48 貞盛の憂鬱
「これが多賀城か!」
千方が興奮気味に言った。
見回りから戻った兵達の列が、足早に追い越して行く。
仕事を終えた職人達ものんびりと話しながら通り過ぎて行く。
陸奥国は大国であり、養老律令の官位令が定める大国の官位相当は、守が従五位上、介が正六位下、大掾が正七位下、少掾が従七位上、大目が従八位上。
職員令が定める定員は、守から少目まで各一人、計六人である。
国司には含まれない史生の定員は養老令では三人だが、延喜式では五人である。
他に国博士一人、国医師一人、学生五十人、|医生十人が定員として置かれていた。
南北大路に沿って右側には川が流れており、それが少し先でほぼ直角に左に曲がり大路と交差する。その手前左側には、碁盤の目のように路が走る街並みが有る。
左折し、四丈(十二メートル)幅の路を進むと、二区画目左に陸奥大掾の住む国司舘が有る。
次の区画の右側にあるのが介の住む|国司舘だ。
陸奥守の住む国司舘は右側の更に四区画先に有り、政務を司る建物も敷地内に有る。
通常の政務は内郭の内にある政庁では無く、陸奥守の屋敷内にある舘で行われていた。
佐野を発つ時、千常から渡されていた絵図を基に、一行は貞盛の居る国守の国司舘に向かった。
貞盛は秀郷の後、天慶十年(九百四十七年)より鎮守府将軍を務めているが、陸奥守を兼ねている為、多賀城に滞在していた。
築地塀に沿って進み、門を入るとほぼ正面に政務を執る為の舘が在り、左手奥に回廊で繋がった居宅が有る。
その周りには、幾つかの建物が回廊で繋がれている。
門番に案内を乞うと、少し待たされて正面の建物内に案内された。
千方が下座正面に控え、後ろには、左から朝鳥、古能代、夜叉丸、秋天丸が横一列に並んで貞盛の出座を待った。
やがて、陸奥守・貞盛がゆっくりとした歩みで現れると、一同、両の拳を床に突き頭を下げる。
貞盛も既に五十になる。
若い頃、明るく快活であった面影は無い。
一度立ち止まって、なんと無く憂鬱そうな眼差しで一同を見渡した後、席に着く。
「秀郷殿から書状を頂いておる。長旅、大儀で御座ったな」
「お初にお目に掛かります。秀郷が六男、六郎・千方と申します。こたびは、お世話をお掛け致します」
「何の。秀郷殿には色々と世話になっておる。碌な持成しも出来ぬが、ゆるりとされよ。武蔵で育ったそうじゃな。幾つになる?」
「はい。十五になります」
「十五? …… そうか、あの乱の折に生まれたのか。秀郷殿も、色々と忙しいことであったのじゃな。……」
そう言って貞盛は僅かに笑った。その後貞盛は、朝鳥に視線を移し、
「おう、朝鳥と申したな。覚えておるぞ」
と言った。
「陸奥守様に覚えていて頂けたとは、真に恐縮に御座います」
「下野・藤原家の日下部朝鳥と言えば音に聞こえた荒武者じゃ。
忘れるものか。あの折、麿と共に本陣を飛び出しおって」
「恐れ入ります」
「隣の者も見た覚えが有るのう……」
古能代に視線を移した貞盛が、その顔を凝視している。
『これか!』
そう思って、朝鳥は緊張した。
太刀を抜くには左側に居る方が有利である。そう思って朝鳥は、古能代の左側に席を取っていたのだ。
「いえ、お人違いかと」
古能代が平然と答えた。
