒、飲んだことないな。大丈夫かな。

 あ、そういえばイリスはどうなんだろう。

 

「イリスはお酒飲める?」 


 俺の横で、相変わらずフードを被り、もくもくとベーコンを食べるイリスに耳打ちする。

 イリスはベーコンを食べながら、小さく首を振った。

 安心した。実は俺も、と言おうとした俺は、興味津々な顔でこっちを見るドルメンに気づいた。

 

「お前ら、酒飲んだことないのか」


 どれだけ地獄耳なのだろう。しかたなく頷くと、ドルメンは腕を組んで目を閉じた。


「討伐人、明日をも知れぬ、世捨て人」


 ドルメンは抑揚を付けて朗々と詠み上げる。


「けもの飲み捨て、人底知れぬ」


「よっ! 皇都筆頭討伐人!」


 タイミングよくレビアが合いの手を入れてパチパチと拍手する。


 この人達……、もう酔っているのだろうか。


 飽きれ顔の俺に、目を開けたドルメンが言う。


「ここじゃ、仕事に就いた段階で一人前だ」


 ドルメンの言葉に、テーブルに座る皆が頷いていた。


「だから、な!」


 あからさまな圧力。入ったばかりの新人に断れるわけがない。

 まあ、昨日失敗もあるし、これからの事を考えれば行くしかないだろう。


 というわけで、本日の仕事であるラッキースケベ防止装置(男湯)作成の仕事を終えた俺は、先頭を歩くレビアとドルメンに引き連れられて夜の町に向かった。



          * * *



 新人歓迎会は、第三層の西側に軒を連ねる居酒屋街の中、"酒とお食事の店『ツラストラス』"の二階で行われる事になった。

 落ち着いた店内の一階には、バーカウンターとテーブル席が数脚。ポツポツと座る客も、討伐人ではなく一般人が多そうである。


 店員の女性に案内され、二階の個室に入ると、意外な人がいた。


「今日は呼んでくれてありがとうございます」


 市場でドルメンと一緒にいた女性、今日はローブ姿ではなく、質素な黒のワンピースを着ているが。


「ようこそ、アシュリーン。来てくれて嬉しいわ」


 リサがアシュリーンと握手を交わす。くせのある金髪をかきあげた彼女は、ドルメンに笑い掛けていた。


「な、なんでこいつがいるんだよ」


 大袈裟に手を広げて歎いたドルメンがアシュリーンを指差しながら、リサに詰め寄る。


「歯止めです」


 リサの言葉にドルメンは舌打ちをし、乱暴に椅子を引いて座った。


 個室は、カーテンで他の部屋と区切られていて、真ん中に丸い机、それに椅子が椅子が九脚用意されている。

 一番奥の椅子にリサが座り、その右手から、アシュリーン、ドルメン、レビア、ガルア、俺、イリス、ルキア、アドリアの順にそれぞれが椅子に腰を下ろす。

 すでにテーブルの上には九組の皿やコップが用意され、テーブルの真ん中には、山盛りのサラダが入った大皿、酒の入った瓶が数本が乗せられていた。


「さあ、じゃあ始めましょうか。ドルメン」


 リサからの指名を受けて、ドルメンが空のコップを持って立ち上がる。


「なんかいつもやらされてる気がするんだが」


 ため息をついてつぶやくドルメンに、横に座っていたアシュリーンがささやく。


「こういうのはあんたが一番上手いんだから、ブツブツ言わない」


「お、おう。そうだな」


 頭をかいて頷いたドルメンは、コップを持った右手を体の前に突き出し、しばらく目を閉じる。


 アシュリーンは、かなりドルメンの扱いに手慣れているらしい。単なる討伐人と裁定者という間柄では無いのだろうか。


「さすがだね。アシュリーンはドルメンの婚約者だからね。手慣れたもんだよ」


 俺の耳元でガルアが教えてくれた。

 婚約者……。あんな美人があんなおっさんと。

 少し垂れ気味の大きな瞳を持つアシュリーンを何となくながめる。

 と、視線に気づいた彼女が俺に微笑む。

 俺はあわてて目をそらした。


「えー、本日は、我らが討伐隊『ジュノ』の新人歓迎会にお集まりいただきありがとうございます。思いかえせば、隊長に誘われて『ジュノ』を立ち上げて幾数月。試行錯誤の中、今回新たにアルフレッドとイリスという新人を迎え……」


