牛すじの赤ワイン煮込み
「え、ロゼッタ、まかない、いらないのか……?」
「うん……。本当は食べたいよ。でもルグス様と約束があるから」
忙しい週末初日の「キャンディタフト」の営業を終え、急ぎ「ザ シークレット」の開店準備をし、デグランのまかないタイムとなった。デグランは牛すじの赤ワイン煮を密かに作っており、それを赤ワインと共に、食べさせてくれることになっていた。でも花より団子とはならず、まかないよりルグス様になるのは……恋する乙女なのだ。仕方ない。
「ロゼッタがルグス様と出掛けるなら……バートン様が来るのかしら?」
私が尋ねるとロゼッタは、首をふるふると振る。
「お兄ちゃんは街の集まりがあるから、しばらく夜は顔を出せないって言っていました。あ、『キャンディタフト』の手伝いはちゃんとできるので、安心してください!」
私がカフェをオープンさせてからずっと。
デグランのまかないを、ロゼッタもバートンも楽しみにしていた。
その日常が崩れつつあることに、猛烈な寂しさを感じる。
そこでハッと気づく。
ここ連日、取り残されたデグランは、きっとこんな気持ちになっていたんだ。
ごめんね、デグラン。
寂しかったわよね。
でも大丈夫。
私は変わらず、ここにいるから。
「デグラン様。バケットも焼けたので、食べましょう!」
「そうだな。じゃあロゼッタ、気を付けて。バートンにもよろしくな」
「はーい! ではお先に失礼しまーす!」
ロゼッタを見送り、席に着こうとすると「あの……」という声が聞こえ、慌てて振り返る。
店の入口に見えたのは、ダークブラウンのおかっぱ頭に琥珀色の瞳、ドロシーだ!
「ドロシーさん! どうしました? あ、よかったら一緒に、デグラン様のまかない、食べますか!?」
「! それは有難い申し出です。ぜひいただきたいのですが……。この後、予定がありまして。ごめんなさい!」
突然のお誘い。予定があって無理は、仕方のないこと。すぐに話題を変える。
「今日は、どうしました?」
「あ、手紙をいただいた件の、お返事を伝えようと思いまして」
この世界、電話もスマホもインターネットもないわけで。
手紙では時間がかかるとなると、誰かに言付けを頼むか、直接訪問するしかない。
「! それは月曜日の件ですね?」
「はい! ぜひ、同行させてください。まさか東方の料理を出している方に、私の陶磁器を採用していただけるなんて……。これも全部、ナタリー様や皆さんのおかげです。本当にありがとうございます!」
「いえいえ、これも全部、ドロシーさんの実力の結果ですよ。私はただ、橋渡しの場を提供したに過ぎません。何より、阿闍梨様と知り合うきっかけはアレン様……サンフォード副団長様が作ってくれました。彼と会うことがあれば、ぜひ御礼を伝えてあげてください」
アレン様に手紙を届けたものの、返事はまだ、受け取っていない。でも帰宅したら、屋敷に届いているだろう。
「! そうだったのですね。勿論、御礼させていただきます!」
ドロシーはそう言った後、「気分転換に作ったペーパーウェイトです。よかったらどうぞ」と、なんと手の平サイズのガラス製の雪ウサギを、プレゼントしてくれたのだ。
グリーンの葉の耳、赤い瞳もちゃんとガラスで表現されており、可愛らしい。
「これもタンモノに描かれていたんです。雪の中に描かれていたので、きっと東方では、雪でこれを作るのかもしれません」
「ドロシーさん、正解だと思います! これ、絶対に売れると思いますよ。このカウンターに飾りますが、令嬢やマダムが『可愛い! 欲しい!』となるかと。よかったら時間がある時に、沢山作っておいてください。……阿闍梨様の件といい、これからドロシーさん、大忙しですよ」
「わあ、ナタリー様、嬉しいです。本当に……ありがとうございます!」
こうしてドロシーが店を出て行き、改めてデグランと乾杯し、牛すじの赤ワイン煮込みを口に運ぶ。今日一日がかりでコトコトと煮込んだだけあり、肉の旨味が存分に出ている。濃厚で、赤ワインの風味もしっかり効いていた。牛すじと言うが、もはや筋っぽさは感じられず、にんじんもとても柔らかい。
この一品料理とワインだけで、店を開けそうだった。
「パンケーキの甘い香りで誤魔化しながら、こっそり作っただけあるな。我ながらこれは、よくできたと思う。たたき売りされていた安物肉を使ったが、そうとは思えないだろう?」
「思えませんよ。これ、国王陛下夫妻も泣きながら食べてくださると思います。……というか、出張で料理を作りに、王宮へは行かないのですか?」
「行くよ。店休を見計らって、行くつもりだけど……。あ、そうそう。そうか。そうだな。……マルティネス侯爵令嬢が招待してくれた婚約周年祝いパーティー。あれな、すまないけど俺、別行動するわ」
この言葉を聞いた瞬間。
牛すじの赤ワイン煮込みの美味しさに、ぽかぽかと温まっていた心が凍り付く。
そして思い出してしまう、あの朝の貴婦人。
もしかするとデグランは……あの貴婦人を同伴し、婚約周年祝いパーティーに行くつもりなのでは? そこでみんなに「俺の婚約者だ」と発表するのでは?
――「諦めるしかないでしょう。好きなお相手の幸せを願う。そういう決断も、時に必要です」
双子の令嬢へのアドバイスが、脳内でリフレインする。
好きな相手だからこそ、幸せになって欲しいと願う……。
唇をきゅっと噛みしめる。
デグランに、あの貴婦人は誰なのかと、聞きたいと思っていた。
今はまさに、チャンスだった。
でも……もう尋ねる気持ちはなくなっていた。
「ナタリーお嬢さん」
「!」
「時々さ、そうやってなんとも思いつめた表情、するよな」
これにはドキッとしてしまう。
なるべく顔を下に向け、皆に気づかれないようにしているのに。
でも、今はデグランと二人きりだし、隠しきれないよね……。
「ナタリーお嬢さんは、強い女性だと思う。政略結婚から逃げるため、カフェを開いてしまうくらいな。自分の力でなんとかしようとする。それは立派だと思うし、とても尊敬できるよ。でもさ、なんでもかんでも一人で抱えると、疲れるだろう? 時には肩の力を抜いて、頼ってくれよ。これでも巨大なクマを捌いたり、こんな大きなマグロを捕まえたり、寸胴鍋だって一人で持つから、ちょっとやそっとの力では、揺らいだりしないからさ」
あ、ダメだ。
泣きそう。
こんな優しい言葉、今、デグランに言われたら……。
ツンとする鼻の奥に涙を感じ、必死に笑って誤魔化す。
「マグロって……それ、私より身長ありそうですよ。捕らえた後、どうしたんですか?」
「あー、それな」
甘くてほろ苦い時間が流れる――。
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くすっと笑えるようなコミカルでかわいい、けれど公爵様素敵♡となれるような作品です。
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