11 初仕事は波瀾万丈 1
三話に分割しています。
まだ暗いうちから『ジュノ』を出発した俺とイリスは、リサから指示された通り、第三階層東地区の噴水広場に来ていた。
朝霧の中、広場に設置された噴水では、伝説上の生き物である龍の口から滔々と水が吐き出され、その音だけが辺りに響いている。
今日の依頼内容は、クルトーで行われている運河の建設現場を、担当の貴族が視察する護衛らしい。
魔物の出没を常時観測している皇領魔物観測局の話では、皇都からクルトーまでの間に魔物はいないとのこと。
教団の枢機卿委員会の諮問機関である観測局がいったいどのような手段で魔物を観測しているのかは公開されていないが、今までその観測結果に誤りがあった事はないらしい。
とはいえ、ビルドウルフを始め、魔物以外の野生生物が出没するかもしれず、また、貴族等に不満を持つ者や、盗賊集団に対応する事も仕事に含まれる。特にクルトーの運河建設では、巨額の設備投資に疑問の声を放つ者も多い。
噴水のヘリに座り、何となく町を眺めていると、濃い霧の中に、続々と討伐人が集合していることに気付く。
差し込む朝日の光に、霧が吹き消されていく。一人、また一人と滲んだ姿が鮮明になる。
人物の影は合計四つ。俺とイリスを入れれば六人の討伐人が集まったことになる。
それぞれは、同じ依頼により集まった事を意識しあいながらも、微妙な距離を保ち、お互いを無言で牽制していた。
「同じ依頼の討伐人なんだろうか」
噴水の淵から立ち上がった俺は、イリスの側に近寄る。
「さあ」
全く興味が無いように、首を振ったイリスは、巻き上げた髪の毛を指でつまむ。
俺達の右手には、軽鎧を身につけ、背中に大剣を背負った大柄の者、全身鎧に身を包み、長大な槍を背負った者。
左手には、黒髪長髪の人物が、腰に差した片手剣に手を掛け、その横では、やたらと細身の背の高い人物が腕を組んでいる。
俺は首を締め付けるヘッドギアのベルトを緩めながら、えもいわれね緊張感に背筋を伸ばした。
しばらくすると、霧の向こうから、ガラガラと車輪が道路を駆ける音が聞こえてきた。
見ると、豪華な装飾品を取り付けられたウロスが二匹、これまた豪奢に飾られた屋根付きの荷車を引いて現れた。
「この度は、我が主の依頼を受注していただき真にありがとうございます」
ウロスの荷車が止まると、荷車の横の扉が開き、中から、背の高い男性が噴水に集まる俺達の前に立つ。
「依頼内容は、ここよりクルトーの別宅、及び運河建設現場から再びここまでの間の護衛となります」
噴水の周囲に散会していた討伐人は、足元の荷物を拾い上げ、ぞろぞろと男性のそばに集まっていった。
「申し遅れました。わたくし、今回の依頼主であるイーサン・サンジェルス・ブランド伯爵様の執事、シュタンと申します。以後、主に代わり、皆様のお世話をさせていただきます」
深々と頭を下げたシュタンは、顔を上げると、鼻の下にはやした立派なクチヒゲをなでる。
討伐人とはまるで違う、しわ一つ無い黒い上下の服は、彼が上流階級の人物であることを表していた。
「さて、さっそくですが、クルトーまでの配置をお知らせいたします」
シュタンは言いながら、胸元から丸められた紙を取り出すと、大袈裟に背筋を伸ばして読み上げていく。
「まず、討伐隊『ルノア』のエイベリンさん、カフカスさん」
シュタンが名前を読み上げると、俺の右側にいた二人が前に歩み出る。
なるほど、あの二人が皇都最王手討伐隊『ルノア』の新人なのだろう。
最王手討伐隊というだけあって、その討伐人は一目見ただけでは到底新人には見えない。
大剣を背負った男性もさるものながら、もう一人の全身鎧から立ち上る迫力はただ者では無い。
「お二人には、御車の左右直近の警戒をお願いいたします」
『ルノア』の二人は頷くと、そのまま、ウロスに引かれた荷車の方へ歩き出す。