「長い」


 ドルメンの横に座っていたレビアが、目の前のコップを握りながら言う。

 舌打ちをしたドルメンは、コホンと咳ばらいをして続ける。


「これからの討伐隊『ジュノ』と、新人達の更なる活躍と発展を願って」


 ドルメンが言葉を切ると同時に、回りの皆がコップを片手に立ち上がる。

 俺も、あわてて立ち上がり、皆の様に空のコップを前に突き出した。


「討伐隊式の挨拶だからね、みんなに合わせな」


 もたつく俺を見兼ねてガルアが言う。


「『杯が空いている! 酒はまだか!』」


 ドルメンの掛け声に合わせて皆が大声で再唱する。


「『杯が空いている! 酒はまだか!』」


 声を出し終えると、酒の入った瓶を持ったリサが、それぞれ一声掛けながら、隊員達のコップに白濁した酒をついでまわる。


「新人さん。期待してるからね」


 リサはそう呟きながら、俺のコップになみなみと酒をついだ。


「あ、はい頑張ります」


 震える手で持つコップに酒を注ぎ終えたリサは、ふふっと笑いながら、イリスの横に移動していく。


 最後に、元の席に戻ったリサのコップにアドリアが酒を注ぐ。


「では、新人の加入を祝って」


 コップを掲げたリサは、言い放つと同時に、一気に酒を煽り飲む。

 待ってました、とばかりにコップに口を付けるドルメン達。見ると、ルキアも両手で抱えたコップに口を付けていた。

 覚悟を決めて俺もコップに口を付けて、中の液体を喉に流し込む。

 

 味はよくわからないが、液体は意外とすんなり喉を通っていった。

 が、すぐに、胃の辺りが熱を持ちはじめる。体温が上昇し始め、頭がぼうっとなり、視界が歪む。

 これが、酒か。


 コップから口を離した俺は、何かが割れる音に驚く。

 皆が酒を飲み干し、空になったコップを床に叩き付けていた。

 何が起こったのか。

 異様な光景に、唖然としていると、ちょうど酒を飲み干したルキアが、「えいっ」とコップを床に叩き付けていた。

 悲しいかな、コップは割れずに床にガコンとぶつかって転がる。


「クスン」


 今にも泣き出しそうな表情でコップを拾い上げた彼女は、両手でコップを振り上げて、再び床にたたき付ける。


「酒を喰らうならコップまでってね。最初の一杯はコップを割るのが主催者に対する礼儀ってものだよ」


 ガルアが言いながら自分のコップを床にたたき付ける。

 俺と同じく、辺りを引いた目で見ていたイリスがコップを投げつけていた。

 俺も空になったコップを思いっきり床にたたき付ける。

 陶器のコップが割れる音を合図にしていたのか、背後のカーテンが開き、店員が新しいコップと、湯気を立てる料理を並べていく。

 俺は皆に合わせて椅子を引いてフォークを手にとる。

 足元に転がるコップの破片がゴツゴツと足に当たった。



          * * *



 出された料理はどれもこれもが美しく盛りつけられていた。

 コーキーの丸焼きは、こんがりと焼いた丸ごと一匹の上に香草が乗せられ、皿の回りには花の形にカッティングされた野菜が並び。名前も分からない巨大な魚の焼き物は、トロリとしたタレが掛けられ、その上に食用花が散りばめられていた。皿を運んできた店員も、「若コーキーの肉詰焼きに香草を添えて、花乱れ流れる大河泳ぐメータグランドの煮付け焼きでございます」などと大層な料理名を言っていた。


