表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/74

48 貞盛の憂鬱

「これが多賀城(たがじょう)か!」


 千方が興奮気味に言った。


 見回りから戻った兵達の列が、足早に追い越して行く。

 仕事を終えた職人達ものんびりと話しながら通り過ぎて行く。


 陸奥国(むつのくに)大国(たいこく)であり、養老律令(ようろうりつりょう)の官位令が定める大国の官位相当は、(かみ)従五位上(じゅごいのじょう)(すけ)正六位下(しょうろくいのげ)大掾(だいじょう)正七位下(しょうしちいのげ)少掾(しょうじょう)従七位上(じゅしちいのじょう)大目(だいさかん)従八位上(じゅはちいのじょう)


 職員令が定める定員は、(かみ)から少目(しょうさかん)まで各一人、計六人である。


 国司には含まれない史生(ししょう)の定員は養老令では三人だが、延喜式(えんぎしき)では五人である。

 他に国博士一人、国医師一人、学生(がくしょう)五十人、|医生十人が定員として置かれていた。


 南北大路に沿って右側には川が流れており、それが少し先でほぼ直角に左に曲がり大路と交差する。その手前左側には、碁盤の目のように路が走る街並みが有る。


 左折し、四丈(十二メートル)幅の路を進むと、二区画目左に陸奥大掾(むつのだいじょう)の住む国司舘(こくしやかた)が有る。


 次の区画の右側にあるのが(すけ)の住む|国司舘だ。


 陸奥守(むつのかみ)の住む国司舘は右側の更に四区画先に有り、政務を司る建物も敷地内に有る。


 通常の政務は内郭(ないかく)の内にある政庁では無く、陸奥守(むつのかみ)の屋敷内にある舘で行われていた。


 佐野を発つ時、千常から渡されていた絵図を基に、一行は貞盛(さだもり)の居る国守(くにのかみ)の国司舘に向かった。


 貞盛(さだもり)秀郷(ひでさと)の後、天慶(てんぎょう)十年(九百四十七年)より鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)を務めているが、陸奥守(むつのかみ)を兼ねている為、多賀城(たがじょう)に滞在していた。


