第8話 世界に復讐を
ルビエスタ王国の進軍が、夜明け前の静寂を切り裂いた。王都ゼノシリアを包囲するように展開する数万の軍勢。その中央で、異端の聖騎士オルカニスが杖を掲げた。
彼が放つのは、聖なる癒しの魔法を反転させ、細胞を強制活性化させて爆発させる「崩壊の祝福」である。
オルカニスの周囲には、すでに死亡していたはずのルビエスタ兵たちが、白濁した瞳を光らせて整列していた。彼らの身体はオルカニスの聖光によって半永久的に修復され続ける。殺しても、腕を切り落としても、数秒後にはまた再生して向かってくる。
それは軍勢というより、終わりのない悪夢の具現化だった。
「さあ、ゼノス! 貴様の支配に終焉を告げよう。我が影の聖光で、この国を聖なる墓場に変えてやるッ!」
オルカニスの咆哮と共に、天から降り注ぐような魔法の嵐が始まった。無数の光の矢がゼノシリアの防壁を叩く。
着弾のたびに周囲の兵士が肉片となって弾け、その肉片さえもオルカニスの魔法で新たな死兵として再構築される。
対するゼノシリア防衛線では、キスタが精鋭部隊の先頭に立っていた。彼は女神の加護をその身に宿し、聖剣を掲げる。
「ゼノス様の箱庭に、泥足で踏み入るな。……お前たちの腐った光など、僕の剣で拭い去る!」
キスタの剣技が空間を裂いた。彼の剣から放たれるのは、純粋な信仰から生み出される「断罪の光」。
オルカニスの放つ死の波動とキスタの聖光が激突し、王都の入り口で凄まじい閃光が渦巻く。光と光の衝突により、大気が震え、周囲の建物が粉塵となって消滅した。
魔法の火花が戦場を彩る。キスタは広域治癒魔法を絶え間なく展開し、負傷したゼノシリアの兵を即座に再戦可能な状態へ引き戻す。
キスタがいなければ、ゼノシリアの防衛線は一瞬で崩壊していただろう。まさに、ゼノスの右腕としての役割を完璧にこなしていた。
しかし、その光の乱舞の向こう側、戦場の最前線に一人の男が立っていた。ルビエスタ軍の中でも異彩を放つ、東方の島国より来たりし孤高の剣士――シオン。
彼は西洋の甲冑を纏った騎士たちとは一線を画す、漆黒の簡素な羽織を纏っていた。腰には、月光を吸い込んだような鈍い輝きを放つ太刀が差されている。
魔法が飛び交い、肉体が弾け飛ぶ地獄の戦場において、彼だけが静止画のように動かなかった。
「……汚らわしい」
シオンが呟いた。
彼の目には、オルカニスの魔法も、キスタの聖光も、武道に対する冒涜として映っていた。
シオンがゆっくりと歩き出す。一歩踏み出すたびに、彼を中心とした半径数メートルの空間から、魔法の気配が「消滅」していく。彼の纏う「気」が、異界の力である魔法を拒絶し、無効化しているのだ。
「邪魔だ! シオン!」
オルカニスの叫びに、蘇生した死兵たちがシオンに向かって殺到した。シオンは目をつぶったまま、太刀の鞘に手をかけた。
――刹那。
鞘走る金属音が、戦場のあらゆる轟音をかき消した。彼が居合を解いた瞬間、シオンの周囲を埋め尽くしていた数十体の死兵が、同時に上下二段に切り裂かれた。
切断面からは光も肉も溢れず、ただ真空の如き静寂が残る。彼らの再生能力すらも、「次元そのものを切断する」というシオンの剣技の前では無力だった。
「魔法に頼る者は弱い。……剣に魂を込められぬ者は、ただの木偶の坊だ」
シオンの視線が、玉座の塔を見上げる。
その瞳には、ゼノスの放つ禍々しい怨撃の気配が映っていた。東方の侍にとって、ゼノスが体現する「拳の支配」と「怨念の力」は、討つべき最高位の邪教そのものだった。
玉座の間で、ゼノスはエリスの肩に手を置きながら、その光景を冷ややかな笑みで見下ろしていた。
キスタとオルカニスの前哨戦、そしてシオンという異分子の出現。全てが予想を超えていた。
「……噂には聞いていたが、あそこまで『無』に近いとはな」
エリスは無言でゼノスの腕に顔を埋めている。彼女の意識はゼノスの支配下にあり、戦場の惨劇など何ら関知しない。
ただ、ゼノス様が愉しんでいるという事実だけが、彼女にとっての全てだから。
ついに、彼が動く時が来た。盤上の駒がこれ以上ないほどに熱を帯びた今、王自らが見物席から降りる時だ。
「キスタがオルカニスの死兵に手こずっている。……シオンがこちらに気づいたな。あれを捌けるのは、今のところこの国では俺だけだろうな」
ゼノスの歩みとともに、王都全体が重圧に支配される。魔法の嵐が吹き荒れる戦場へ、一人の支配者がゆっくりと、しかし確実に歩を進める。
戦鬼アーシュノルドの軍勢、異端の聖騎士、そして東方の侍シオン。それら全てを、ゼノスの拳がどう飲み込んでいくのか。
一つ確かなのはシオンの一閃が戦場のルールを根本から変えたことは、誰の目にも明らかだった。
ゼノスは城の門を通り抜け、戦場の中心地へ向かう。彼の背後に従うのは、精鋭部隊の騎士たちではない。彼がかつて蹂躙した者たちの絶望の記憶と、自らの拳に宿る禁忌の怨撃。
「待たせたな、……地獄へ、ようこそ」
ゼノスが戦場に足を踏み入れた瞬間、あらゆる魔法の轟音が止んだ。ただ、彼の歩く音だけが、広大な戦場に規則正しく、残酷に響き渡った。
奇跡も、矜持も、運命も、すべてがゼノスの「怨撃」という名の下に沈むのだ。