 しかし、今やコーキーに乗せられていた香草は、テーブルの上に散らばり、皿の上には見るも無残なコーキーの骨がうず高く積み上げられている。

 メーターグランドが乗っていた皿には、魚の皮だけが残り、傍らには、かじられた花がまるで供えられるように添えられている。

 メーターグランドの骨、今それはドルメンの手の中にあった。


「いや、だから、ランドスネイクって奴は、うねうねって来たら、こうやって下に潜って、ガッて切ってさ」


 コーキーの骨付きモモ肉を口に加えたドルメンが、メーターグランドの骨をグネグネと動かしている。


「そんな事出来るのあんたくらいじゃらい。あいつらは空に飛び上がる瞬間に羽の付け根をこう、シュパッと」


 横に座るレビアがコップを持ったまま手を広げた。案の定、床に酒が撒き散らされる。


 最初は新人である俺とイリスに魔物討伐について、先輩らしく教えてくれていたはずだった。

 それがいつの間にか討伐自慢大会になり、最近の討伐事情になり、どこぞの討伐人がだれそれに告白したという話になり、そしてまた新人教育に戻ってきていた。

 しかし、しこたま酒を飲んで寄り道をし過ぎたため、ドルメンとレビアの話は全く噛み合う事がない。


 アドリアも大分飲んだらしく、さっきから一人肉を噛み切るルキアをほったらかしてリサにからんでいる。


「やっぱり討伐人はいいね」


 ガルアがコップを傾けながらぽつりとつぶやく。

 

「ガルアさんは元討伐人だったんですね」


 レビアが言っていた事を思い出した。たしか"岩砕きのガルア"とか呼ばれてたらしい。

 俺の言葉にガルアは、酒をあおる。


「そうだよ。今じゃこんなだけどね」


 言いながら彼女は、力こぶを作って見せた。

 ドルメンと比べても遜色ない程の巨大な筋肉が山のように盛り上がっている。

 引退してこの状態なら、現役当時はいったいどんな化け物だったのだろう。


「どうして討伐人を辞めたのですか」


 酒がまわったのか、少し目を赤く腫らした彼女は、細い目をさらに細めて笑っていた。


「旦那が死んじゃってね。アンリもまだ小さかったからねえ」


 ガルアに子供がいることは知っていたが、アンリと言う名前だったのか。

 いや、それよりも、ガルアと結婚した旦那さんて……

 彼女は、コップに酒をつぐと、ゆっくりと語り始めた。


「今から二年程前、皇都の目の前まで魔物に攻め込まれた事があってね」


 この街の目の前、接近する魔物を見つける事が出来なかったのだろうか。


「観測はしてたらしいんだけどね。派遣されたクルトーの討伐隊は全滅しちゃってね。で、まあその魔物の討伐でうちの旦那は死んじゃったってわけ」


「なんていう魔物だったのですか?」 


 俺の肩越しにイリスがガルアに問い掛ける。

 今まで黙って飲み食いしてただけのイリスの声にガルアは少し戸惑うような仕種を見せた。


「緑炎翼龍エル・ドアギガス一匹と、爪翼鳥スナッチアバターの大群」


 緑炎翼龍エル・ドアギガス、名前からしてやたら強そうである。


「緑炎翼龍エル・ドアギグェ……」


 どうやら舌を噛んでしまったらしい。

 イリスは恥ずかしそうに、酒で赤くなった顔をさらに赤く染めた。

 