「続いて、討伐隊『エルクア』のアンデラさんとフェリペさん」
俺の左側から、二人の討伐人がシュタンのそばに近寄る。
アンデラという人が黒髪ね女性だろうか、軽鎧にも所々に花びらの模様が刻まれている。そして、腰に差した細長い鞘にも、花柄の模様が見えた。
一方、フェリペという男性は、痩せた体に、薄いローブを纏い、武器らしき物は持っていない。アドリアの様に魔法を主体とした討伐人だろうか。
「あなたがたには、御車後方の警戒をお願いします」
シュタンの指示に頷いた二人は、無言で荷車の後方に歩いて行った。
「最後に『ジュノ』のアルフレッドさんとイリスさん」
名前を呼ばれた俺とイリスは、足元に置いていた革袋を担ぎ、シュタンの元に近づく。
「あなた方は、先行です。常に御車が見えない位先行して下さい」
「でも俺達、あんまり道分からないですよ」
荷車の前に向かうイリスを見ながら、俺は紙を仕舞いかけたシュタンに尋ねた。
「クルトーまでは一本道ですから。町に着いた段階で集合していただきます」
おそらく街道を通るだけなのだろうが、後続が見えなくなるくらい先行すれば、もし何かあった時はどうすればいいのだろうか。
質問しようとすると、シュタンは思い出したように、手を叩き、俺に近づく。
「もし、何か異常があれば、これで後ろに知らせて下さい」
懐から手を出したシュタンの手の平には、おもちゃの様な簡単な作りの銃と小さな丸い玉が乗っていた。
「討伐人が討伐完了時に打ち上げる信号弾です」
信号銃と玉を受け取った俺は、しばらくそれを眺めた後、腰に信号銃を釣り、玉をズボンのポケットに入れた。
「一応、魔物は観測されていませんが、御車には司教様も乗られているので、心配はございません」
満面の笑みを浮かべたシュタンは、「お願いしますよ」と言いながら、俺の肩を叩き、御車に向かう。
革袋を担ぎ直した俺は、荷車の側を通り、随分先を歩くイリスを見る。
と、なにやら強烈な視線を感じた。足を止め、恐る恐る視線を感じる先を見る。
その視線は荷車の窓から放たれていた。じっと見てみると、窓枠一杯に脂肪に包まれた顔を張り付け、俺の方を凝視している男性が見えた。
彼は俺の視線を感じると、顔を赤らめて、片目を閉じてみせた。
そういえば……
今朝、出発前にリサからもらった忠告があった。
『これは噂なんだけどね』
前置きをした彼女は小声で言った。
『イーサン家は代々衆道だとか。特に若い討伐人が、ね』
衆道とはなんだろうか。
リサに聞いてみたが、顔を赤らめて教えてくれなかったが。
イーサンの粘り着くような視線を背中にビシビシと感じながら、俺はイリスの方に向かって走りだす。
* * *
晴れ渡った空に、どこまでも続く田園地帯。
街道は日陰を作る林を経由しながら、延々と続いていく。
まだ眠りについたままの皇都を速やかに抜け出し、俺達は疎らに人や荷車が行き交う街道をポツポツと歩いていた。
太陽はすでに直上にある。そういえば腹が減ってきていた。
「そろそろ昼ご飯に」
革の袋を背負い直した俺は、少し後ろを歩くイルスを振り返り立ち止まる。
後ろを歩いていたイルスは、すでに昼食としてガルアにもらったパンを口に運んでいた。
「もう食べてるんだね」
俺の言葉にコクリと頷いた彼女は、水の入った革袋を口に付け、喉を鳴らして水を飲み込む。
昼ご飯を食べるなら食べると言ってくれればいいのに。
俺も歩きながら、肩の袋を下ろし、中から、パンを包んだ紙袋を取り出す。
紙袋を開けると、中にはサラダと干し肉を挟んだ白いパンが現れた。
紙袋からパンを半分だけ取り出しかじりつく。サラダの水分がパンに染み込まないように塗られた香ばしい油が口の中に広がる。
革袋から水の入った小さな袋を取り出し、飲み口に口を付ける。
討伐人の仕事中とは思えない穏やかな空気が流れていく。
