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49 「貞盛朝臣児干を取る」

 貞盛(さだもり)から全員が(うたげ)に誘われたが、古能代(このしろ)が辞退し、それに伴って夜叉丸(やしゃまる)秋天丸(しゅてんまる)も辞退した。


 千方は、せっかくだから受けるように古能代(このしろ)を説得しようとしたが、ほっとしたのは朝鳥である。 


 千常(ちつね)からの(めい)が有るので、気を緩められないし、万万が一にもそんな事態が起きることは何としても避けたかった。


 (うたげ)の席では、貞盛(さだもり)は、昼間とは打って変わって愛想良く振る舞った。 


 千方に幼少の頃の話を聞いたり、朝鳥とは、秀郷(ひでさと)の近況、北山の戦いの昔話などをしたりしながら、陽気に盃を重ねた。


 千方は興味深げに二人の話を聞き、あれこれと質問をしていたが、将門(まさかど)の最期の場面に付いて尋ねた時、ほんの一瞬、貞盛(さだもり)と朝鳥の間に緊張が走ったことには全く気付かなかった。


「千方殿。戦場というのものはな、混乱しておる。皆、極度に緊張し普段とは別人のようになっておるものじゃ。

 多くの矢が飛び交う中、或いは、将門(まさかど)を殺したのは、麿の矢では無く、流れ矢であったかも知れぬな」


 少し(おど)けた様子で貞盛(さだもり)が言った。


「何の! そのようなことは絶対に御座いませぬ。将門(まさかど)を殺したのは、(たいらの)朝臣(あそん)・太郎・貞盛(さだもり)様の矢であると、手前主人も見届けておりまする」


 朝鳥が向きになって否定した。


「ふふ。そんなことも有るかも知れぬということよ。…… これは絶対に他言無用じゃが、実は麿は将門(まさかど)が怖くてな。

 射た瞬間目を瞑ってしまったので、当たったかどうか見ておらんのよ。ふっはっはっは」


 貞盛(さだもり)がいかにも陽気そうに笑った。


「お(たわむ)れを。陸奥守(むつのかみ)様がこのように可笑(おか)しきことを申されるお方とは、この朝鳥全く存じませんでした」


 そう言った後、朝鳥は素早く話題を変えた。


「六郎様。手前聞いた処では、今でもそうですが、陸奥守(むつのかみ)様は若き頃、それはそれは良き男振りで、都に()った頃は、あちらの姫、こちらの姫からの(ふみ)が引きも切らず、昼はお勤め夜は姫様方のお相手で眠る間も無かったとのことで御座います」


「これ朝鳥、見て来たようなことを申すな。

 千方殿が本気にするではないか」


(うらや)ましい限りに御座います」


 千方が言った。


「ふん。(らち)もない。噂じゃ、噂。(たれ)が言い出したものであろうかのう?」


他人(ひと)に褒められた時は、何故なにゆえ褒めるか考えよ。必ず思惑が有る』


 千方は祖父・久稔(ひさとし)の言葉を思い出していた。 


 とすると、朝鳥の思惑とは何だったのか考えてみたが、分かりはしない。只、朝鳥が、なぜか将門(まさかど)の話題から離れようとしたことにだけは気付いた。


 一方朝鳥は、貞盛(さだもり)が根は真面目で、器用そうに見えて案外不器用なところが有る男だと思った。


 そして、あの北山の戦いで見た郎等姿の男が古能代(このしろ)であり、将門(まさかど)を殺したのも古能代(このしろ)であると確信した。


 その秘密に貞盛(さだもり)は今も苦しんでおり、秀郷(ひでさと)と千常は、例え古能代(このしろ)を殺してでもその秘密を守ろうとしている。

 北山で見た男が古能代(このしろ)であること、なぜか祖真紀(そまき)親子がそれを隠そうとしていたこと、喉に物が(つか)えたような千常の(めい)の意味、それらが繋がって全てが理解出来た。


    

 千方主従の挨拶を受けた時、古能代(このしろ)の顔を見て、居室に戻った貞盛(さだもり)は苛立っていた。


 爪を噛みながら秀郷(ひでさと)の思惑が何なのかあれこれと考えていたが、結論は出ない。


 貞盛(さだもり)はいつか、将門(さだもり)に語り掛けていた。


『小次郎。(なれ)は天下の謀叛人として死に、麿は今、鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)陸奥守(むつのかみ)の職に在る。(なれ)は敗れ、麿は勝者と成った。


 だが、果たしてどちらが幸せ者なのであろうかな? 本当の麿は、あの時、北山で、(なれ)と共に死んだのかも知れぬ。今の麿は何か仮初(かりそめ)の命を生きているような心持ちなのだ。己が己で無いような不安にいつも(さいな)まれている。