「手前、取るに足らぬ者で、郎党の末席を穢しておる者。陸奥守様へのお目通りは初めてのことに御座います」
「…… ふん、そうか。秀郷殿に、そう申せと言われておるのか?」
「そのようなことは、御座いません」
古能代は、そう無表情に答える。
「あの折、将門の許に使いした郎党に良く似ておるな……」
貞盛は探るような眼差しをした。
そして、
「ま、良い。別人ということにしておこう」
と言って千方に視線を戻すと、
「千方殿、麿はまだ、少しせねばならぬことが有るゆえ、済まぬが中座する。
全てこの者に申し付けてある。不自由があったら、何なりと申し付けられるが良い。後程宴を共に致そう」
と言って立ち上がった。
傍らに控えていた郎党が、頭を下げる。
「御用繁多なところ、お出まし頂き有り難う御座いました。お言葉に甘え寛がせて頂きます」
千方が貞盛に向かって頭を下げると、後ろの四人も同じように倣った。
朝鳥がふーと息を吐いた。
居室に戻った貞盛は人を遠ざけ、虚空を見詰めながら、親指の爪を噛んでいた。
『秀郷殿は、何故今頃、あの男を寄越したのだろうか?』
と考えていたのだ。
『麿に“恩を忘れるな"と言いたいのか?』
そう思った。
将門に向けて矢を放った後、その矢が、将門に払い落されたのを確かに見た。
しかし『しまった!』と思う間も無く、将門が馬から雪崩落ちた。
はっとして右手を見ると、離れた所に四~五人の郎党達の姿が有った。その先頭に居たのがあの男だった。
その手には、半弓が握られていた。
『確か名は、大道古能代』
将門の許へ使いに出した郎党の名を聞いた時、秀郷が答えたのを、貞盛は覚えていた。
それほど気になる男だったのだ。
『射落としたのはあの男の矢ではないか?』
そう考えているうちに、将門の許に駆け寄った秀郷が、いきなり、倒れている将門の頭を踏ん付け、刺さった矢を抜き、辺りに散らばっている矢の中に、抜いた矢を放り込んだ。
そして、
『皆、聞け~っ! 謀叛人・平将門は、左馬允・平朝臣・太郎貞盛殿が射落とし、下野押領使、この藤原朝臣・太郎秀郷が首討った』
と叫んだのだ。
『いや、違う』とは言えなかった。
もう、そんなことを言える雰囲気では無くなってしまっていた。
『あの時から麿は、秀郷殿に首根っこを押さえられてしまったのだ。そして、あの時から麿は憂いの中で生きている』
まず始めに『将門を射落としたのは、貞盛殿では無い』と言い出す者が出て来ないかと案じた。
あの雰囲気の中で気付いた者が居なかったのか、或いは、気付いていて『それで良い』と思ったのか、幸いにも、そんなことを言い出す者はひとりも居なかった。
兵の矢には、名前や本人と分かる印が書いてある。恩賞を願い出る時の証拠とする為だ。
しかし、秀郷は、証拠の矢を抜くなり、散らばった矢の中に放り込んでしまった。
そして、大声で宣言することに寄って、周知の事実としてしまったのだ。それに異を唱えることは、秀郷に反抗するということになってしまう。
太政官への恩賞申請に際して秀郷は、野犬を射て血塗りを付けた貞盛の矢を提出していた。
次に貞盛の心を悩ませたのは、弟の繁盛だった。
「兄者はひとが好過ぎる。口惜しくは無いのか? 将門を射殺したのは兄者で、秀郷殿は、死人の首を獲っただけではないか!