その穏やかさが、昨日から俺の中に沸き起こる不安感を煽っていく。
「イリスは、今まで魔物を討伐したことがあるの?」
パンを食べ終え、紙袋を丸めて革袋に入れた俺は、イリスを振り返る。
「魔物を倒した事はない」
イリスは口の回りにこびりついた油を拭き取りながら、俺を見て首を振った。
少しひっかかる返事である。俺は歩く速度を緩めて、イリスと並ぶ。
「倒そうとした事はあるけど」
言葉を切ったイリスは、俯いて足元を眺めている。
「全然敵わなかった」
自嘲するように、口元を緩めた彼女は、前を見ると、俺を追い抜かして歩き続けた。
つまり、魔物と対峙して負けたと言うことだろうか。
「あのさ、実は俺……」
昨日の事を話そうと彼女を見る。が、イリスは、ひたすらに前を向いて歩き続けている。その態度からは、この話はもうおしまいと言う気迫を感じた。
まあ、言いたく無い事もあるだろうけどさ。話くらい聞いてくれても。
ため息をつき、ふとイリスの方を見ると、彼女のマントの首辺りで何かが動いていた。
茶色くて丸い、間違いない。
「チンミ、連れてきたの?」
まさか仕事にペットを連れて来ているとは思わなかった。
思わずこぼした俺の声に、イリスは立ち止まり、肩から顔を出したチンミに視線をやる。イリスに頭を撫で付けられたチンミは、気持ち良さそうに目を細め、体を膨らませていた。
「うん。これは非常食」
チンミの頭を撫でた彼女の発言に俺は言葉を失う。
「嘘。冗談」
ポカンと口を開けてたたずむ俺を残して、彼女はスタスタと歩き始める。
肩から下ろしたチンミを両手で包む彼女の肩が、心持ちピクピクと動いているように感じる。
弱気な発言をしようとした俺を慰めてくれた、のか? まさかね。
でも彼女が冗談なんて言うとは思いもしなかった。
今まで見たことの無いイリスの一面を見れた気がして、俺は少しだけ嬉しくなった。
* * *
太陽が傾き始めると、次第に街道を歩く人が減り始める。
皇都とクルトーは街道を歩けば、ほぼ半日で片道を歩く事ができる。
街道といっても、すべてが平坦な田園地帯をまっすぐと延びる道ではない。こんもりと木々が覆い繁る森の中、急峻な崖に彫り込むように作られた場所もある。
そうした人の手が入りにくい場所、言い換えれば、街道全体に掛けられている魔物や野生を追い払う魔術が薄い箇所がどうしても出来てしまう。
「なにかおかしい」
前を黙々と歩いていたイリスが足を止めたのは、薄暗い森の中だった。
イリスの側に駆け寄った俺は、腰に差した剣の柄に手を掛けて辺りを伺う。
あの時と同じだった。
今まで聞こえていたはずの、鳥のさえずりや虫の泣き声がピタリと止み、深い森の中には不穏な緊張感が漂い始める。
「ビルドウルフ。右に二匹。左に一匹」
瞳の動きだけで辺りを見回したイリスがつぶやく。
「私は右を。あなたは左の一匹をなんとかして」
言うが否や、剣を抜き出しながら彼女は右手の茂みに向かって走り出す。
彼女の体全体から紫色の炎が沸き上がっていた。
「やー!」
気合い一閃。振り抜いた彼女の剣の軌跡に、灰色の体毛を逆立てたビルドウルフが茂みから飛び出す。まるで彼女の剣に吸い込まれるように。
頭部に致命傷を負ったビルドウルフは、血飛沫を撒き散らしながら、地面に転がる。
相変わらず惚れ惚れする美しい剣技だった。野生生物と対峙しているというよりは、踊り子が音楽に合わせて、剣の舞を踊っているよう。
…… 見とれている訳にはいかない。
生唾を飲み込んだ俺は、イリスに背を向けて、左手の茂みに体を向けた。
確かに茂みの闇の向こうに巨大な生物が息を潜めているのは分かる。
はやる鼓動を抑えるために、大きく息を吸い、剣を抜こうと力を入れた時、茂みの闇が弾けた。
剣を構える時間は無い。
俺は両足に力を入れ、鞘から剣を抜き出し、その闇に向かって剣を振るう。