 そして、時々それに耐えられなくなり、周りの者に、必要以上に厳しく当たってしまうのだ。あれほど他人(ひと)の思惑に気を使っていた麿がだ。


 嫌われておろうな。分かっておる。分かっているがどうにもならぬのだ。都では(なれ)に『他人ひとの気持ちを考えろ』と、偉そうに説教もしたな。笑えるわ。


 都に在った頃のまま死んだのであれば、(なれ)もさぞかし無念であったろうが、短い間とは言え、(なれ)は、やりたいことをやり、(なれ)らしく生きたではないか。


 (こころざし)(なか)ばで無念の思いで死んだに違い無いとひとは言うが、(みかど)として(まつりごと)を長く行うなどと本気で考えておった訳ではあるまい。

 もし仮に、そんなことに成っていたとしたら、それこそ(なれ)は、今の麿以上に(うつうつ)々とした日々を過ごさねばならなかったろう。


 (まつりごと)とは、腹の探り合い、駆け引きだ。そんなことが出来るような(なれ)ではなかろうが…… 。

 (なれ)が出来る駆け引きは、戦場での駆け引きだけだ。興世王(おきよおう)辺りに良いように操られるのが関の山だったろうよ。 


 (なれ)(なれ)らしく生き、良い時に死んだのだ。今でも(なれ)の武名は坂東中に鳴り響いており、密かに(なれ)を慕う者も多いと言う。


 人の人生とはその長さでは無いな。生き(ざま)だ。麿は(いま)だ悔い多く生き延びておるわ。やれる限りのことをやったのだから、(なれ)に悔いは無かったと麿は思うておる。


 だから、都の公卿(くぎょう)らが、(なれ)の祟りに(おび)え、やれ祈祷だの、やれ供養だのと騒いでいるのを見ていたら、可笑しくて仕方無かったぞ。もちろん外面(そとずら)は神妙を装ってはおったがな。


 (なれ)には、あの時の麿の声が届いておったか? 


(まこと)(なれ)が怨みを残し怨霊となっているのであれば、まず麿を殺せ。将門(まさかど)射殺(いころ)したのは平貞盛(たいらのさだもり)であると世間も言うておるであろう』


 そう言ったのが、(なれ)には届かなかったのか? 麿はまだ生きておるぞ。 


 (もっと)も、(なれ)は己が何故(なにゆえ)死んだのか分かっておらぬかも知れんな。

 何しろ、確かに麿の放った矢を払い落したと思った瞬間に死んだのだからな。分からぬであろう。だが、分からぬままで良い。(なれ)を殺したのは麿だ。


 麿もいずれそちらに行く。だが、小次郎、もう、追い回わすのはやめてくれよ。(なれ)は本当にしつこいからな。それだけが案じられる。


 それにしても、(なれ)大虚(おおうつ)けじゃ。戦場で(かぶと)を脱ぎ捨てるなどという(うつ)け者は、どこを探してもおらぬぞ。


 (なれ)がいかに強くとも死ぬに決まっておろうが……。いずれ(まみ)える時には、『大虚おおうつけめが!』と罵ってくれるわ。|

 なれは麿を『臆病者めが!』と罵るであろうな。


 小次郎。なぜか知らぬが、今、麿は、(なれ)に会いたいぞ。そして、笑って話したい』


    

 将門(まさかど)に語り掛けているうちに、貞盛(さだもり)の心は落ち着きを取り戻し、ほんの少し、昔の己に戻れたような気分になっていたのだ。


 そんな訳で、(うたげ)の席に現れた時の貞盛(さだもり)は落ち着いていた。


 翌日千方達は、貞盛(さだもり)の郎等の案内で多賀城(たがじょう)内を見て回った。


 多賀城(たがじょう)には実に色々な者達が住んでいる。


 貞盛(さだもり)の郎等、国府の役人、それらの従者(ずさ)、医生など。鎮兵、元浮浪人などの入植者、自ら進んで入植した坂東の土豪達も居る。職人、蝦夷(えみし)との交易を生業(なりわい)とする者など雑多だ。


 国衙(こくが)国司(くにのつかさ)の住む舘を除いては、建物は殆ど竪穴式住居である。その茅葺屋根(かやぶきやね)(わら)ボッチのように広がっている。


「政庁をご案内します」


 郎党が先に立って大路(おおじ)を北に進む。南門は高見に位置しており、角に石を埋め込んだ広い階段を上がって行く。

 そして南門を潜り、正殿、脇殿を見て回った。国衙の正殿はそれほど大きくは無い。郎等に寄ると、この正殿前の広場では、蝦夷(えみし)が朝廷に忠誠を誓う儀式が行われるのだと言う。