 築地塀(ついじべい)に沿って進み、門を入るとほぼ正面に政務を執る為の舘が()り、左手奥に回廊で繋がった居宅(きょたく)が有る。


 その周りには、幾つかの建物が回廊で繋がれている。


 門番に案内(あない)を乞うと、少し待たされて正面の建物内に案内された。


 千方が下座正面に控え、後ろには、左から朝鳥、古能代(このしろ)夜叉丸(やしゃまる)秋天丸(しゅてんまる)が横一列に並んで貞盛(さだもり)の出座を待った。


 やがて、陸奥守(むつのかみ)貞盛(さだもり)がゆっくりとした歩みで現れると、一同、両の(こぶし)(ゆか)に突き頭を下げる。


 貞盛(さだもり)も既に五十になる。


 若い頃、明るく快活であった面影は無い。

 一度立ち止まって、なんと無く憂鬱そうな眼差しで一同を見渡した後、席に着く。


秀郷(ひでさと)殿から書状を頂いておる。長旅、大儀(たいぎ)で御座ったな」


「お初にお目に掛かります。秀郷(ひでさと)が六男、六郎・千方と申します。こたびは、お世話をお掛け致します」


「何の。秀郷(ひでさと)殿には色々と世話になっておる。(ろく)持成(もてな)しも出来ぬが、ゆるりとされよ。武蔵(むさし)で育ったそうじゃな。幾つになる?」


「はい。十五になります」


「十五? …… そうか、あの乱の折に生まれたのか。秀郷(ひでさと)殿も、色々と忙しいことであったのじゃな。……」


 そう言って貞盛(さだもり)は僅かに笑った。その後貞盛(さだもり)は、朝鳥に視線を移し、


「おう、朝鳥と申したな。覚えておるぞ」


と言った。


陸奥守(むつのかみ)様に覚えていて頂けたとは、(まこと)に恐縮に御座います」


下野(しもつけ)・藤原家の日下部朝鳥(くさかべのあさどり)と言えば音に聞こえた荒武者じゃ。

 忘れるものか。あの折、麿と共に本陣を飛び出しおって」


「恐れ入ります」


「隣の者も見た覚えが有るのう……」


 古能代(このしろ)に視線を移した貞盛(さだもり)が、その顔を凝視している。


『これか!』


 そう思って、朝鳥は緊張した。

 太刀を抜くには左側に居る方が有利である。そう思って朝鳥は、古能代(このしろ)の左側に席を取っていたのだ。


「いえ、お人違いかと」


 古能代(このしろ)が平然と答えた。


「手前、取るに足らぬ者で、郎党の末席を(けが)しておる者。陸奥守(むつのかみ)様へのお目通りは初めてのことに御座います」


「…… ふん、そうか。秀郷(ひでさと)殿に、そう申せと言われておるのか?」


「そのようなことは、御座いません」


 古能代(このしろ)は、そう無表情に答える。


「あの折、将門(まさかど)(もと)に使いした郎党に良く似ておるな……」


 貞盛(さだもり)は探るような眼差(まなざ)しをした。


 そして、


「ま、良い。別人ということにしておこう」


と言って千方に視線を戻すと、


「千方殿、麿はまだ、少しせねばならぬことが有るゆえ、済まぬが中座(ちゅうざ)する。

 全てこの者に申し付けてある。不自由があったら、何なりと申し付けられるが良い。後程(のちほど)(うたげ)を共に致そう」


と言って立ち上がった。


 (かたわ)らに控えていた郎党が、頭を下げる。


御用繁多(ごようはんた)なところ、お出まし頂き有り難う御座いました。お言葉に甘え寛がせて頂きます」


 千方が貞盛(さだもり)に向かって頭を下げると、後ろの四人も同じように(なら)った。


 朝鳥がふーと息を吐いた。


 居室に戻った貞盛(さだもり)は人を遠ざけ、虚空を見詰めながら、親指の爪を噛んでいた。


秀郷(ひでさと)殿は、何故(なにゆえ)今頃、あの男を寄越したのだろうか?』


と考えていたのだ。


『麿に“恩を忘れるな"と言いたいのか?』 

 そう思った。


 将門(まさかど)に向けて矢を放った後、その矢が、将門(まさかど)に払い落されたのを確かに見た。


 しかし『しまった!』と思う間も無く、将門(まさかど)が馬から雪崩(なだれ)落ちた。

 はっとして右手を見ると、離れた所に四~五人の郎党達の姿が有った。その先頭に居たのがあの男だった。


 その手には、半弓が握られていた。


『確か名は、大道古能代(おおみちのこのしろ)


 将門(まさかど)(もと)へ使いに出した郎党の名を聞いた時、秀郷(ひでさと)が答えたのを、貞盛(さだもり)は覚えていた。


 それほど気になる男だったのだ。


射落(いお)としたのはあの男の矢ではないか?』


 そう考えているうちに、将門(まさかど)(もと)に駆け寄った秀郷(ひでさと)が、いきなり、倒れている将門(まさかど)の頭を踏ん付け、刺さった矢を抜き、辺りに散らばっている矢の中に、抜いた矢を放り込んだ。


 そして、


『皆、聞け~っ! 謀叛人・平将門(たいらのまさかど)は、左馬允(さまのじょう)平朝臣(たいらのあそん)太郎貞盛(たろうさだもり)殿が射落とし、下野押領使しもつけのおうりょうし、この藤原朝臣(ふじわらのあそん)太郎秀郷(たろうひでさと)が首討った』


と叫んだのだ。


『いや、違う』とは言えなかった。


 もう、そんなことを言える雰囲気では無くなってしまっていた。


『あの時から麿は、秀郷(ひでさと)殿に首根っこを押さえられてしまったのだ。そして、あの時から麿は憂いの中で生きている』


 まず始めに『将門(まさかど)を射落としたのは、貞盛(さだもり)殿では無い』と言い出す者が出て来ないかと案じた。


 あの雰囲気の中で気付いた者が居なかったのか、或いは、気付いていて『それで良い』と思ったのか、幸いにも、そんなことを言い出す者はひとりも居なかった。


 (つわもの)の矢には、名前や本人と分かる(しるし)が書いてある。恩賞を願い出る時の証拠とする為だ。

 しかし、秀郷(ひでさと)は、証拠の矢を抜くなり、散らばった矢の中に放り込んでしまった。

 そして、大声で宣言することに寄って、周知の事実としてしまったのだ。それに異を唱えることは、秀郷(ひでさと)に反抗するということになってしまう。


 太政官(だじょつかん)への恩賞申請に際して秀郷(ひでさと)は、野犬を射て血塗りを付けた貞盛(さだもり)の矢を提出していた。


 次に貞盛(さだもり)の心を悩ませたのは、弟の繁盛(しげもり)だった。


「兄者はひとが好過ぎる。口惜(くちお)しくは無いのか? 将門(まさかど)射殺(いころ)したのは兄者で、秀郷(ひでさと)殿は、死人(しびと)の首を獲っただけではないか! 

 それなのに、秀郷(ひでさと)殿は大出世をし、兄者は僅かな昇進にとどまっている。きっと、秀郷(ひでさと)殿が己の手柄を都合良く太政官(だじょうかん)に申し立てたのだ」


繁盛(しげもり)! 滅多なことを申すな。秀郷(ひでさと)殿は、そのようなお(かた)では無い。

 元はと言えば、麿が秀郷殿を頼って、助力をお願いしたのだ。そして、軍勢の粗方(あらかた)秀郷(ひでさと)殿の兵であったのだ」


「そんなもの、既に崩壊しておったでは無いか。それに、兄者の持っていた将門(まさかど)追捕の官符が無ければ、軍を(おこ)すことも出来なかった筈だ」


 正に、繁盛(しげもり)の言うことに違いは無い。将門(まさかど)を殺したのが貞盛であれば……。だが、例え弟であっても、真実を言うことは出来なかった。


「お(かみ)にも色々とお考えのあってのご措置だ。不服を申してはならぬ。公卿(くぎょう)の方々はちゃんと考えていて下さる」


 繁盛(しげもり)(なだ)める為に言った言葉だが、嘘では無かった。


    