木漏れ日の残像を残した剣は、飛び出したビルドウルフの右側面の皮膚を切り裂いていく。
うめき声を上げながら、俺の横に倒れ込むビルドウルフを避けながら、片手で握る剣の軽さと切れ味に驚く。 今までの素振りや、昨日のドルメンとの稽古の時とは明らかに違う。
いったい……
滑らかな光を照り返す剣を眺めていた俺は、横たわっていたビルドウルフがヨロヨロと立ち上がっている事に気付いた。
右半身を血だらけにしたビルドウルフに向けて剣を構える。
牙を剥き出し、俺に向かって飛び掛かるビルドウルフだったが、先の一撃が効いているのか、そのスピードは明らかに遅くなっている。
糸を引く牙の一本がはっきり見える位まで引き付けて、その腹に向けて一気に剣先を切り上げる。
ビルドウルフの肋骨に剣が当たり、鈍い音と衝撃が手首に伝わった。
いつの間にか、いつも通りの切れ味と重さになっている。
肩当てにしていた金属のプレートにビルドウルフの牙がぶつかり、不快な音を立てていた。のしかかるような力で肩が押し込まれていく。
一瞬、昨日のドルメンの姿が思い浮かぶ。
ビルドウルフが左肩に噛み付き、押し込んでくる力を利用して、左足を軸に体を半回転し、そのままビルドウルフの腹に当てた剣を切り上げていく。
力一杯、思いっきり叫びながら振り抜いた剣は、ビルドウルフの堅牢な肋骨を粉々に砕き、内蔵を潰していく。
肩に食い込む牙が力を失い、ビルドウルフは口から大量の血を吐き出して地面に転がった。
血だまりに沈むビルドウルフを見ながら、荒ぶる呼吸を整えた俺は、ふとイリスの方を振り返る。
バラバラに切り刻まれた二頭のビルドウルフの死体の中、イリスは肩を揺らして立っていた。
よかった。
安堵の息をついた俺は、地面に突き立てた剣を杖がわりにして、地面に両膝を付いた。
「肩、大丈夫か」
剣にこびりついた血糊を払ったイリスは、鞘口に剣先を納めながら言う。
俺は、彼女に言われて初めて左肩の痛みに気付いた。金属のプレートのお陰で骨には異常がなさそうだが、皮膚にはくっきりとビルドウルフの歯型が刻まれていた。
「ちょっと待ってろ」
剣を納めたイリスは、道路にほったらかしにしていた革袋を拾い上げて、俺のそばに下ろした。そして革袋の中から白い布を取り出す。
折り畳まれた布を広げた彼女は、俺の左肩にそれを器用にきつく巻き付けていく。
肩を動かしてもずれ落ちないように結び目を作った彼女は、俺の肩に顔を近付けて、歯で余った布を噛きった。
すぐそこまで迫るイリスの真剣な表情に、思わず俺は鼓動を速めてしまう。
彼女が布を巻いてくれた左肩が急に熱を持ち、痛みが引いていく。
これが回復布の効果なのだろう。
「ありがとう。もう大丈夫そう」
左肩を二三度グルグルと回した俺は、イリスを見上げる。
ビルドウルフを撃退したにもかかわらず、彼女は緊張した面持ちで辺りを眺めていた。
「まだいそう?」
「しっ、黙って」
立ち上がり、剣を鞘に納めた俺は、目を閉じるイリスにならい、辺りを見回す。
「おかしい。さっきまで周りに数匹いたのに」
「びっくりして逃げちゃったとか」
目を開けたイリスは激しく首を振った。
「ビルドウルフは仲間意識が強いから、仲間がやられたなら襲ってくるはずなのに」
しかし……
俺とイリスの周りには、変わり果てたビルドウルフが三匹転がっている。
やっぱり怖くなって逃げ出したんじゃ。
確かにイリスの言う通り、いまだ森は異様な閉塞感に包まれているような気はするが。
森の梢が風で揺れた。
俺とイリスは思わず空を見上げる。
街道を覆う梢の向こう、午後の穏やかな青空に巨大な紫色の翼が見えた。
徐々にこちらに近付くその翼の持ち主は、鳥ではなく、恐ろしく巨大なビルドウルフだった。
クルトーから皇都に向かう途中に見たことを思い出す。
「魔翼獣スカイウルフ」
つぶやいたイリスは、震える手で腰の柄に手を掛けた。