 これでフードさえ被っていなければ、本当に可愛らしい女の子なのになあ。無茶苦茶強いけど。


 実は、この会場内に俺と同じ事を考えていた人がいた事が後ほど明らかになる。


 充血した鋭い瞳でイリスを見据えるその人が、テーブルを両手で叩いて立ち上がる。レビア、その人だった。


「イリス、あんたちょっと面貸しな」


 フラフラとイリスの横まで歩いてきたレビアは、イリスの腕を掴み上げる。


「アドリア、あんたも来な」


 ルキアの肩に首を預けて目を閉じていたアドリアは、椅子を蹴飛ばして立ち上がり、辺りを見回す。


「ほら、早く来なさい」


 自意識を持たない人形のように、レビアに引っ張られたイリスがカーテンの向こうに消え、千鳥足のアドリアが後に続く。


 どこに連れていかれるのだろうか。


 椅子から腰を浮かした俺をガルアが肩に手を掛けて制した。


「大丈夫だよ。楽しみにしてな」


 コップを掴んだガルアは悪戯っ子の様に笑っていた。



 しばらくして、カーテンが開かれた。


「ジャーン」


 レビアとアドリアに背中を押され、イリスが個室に入ってくる。

 俺は酒が入ったコップを握りながら息を飲む。

 顔を伏せて入ってきたイリスはフードを被っていなかった。

 代わりに、美しい金色の髪の毛を、頭の左右に、まるでかたつむりのように纏めていた。

 スウッと伸びた顎のライン、結い上げたうなじに目を奪われる。

 ビルドウルフと出会った時のあの神々しさを思い出す。


「お前、それ巻き巻きウン……」


 途中まで言ったドルメンの言葉は、ボゴッという鈍い音で中断された。

 目を回すドルメンの横で、アシュリーンが自分の拳を眺めている。


 俺の横に座ったイリスを見て、その髪型の秘密に気がついた。


 両耳がきちんと隠れていた。


 エルフであることを隠しつづけていたイリスは、この町に来てからも、フードを脱ぐことがなかった。

 そのことに気付いた『ジュノ』の女性陳がなんとかしようと考えてくれていたのだろう。

 ガルアも、だから大丈夫だって言ったでしょ、と言いたげに意味深な笑みを浮かべている。


「ありがとうございます」


 伏した顔を上げ、イリスはレビアに頭を下げた。


「いいって事。どうしてもお礼したいってんならさ、そいつを食べたい」


 レビアの視線の先には、マントの胸元から顔を出したコーキーの雛がいた。


「チンミは食べ物じゃありません」


 そういえば、イリスはコーキーの雛に"チンミ"という名前を付けていた。

 もともと、コーキーの卵が珍味だったわけだが。


 肉食動物が獲物を見据えるがごとく、チンミを見つめるレビア。そして、リサの肩の上には、もう一匹、クーちゃんも、その肉食獣としての本能剥き出しの目をチンミに向けていた。


 お前、大変だな。


 俺は、同情に満ちあふれた目で、無邪気に首を傾げるチンミを眺める。

 殺気に気付いたのか、イリスは、チンミをマントの奥に押し込み、胸元を閉じた。

 そして、結ってもらった髪の毛の団子を両手でポンポンと触り、ほんの少しだけ唇を緩ませていた。



          * * *



 すっかり暗くなった店の外で待っていると、支払いを終えたリサが出てきた。


「次行くぞ、次ー」


 ドルメンが俺とアシュリーンに支えながら大声を出す。

 その横では、壁に背を預けたレビアが大口を開けていびきをかき、アドリアが彼女の肩に頭を乗せて眠っていた。


「リサ、あそこ行くんでしょ」


 ドルメンの巨体に振り回されながらアシュリーンがリサに言う。リサはすまなさそうに頷く。


「コイツラはあたし達で『ジュノ』まで届けとくよ」


 腰に手を当てて惨状を眺めるガルア。その横ではルキアがため息をついていた。


「ガルアさんにアシュリーンさん。それにルキア。いつもごめんなさい」


 彼女達だけで大丈夫だろうか。暴れるドルメンは俺でも抑えるので精一杯なのだが。

 ドルメンの向こうにいるアシュリーンを見てみると、口元を小さく動かして、なにやら呪文のようなものを唱えていた。

 それが終わると、今まで取り抑えることしかできなかったドルメンの体から力が抜けていき、彼はそのまま道路に座りこんでしまった。


 不思議そうにドルメンを眺める俺にアシュリーンが耳打ちする。 


「ソウルチェーン。専属契約を結んだ者にだけ裁定者が使えるものなの」


 もともとは、討伐現場で討伐人が錯乱状態に陥った時に、専属契約 ――この場合は、裁定者が討伐人に対してだが―― を結ぶことにより、裁定者が討伐人の精神状態に介入出来るものらしい。