 貞盛(さだもり)は、恩賞の沙汰の後、権中納言(ごんちゅうなごん)藤原師輔(ふじわらのもろすけ)に呼び出された。


貞盛(さだもり)、こたびの御沙汰(ごさた)さぞかし不満であったであろうな」


 家司(けいし)も同席していない二人だけの部屋でのことである。

 師輔(もろすけ)はそう言ってから、(かまち)近くの下座(げざ)に控える貞盛(さだもり)を、閉じた扇で差し招いた。


「近う。もそっと近う参れ」


「ははっ」


と返事をし、貞盛(さだもり)は部屋の中ほどまで進み出た。


「もそっとじゃ。もそっと近う参らねば話せぬことじゃ」


 貞盛(さだもり)は更に近くまで進んだ。 


 そして、


「不満など一切御座いませぬ。身に過ぎたものと、御沙汰には深く感謝致しております」


と言った。


「欲の無い男じゃのう。じゃが、これだけは覚えて置くが良い。我等、そちの働きを秀郷より下と見ている訳では決して無いぞよ。

 色々と考えが有ってのことじゃ。処遇については、いずれ得心出来るように致す。暫し時を待て。麿が朝堂(ちょうどう)()る限りは案ずるには及ばぬ。任せておきゃれ」


「ははっ。元より不満などは御座いませんが、権中納言(ごんちゅうなごん)様、(じきじき)々にそのようなお言葉を頂き、この貞盛(さだもり)、只々恐悦至極(きょうえつしごく)に存じまする」


 貞盛(さだもり)大袈裟(おおげさ)に身を伏せた。


   


 そのことを話すと、繁盛(しげもり)の怒りも少しは収まった。


「ふ~ん。そんなことが有ったのか。…… だが兄者、都の公卿(くぎょう)の言うことなど信用出来るのか?」


「分らん。分らんが、そう思うて下さっていることは確かだ。信ずるより他に有るまい」


 貞盛(さだもり)はこの時、繁盛(しけもり)には話さなかったが、実はこの話には続きが有った。

 

   

貞盛(さだもり)秀郷(ひでさと)とは昵懇(じっこん)に致せよ」


「はっ」


と返事はしたが、その真意が読めない。


「親しく付き()うて、見たこと聞いたこと、(すべ)て麿に報せよ。良いな」


と言った師輔(もろすけ)の目が鋭く光った。


 ここに来て師輔(もろすけ)が自分を呼んだ意図を、|貞盛は初めて悟った。


 立ち上がった師輔(もろすけ)が、平伏している貞盛(さだもり)に近付き、その周りを、ゆっくりと廻りながら話し始めた。


貞盛(さだもり)位討(くらいう)ちと言うのを知っておるか?」


「はい」


「うん。人には誰しも生まれながらに持った”ぶん”と言うものが有る。

 その” 分”を超えていきなり出世すると、(おのれ)を見失って自滅するものじゃ。そちは、あせらず、一歩一歩上って参るが良い。その為には、まずは、しっかりと働くことじゃ。期待しておるぞよ」


「ははっ」


 これが、貞盛(さだもり)に取って最大の苦悩の元となった。


 元々貞盛(さだもり)は、要領は良いが、狡賢(ずるがしこ)い人間では無い。若い頃は、明るく爽やかで誰にも好印象を持たれる若者であった。


 将門(まさかど)を恨んだのも、最後にしつこく追い回されるようになってからである。

 父・国香(くにか)の死に付いても、将門(まさかど)が意図的に討ったものでは無く、たまたま巻き込まれただけと知ってから暫くは、討とうと言う気さえ無かったのだが、周りの状況から次第にそういう立場に追い込まれて行ったのだ。


 秀郷(ひでさと)に助けを求め、秀郷(ひでさと)がそれに応じてくれたお陰で、臆病者との汚名を晴らすことが出来た。


 それには恩義を感じている。秀郷(ひでさと)が自分を、将門(まさかど)射落(いお)とした者と宣言してしまったことに付いては、有り難く思わなければならないのかも知れないが、一方で、


()められた』と思わない訳でも無い。


 何しろ、この秘密に()って、貞盛(さだもり)は一生、秀郷(ひでさと)に頭の上がらない立場となってしまったのだ。


 その秀郷(ひでさと)を裏切れというのが、師輔(もろすけ)(めい)である。


 この時から、明るかった貞盛(さだもり)が次第に変貌して行った。


 苛立(いらだ)ちから、感情を爆発させて部下に当たることも度々有った。ひとの心を読むことが快感だった貞盛(さだもり)の心が、次第に鈍になって行き、己の中に籠るようになってしまったのだ。


 長い間、貞盛(さだもり)は人払いをした部屋でひとり爪を噛んでいた。師輔(もろすけ)には、秀郷(ひでさと)の動向についての報せは送り続けていたが、たまに入る秀郷(ひでさと)の不穏な動きについての情報は、他から漏れる心配が無ければ、握り潰していた。


 古能代(このしろ)の印象的な顔が、又あの頃の苦しみを思い起こさせた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