それなのに、秀郷殿は大出世をし、兄者は僅かな昇進にとどまっている。きっと、秀郷殿が己の手柄を都合良く太政官に申し立てたのだ」
「繁盛! 滅多なことを申すな。秀郷殿は、そのようなお方では無い。
元はと言えば、麿が秀郷殿を頼って、助力をお願いしたのだ。そして、軍勢の粗方は秀郷殿の兵であったのだ」
「そんなもの、既に崩壊しておったでは無いか。それに、兄者の持っていた将門追捕の官符が無ければ、軍を興すことも出来なかった筈だ」
正に、繁盛の言うことに違いは無い。将門を殺したのが貞盛であれば……。だが、例え弟であっても、真実を言うことは出来なかった。
「お上にも色々とお考えのあってのご措置だ。不服を申してはならぬ。公卿の方々はちゃんと考えていて下さる」
繁盛を宥める為に言った言葉だが、嘘では無かった。
貞盛は、恩賞の沙汰の後、権中納言・藤原師輔に呼び出された。
「貞盛、こたびの御沙汰さぞかし不満であったであろうな」
家司も同席していない二人だけの部屋でのことである。
師輔はそう言ってから、框近くの下座に控える貞盛を、閉じた扇で差し招いた。
「近う。もそっと近う参れ」
「ははっ」
と返事をし、貞盛は部屋の中ほどまで進み出た。
「もそっとじゃ。もそっと近う参らねば話せぬことじゃ」
貞盛は更に近くまで進んだ。
そして、
「不満など一切御座いませぬ。身に過ぎたものと、御沙汰には深く感謝致しております」
と言った。
「欲の無い男じゃのう。じゃが、これだけは覚えて置くが良い。我等、そちの働きを秀郷より下と見ている訳では決して無いぞよ。
色々と考えが有ってのことじゃ。処遇については、いずれ得心出来るように致す。暫し時を待て。麿が朝堂に在る限りは案ずるには及ばぬ。任せておきゃれ」
「ははっ。元より不満などは御座いませんが、権中納言様、直々にそのようなお言葉を頂き、この貞盛、只々恐悦至極に存じまする」
貞盛は大袈裟に身を伏せた。
そのことを話すと、繁盛の怒りも少しは収まった。
「ふ~ん。そんなことが有ったのか。…… だが兄者、都の公卿の言うことなど信用出来るのか?」
「分らん。分らんが、そう思うて下さっていることは確かだ。信ずるより他に有るまい」
貞盛はこの時、繁盛には話さなかったが、実はこの話には続きが有った。
「貞盛。秀郷とは昵懇に致せよ」
「はっ」
と返事はしたが、その真意が読めない。
「親しく付き合うて、見たこと聞いたこと、全て麿に報せよ。良いな」
と言った師輔の目が鋭く光った。
ここに来て師輔が自分を呼んだ意図を、|貞盛は初めて悟った。
立ち上がった師輔が、平伏している貞盛に近付き、その周りを、ゆっくりと廻りながら話し始めた。
「貞盛。位討ちと言うのを知っておるか?」
「はい」
「うん。人には誰しも生まれながらに持った”分”と言うものが有る。
その” 分”を超えていきなり出世すると、己を見失って自滅するものじゃ。そちは、あせらず、一歩一歩上って参るが良い。その為には、まずは、しっかりと働くことじゃ。期待しておるぞよ」
「ははっ」
これが、貞盛に取って最大の苦悩の元となった。
元々貞盛は、要領は良いが、狡賢い人間では無い。若い頃は、明るく爽やかで誰にも好印象を持たれる若者であった。
将門を恨んだのも、最後にしつこく追い回されるようになってからである。
父・国香の死に付いても、将門が意図的に討ったものでは無く、たまたま巻き込まれただけと知ってから暫くは、討とうと言う気さえ無かったのだが、周りの状況から次第にそういう立場に追い込まれて行ったのだ。
秀郷に助けを求め、秀郷がそれに応じてくれたお陰で、臆病者との汚名を晴らすことが出来た。
それには恩義を感じている。秀郷が自分を、将門を射落とした者と宣言してしまったことに付いては、有り難く思わなければならないのかも知れないが、一方で、
『嵌められた』と思わない訳でも無い。
何しろ、この秘密に因って、貞盛は一生、秀郷に頭の上がらない立場となってしまったのだ。
その秀郷を裏切れというのが、師輔の命である。
この時から、明るかった貞盛が次第に変貌して行った。
苛立ちから、感情を爆発させて部下に当たることも度々有った。ひとの心を読むことが快感だった貞盛の心が、次第に鈍になって行き、己の中に籠るようになってしまったのだ。
長い間、貞盛は人払いをした部屋でひとり爪を噛んでいた。師輔には、秀郷の動向についての報せは送り続けていたが、たまに入る秀郷の不穏な動きについての情報は、他から漏れる心配が無ければ、握り潰していた。
古能代の印象的な顔が、又あの頃の苦しみを思い起こさせた。