 まあ、おとなしくなったのはいいが、大人三人をどうやって『ジュノ』まで運ぶのだろう。やっぱり俺も……

 とリサを見ると、彼女は首を振っていた。


「アルフレッドと、イリス、あなたたちにはあと少し付き合っていただきます」


 それでも、とその場にとどまる俺の服をルキアが引っ張っていた。

 俺より頭一つ低い身長の彼女は、酒で上記した顔で笑い、耳をピクピクと動かしていた。


「いつもの事なのです。専用荷車を呼ぶので大丈夫です」


 なるほど、そんな物があるのか。

 言われて回りを見てみると、通り過ぎる人達の向こう、立ち並ぶ居酒屋の軒下で空の荷車が置かれており、その横ではたくましい体格をした男がタバコをふかしている。

 なるほど、それ専用の職業の様なものがあるのだろう。


「じゃあ、行きましょうか」


 眼鏡をかけ直し、黒髪を翻したリサは、スタスタと歩き始めた。


「リサさん、どこに行くのですか」


 皆と離れてリサとイリスに追いついた俺が尋ねる。


「まだ宵の内、二次会みたいなものですよ」


 リサは含み笑いを見せて、酔い客を掻き分け、真っすぐ歩きつづけた。



          * * *



 飲み屋街を抜けると、閑静な住宅街に出た。

 ゲスターの説明を思い出す。おそらく、商貴族の館なのだろう。街路樹が並ぶ道沿いには、等間隔で街灯が設置され、立派な門構えの家が立ち並ぶ。


 その一角、リサは身長を超えるほどの白壁の間の脇道に入っていく。

 暗い小道をしばらく歩いていくと、ボロボロの木で出来た看板があった。

 文字は消えかけていたが、なんとか読み取れた。


『隠れ屋 御ノ坂』



          * * *



 それまでのレンガ造りの建物ではなく、木で出来た小屋のようなもの。それが鬱蒼と繁る林の中に見えてきた。

 所々にそれとなく置かれた石像からの淡い光りが、水で濡れた石の道を照らしている。


 暗闇の中、サラサラと小川が流れる音が聞こえる。 気がつくと、アーチ状に作られた橋を渡っていた。

 橋を越えると、小屋の入口にたどりつく。

 