 陸奥守は(みかど)の代理として正殿内から謁見(えっけん)し、貢物(みつぎもの)を受け、その見返りとして下賜品(かちょうひん)を与える。言わば、儀式化された交易だ。


「冬はさぞかし寒かろうな」


 千方が郎等に尋ねた。


「そりゃもう、この辺りはまだましですが、更に北へ行くと、坂東の冬とは比べ物になりませぬ。

 雪が積もって、辺り一面埋まります。でも、案外雪の中というのは寒く無いもので御座いましてな。雪穴を掘ってその中に居る方が暖かいので御座るよ。坂東の(から)っ風の方が骨身に(こた)えるようになります」


古能代(このしろ)胆沢(いさわ)という所はもっと北であろう」


「はい。山中に出たりすれば、一面真っ白で方向も分からなくなります」


「良くそんな所で生きられるものじゃな」


「人はどんな所ででも生きまする。(けもの)が生きられる限り、人も生きて行けるので御座いますよ」


 そう言ったのは朝鳥だ。


古能代(このしろ)胆沢(いさわ)に行くのか?」


「その前に、衣川(ころもがわ)という所に参ります。そこに妻子がおりますゆえ」


衣川(ころもがわ)か…… 古能代(このしろ)も父親なのだな。子は幾つになる?」


「上は七歳、下は五歳になります」


「全く知らなかったな。…… 早く会いたいか?」


「はい」


「親とはそうしたものなのであろうな、本来」


 千方がぽつりと言う。


「本来? …… 大殿もそうであったかどうかとお考えですか?」


 そう言ったのは朝鳥だった。


「う? そういう訳ではないが……」


 珍しく、千方が曖昧な態度を見せる。


「親とはそうした者で御座いますよ。大殿もきっとそうだったに違いありません」


「済まぬ。朝鳥は子を失っておったのであったな」


「お気遣い頂きまして有難う御座います。ですが、お気遣いには及びません。悲しみは次第に薄れて行くもので御座います。そして、良き思い出のみが心に残っておりますゆえ」 


 丸一日城内を見て回り、千方一行は夕刻、貞盛(さだもり)の舘に戻った。


「いや、本日は(たて)殿にはお忙しい処をわざわざ我等の為に、丸一日潰してご案内を頂き、誠に有難う御座った。

 下役の者でも良かったのに、一の郎等である(たて)殿にご案内頂いたこと、陸奥守(むつのかみ)様の格別なご配慮と思うて、我が(あるじ)・千方も感激しております」


 戻り掛けた館諸忠(たてのもろただ)を追って回廊に出た朝鳥が、丁寧に挨拶した。


「何の、(さきの)鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)様のご子息とあらば、我が(あるじ)に取っては賓客。当然のことで御座るよ」


「お心遣いかたじけない。(たて)殿も色々とご苦労の多いことで御座ろうな」


「殿のご機嫌を取りながら色々やって行くのは、中々、骨の折れることでござるよ。ははっは。…… 単に麿の(うつわ)が小さいということでしか無いがな」


 館諸忠(たてのもろただ)はそう言って自嘲気味に笑った。その言い方に、朝鳥は違和感を覚えた。


 朝鳥は、こんな辺境での勤めは大変だろうと言う意味で言ったのだが、諸忠(もろただ)が答えたのは、貞盛(さだもり)に仕えることの大変さに付いてであったからだ。


『冗談混じりとは言え、赤の他人である自分にそんなことを言うということは、この男、貞盛(さだもり)に対し、相当の不満を持っているか、或いは怨みを抱いているのではないか?』


と直感的に感じたのだ。


『単に、一の郎等の気遣(きづか)いの大変さを、同じような立場にある自分に、冗談めかして同意を求めただけなのだろうか? しかし、己であれば、決してそんな真似(まね)はしない』と思った。

 

 貞盛には異常行動の逸話が有る。


 陸奥守(むつのかみ)鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)の任に就く前の丹波守(たんばのかみ)であった頃の説話として、異常な行動が今昔物語集(巻二十九の二十五話 「貞盛朝臣児干を取る」)に収録されている。