 軒下から吊り下げられた明かりがぼんやりと入口を照らしている。

 ドアに代わり、そこには布製ののれんが掛けられていた。紫の布に小さく『みのさか』と書かれている。


「いらっしゃいませ」


 のれんを潜って出てきたのは、背の高い女性。筒のような服を着て、頭を不思議な形に結い上げていた。


「お連れ様はすでにいらっしゃってます。どうぞ」


 女性は上品に腰を曲げ、頭を下げると、片手で服の袖を抑えながら、のれんをフワリと開けてくれた。


 えもいわれぬ高級感。そして場違い感に戸惑いながらのれんを潜ると、靴をぬぎ、廊下に上がる。


 前を歩く女性の蝶々結びの腰飾りを見ながら廊下を進むと、彼女は引き戸の前で立ち止まった。


「ジュノ・フェリアネス・リフィア様。お連れの方が到着されました」


 部屋の中では、一人の男性が、胡座をかいて床に座り、チビチビと酒を飲んでいた。

 月明かりを凝縮したような銀色の髪。見上げた瞳も髪に合わせたような銀色。 年の頃は二十歳くらいだろうか。整いすぎた顔からは圧倒的な気品を感じる。


「私達の隊の所有者、ジュノ伯爵様です」


 リサは俺達に言うと、床に座り、ジュノに頭を下げる。

 俺とイリスもそれに習い、同じように頭を下げた。


「よく来てくれたね。新しい討伐人」


 これが、いわゆる貴族という種族の人間なのだろう。

 彼は小さなコップに入った酒を飲み干すと、俺達の方に身を乗り出して微笑む。


「貴族たる者、討伐隊の一つ位持っていないと様にならなくてね」


 ジュノ伯爵は言いながら、銀色の瞳をイリスに向ける。


「美しい人だね。イリスといったかな。どうだい、私の屋敷で働かないかい」


 前を見据えたままのイリスは首を振る。


「私は魔物を討伐するために皇都に来ました。屋敷勤めをするつもりはありません」


 きっぱり言い切るイリスの言葉に、ジュノ伯爵はフフッと上品にに笑ってみせた。

 彼は、鉛色の瞳を俺に向ける。


「アルフレッド君だったかな。君は、どうして栄光旅団を目指すんだい」


 俺は返答に困り、黙って彼の顔を見つめる。


 転生の事はあまり外で言わない方がいい。


 リグレットの忠告を思い出す。


「自分の力を試したいから」


 答えに嘘は無かった。自分の力が魔物に対して有効なのかどうか試したい気持ちは強い。


「そうかい。なかなか面白い新人達だねリサ」


 リサに視線を移したジュノ伯爵は酒を飲みながら嬉しそうに笑う。


「貴族というものも、こう見えてなかなか大変でね」


 ジュノはコップをテーブルの上に置く。テーブルの上には、美しく盛り付けされた魚の切り身が並んでいた。


「君達には精々頑張って魔物を討伐して、討伐隊『ジュノ』の名を高めてもらいたい」


 清々するほどの高圧的態度であった。

 住むところですら身分で完全に分離している皇都である。

 その身分制度の最上層に君臨する貴族。

 そう考えればこの高圧的な態度にも納得がいく。

 

 討伐隊『ジュノ』は、この伯爵に加護される事で成り立っているのだろう。

 

「有り難いお言葉でございます。今まで通り全力を尽くす所存でございます」


 離れて座るリサが再び頭を下げて言う。


「面白いねえ。リサ。僕はね、討伐隊を持つことが出来てほんとによかったと思うよ」


 ジュノ伯爵は言いながら、俺達の前に空の小さなコップを並べると、酒の瓶を持ち、透明な液体をゆっくりと流し込む。


「さあ、飲み給え」


 リサが入れられた酒を飲む様子を見てから、俺はコップに口を付けた。

 驚く程度数の高い酒だった。

 たった一口で、体中の細胞にアルコールが行き渡る感覚。


 俺達が酒を飲む様子を目を細めて眺めていたジュノ伯爵は、ゆっくりと立ち上がる。豪奢なマントを羽織った彼は、部屋の引き戸の前に立ち、戸を開けていく。

 

 引き戸の向こうには、淡い光でライトアップされた庭園があり、その向こうには、眼下にひろがる皇都の夜景が一望出来た。


「今宵は月が細い。気をつけて帰られよ」


 退出の合図なのだろう。リサが頭を下げるのに合わせて、俺とイリスも深々と頭を下げた。



          * * *



 街路樹の道路まできた俺は、やっと緊張を解いて息を吐いた。


「緊張させてごめんなさいね」


 そんか俺の様子をみたリサがクスクスと笑う。


「ジュノ伯爵の提案でね。出来るだけ本音が聞きたいから、内緒で来てほしいって言われてたの」


「それにしても、人が悪いですよ」


 口を尖らす俺を見たリサは、再び笑う。


「貴族の中でもジュノ伯爵は、新進気鋭だからね。会っといて損はないわよ。それにね」


 リサは、後ろ手を組んで歩き始める。


「人を見る目は本物。かわいらしい顔して恐ろしい人なんですよ」


 かわいらしい顔かあ。

 そんな事を感じる余裕は無かった。


 なんとなく嬉しそうに歩くリサの後姿を見ながら、俺は伯爵の鉛色の瞳を思い出して身震いをする。

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