 貞盛は、丹波守(たんばのかみ)在任中に任国で悪性の(かさ)を患った。

 (かさ)とは 皮膚の出来物、()れ物、又は傷の治り(ぎわ)に出来る瘡蓋(かさぶた)のことを言う。


 さる名医を都から呼び診させた処、胎児の(きも)で作った児干(じかん)という薬でないと治らないと告げられた。

 しかも、作られてから日が()ったものでは駄目だと言う。医師はそれが矢傷によるものだと見抜いたという。

 児干(じかん)を求めていることを絶対に世間に知られてはならないと貞盛(さだもり)は思った。  


 貞盛(さだもり)自身がそう思っていなくとも、将門(まさかど)の祟りを恐れる都の公卿(くぎょう)達にその噂が伝われば、巻き添えを食うことを恐れて、貞盛(さだもり)の昇進に二の足を踏むという恐れが有るからだ。


 世間に噂が漏れることを恐れた貞盛(さだもり)は、 息子の左衛門尉(さえもんのじょう)(息子達の内の誰なのかは不明)の妻が丁度懐妊していたので、その子をくれと頼む。


 この辺が当時としても異常と思われる部分であったのだろう。


 左衛門尉(さえもんのじょう)は仰天し、茫然としたが、父の(げん)(そむ)くことも出来ず承知する。


 しかし、医師の(もと)を訪ね、泣く泣く子細(しさい)を語り、良い策は無いものだろうかと相談する。

 医師も責任を感じ、自分の血を分けた者の(きも)では薬にならないと貞盛(さだもり)に告げてくれた。


 このことからも、胎児の(きも)(内臓)で薬を作ること自体が世間の批判を浴びることでは無かったことが分かる。


 困った貞盛は急いで妊婦を探すよう家来に命じる。炊事女が妊娠していると分かり、早速その腹を割ってみたら女児だった。医師は男の子の(きも)でないと効かないと言うので、それを捨てさせた。

 何ともおぞましい話だが現代とは感覚が違うのだ。


 そこで、また改めて探し求め、男児の(きも)を得ることが出来、貞盛(さだもり)は命を取り止めたという。


 それが誰の子だったかということには、作者は全く関心を払っていない。


 そして、この物語の山場はその後に有る。

 貞盛(さだもり)は、このことが朝廷に知られることを恐れて、医師を待ち伏せて殺すよう、左衛門尉(さえもんのじょう)に命じるのだ。


 既に陸奥守(むつのかみ)の内示を受けていた。矢傷が元で死に掛けていたことを知られると、貞盛(さだもり)の武勇に期待していた朝廷に不安感を与え、取り消されることを恐れたと物語は言う。


 回復したのであれば問題無いと思うのだが、この辺のことは分からない。やはり、作り話で、それらしい理由付けをしただけと考えることも出来る。


 左衛門尉(さえもんのじょう)は軽く承知して急いで出掛けたのだが、そのまま医師の所へ行ってそのことを告げた。医師はびっくりして左衛門尉(さえもんのじょう)に助けを求める。


 左衛門尉(さえもんのじょう)は、医師を送る為に京まで同行する判官代(ほうがんだい)を馬に乗せ、自分は徒歩で山越えをするよう医師にアドバイスし、妻と胎児を助けてもらったので恩を返すことにしたと告げる。医師も手を擦り合わせて涙を流した。


 当時の人はこの(くだり)で感激したのだろうか?  

 この物語の中で、この事件には無関係で、何の罪も無い判官代(ほうがんだい)は、実際、医師の身代わりに殺されてしまうのだ。

 何が善で何が悪か、それは絶対的なものでは無く、時代背景に大きく影響される。


 物語の最後で作者は、


貞盛朝臣(さだもりあそん)は、わが子の妻の懐妊している腹を裂いて胎児の(きも)を取ろうと思ったとは、何というこのうえなく残酷な心ではないか』


貞盛(さだもり)を批判している。


 作者が『残酷な心』と言っているのは『胎児の(きも)を取ろうと思った』ことでは無く『“わが子の妻の” 胎児の(きも)』なのである。


 そして『これは貞盛(さだもり)の第一の郎等の館諸忠(たてのもろただ)の娘が語った話を、聞き継いでこうして世の中に語り伝えていると言うことである』と締め括っている。


 館諸忠(たてのもろただ)が実際見聞きし、それを娘に語ったのであろうか? もしそうだとすれば、諸忠(もろただ)貞盛(さだもり)に不快感を抱いていたということになる。

 それとも、架空な話を書いた作者が物語に信憑性を与えるために、一の郎等で在った館諸忠(たてのもろただ)の娘を持ち出したものなのだろうか? 

 いずれにしても、当時の貞盛(さだもり)は、人格高潔な人物とは思われていなかったのではないか。少なくともそう思われる。


 翌日は一日のんびりとした後、四日目の朝、千方一行は、貞盛の見送りを受け衣川(ころもがわ)に向けて旅立った。

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